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【最幸ビジネスモデル】なっちゃんから教わった事。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.28 No.0750
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先日訪れた滋賀の古民家
「奥加河荘」(おくかごそう)
http://ameblo.jp/okukagosou/

若くて可愛い
なっちゃん・ゆきちゃん
という2人の女の子がやっている、
ほん和かごはんというお食事処でもあり・・・。
シンギング・リンやアロマなどの
ヒーリングサロンでもあり・・・。

心がほっこりとユルクなる
素敵な古民家。

その日、なっちゃんの運転で、
すぐ近所に軽トラで来るという
魚屋さんに行った、その行きの車の中で
ふっと、私は
なっちゃんに相談をしていた。

「心が頑な人に愛を伝えるにはどうしたらいいかな?
 そもそも、生まれて来たその場所が
 憎しみで一杯で争いしか知らない。
 そんな人に、
 愛を伝えるのは難しいんじゃないかな?

 どうしても、
 『あんたは恵まれているから、
  そんな事が言えるんだ!』
 という気持ちになると思う。
 
 だから、私に何か出来ると思うんだ。
 大抵の事はくぐって来たから、
 何かを伝えても、恵まれていたから、とは
 思われないと思うんだ。」

実は、話しながら
この自分の話しに違和感を覚えていた。
そんな苦労比べ、悲惨比べをしなくても
いいんじゃないかな?と感じながらも
話していた。

なっちゃんは、
どんな話をしても
相手が誰でも
とても、
ゆっくり自分のペースで話をする。

それが、私にとって
とてもとても魅力的に感じた。

そして
その、ゆっくりな口調で

「どんな人も愛だから
 愛で関わっていれば、
 きっといつか伝わると思う。」

私は今まで、こんな事を考えていた。

たとえば、
カレーライスの事を全く知らない人に
カレーライスの特徴を一所懸命に説明しても
決して、カレーライスの味が想像できないように
最初から「愛」を知らない人に
愛を説明したって、心を閉ざすだけだと。

でも、
実際にカレーライスを食べれば
説明なんてされなくても
カレーライスを知るように
「愛」も、
愛で関われば
時間はかかっても、きっと伝わる。

それが
なっちゃんだったから、
私に伝わった。

なぜ、
私がそんな相談をなっちゃんにしたのか。

ふっと話し始めた理由は分からないが
相談した理由はある。

社会が悪者を作っているから。

いじめや虐待や
子どもを生んで殺してしまう親や
なんや、かんや・・・。
どれもこれも「悪者」にする。

本当は
ただ、知らないだけなのに。

誰でも、その人と全く同じ人生を歩んでいたら
同じ事をする可能性があるのに。

愛を知っている人は
それが当たり前だから
その感覚で
「そんな酷い事!よくできるね!」
と批判するけれど
それは、たまたま愛を知っているからで、
愛を全く知らなければ
人間はどういう行動をとるか
誰にも分からない。

この事を最初に痛烈に感じたのが
私が小学校2年生の時。

ワイドショーで被害者を可哀想と言い
加害者を極悪非道と報道するメディアに
違和感を覚えたのが最初。

だけれど、
社会は、ワイドショーと同じ感覚で満ちている。

その頃は
このように言語化も出来なかったし
私の感覚は「おかしい」と否定されていたので
心の奥底に封印した。

誰も悪い人なんていない。
ただ、愛を知らないだけ。
だから、ただ愛を体験するだけでいい。

私も知らなかった。
そして、有り難い事に
たまたま、愛を伝えてくれる
(言葉ではなく体験で)
多くの出会いのおかげで、
今の幸せがあるだけで、
もし、今
愛を知らなければ
「悪者」になっていたと思う。

