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【最幸ビジネスモデル】触発され影響し合い・・・。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.30 No.0730
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昨日は、
「押し付ける事も、外に求める事も必要なく
 自分の中に、すべてある。」
と書いたが、
その、自分の中を知るのに
人とのコミュニケーションが不可欠。

誰も、
自分の姿を自分で見る事はできない。

誰もが
お互いに触発し合い、影響をしあい
自分に気付いて行く。

お互いに成長して行く。

そこが人間の面白さ。

そして、どんな環境に身を置いても
自分の
「心持ち、考えかた、捉え方」次第で
環境は関係なく
自分でいる事ができる。

それも人間の面白さ。

 自分の感覚を大切にすると
 人を通じて自分に出会える
 と言う事。

もし、
自分を大切に出来なくて
人を優先していたら
ただ、流されてしまうだけ。
どんどん自分が何者か分からなくなる。

 自分が自分として生まれて来て
 ほんの十数年間ほどの滞在期間に
 自分が喜ぶ生き方をするには?
 という意味の「自分」

 それは大いなるものの一部で
 その一部の中に全てがある。

 その全てには、この宇宙で起こる
 すべてが含まれる。

 そういう事を考えて行くと
 「正悪」という事では何の説明もできない。
 すべてはこの宇宙で起こっている事。
 すべては自分で選んでいると言う事。
 だから、自分の中に宇宙があり
 自分が宇宙の一部だと実感できる。
 言語化は不可能だけれど
 人生を通じて実感している友人が
 周りに多いので幸せ♪

言葉で「自分を大切にしよう」と教わっても
ほとんどの人が自分を大切にしていないから
子どもたちは、言葉を知っていても
大切にするという意味を知らずに大人になり
それが代々繰り返される。

自分を大切にしよう、
という大人に
「私はこう考える」と自分の意見を言っても
それがたった一つの正しい答えにそぐわないと
否定されてしまう。

だから、自分を見失った人で社会はいっぱい。
一方で、その同じ社会の中で
自分を尊重して、だからこそ
他人も尊重して幸せに創造人生を歩んでいる
人たちもいる。

その違いは
ただ、
「自分の選択」
という事に尽きる。

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■今日のまとめ

誰もが
お互いに触発し合い、影響をしあい
自分に気付いて行く。

自分の感覚を何より尊重していれば。

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【最幸ビジネスモデル】プロセスはいろいろ。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.29 No.0729
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人が自分の道に気付いたり
自分自身と出会ったりして
「人生が変わった!」
と思うプロセスは
まさに、ひとそれぞれ。

たとえば一例として。

私は子宮がんで子どもを産んだ。
産まれた子どもは
正規産では日本一小さな手乗り赤ちゃん。
呼吸器の未熟やら何やらで
15分おきくらいに
体中、まっくろになるほどのチアノーゼ
と戦って、最初の一年は無我夢中の看病。

私はすっかり
自分の事を忘れ
まさに「無我夢中」状態。

いつまで続くか分からないという事だけが
本当に辛く感じていたが
1年で、子どもは元気に育ち
ほっと一息ついたところで
初めて自分の事を思い出した。

「やばい!自分も病気だったーーー。」

で、病院に行くと
すっかりガンが消えていた。

というプロセスがある。

そして仲の良い友人には、
「ヨガに出会って病気が治った」とか、
また別の人は、
「玄米食に出会って病気が治った」とか。

それはそれは、人それぞれに
プロセスがある。

その人がどういう人生を歩んで来たかという
プロセスも人それぞれだし
人生が変わる体験も、人それぞれだ。

このような「例」はまだまだ尽きない(笑)

他の例では、10年くらい前。

私は超権威のある人から
私の仲間の前で
「君は人間としてダメだ!」
と指を指された事があり
その時は、もうペッシャンコ。
象に踏まれたかのように紙っぺらのような
気持ちで帰り道の記憶は何も無い。

