hon ~コメディな小説をば~

「ミイラ取りをミイラに」


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【序章】1

【第1章】5

【第2章】19

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「ブラックのショート」
「アイスのキャラメルマキアート、ショート」
「え!マジですか?」僕は思わず聞き返した。
「あぁ。爪が割れたときは甘いものが効くんだよ」
「勘弁してくださいよー」


僕たちは、北新地からほど近い丸ビル下のスターバックスに居た。
いつもブラックコーヒーしか飲まない岸本さんが、キャラメルマキアートなんか頼むんでびっくりしたのだ。
僕たちは店外のオープンスペースを陣取った。酒で火照った身体に風が心地よい。
「それじゃ、説明してくださいよ!」
「何をだ?」
「色々です!」僕は問い詰めずにはいられなかった。
「まあ、大沢のおかげでうまくいったんだからいいじゃないか」
「誤魔化さないでください!どうして1億勝負なんか吹っ掛けたんですか!最初の話と違うじゃないですか!そんなことしだすから、僕がテンパって、テンパって……」
「わかった、わかったよ」岸本さんはイタズラな表情を浮かべながら、仕方ないなと説明しだした。仕方ないってなんだ!
「清田の上限は5000万ということはわかってた」
「なんで!」僕は重力が許す限りの前のめりで聞いた。
「前にも説明した通り、奴は闇スロの借金で首が回らない状態だった。清田が自由に動かせる金など知れてる。もし奴が大博打を打つとすれば、人から借りるしかない」
「それからそれから!」
「大沢、近い」
おっと、思わず興奮して鼻息がかかるほど岸本さんに顔を近づけていてしまった。
「清田と出会ったのは偶然だった。と言ってもネタ探しで、よく芸能人や財界人なんかが隠れて利用する小料理屋があってな。そこで隣合わせた。清田とおそらく野球関係者だったんだろう、清田の引退後の話をしてたよ」
岸本さんはブラックコーヒーを口にするように、クールにキャラメルマキアートを飲んだ。意外な一面だ。って言うか話の続き!
「そいつは清田に店を出すことを勧めてた。資金はタニマチ筋の社長が、清田になら5000万までキャッシュで貸す。という内容だったよ」
「その話を信じて?」
「いや、話半分で聞いてたんだがな。そしたら喋る喋る。そのタニマチがどこの社長で趣味が何かまでわかったよ。あとで裏を取ったら、その社長は大の野球好きで通っててな、何人もの選手に同じようなことをしていたことがわかった」
「それでこれは仕事になる、と?」
「いや、俺がおもしろいと思ったのは金の話だけじゃないんだ」
「どういうことですか?」
「こんな話を回りの目も気にせず大声で話す、清田という人間性に付け込む隙があるんじゃないかと思ってな」
普通なら聞き流してしまうような引退話し、その状況。それを見逃さず仕事に結びつけることができるセンス。それがこの岸本さんだ。
「奴は金に困ってる。こんな確実に拾えるような金なら、無理してでも現金を用意するだろう」
「5000万までなら?」
「そういうことだ」
「あ、それからジュラルミンケースの100万円!あれはどういうことなんですか?」
確かに僕が用意したときは、ケースの上部右角に本当の100万円の札束を置き、残りはダミーだった。にもかかわらず、清田が手に取ろうとした下部左角の札束、あれも本当の100万円だった。
「置き換えたんだよ」
「……え?それだけ?」
「それだけ。悪いなミステリーになってなくて」と、岸本さんは過剰にクールに言い放った。きぃ~!
「いつですか!?」
「キタノザウルス」
あ!そういえばあのとき、確かめてくると岸本さんはトイレに行った。あのときか……
「でもなんで教えてくれなかったんですか!おかげで慌てちゃったじゃないですか」
「いててててて」岸本さんはわざとらしく、怪我した手を痛がった。
「ちょっと!」
「敵を欺くにはまず味方から。やっぱり大沢を連れて行って正解だったよ。あの慌てようは演技ではできない」
岸本さんはあらかじめ、こうなることを想定していたんだ。
「爪を割られたのは想定外だったがな」
「すいません……」
「いや、謝る必要はない。どっちみち右手は怪我をする予定だったからな」
「予定?」
「あぁ。怪我をしないと俺が清田のキャッチボールの相手をするはめになる」
そうだ。清田の相手は岸本さんじゃない。
岸本さんは帰り際さりげなく「申し訳ないがこの指ではボールは投げられない。他の者に相手させるよ」と言って清田から了解を取ってある。
岸本さんがキャラメルマキアートのカップに手をかけたとき、岸本さんの携帯が鳴った。
「三井か」
岸本さんは三井さんからの報告を一方的に聞いていた。
「わかった。一度集まろう」そういうと電話を切り、カップに口をつけた。
「何かあったんですか?」
「あぁ。立会人を用意できなくなった」
「えぇ!」三井さんはプロ野球のOB選手に近づいていた。
「まずいな……」
「まずいですか?」
「あぁ。思ってた以上に、甘いんだなキャラメルマキアート」
「そっち!?」
「俺、だいぶ酔ってるな」そういうと岸本さんは立ち上がり、帰るぞと僕に促した。
「大丈夫なんですか、立会人」
「あぁ。なんとかなるだろう」そういうと、クルっと振り向き真剣な表情で僕にこう言った。
「ところで大沢、『ふぇ~』ってあれなんだ?」