なんども、
死にかけたし、
なんども、
岐路はあった。

そのたびに、私はいつも守られた。

それは私の力ではない。
だから
誰かを「悪者」にする傲慢な気持ちにはなれない。

誰かを悪者にしたら、それは、
自分は悪くないという場所からの発信。

悪いとか正しいなんて、どこにもない。
在るのは
ただ、誰もが愛である、というだけ。

そして、問題があるとしたら。

本来は愛の存在なのだけれど、
環境的に、愛を知らずにいる、というだけ。

ただ、それだけの事なのだと感じた。

「どうしたらいい?」

という私の相談に、
なっちゃんの言葉ではなく。

なっちゃんのテンポや雰囲気や、
何か伝わってくるものから、

「ただ愛で在るだけ」

それだけが、
相手に愛を思い出させるキッカケになれる、
ということを教わった。

言葉じゃない。
ただ、自分がそう在るだけ、だと。

心にひっかかりの多かった私は
なっちゃんが、あまりに心の通りがいいものだから
「なんだ!そういうことかー」と体感してしまった。

ひっかかりが多い程
振り幅のある豊かな人生と言える。

そして、それは
心の通りが良くなった時に
感じる事ができる。

愛を知らない人に
愛を伝えるのは
ただ、自分が愛で在るだけ。

他には、何も必要ないのだ。

それを
若くてかわいい、なっちゃんから
言葉ではなく、存在から
教わった滋賀の旅だった。

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■今日のまとめ

 愛を知らない人に、愛を伝えるのは
 ただ、自分が愛で在るだけ。
 他には、何も必要ないのだ。

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【最幸ビジネスモデル】特別な事は何もしなくていい。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.27 No.0749
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昨日ご紹介した本。

スタンフォード・インプロバイザー
東洋経済新報社

の中に、

 自分はすでに独自の視点を持っているという事実を信頼
 してください。

 女優イングリッド・バークマンはそれと
 知ってこう言いました。

 「自分らしくありなさい。
  世界は独創的な人を崇拝します。」

 ソフトウエア・デザイナーのアーロンは、こんな考えを
 話してくれました。

 「以前は自分の考えの多くについて善し悪しを検討して
  役立ちそうなものを探していました。(中略)
  ぼくにとっては当たり前すぎることを発言すると、開
  発部の幹部達は頭を叩いて、なぜそこに気付かなかっ
  たんだろうと言います。つまり、ぼくのアイデアが素
  晴らしいということなんです。以前はキラリと光るア
  イデアや革新的なアイデアを探してしまい、すぐ目の
  前にあるものが見えなくなっている事がしょっちゅう
  でした。独創的であろうとするより、明らかな事に気
  づくことのほうが大切だというのは、まさにその通り
  だと思いますね。」

という文章を見つけた。

それで、ふと思い出した。

数年前にインプロワークショップに参加した時、
一人の初参加の男性は、自分の番がくると、
なにか面白い事を言おうと頑張っていた。

 (その時、私自身も確か2回目くらいの
  参加だったように記憶している。)

何かウケたり、独創的だったり、
面白い事を言おうという
そういう事に意識を向けて参加していた。

そこで、インプロバイザーは

「その意見も、とても素敵だけど、
 前の人が言ったことをただそのまま受けて
 何も考えずに、ふっと思った事を言えば
 もっとストーリーが広がりますよ。」

とアドバイスしていた。

一人が頑張ってしまうと広がらない。
頑張らないで、ただありのままでいれば
どんな姿でも、そこから、発展させて
面白い物語が始まる。
たとえば、
何も頭に浮かばずに止まってしまったら
その「間」こそ、
美味しいタイミングだったりするのだ。

それは自分も仲間も信頼しているという
空気感にもなり、自然に面白いことが
生まれる感覚だった。

インプロのワークショップという
特別な空間だけではなく
日常の中で、私たちは、ほとんどの人が

・何かしないと価値がない。
・そのままではダメだ。
・頑張らないといけない。

というような習慣を幼い頃から身につけている。

プロのインプロバイザーであっても
ワークや練習や舞台を離れて
日常生活の中では、もしかしたら
無理をしたり頑張ったりしているかもしれない。

けれども、
そもそも、誰もが一人一人
まったく違う人生を歩んでいる。
同じ場所、同じ時代に生きていても
フォーカスしている事も
感じ方も考え方も何もかもが特別な事。

だから、
ただ自分で在りさえすれば
誰もがすでに独創的なのだ。

自分の感覚を信じて
思ったまま行動すれば
それが独創的で面白く価値のある事なのだと
再確認できた。(感謝)

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■今日のまとめ

 自分はすでに独自の視点を持っている、
 という事実を信頼してください。

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【最幸ビジネスモデル】失敗とは何もしないこと。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.26 No.0748
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インプロのプロの友達数名に
「寿美ちゃん、これ絶対に面白いよ!」
と教えてもらい借りた本。

スタンフォード・インプロバイザー
東洋経済新報社

読み始めたら
たーしーかーに!面白い。

実はまだ前半しか読み終わってないが(笑)
その中で、

 「失敗しないと分かっていたら、
  どうするか?」

 あなたなら、どうしますか?