 けれど、今は
 まったく同じ場面があったとしても
 ペッシャンコにはならない。

その時に自尊心が低かった私のことを
ばしっと言ってくれた、その方に
心から感謝している。

伝わらない人には決して言わない。
誰も、嫌な事など言いたくない。
私の深い所を信じてくれたから
敢えて言ってくれたのだと
今では感じる事ができる。

人の目を気にして生きるなと、
自分を生きろと私に伝えるために
言ってくれたのだと思う。

こうして、
私は本当に気付くべき事に気付くキッカケを
人生の中で多く体験している。

同じようなそういう事は、
ある人にとっては
何かのセミナーかもしれないし
別の出来事や出会いかもしれない。

 余談だが、振り返ると
 そういうペッシャンコな出会いも含めて
 私には宝のような
 素晴らしい出会いしかない。

 私は、本当につくづく強運だと感じている。
 こんな面白い人生は
 めったに体験できない、と思える程
 深く感謝している。

 10代の頃の話や海外一人旅での話。
 たくさんの人生での自分の体験(ネタ)を思うと、
 大きな何かに守られているとしか思えない。
 ただ、ただ、感謝。ありがたい!

だから私は、
何か、ひとつのプロセスを、
「あなたも、これをしたら変わる」と言って
押し付けたり、依存したりするのは、
どうも違うような気がしている。

ちゃーんと、
その人にあったプロセスもキッカケも
あるから大丈夫(笑)

自分の人生に夢中で生きていれば
一番いい道に乗っている。

自分が体験したい人生は
自分にしか分からない。
それは感情や感覚をセンサーにして
自分が思うまま生きる事だと
私は感じている。

押し付ける事も
外に求める事も必要なく
(そういうプロセスの時期は
 もしかしたら誰もが通るのかもしれないが)
自分の中に、すべてある。

自分の世界が
そとに映し出されていることを
体感できれば
きっと
誰もが、自分にしかない
自分のプロセスを楽しめる。

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■今日のまとめ

感情や感覚をセンサーにして
自分が思うまま生きる事。

押し付ける事も、外に求める事も必要なく
自分の中に、すべてある。

自分の世界が外に映し出されていることを
体感できれば、
誰もが、自分にしかない
自分のプロセスを楽しめる。

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【最幸ビジネスモデル】時間のヒミツ。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.28 No.0728
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私は本を読むのが子どもの頃から好き。
特に童話。

中でも最も大好きな童話は
ミヒャエルエンデの「モモ」

初めての出会いは
小学校4年生の時に
学校でモモのミュージカルを見に行った事。
その後、本に出会った。

20代のときにも読み返し
30代のときにも読み返し
この土日で10年ぶりくらいに
ふと読み返した。

振り返ると、偶然にも
約10年に一度は、読み返している(笑)

 余談だが
 同じ本を読み返すのはとてもいい。
 その頃の自分の事も
 今の自分の事もよく分かる。

 なぜなら、同じ本なのに
 理解度や心の残る箇所が違うから。
 物語を通じて自分と出会えるのだと思う。

いつも本棚にある本を
なんの意味もなく「ふと」手を伸ばして
読み始める。

考えなく、ふと手を伸ばす
そのタイミングも、
いつも完ぺきだと感じている。

今回は、
何度も読んだ「モモ」なのに
まるで初めて出会った本のように衝撃的だった。

もちろん、
物語の内容も展開も知っている。
けれど
今まで、一度も読んだ事がない物語だった(驚)

10年後、ふと手を伸ばして読んだ時に
また、新しい物語として
感じることが出来るのだろうか?
私の10年後がとても楽しみだ。

さて、モモ。

私たちは誰でも、
時計が刻む、共通の時間と
感覚の時間がある事を知っている。

同じ10分が
嫌な事をしているときは
3時間に感じたり
楽しく夢中になっていれば
1分に感じたりするのは
どんな人も経験している。

また、
時間はこの世に生まれてから死ぬまでに
全員に与えられているものでもある。

生きるということ。
人生そのものが「時間」

そこまでは、だれもが共通で知っている。

でも、
時間っていったい何?