きぃ~!この酔っ払いめ!

27

やばい。岸本さんの目が据わりきっている。てっきり役者で酔ったふりをしてると思ってたが、もしかして・・・マジ?
じゃないと、あの岸本さんが1億円もの勝負を提案するわけがない。
「取れない仕事はやらない」それが岸本さんのポリシーであり、僕たちのポリシーでもある。
一体どういうことなんだ?次第によっては僕が止めに入るしかない。すべてが水泡に帰しても・・・。


1億円を目の前にして、清田はロックのウイスキーを一気にあおった。
フゥー。深いため息とも深呼吸ともとれる息を吐き、口を開く。
「わかりました受けましょう。社長さんがここまで意気を見せてくださった。これで受けなきゃ男とちゃうでしょう」
まずい!清田が受けてしまった。そこには先ほどまでの陽気な男ではなく、勝負師、真剣師の男の顔があった。今にも飛びかかってきそうな獣のようでもあった。
ここは僕が止めるしかない!
「ちょっと待ってください、社長。これは会社のお金です、それはやっぱまずいですよ!」
「うるさい。お前は席をはずしておけ」
「でも・・・」ダメだ。いつもの岸本さんじゃない。かくなる上は強硬手段しかないか!
「確かめさせてもらってもいいですか?」
まずい。100個の札束のうち98個がダミーだ。見た目にはわからないが手に取ればすぐバレる。しかもひとつは取り出してテーブルの上。本物の札束はケースの右上にひとつだけ。他のを手に取られたら終わりだ!いや待てよ。むしろここでバレた方がいいんじゃないか?それでこのギャンブルを御破算にできるのではないか?そうだ。この後もめるかもしれないが、そんなこと1億に比べれば大したことはない。きっと岸本さんも「あれは大沢のファインプレーだったな」と言ってくれるはずだ。そうだ。きっとそうだ!
そのとき不意に「ご自由に」と、岸本さんがまさかの言葉を吐いた。何で!?
清田の手がジュラルミンケース左底の札束に伸びる。


「ふぇ~!」


しまった!思わず「ふぇ~」って言ってしまった!
「あぁ、これは違うんです違うんです!」何が違うっていうんだよ僕は!
とにかく清田にダミーの札束を触らすわけにはいかない!僕は勢いよくジュラルミンケースを閉じた。