 自分を信じてさっと行動する人であれば知っています。
 何かを始めるのに、そんな失敗した場合の保証みたいな
 現実離れしたものは必要ない、と。
 実際にある失敗は、何もしない事だけです。

と書いてあった。
もちろん、
何もしない事を、
自分で選択しているのであれば、
それは成功だと私は思うが、
ここで言っているのは
何かしたい事があるのに、何もしないという
事を指しているのだと思う。

そして、
私の人生を振り返ると、
たしかに、私はいつでも
思ったまま、さっと行動していて
その行動の全てが今に繋がっている事を
実感している。

たとえば、
介護ヘルパーをしている時に
ふっと街で見かけた張り紙を見て
お店を契約し小料理屋で起業したり、
その後、お客さまが来なくて困り果てた時
ふっとお弁当を売り歩く事を思いつき
実行したら、
お店にもお客さまが来られるようになったり
その後、体を壊しお店を撤退後、
ふっと冒険したくなりロッキー山脈に行ったり・・・

数えたらキリがない程の
インプロ的行動を挙げることができる。
私自身は天然のインプロバイザーだと
自負できる本の内容だった(爆)

その当時は
インプロという言葉も知らない。
まさに天然。

そして、ここに書かれている通り
ふっと思ったまま行動すると
その時は失敗と思えるような事でも
月日がたてば、
「あー、ここに繋がっていたのかー。」
と感じる事は多々ある。

すべては
自分にとっていい事にしか繋がっていない。

それを感じる事ができるので
失敗とは、何もしないこと
という事の意味を理解できる。

何もしない
という言葉だけを書くと語弊がある。

何もしない、
という選択も非常に大事だから。

主体的に
何もしない事を決めて実行するのは
それは、何もしない事を実行している事になる。

そうではなく、
何かやりたい、と感じたり、
ふっと心が動いたのに
何もしないのは、とても勿体ない事なのだ。

それにしても、
あとから、
こういう事が体系化されているのねぇ、
という情報を得る事が多い。
また、
「本当にそうだよねぇ」と言語化に
共感する事も多い。

明日は、その一つ。
「特別な事は何もしなくていい。」
というクダリを紹介したい。

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■今日のまとめ

 何かやりたい、と感じたり、
 ふっと心が動いたのに
 何もしないのは、とても勿体ない事。

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【最幸ビジネスモデル】季節があるようにタイミングもある。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.25 No.0747
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先週、5年ぶりに再会した方を通じて
すべては一番いいタイミングが
あるのだなぁ、と再確認した事をシェア。

実は7年前に一度だけ会った事のあるMさんと
数ヶ月前に再会し、そのMさんが
つなげてくれて、今回5年ぶりに再会したのがTさん。

3人とも、
7年前も5年前も
すごく「頑張っていた時期」だった。

 無理して頑張っていた事に
 その当時は気付かずに、
 いま、振り返ると
 相当、頑張っていたなぁと思える。

 そして、無理をして頑張っていた
 という部分で引き合って、
 出会っているのだろう。

当時、出会った場も
「明るく前向き」を強調するような場だった。

自然体でいれば
明るく・前向き、などにフォーカスせず
ただ、自分の気持ち良さ、居心地の良さを
感覚で信頼し、その方向に進んでいるのだ。

たった一度だけしか会っていないMさんと私は、
面白いビジネスを展開する事になり、
MさんとTさんも一緒に面白い事をしかけていて、
だったら、みんなで会いましょう、
というお茶Time。