という問いに答えられるか?というと
そうでもない。

いや、たぶん。
だれもが正確な答えをしっているけれど
言語化できない領域の分野なのだと
私は感じている。

その「時間」のことを
また、人間の「心」のことを
童話の中で表現しているのが「モモ」

大好きで何度も読んだのに
今回、初めての物語だと感じた「モモ」

時間のヒミツを知りたい方はぜひ
秋の夜長のお供に。

 ちなみに、
 私はどんな本でも、
 じっくり味わって読むのが大好き。
 童話でも物語でもビジネス書であっても
 丁寧にゆっくり読むのが好み。
 それでも、今回夢中になって、
 この土日でつい読み終わってしまった(笑)

 世の中には「速読」という技術があり、
 それも、素晴らしいと思うけれど
 あえて「ゆっくり丁寧に読む」と言う事で
 どちらの素晴らしさにも気付けるかもしれない。

 「モモ」はぜひ、ゆっくり読んでほしい。
 内容が「時間泥棒」の話なので、モモを
 速読したら、時間を盗まれてしまうかも?

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■今日のまとめ

 時間は命の源。
 楽しむ。味わい尽くす。自分を表現する。
 そういう事が時間と言う事。(言語化不可能!)

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【最幸ビジネスモデル】そろそろ思い出そうよ。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.25 No.0727
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幼少の頃からの
周りの言葉や態度や風習で
そうだと思って来た常識や
正しいと教わった事が、
自分自身なのではない。

まして
一番多い多数派の感覚が正しいのでもない。

 多数派は時代によって変わる。
 常識も時代や場所によって変わる。

 本質は変わらないのだから。

自分の感覚だけが
自分にとっての真実。

自分にとっての真実は
人の数だけあり、
人の数だけある真実は
すべて別のものだけど
全部つながっている。

自分の感覚が麻痺して
それすら分からなくなっている人も
もしかしたらいるのかもしれない。

がんばり屋さんや
真面目な人ほど
きっと、一生懸命に
周りからの「正しさ」に応えて
自分が麻痺して行くのだろう。

もちろん、
私もそんな時期があった。

誰もが
多かれ少なかれ通る
必要なプロセスなのだと思う。

けれど、
静かになって
心に手を当て
そっと感じてみたら
きっと誰でも分かるはず。

自分にとっての、

「好きな事」「嫌いな事」
「心地いい事」「心地悪い事」
「自然な事」「無理している事」

自分以外の人や情報などに
その答えはなく
自分にしか分からない。

人は人と触発し合って
自分を思い出している事。

自分自身が真実だと言う事を、
そろそろ思い出そうよ。

・自分に正直に生きている人と
・自分に嘘をついて生きている人。

最近は
もうどうしようもなく
それが明確に見える形で現れている。

人間は、
自分に正直に
自分のおもうまま、
自分の人生を創造できる。

私たちは一人一人が
誰もが、そういう存在。
それが人間なのだと
私は思う。

先日、友人から

「人間と言う字は
 人と人の間と書くでしょう?」

と教わった。
人と人が深く関わって
お互いに人間になって行くのだと
今までの体験から実感している。

お互いに触発し合って
自分に出会い
自分の物語を紡いでいると私は感じている。

どんな人間も
本当に心から心地のいい事を選択したならば
どんなに「我がまま」に現実を創造しても
それは素晴らしいことでしかない。

もし
みんなが「我がまま」になったら
人を傷つけたり迷惑をかけたり
する人もいる、
という人が仮にいたとしたら
そもそも、
その恐れ自体が、もう恐れなので
心地いいとは感じない。

人は誰もが
本当に心地よく自分に正直になれば
自然に愛を表現するしかなくなるのだ
と私は感じている。

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■今日のまとめ

 そろそろ思い出そうよ。
 自分が真実だと言う事に。

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【最幸ビジネスモデル】子どもは何でもお見通し。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.24 No.0726
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昨日の記事
「それが自分」にも関連している事。

私は
その時には気付かずに
子どもに対して
自論をがーっと言ってしまう事がある。

たとえば、

「それって人からコントロールされているじゃない!
 あなたはどうしたいの?
 人に言われるまま、
 めんどくさい事にならないようにと
 立ち回っていたら
 自分がなくなっちゃって
 人からコントロールされる人生になるよ!
 そんなの奴隷だよ!
 あなたは怖い人や力がある人に
 コントロールされて生きていたいの?」

などと・・・。

そういう時、
「そうかー」などと言いながら、
子どもは静かにただ話を聴いている。

そして、時間がたって
私は「はっ!」と気付く。

 あー、さっき子どもに大演説ぶったの
 あれって自分の事じゃんかぁぁぁぁ(恥)

そして、子どもに

「ごめん!あなたに言った内容、
 あれってお母さんの事だったよ。」

すると子どもは

「うん。そうだね。」

と言って笑ってくれる。

あぁ、本当に子どもは何て寛大なんだ!