「あぁ!」


岸本さんが顔を歪めながら叫んだ。
・・・しまった。
岸本さんは右手を押さえながら、身体を縮こませた。
「うぅ・・・」
咄嗟にジュラルミンケースを閉じようとして、岸本さんの右手がケースの縁にかかっていたのに気づかなかった・・・。よくは見えなかったが岸本さんの指が何本か血でにじんでいるようだった。
「社長さん大丈夫ですか!?」ホステスが慌てておしぼりを差し出す。僕は声をかけることができなかった。
「大丈夫・・・。それより清田くん確かめたまえ」
岸本さんは気丈にも、振り絞るように声を出し、ジュラルミンケースをまた大きく開いた。そして清田が手を伸ばした札束を取り、僕が挟んだ反対の手で放り投げた。
札束を受け取った清田は、パラパラマンガを見るように確認する。
「確かに。それより大丈夫ですか?」
「なあに。アルコールが回ってるせいか大した痛みではないよ」
岸本さんの右手薬指の爪が割れていた。他の指も血がにじむ。
僕はバカだ。やはり付いてくるんじゃなかった。岸本さんの足を引っ張ってしまった。今回の仕事は終わりだ・・・。ん?あれ?何かがひっかかる。
それが何なのかわからないまま、岸本さんから清田に提案が出た。
「ひとつ条件がある。1億。確かにこの金は私の金であって私の金でない。お互い非常にリスクの高い金額だ。そこで君にも1億キャッシュで用意してもらいたい。博打の世界にローン払いなんて聞いたことないからね」
清田の表情が一気に曇った。
「ちょっと待ってください、1億なんて金すぐには用意できませんよ」
そりゃそうだ。清田は闇金から相当つまんで借金で首が回らない。そんな金があるわけがない。
「そうか。残念だがこの話は忘れてくれ」そういうと岸本さんはジュラルミンケースに札束を直し始めた。
「ちょっと待ってください」清田が、岸本さんの手を止めるかのように声をかけた。
「5000万なら用意できます」


そのとき僕は気が付いた。いつのまにか岸本さんのペースだったことに。

26

ボトルが空いた。
こんなに飲んでる岸本さんを初めて見た。軽くロレツが回ってないように見える。
それ以上のペースで飲んでる清田はケロっとしている。さすがだ。
新たなボトルが僕たちのテーブルに運ばれてきたと同時に、


「キャッチボールがしたい!」


岸本さんは唐突に切り出した。
唐突にと言ったが回りはそうは思わないだろう。酔った不動産屋の社長が、酒の勢いを借りて大ファンの選手におねだりをしてる。そう写ったであろう。
唐突と思ったのは僕だ。キャッチボール――。
そう、僕たちは今夜、清田にキャッチボール<ギャンブル>を誘いに来たのだ。
「ははは!ボールもグラブもないじゃないっすか。おしぼり丸めてやりますか?」清田は酔っ払いの戯言にこう返した。
「いや、ちゃんとしたボールとグローブで君とキャッチボールがしたい。それが私の夢なんだ!」岸本さんは一歩も引かなかった。
「まいったなあ」と、頭をかく清田。
そこへママも「社長さん、清田さんも困ってらっしゃいますよ」と助け舟を出す。酔っ払いをたしなめる空気の中、場は次の話題へと流れようとしていた。岸本さんは手元に置かれた、新たに作られた水割りをクイっと喉の奥へとやると一層目を座らせこう言い放った。
「ただとは言わん」

岸本さんは僕からジュラルミンケースを奪い取り、無造作に中から100万円の束を取り出しテーブルに、ポンっと投げ置いた。
「100万。キャッチボール1回100万円。悪くない話だろう」
場が凍りつく。100万円のキャッチーボール。その法外な提案と金満ぶりに皆は嫌気がさした。
「社長さん、またまた悪いご冗談を。酔ってらっしゃいますよ」と取り繕うママ。
「100万じゃ足りないっていうのか?」
「そういうことじゃなくて…」ママもついに閉口してしまう。
「じゃ、いくらだったらやってくれるんだ、清田くん」
清田もしぶしぶ「僕たちはプロです。お金をもらってキャッチボールすることはできないです。もし本当にお望みでしたら球団イベントに来てもらえればいくらでもお相手しますよ」と100点の回答で返す。
「ほう。私とはキャッチボールできないってわけだな」
ここで酔っ払いの常套句が飛び出す。「俺の酒が飲めないのか!」は良く聞くが「俺とキャッチボールできないのか!」は聞いたことがない。
「そうじゃありませんよ。さあ、飲みましょう!」