3人とも
すっかり力が抜けきって
自然体で居心地がいい。

7年前、5年前には
決して繋がらなかった3人なのだが
今回、すっかり響き合い、
とてもいい時間を過ごした。

「あの当時を知る誰かが
 この3人の組み合わせを目撃したら
 驚くだろうねー、というメンバーだね。」

と笑い合った。

また、
いま大きなプロジェクトでコラボしている
私を含め3人の女性陣は
見事にタイプが違う。

一人はベルバラ並みのお嬢様風。
一人はバイク乗りのちょい不良風。
そして私は、
本人は認めたくないが不思議ちゃん風だそうだ。

もし、この3人が10代の頃出会って
同じクラスだったら
絶対に口聞かないよね、
と笑い合っている。

それぞれ、必要なプロセスを経て
体験を重ねて
今、同じ周波数で響き合っている人が
自然と集まって来ている。

ほんの半年前なら繋がらないであろう人と
ドンピシャで繋がって行く。

私たち人間が
冬なのに夏にしたりなどと
季節をコントロールできないように、
タイミングも自分でコントロールできない。

そして、
人間がコントロールするよりも
遥かに大きな意思で
季節が完ぺきなように
ほんの少しの狂いもなく完ぺきなタイミングで
人も、情報も、集まってくる。

いつでも、タイミングは完ぺきだ。

その完ぺきなタイミングに気付かなかったり
目の前のチャンスに気付かなかったりするのは
無理をしている時。

本来の自分ではない何かになろうと
殻をかぶっている時だと私は思う。

自分の中心と繋がって自然でいれば
その完ぺきなタイミングをいつでも
受容できるのだと実感中。

10年前から発信している

「多種多様な価値観が気持ちよく共存し
 才能を活かし合える面白い社会。」

それを私の周りでは、
おかげさまで
もうすっかり実現している事を感じ
至福な毎日♪(深謝!)

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■今日のまとめ

 自分の中心と繋がって自然でいれば
 完ぺきなタイミングをいつでも受容できる。

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【最幸ビジネスモデル】来てほしいお客さまを集める方法。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.22 No.0746
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今まで、見事なまでに
「発信通りの人が集まる」という
体験を通じて、その事実を事実として
強化させていた。

たとえば

「幸せ体質になろう!」

というタイトルでセミナーを開催すれば
見た目は華やかで綺麗なママ達が参加するが
ワークをやってみると
見事なまでに不幸体質
(自信が無く卑下したり
 人や環境にせいにしたり)
だったり。

「集客セミナー」

というタイトルでセミナーを開催すれば
集客に困っている方が集まる。

それは、そうだよね。
当たり前だよね。

と信じて疑わなかった。

また、よくある
「お金持ちになる」というようなセミナーに
参加している人々が
どうも貧乏臭いというのも横目に(爆)
「発信通りの人が集まる」事を
私は疑いようもなかった。

だから
コピーがいかに大事か?
という事もセミナーでお伝えして来た。

が、しかし。

ここに来て
その確信はすっかり崩れ去った。

どんな発信をしたとしても
その発信者の在り方どうりの人が集まる。

同じようなコピーだったとしても
そのコピーを書いた背景というか
土壌がどう在るか?
その人がどう言う在り方で書いているのか?
その人自身の生き方そのもので、
集まる層は変わるのだ。

何かを発信すると、
もう、どうしようもなく
その人らしさは溢れ出てしまうもの。

  だから、結果的に
  発信通りの人が集まる事になるのだが(笑)

どんなに綺麗な言葉を並べても
胡散臭いと感じたり、

どんなにチンケな表現でも
何か面白そうと感じたりする。

そういう
「感じ」をキャッチする感性は
多かれ少なかれ誰にでもあるものだから。

  この感性は
  恐れや不安が大きいと鈍って
  死角が増えると、私は感じている。

今まで、私の中に、
こんな発信をしたら
流行っている軽いものと同じに思われてしまう、
だとか、

依存の強い人が集まって、結局
お金を集める事だけが目的のものと
同じ構造になってしまう、
などの恐れがあった。

この恐れを持っていたら
そういう人が集まる。

その人の中にあるものと
確実に引っ張り合っているのが人間だから。

けれど
その恐れを手放して
自分自身がどこまでもピュアにいたら
表面的な発信が
たとえ誤解されそうな表現でも
集まる人たちは
同じようにピュアな人が集まる。

在り方「BE」は、
そのままストレートに人を引き合うのだ。

だから、
来てほしいお客さまを集めるには、
自分の生き方そのものが
どう在るか、を問えばいい。

自分がどう在るか。

それだけが
誰と引き合うかを決める鍵なのだから。

___________________________
■今日のまとめ

在り方「BE」は、
そのままストレートに人を引き合う。

だから、
来てほしいお客さまを集めるには、
自分の生き方そのものが
どう在るか、を問えばいい。

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【最幸ビジネスモデル】引っ張られないと決める。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.21 No.0745
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視点が違うだけで
同じ事実がまったくの別物になる。

だから360°の視点を心がけたいと
常々思う。

いい例は
経営者と社員。

立場ば違えば、当然「視点」が違うので
まったく同じ事実が
まったく別の事に見えている。

(それは見事なまでに面白い程!)