  もし私だったら、きっと
  「それって自分のことじゃないの?」
  なんて突っ込んじゃう。

実は10年前、子どもを産んだ時。
私の子どもは正規産(10ヶ月お腹にいて)
では日本一小さな赤ちゃんだったために
しばらく保育器に入っていた。

 1日にたった1時間しか面会できず
 抱っこもできず、体中管だらけだし辛かったー。

生まれて数日後、
起きている我が子と対面。

はじめて子どもの瞳を見た時に
私はもう、本当に驚いてしまったのだ。

「あーーー、この子は何でもお見通し。
 もし、私が悲しいのに笑ったり
 外側だけを、どんなに取り繕っても
 全部バレてしまうんだ。」

と全身で感じた。
まさに雷が体を通過した程の驚きだった。

それまで、
周りに合わせて頑張って生きていた私は
子どもの瞳を見た時に

「もう私らしく生きよう」

と決心したのだ。

 この時、決心したけれど
 40年もの習慣はなかなか手強く
 それから10年近くかけて
 やっと今の私まで外側を脱いできている(爆)

これは、私の子どもだけではなく
子どもは誰もがそういう存在。

 それは独身の頃、
 保育士をしていた時に出会った
 のべ500人の子どもたちが教えてくれた事。
 長くなるので、この話は別の記事で。

子どもは本質にとても近い存在なので
本質に敏感だし、
言語化できないだけで
ぜーーーんぶ見抜いている。

 それを大人が無意識でキャッチして怯えから
 子どもの感性を押さえ込んでいる
 という場合もある。

 まったく分からずに
 本当に子どもの為と思って
 押しつけ、押さえ込んでいる場合が多い。

大人は
子どもの純粋な本質に触れて
ピュアな自分と出会い
本当に自分が自分のままで幸せになる
それぞれの道を思い出す事ができる。

自分の観念を子どもに押し付けると
せっかくの本質に蓋をしてしまうことにも
なりかねない。

昨日の記事は、

 人を通じて感情が揺れた時。
 それが自分。

と言う事を表現した。
子どもを通じて、何かしら感情が揺れるから
子どもに対して、言いたくなるので
その事と、今日の記事は関連している。

今日は、
「人に言う事が自分の事」
という事を、
子どもとの普段の会話を通じて表現したい。

特に、
親が子どもに言う事は
子どもには、ほとんど関係なく
(性格も性質も自分とは違うんだから)
全部、親自身の事だと気付くと
子どもに対して深い感謝が溢れる。

子どもが言う事をきかなーーーい!
とイライラするより
子どもに言う事は自分の事と
自分と出会って行く方が
ずっとお互いに幸せな道だと
私は感じている。

子どもは、
私を育てる為に
私の所に来てくれたんだなぁ
と毎日感謝でいっぱい。

他人の子どもでも、まったく同じ。
子どもは大人が本質ではない事を
考えたり行動したりする事に
とても敏感だし
よーーーーく見ているもの。

そして、自分の体を張って
大人から見れば「問題」と思えるような事を通じて、
大人の幸せのためにシグナルを発してくれている。

いつでも、
気付いていないのは大人のほうなのだ。

  この事は以前に書いた
  「問題のある子どもは誰もいない」
  という記事に繋がると思う。

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■今日のまとめ

 子どもは何でもお見通し。うししし。

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【最幸ビジネスモデル】それが自分。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.23 No.0725
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誰かを見て、
「あ、なんか素敵だなー」と感じたり、

誰かを見て、
なんかひっかかるとか、嫌いーと感じたり、

そんな風に、
誰かを見たり、誰かと接した時に、
自分の感情が揺れた時、

それが自分。

人は鏡と言う言葉は
使い古されているけれど
日常にあまり活かされていない事が
多いのではないだろうか?