飲みかけの水割りを勧める清田に対し、取り付く島なく岸本さんは切り返す。

「わかった。じゃ、ゲームをしよう。キャッチボールをして相手のボールを取り損ねたら100万円っていうのはどうかね?」
一瞬、清田の眉が吊り上った。
「すいません、勘弁してください」
「清田くんはギャンブル好きだと聞いていたが、こんな簡単なギャンブルでは物足りないかね。それとも素人相手に野球でおじけづいてしまったかな?」と、笑う岸本さん。
明らかに清田の表情が変わる。岸本さんの挑発に怒ったのではなく、むしろその逆。子供が欲しがっていたオモチャを買ってもらえるかのような表情に見えた。
「こんなことが世間にばれたら、いろんな方にご迷惑がかかりますので」
まだ話しに乗ってこない清田。
「それなら大丈夫。秘密裏で行こうじゃないか。もしキャッチボールしてるところを見られても、まさかこんなことに金がかかってるとは思うまい。私も君の親会社と取引がある以上、おかしなことはせんよ。それでも信用ならんのであれば立会人もつけよう」
岸本さんの提案にも清田は「社長さん、ホント勘弁してください」
「1000万。1000万ならどうだ」
清田の動きが止まった。チーターが、動きの鈍った獲物に襲い掛かるように岸本さんが畳み掛ける。
「じゃ、2000万ならどうだ」
岸本さんの言葉にその場にいる全員が止まった。どれくらい止まっていただろう。瞬きする音さえ聞こえてきそうな静寂の中、清田だけがゆっくりと動き出した。テーブルに置かれたマイルドセブンから煙草を1本取り出し、流れるように慣れた手つきで火をつけ、ゆっくりとくゆらせる。まるでCMのように。そしてやおら口を開いた。

「そんなギャンブル、マスコミに知れたらとんでもないことになりますよ。警察も黙っちゃいない」
「ギャンブルにリスクは付き物じゃないかな?」
清田はフっと笑ったかと思うと「その通りですね。リスクがないとギャンブルじゃない。バレたら僕も引退でしょう」
「どうだい?」ゆっくりと、なおかつ押し付けがましくなく岸本さんは返答を求めた。

すると清田は煙草を灰皿にやり、両手で自分の顔をピシャリと叩いたかと思うと「すいません。2000万で引退は賭けれないですわ」。さわやかな笑顔で断った。
「そうだな。天下の清田正和が2000万ぽっちで引退じゃ、あまりにも寂しすぎる」


ドンっ!


岸本さんがジュラルミンケースをテーブルに放り出した。そしてケースを開き中身を清田へとさらけ出す。
「1億ある。1億のキャッチボールならどうかな?」


えぇー!?5000万って言ったじゃん!1億勝負なんて、き、き、聞いてないよ~!

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でかい。と言うより太い。腕が、足が、首が、指が、背中が太い。
資料によれば90kgということになっているが、実際はもっとあるのではなかろうか?
一見して何かを極めた身体つきとオーラを身に纏っている。
夜にもかかわらず清田は濃い目のサングラスをかけ、迷うことなく定位置であろう奥のテーブル席に座った。
ママも清田の注文を聞くでもなく、ボトルとフルーツ盛り合わせを用意する。
そんな清田の姿をなぜか岸本さんは一瞥もくれない。
僕らのテーブルに新たに付いた若いホステスと、岸本さんは動くそぶりもなく話し始めた。