その、まったく別の側面を
同じものをお互いに見ていると
思って話すから問題が起こる。

立場が違う場合は分かりやすいが
友人や家族など
同じ立場からも、視点が違うと
同じ事実は、まったく別のものに見えている。

近視眼的か俯瞰した所からか
どの位置にいるかで
同じ事実の、
どこを見て、どこを取り出しているか
が変わるから。

仲のいい友達と話していると
すぐに、

「あ、なるほど、
 そこから見たらそうだよね。」とか

「あ、この言葉の概念が違うんだね。
 説明してくれる?」

などと言い合って
お互いの立ち位置や視点の位置、
そして、言葉の概念の確認などして
修正しあい、より分かり合おうと出来る。

実は、それが、かなりマイノリティで
大抵の人々は
自分の視点だけが世界の全てというくらい
こと視点に関しては無頓着だったりする!

色々な世界を行き来するのではなく
一つの世界観の中で会話が成立する感じ。

 (画一的な日本の社会が
  それを助長している感もある)

前置きが長くなったが、
一つの世界観だけでの会話や感覚に
ひっぱられるのが嫌だなぁ
というのが私の悩みだった。

 私は、別の世界にいる。
 そして他の人はまた別の世界にいる。
 その世界をお互いに行き来して刺激しあい
 視野を広めたり、自分を発見したりする。
 という事が私は好きなのだが、
 たった一つの世界だけが、宇宙の全てくらいの
 枠組みの会話に入り込むと
 ひゅーっと引っ張られてしまうのだ。

それを友達に相談すると

「まず、引っ張られない!と自分が決める。
 そして、引っ張られたら、その都度
 あ、引っ張られちゃったー、と気付けばいい。」

なーーーんてナイスな助言だろうと感動した。
そして、それをやってみると・・・。

面白い事が起こったので
実は、それをシェアしたい(笑)

引っ張られるのが嫌だなぁ、
と感じていたときは
引っぱられたくない話し

(たとえば・・・
 愚痴や言い訳や、
 アクセルとブレーキを同時に踏んでぐるぐる
 しているような話や、
 みんなこうだ、みたいな決め付けや・・・)

に心の中で「楯」が必要だった。

心の中に楯を持って、
その楯の後ろから会話をしていた。

けれど、決めてしまったら
その「楯」がなくなって、
何も通さず、直で聞ける。

直で聞けると
その位置に私が移動して、そのまま受け取り
そして、別の枠組みから見えることなどを
伝える事ができる。

別の場所から「こうじゃない?」と言うのではなく
同じ場所に行って、別の視点の話ができる。

もちろん、
私は相手の変化を少しも期待せず
ただ、その同じ場所から
私が話せる事を伝えるだけ。

不思議なのだが
なぜか、そうすると
相手が後日、
こんな風に自分への感じが変わったー、
と報告してくれるのだ。

私自身は、
相手に変化があろうとなかろうと
なんでもいいのだが、
相手が、枠組みが変わる事で
現実も変わるということが
体感できるようなのだ。

本当に不思議な話し。

もしも、
「誰もが枠の中にいるから
 枠の外側に出てみよう」
などと言葉で言ったとしても、
「言ってる事は分かるけれど
 実際にどうやるのよ?」
と言われてしまうが、

ただ、引っ張られないと決めて
相手と同じ場所(心の位置)に行き
私が話せる話しをするだけで
相手が何かしらの体験を通じて
枠組みを変える事ができるのだ。

人間の数だけ枠があり
その枠に気付けば
その元はすべて同じ宇宙で
繋がっているという感覚にも気付けて
結局、
全ては繋がっているという事に気付ける。

それが
枠の中に入り込んでいたら
感じる事ができない。

こんな一連のことが
友人の

「引っ張られないと自分が決めること」

という助言ひとつで
たくさん起こっている。

明日は、引っ張り合う話について
書いてみようと思っている。

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■今日のまとめ

 まず、引っ張られない!と自分が決める。
 そして、引っ張られたら、その都度
 あ、引っ張られちゃったー、と気付けばいい。

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【最幸ビジネスモデル】ただのヒガミでした(観念)。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.20 No.0744
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ひっかかりについて二つ例を挙げる。