私は
DVの元夫の
些細な何でもない事ですぐにカッとしたり
人に怒りをぶつけたりする姿が
とても嫌だった。

いきなり人格そのものが豹変して
怒り狂う姿はもうすごかった。

優しくていい人か
恐ろしい化け物かの
どちらかでしかなく、
子どもにそんな姿を見せたくないと
強く感じていた。

だから、
そんな姿が自分であるなんて
とてもじゃないが認める事などできやしない。

けれど
その元夫から子どもを抱えて逃げ出して
距離と時間を置いたら
あれは自分の姿だったのではなかろうか?
と気付き始めてしまった(笑)

最初は
違う違う。私は違う。
と抵抗していた私の心も
「仮にそれが自分だとしたら?」という
仮定で眺めていると
私の中に
怒りや悲しみや苦しみや・・・
もう、すごい感情を溜め込んでいた事に気付き

「はい。私の姿でしたー」

と観念した(爆)

すると元夫に対して
感謝の気持ちが溢れ出し
元々、恨む気持ちは少しもなかったが
「嫌だ」という感情がなくなってしまった。

そして
元夫の、
めちゃくちゃ頑張っている根底の思いが
早く癒されますように
という気持ちになった。

幼い頃からの私の心に溜まった
怒りや苦しみや悲しみを
元夫は
表現して見せてくれていたのだ。

怒りや苦しみや悲しみの全ての根源は

「愛」

愛が根源だからこそ
悲しみや怒りが生まれる。

愛という存在を
押し殺して、無視して、
愛とはかけ離れた枠をぎゅーぎゅーと
押し付けられ
悲しむヒマもなく
愛が亡き者にされ
コントロールされ
その事に怒りという強い感情で
「はよ気付やー」
というシグナルを発する。

これらが、すべて自分の内部で起こっている。

自分の内部だけれども
自分では見えない。

だから、人が見せてくれる。

まったく同じように
「わー、おしゃれだね。」
「わー、すてきー」
「いいねー」
という感情が起こったときも
それが自分。

いやいや、そんな私なんて・・・
と謙遜する事が美徳とされてきたが
それは、自分を否定しているだけ。

人が鏡になって見せてくれた
嫌悪や悲しみや怒りなどの感情も
好きや嬉しいや気持ちがいいなどの感情も
「それが自分」と思って
内面と対峙すれば
本当の自分に出会って行く。

今まで、気付かなくてごめんよー私。

という気持ちが増えて
自分とどんどん仲良くなれる。

人を嫌うごとに
自分を嫌っているのだから
しごく当たり前の話しなのだ。

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■今日のまとめ

 人を通じて感情が揺れた時。
 それが自分。

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【最幸ビジネスモデル】自分の中に全てがあって自分は一部。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.22 No.0724
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先日、大好きな友人と公園でお話した。
その時の、たくさんの話を通じて

「自分の中に全てがあって
 そして、自分は全ての一部分。」

という『感覚』を共有できた事が
とても心地よく嬉しかった。

  このように、
  文章にすると一見矛盾することが
  感覚で腑に落ちる事があるが、
  その解釈には「層」がある。

  だから、
  「うん、分かる!そうだよねー」
  と言ってくれても、
  層が違うという感覚の時もある。

  そして、最近は、
  感覚を共有できた感じが増えて来た。

  その感覚の共有、共鳴が
  とても嬉しい。

  共有、共鳴する友人は
  私が気付かない「ズレ」に敏感に
  「ん?」と気付いてくれる。

  私が
  こんな事を考えているんだ!
  と言うと、

  「それはいいけれど、この部分が
   ちょっと寿美ちゃんらしくないよ。」

  言われると、ドンピシャで確かに
  ちょっと自分でも「ん?」と感じているけれど
  うまく表現できず、
  ちょっと妥協している部分だったり
  引っ張られている部分だったりする。

  そういう
  本当にピュアな事と
  そうでないことの何かをキャッチできる
  (お互いに)
  人が周りに多いので
  有り難いし心地いいし、嬉しい。

余談が長くなったが
友人と共有した感覚

「自分の中に全てがあって
 そして、自分は全ての一部分。」

だから。

自分の事を本当に愛して
自分を大切にして、尊重したら、
それは全てを愛して尊重する事なのだ。

もし、
自分をないがしろにしたり
犠牲にして
誰かのためにだけ行動するなら
それは「偽善」だ。

様々な問題が起こる。

考えたら、とてもシンプル。

自分が一番ご機嫌で心地がいい、
と言う事を全員がしたら
それはとても平和で心地がいい社会。

もし、
自分を大切にしないで人のために、
という人が全員だったら
それは、誰もが無理をしている社会。

そもそも、
心地がいい人の周りには心地がいい人が集まるし
無理している人の周りには無理している人が
集まるのだから、そういう意味でも
自分を大切に幸せにする事が、まず大事。

自分との関係が心地良く幸せなら
ほとんど問題がなくなる。

と言う事を実感しているし
今年に入って
そういう友人たちと
新しく出会ったり
再会して出会い直している。

これから創り産み出す未来が
とーーーーーっても楽しみだ。

実は一昨日も
8年ぶりの再会で鳥肌が立ちっぱなしの
出会い直しをした。

損得勘定で動けば結果も損得に。
本当に感性のまま、ピュアなエネルギーだけで
行動したら、結果もピュアに。

それが顕著に見える形で現れる時代だと
私は感じている。
だから、
どこまでもピュアに「私」を表現していこう!

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■今日のまとめ

 「自分の中に全てがあって
  そして、自分は全ての一部分。」

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【最幸ビジネスモデル】一番手強いのは無意識。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.21 No.0723
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先日、5年ぶりに
絶対に表には出ない「億万長者」さん(以下Qさん)と
二人でお茶したら、あっという間に
6時間も話していた。

 ちなみにQさんは
 どうにもならない状況から幸せになった一人だ。

以前、このメルマガでも書いた。

 そのときの内容は。
 「あなたは何が欲しいの?」と聞かれて
 「安心」と答えたら、
 「やっぱりあなたもそうなんだね」
 と寂しそうな顔をした。
 それで、自分に気付いた。
 という様なことだったかと・・・。

あれから5年がたち
「よく、ここまで来たねー、たいしたもんだ」
「いいんじゃなーい!良かったね」
と褒めていただいた一方で
「でも、まだ自己愛が足りない」
とおっしゃる。

 ひゃぁ、
 まだまだ愛していいんですか?
 でも、もうこれ以上愛せない程愛してますよー。

と驚いた顔をすると、

「あなたの中には3歳の子はいますか?」

「え?3歳?いないなぁ。」

「じゃ、まだ・・・。
 あなたの中の3歳の子と仲良くなったら
 もっと良くなるんじゃない?」

「もっと良くなるって
 もう十分すぎる程、幸せだけど。」

「だけど、あなたはまだ、
 何かにひっかかったり
 無意識で人との勝ち負けがあるでしょう?」

本当にそれはないと一瞬思ったけれど
無意識と言っているから
きっと自分で気付いていない部分を
言っているんだな、と思い直し
心を深く観察してみたら・・・。

たしかに
ある行動をとる人にひっかかりを感じたり
心の奥底では、何かこう
人それぞれだ、と言いながらも
無意識で何にかを感じている気がした。

Qさんは
「自分の過去と比べたら
 そりゃぁー、あなたは大飛躍だよ。
 だけど、それは自分の昔と比べたら
 って事で。」
とおっしゃる。

それで、
「はっ」と気付いた。

いや、どこまで
Qさんが私に伝えようとしてくれた事を
私がキャッチしたかはわからない。
けれどカチッと何かが変わった。

会話が始まって
最初のうち、Qさんは
「それは客観なの?主観なの?」
という質問をよく私にした。

私はQさんの質問に答えるために
自分の話をしていたので
すべて主観の話をしていたのだが
その質問に客観で答える事だってできる。

その感覚に気付いてから
話が非常に盛り上がり時間があっという間だった。

無意識で
人は主観的な思考になる。
それは、自分を生きているのだから
当たり前のことだと思う。
それに、
自分として、どこまで客観的に見ても
どこまでも自分のフィルターがあるから
主観的なのだと思う。