ひとつは、
5年程前に出場したイベントで
それに出場する参加者の事を

「一度は頭が真っ白になる。」
「大きな壁がやってくる」
「それでも、それを乗り越えていく。」

などと、その主催者が発信することで、
まるで、青春ごっこをしている気分になり
私一人が、その感覚になれなかった経験がある。

その中では、
100人以上の人間達が
その感情で動いているので
それ以外の感情を持ってその場にいるのが苦しい。

苦しければ、別に
いる必要がないから離れればいいのに
自分にとって、
きっと学ぶべき事があるのだと思って、
居続けたり知ろうとしたりしていた。

そこにいる人たちは
誰もが間違いなく「いい人」だった事も
苦しく感じていた要因のひとつ。

これほどまでに「いい人」たちだから
きっと私のほうに落ち度があるのだろう・・・と。

その時の私の心の中は、

 そもそも、
 そのイベントに出るために数万円を払い
 その時間を費やしている。
 それだけで、
 ここには、もうすでに
 余裕があり豊かな人が集まっている。
 ここで、何があったって誰も死にゃあしない。

 それで、
 大きな壁だの、崖っぷちだの何なのさ?
 しかも、いい大人の男が
 「大好き」だの「愛」だの言って
 盛り上がったりハグしたりが疲れるし、
 (やるなら、普段、他の場所でもやってよねー)

 なんか片側だけしか見ていない
 死角が多いような感覚が嫌ぁ。 

と感じていたのだ(感じわるー・爆)

しかも、その頃は、
このように言語化できず、
ただ、感じていただけだけ。

確かに今でも
たった一つの価値観(一人が言う事)
だけを良しとして、
集団化しているところには
行こうとは思わない。

だれでも自分の居場所は
自分で選択できる。

そこが居心地が良ければ行けばいいし
悪ければ行かなくていい。
その感覚は人それぞれ、全部正解。

その時に感じていた
ひっかかりは、

 時間もお金も余裕があって
 生活も困っていなくて
 気が合う友達もたくさんいて
 それで、
 壁だの苦しみだの、
 なんなの?
 「愛」だの「本気」だの
 それが足りてない人たちが心を埋めようとして
 その言葉を使って慰め合っているんじゃないの?
 
というひっかかり。

これらが、
私の中のただの「ヒガミ」でしたー、
と観念して、
何もひっかからない状態になった
キッカケが、二つ目の例。

昨日の記事で紹介した
大好きな友達、押野満里子さんと
電話で話している時に
満里子さんの娘さんのエピソードを聞いた。

そのエピソードは
とても素敵で感動で涙があふれた。

そもそも、私は本来感動する質で
小さなことですぐに感動する感動屋さんである。

で、いつもならば
その感動のあと。

 でも、それは高校に行けて
 温かい家族がいるから、
 そういう体験ができたんじゃん。
 贅沢な事だよ。

という「感じ」がでてくるハズ。

高校に行けない子も多いし
家庭の中が地獄で部活どころじゃない子も
すごく多いんだよ。
という、ひっかかりが出てくるはずが
そのときは何も出て来ない。

私は小学生の頃
養護施設にいた事もあり
16歳の時に警察に追われて
自殺した友達がいたり
家庭の中が殺伐としていたり
まぁ、いろいろあったので
自分や、友達の事を考えると
そもそも大前提が恵まれているんじゃん、
と思ってしまっていたのだ。

そんな気持ちに
いつもは、なるはずなのに、

あれれー?
おかしいなー。
心は愛に包まれたままじゃー。

その時、はっと気付いた。

あー、
私自身も、
私が出会った友達や、関わった人、
みーーーんな、地球に生まれて来て
それぞれが偉大な体験が出来る事。

生きていると言うだけで
もう、
大前提は愛されている、恵まれている、
豊かなことなんだ。

その体験が、
どんなに悲惨だったり悲しい体験だとしても。
いま、生きているというだけで
愛され恵まれていると言う事なんだ!

いままでの、ひっかかりって
ただの、私の
「ひがみ」じゃん!(がーん。恥ずかしい)

私、本当にがんばって来たなぁ。
あんな大変な環境で
ピュアな私のまま頑張ってたんだなー

と気付いた。

どうして、今までのように
ひっかかりがなくなったかと言うと
その電話の前日までの会話の中で、
満里子さんが
私のひっかかりちゃんと対話して
その声を私に伝えてくれて
感じる事ができ、
私とひっかかりちゃんが一つになれたから。

この満里子さんの才能は
本当にすぎょい!

それをご本人が
苦しみの中で、自分自身に
やって来られた中で習得したというから大尊敬!