けれど
それでも、客観を意識して考える事は
とても面白い。

その意識の時に
何も心に「ひっかかり」がなく聞ける。
すると、ただ、観察できる。
面白い事が浮かびあがって見えてくる。

それが自分の気づきや宝(血や肉?)になったり
ただ、ただ、楽しめたり。

 実は今回の会話のあと、
 連日、
 様々なタイプの友人たちと会った。
 それで、
 毎日が気づきの連続で
 あー、人が自分の姿を
 どんな面も見せてくれるんだなぁ。
 そして、無意識の自分が見えていない部分すら
 見せてくれるんだなぁー。
 と感じて、本当に濃い一週間だった。

 (いろんな意味で毎日が濃いけれど・爆)

人は誰もが
自分が感じている事、考えている事が
事実だと思っている。

それを事実だと思っているから
その証拠を山ほど見つける事ができる。
山ほど証拠が集まるから
どんどん事実として認識して行く。

そして、無意識に考えている事に
どんどん無意識になっていく。

けれども、
もしも、
人の何かがひっかかったり、

もう、幸せで楽しくて仕方がないーーー
という毎日を送れていないのであれば、

(私は、最高に幸せだと感じていても
 まだなお、たくさんの無意識があった)

きっと無意識で自己愛が足りていない。

無意識は
意識できないので一番手強いのだが
「感情」がその無意識を教えてくれる。

自分の感情が
楽しくて心地よくて幸せの時は足りているし
もし、自分の感情が不快のときは
自己愛が足りていない。

そりゃそうだ。
外からの刺激で自分を不快にさせているのは
自分自身なのだから。

 と、いうような事をQさんと話していて
 感じていた。

本当に素晴らしくピッタリのタイミングで
ふと会って、今必要な事をポンと投げてくれる
Qさんに心から感謝。

そして私の周りには
本当に素晴らしい友人たちが多く
いつもいつも、私に必要なタイミングで
必要な事が現れる。

私とご縁があるすべての人に
もう本当に心からありがとう!
言葉では伝えられない程の感謝をこめて。

明日は、
Qさんに会った数日後に
友人と共有しあって、とても嬉しかった事をシェア。
そもそも、
なぜ、自己愛が大切かという部分に
つながるかと思う。

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■今日のまとめ

 一番手強いのは無意識。
 けれど、その無意識は「感情」が教えてくれる。
 心地よく楽しくないとき、気づくべき無意識がある。

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【最幸ビジネスモデル】知っている事を知らない。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.18 No.0722
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最近は明け方や歩いている時に
フッと感じた事をなんとか(笑)言語化して
シェアする事が多いが、
今日も、その一つ。

2種類のタイプがいるなぁー、とふと。

「理論で知りたい人」

「すでに知っているけれど言語化は出来ない人」

  そして、
  「自分は知っている」
  と思っている人は何も知らない(爆)

知っているけれど言語化できない人とは、

・幼い子どもたち。
・その感性をもって大人になっている人たち。
・アーティストの人たち(全員かどうかは?)。
・他にももちろんいると思う・・・。

だと思う。

人間の脳みそで
知っていると思うと、
それは何も知らないということで、

ただ、知っているとか関係なく
すでに知っているだけ・・・。

 それは、
 知っているということ自体にはなんの価値もなく、
 それが「当たり前」の人たち。

そういう人たちと、
それを理論で知って証明したい人がいる。

往々にして
理論で知ると知ったつもりになって
言語化できない人を知らない人だと
勘違いする人もいる。

なーんて言語化するとエンドレスだが(笑)

誰もが
知っている事を知らないで生きているんだなぁ。

だから、
知っているかどうかなんて関係なく
それが「当たり前」で生きているのが幸せかも
と感じた。

  最近は
  そういう友人が増えて来た。

こんな多重多次元の感覚を
コピー用紙の薄さ程の不便な「言語」に
変換すること自体、非常に難しい。

だから、説明ではなく
ストーリーから感じることを
私たちは好む。

 ノウハウ本より、ずっと物語の方が売れる。
 講義より、ずっと映画の方が売れる。

 けれどストーリーにすると、
 人によって解釈の内容もレベルも違う。
 同じ人でも、タイミングによって
 解釈も気付きポイントも違う。

 けれど、ストーリーで伝えるしか
 伝えられない。

 それはあまりに多重多次元なこと。
 けれど、それは
 あまりにもシンプルなことだから。

そして、それを理解する為には
どうしても体験(人それぞれの体験)が必要で
体験があれば言語は必要ない。

でも、ただ体験だけだと
気付かない。

ただ、知っているだけだと
それは3歳の子どものまま。

きっと人間は気付きたいという生き物なのだろう。
いや、それは
やっぱり、
人間はただ、体験を通じて気付きたいのだろう。

こうして言語化すると
一見、矛盾しているようなことが
とてもシンプルに腑に落ちる瞬間があり
それを最近、言語化している。

何を書いてもエンドレス・・・
そこにもシンプルな答えが・・・。

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■今日のまとめ

誰もが
知っている事を知らないで生きているんだなぁ。

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【最幸ビジネスモデル】おーそれを手放す。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.10.17 No.0721
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歩いていた時に
体感でふっと感じた事の言語化にチャレンジ。

 あ、そうか。

 魂と体が共同作業しているときが、
 生きていると言われる時で。

 魂だけのときが死んでいると言われる時。

 心の痛みも
 体の痛みも

 体がある時に感じる事ができる。
 痛みや悲しみなどは生きているってことなんだなぁ。

 それで、
 どんなに心が痛んでも
 魂は傷つかないんだ。

 痛みや傷などは、
 体があるときに感じたり出来たりする。
 魂はただ、ずっと魂だから。

 魂と体が同じ存在だと思うから
 もう、すごく大変。

 たまたま体と共同作業中だと思えば
 体と言う、とても制約のあるパートナーと一緒でも
 もっと楽しめる。
 いや、体があるから「体験」できる。
 本当に自由になったら魂だけになっちゃうけれど
 魂だけだと体験できない。
 だから生きてるってすごく面白いし
 もっと楽しんでいい。
 体験したくて共同作業してるんだから。

というような体感がふっと来て、
この言語化は後付け(笑)

私は10代、20代のとき
将来の不安に押しつぶされそうになりながら
もがきながら、一生懸命に生きていた。
(ほとんどの人も似た体験をしているかと)

そういう過去の自分を振り返ると
その体験も、こういう事に気付く為の
プロセスでしかない。

だから、
もがいたり苦しんだり悩んだりするのは
とても大切で貴重な体験。

そして、今は
その頃の自分と同じ自分とは思えないほど
なんか、すごく安心している。

それは
何か・・・
たとえばお金などを得たからではない。

無一文以上の状況になったり
病気になったり
まーそれはそれは、
色々な体験をすることが出来て(ラッキー)
どんな体験をしても
今、生きているから。

あ、
なんだ。

結局、どんな事があっても
生きる事はできるし
できないときは死んでいる。

困った時は死んでいるから
生きてさえいれば
困る事はない。

と、
体験を通じて感じる事が出来たから。

そんな今
歩いている時にふっと感じたのが
上記に書いたようなこと。

生きているって、魂と体の共同作業中のこと。
死ぬ事や老いる事をはじめとして
まー、人は多くの恐れや畏れなどを抱いて
生きている。

けれど、恐れ自体、どこにもない。
体を持つ人間が勝手に創り出した幻。
人目を気にしたり、好かれたいというのも然り。

不安や恐れや不足感。
そういう事を無意識で抱えて
漠然とした不安に取り憑かれている。

そういう不安を意識できない人は仕方がないとして
もし、不安に気付いたなら

「おー、それ!それこそ、
 どこにもない、勝手に創り出している幻。」

生きていると言う事は
魂と体の共同作業中なだけで
魂は決して傷つく事がない。

現実で体験する事はすべて
生きているから体験できることでしかない。

と、
おーそれを手放してしまおう。
もっと体験自体を楽しみ尽くす為に。

恐れや心配を体験したいのかもしれないが(爆) 

PS
友人にこの話をしたら、
「寿美ちゃんみたいに
 痛い事でも苦労でも、なんでもとことん
 やり尽したら、そう思えるけれど
 中途半端だと、なかなかそう思えないかもね。
 なんでも、やり尽すっていいね、と。
 確かにそういう一面はあるかも(笑)

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■今日のまとめ

現実で体験する事はすべて
生きているから体験できることでしかない。
もっと体験自体を楽しみ尽くす為に
おーそれ!を手放してしまおう。

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