それで、
イベントの体験や
娘さんのエピソードなどに
今までのひっかかりが全く出て来なくて
その結果、はっと気付いた。

誰もが、ただ
いま、生きているだけで
大前提は愛され、恵まれているのだ
という感覚に。

それが、どんな体験だとしても。
そもそも、体験しに来ているのだから・・・。

この体感は
条件など何も関係なく
いま、この瞬間、
愛に包まれ幸せになれる体感だった。

___________________________
■今日のまとめ

 生きていると言うだけで
 愛されている、恵まれている、
 豊かなこと。

 起こっている体験が、
 どんなに悲惨だったり悲しい体験だとしても。
 
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【最幸ビジネスモデル】ひっかかりがない状態とは。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.19 No.0743
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違和感は自分を知る道しるべだ。

その場にいる自分以外の全員が
「めっちゃいい!素晴らしい」と
感動していても
自分だけが違和感でそう思えない、
などのとき、

「自分がおかしいのではないか?」
「感動できない自分は人間として
 おかしいのではないか?」

と思ってしまっていた時期もある。

幼少の頃から
そういう違和感を多く持っていた。

たまたま、そこに集まった人たちの
属性と自分が合っていない
というだけで、
自分一人だけが感覚が違うからといって
自分がおかしいと言う事は何もない。

周りがおかしいと言うことでもない。

ただ、属性が違うだけなので
もし、共感しあいたいならば
同じ属性の場所に移動すれば良いだけ。

たくさんの違和感に苦しんで
いま、心からそう実感できる。

だから、
違和感は自分を知る道しるべだと思える。

違和感だけは確実にあるのに
言語化できず、
違和感そのもさえも共有する術が
なかった私は、幼少の頃から
ずっと生きづらさを感じていたが
そのプロセスは今では
ものすごい宝物になっている。

深い深い
想いや感覚を、言葉ではなく
行間を感じ合える友達と出会えるのは
そのプロセスのおかげだから。

だから
違和感も、
それに苦しんだプロセスも
とても愛おしい。

そして、いま。
「ひっかかりがない状態。」
というのを体験中!

うわー、
ここ(心の中の)にひっかかりがあるはずなのに
なにもない。
ただ、ただ、幸せなだけだぞ?
おかしいなぁ。

ということが
ここ最近、連続して起こっている。

それは
大好きなお友達
押野満里子さんとお話ししてから
起こり始めた・・・。

満里子さんは
私の中のひっかかりと
直接お話をして、
ひっかかりちゃんの言葉を
私に伝えてくれる。

その対話を通じて
自分自身とひっかかりが一つになれちゃうのだ。

そのあと、
起こる。

いままで、変にこだわったいたのに
すーーっと気持ちよく受け入れられたり
違和感を感じて嫌だなぁって思う事が
あれ、おかしい、
いつもは、ここで思うのに
何もないーーー!

という事などが。

 明日はそれの具体例の一つをシェア。
 ここに書くと長くなるので。

ひっかかりがない状態は
対立のない世界。
平和で楽しい心の状態。

満里子さんが伝えてくれた事を
私も、少しでも伝えて恩送りできたら嬉しい。

 ひっかかりちゃんと対話する事は
 満里子さんの持っている才能。
 私は、本当の事と理性の言葉のギャップに
 驚く程、敏感。子どもの頃から、それが才能。
 持っている才能は違うけれど
 丸ごとの自分を愛して、誰もが
 自分らしく心豊かに幸せに生きること
 というビジョンは同じ。
 そういう、仲間がどんどん増えている。(感謝)

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■今日のまとめ

 心にひっかかりがない状態は
 対立のない世界。
 平和で楽しい心の状態。
 
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【最幸ビジネスモデル】狙わず結果を出す。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.18 No.0742
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振り返ってみれば、
ちゃんと法則に則っているけれど
やっているときは無意識。

という事が
友達との話の中で
それはそれは、たくさん出てくる。

たとえば、
私は起業したての頃、
仕事を頼まれれば
「はい!出来ます。」と請けて
それから、それはもうー、
必死で勉強したり調べまくったり
資料を作ったり、足を運んだり
ありとあらゆる事をやって
何食わぬ顔して
「これでいかがでしょう?」
と提出したりしていた。

その内容を気に入ってくださって
次の仕事に繋がったり
紹介を頂いたりして
その都度、
「任せてください!」くらいの勢いで
請けてから、必死こいて・・・
を繰り返し、仕事を作ってきた。

それで、なんとか「最初」を動かし、
2年ほど続けて今度は
自分の直感が「なんか違う」と感じたら
それが、どんなに条件が良くても
潔く断った。

最初に断るときは怖かった。
これで信頼を失って
仕事がなくなってしまうのでは?
と思ったから。

けれども
断った方が信頼が増し
もっといい仕事が舞い込む事を実感した。

今では、本当にしたい事だけを
仕事にしている。

こんな事を、
振り返ってみれば、
すべて天然でやっている。

そして、この一連の流れは
すべて「引き寄せの法則に則っている」
と友達が教えてくれた。

また、
私は独身の頃から「あー、幸せだね」とか
「生きているって素晴らしいね。」
というのが口癖だった。
それが古いフロ無しアパート暮らしで
本当に心通う友達もいず、
がむしゃらに生きていた、
あの時代の口癖だった。

その時には
口癖の習慣がどう・・・というような
本も出ていないし、
社会もそうではない時代。

呑みの席で友達に真似される程
それが口癖だった。
本人は天然で無意識。
言おうと意識して言った事は一度もない。

けれども、
口癖が現実を変えるなどの法則に
ぴったりとハマっている。

集客にしろ、
コンテンツ作りにしろ、
天然で無意識だから、
まったく狙っていない事が
結果的に、うまくいく法則に則っている、
と言う事は、まだまだ非常に多い。

それで、
こういう法則は、

 結果を狙ってしまうと、
 うまく行かない事も多いが
 狙わずにやっていれば、
 法則に則るのではないか?

 法則って
 結局は本質ではないか?

 狙わずに
 ただ、愚直なまでに
 自分にまっすぐ、
 その瞬間の自分を生きれば
 それ自体が本質となるのでは?

などと、友人との会話で感じた。

まだまだ、たくさんあるのだ。
まったく狙わずに
結果的に法則に則っているね、
という事が。

狙って結果が出るタイプと
狙うと外すけれど、天然で結果を出すタイプが
いるのかもしれない。

私は、とことん、
狙うと外すが、狙わないとうまく行くタイプ。

笑いも然り。

笑いを取ろうと思うと、すべて外すが
本人は普通にしている時にウケる。
私はなぜ、みんなが笑っているか
まったく分からないが
ウケさえすりゃ、それでいい(爆)

まぁ、
どんな時も結果オーライな人生で
有り難い。

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■今日のまとめ

狙って結果が出るタイプと
狙うと外すけれど、天然で結果を出すタイプがいる。
 
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【最幸ビジネスモデル】一つという感覚。

 【最幸ビジネスモデル】  2013.11.15 No.0741
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先日、ふと。
「自分」というのは「寿美」と「私」で出来ている
と感じた。

「寿美」という個性は
脳みそ(心)と体で出来ていて
「私」というのは
脳みそ(心)と魂(宇宙意識)で
出来ていて、
その両方を合わせ持つのが自分だと。

脳みそ(心)を介して
体と一緒だと個性である「寿美」に。
魂(宇宙意識)と一緒だと「私」に。
その全部が「自分」

だから、
みんな自分の事を「私」と呼ぶ。
私は、宇宙全部の共通した部分。

個性には一人一人名前があり
性格や人生がそれぞれある。

それで、すごく納得していたので
友人にその事を話すと、

「うん。それもそれでいいけれど。
 その『寿美と私』も同じものと
 捉えたらいいかも。」

と言ってくれた。

あ・・・。
体も宇宙の一部じゃん。確かに。

あー、もう
しのごの言ってないで
もう、とことん、
ピュアにいきましょう。
私が思う事はすべて宇宙の一部だし
すべてが宇宙の中で起こっている事。

って感じたら
それは「一つ」という感覚だった。

言葉で説明すると、こんな感じなのだが
体感はもっと広く大きな感覚。

自分と対峙するのが好きな方には
相通じる感覚なのでは?
と思いシェア。

私は神社の孫という事もあり
すべて神様という感覚は
幼い頃からある。

 植物や動物や机や椅子も
 あなたも私も
 みんな神様。

それが
全部宇宙の一部で、
全部宇宙の中で起こっている事、
という体感とリンクした。

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■今日のまとめ

すべては、宇宙の中で起こっていること。
すべては、宇宙から出来ていること。
それが一つという感覚。
あー、言語化すると、だいぶ薄まる(爆)
結局は「あるがまま何でもアリ」って事。
 
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