30分経ったであろうか――。
動きはない。相変わらず二人はくだらないことを話してる。なんでそんなにインクが消せるボールペンの話しで盛り上がれるんだ!
「簡単なことさ、金は金を呼ぶんだよ」
今度はどうすれば金持ちになれるかという話だ。
「どれくらいお金を持ってれば呼べるんですか?」
「1ゲーム。私たちの世界ではそう呼んでいる」
「どういうことですか?」
「野球のスコアボードを見たことあるかな?」
「1回から9回まで数字が並んでる、あれですよね?」
「そう。スコアボードに並ぶ9つの数字のような、9桁の数字」
そういうと岸田さんは僕に鞄を渡すよう促し、通帳を取りだした。
「億だよ」
ホステスの目の色が変わった。「すごーい!」
「1億使って、1億儲ける。私たち不動産屋はそういう仕事なんだよ」
僕が用意した通帳を見てホステスは、キャーキャー言いながら目を丸くしている。
さすが岸本さんだ。
僕が感心したのはホステスを騙しこんだ役者ぶりではない。その様子を何気なく清田が伺っていたからだ。清田に直接、通帳を見せるより何倍も効果があることだろう。
そしてついに清田が食いついた。
ママに何か耳打ちをし、二、三言葉を交わすとママが動く。
「社長、前にもお話ししたことがあると思いますが、あちらにお見えのお客様が清田さんです」
「おぉ、これはこれは」と大げさに立ち上がり、名刺を持って清田に近づく岸本さん。
「実は前にもこの店で清田選手をお見受け致しまして、ママに機会があれば紹介して欲しいと頼んでいたんですよ」
「そうですか」
「はじめまして、私、不動産業を営んでおります安藤と申します」そういうと岸本さんは偽名の名刺を渡した。
「清田です。すいません、職業柄、名刺を持ち合わせておりませんで」
「いえいえ。プロ野球選手はお顔が名刺のようなものですから」
「そう言っていただけると。ありがとうございます」
「私ども、清田選手の球団親会社様ともお取引させていただいております」
「そうでしたか」
「プロ野球OBの方にも、テナント物件のご紹介などさせていただいております。もし、お店などを開かれる場合はご相談させてください」
「その折は是非」
「あと、もしよろしければ、ご一緒させていただけませんか?実は私、清田選手の大ファンなんです」はにかんだ中学生のように岸本さんが言った。
「ええ、是非とも」
ようやく清田に接近することができた!


それから岸本さんは、いかに自分が清田選手のファンであるかをアピールしまくった。よくもまあ、そこまで調べたな、と言うようなエピソードまで交えて。
清田も噂通りの男気のある豪快な飲みっぷりで場を盛り上げた。人気があるのもうなづける。
そんないい雰囲気の中、岸本さんの質問が清田の空気を変えた。
「清田選手が今までで一番印象に残ってるプレーは何ですか?」
一瞬、清田が眉間にしわを寄せたように見えた。が、すぐさまその人懐っこい顔で
「セ・リーグに移籍して1年目の日本シリーズですかね」
「3打席連続ホームラン!」
「そうですね」清田は伏し目がちに答えた。
「あの試合はすごかった。ピンポン玉みたいにボールが飛んでいったもんなあ。あれだけ絶好調だったのに日本一にはなれなくて、さぞ残念でしたでしょう?」
「・・・勝負の世界ですから」


僕にはなぜか清田が何かを隠しているように見えた。

24

北新地――。
大阪市北区曽根崎新地にある大阪最大級の高級飲食店街。
料亭、クラブ、ラウンジ、スナック、バーなどを中心と、梅田や難波、心斎橋とは一線を引く大人の街。
しばしば接待などで利用されることが多く、有名芸能人やスポーツ選手なども多い。
「新地で飲めるようになれば一人前」そう言わしめることができる、大阪唯一の街。


僕にはこの街は敷居が高すぎる。こうして歩いているだけでも緊張する。隣に岸本さんがいてくれることがなんと心強いことか。三井さんじゃないけど、十三の方がよっぽど落ち着く。ま、十三は十三で違う緊張感が漂ってはいるが。
一度、十三の「やまもと」にねぎ焼きを食べに行ったとき、強面の方とぶつかりそうになり冷や汗をかいたことがある。その時は間一髪避けることができ、事なきを得た。肩が当りそうになった瞬間、ものすごい勢いで右足を軸にして体を半回転させたのだ。端から見たらまるで、バスケットボールのピポッドターンだ。もしくは人間コンパス。我ながらNBA選手級のターンスピードだったと思う。
でももしあの時、肩と肩が当たっていたらどうなっていただろうか?
「あたたたた。どこ見て歩いとんのじゃワレ!アカン、わし鎖骨イってもたわ。兄ちゃん、ちょっと事務所まで顔出してもらおうか」となっていたに違いない。

僕の想像がVシネマの域を脱してないのはご了承いただきたい。


その店は、北新地本通り西側の商業ビルの5階にあった。店の名前はラウンジ「き志ゑ」。
岸本さんはこの一ヶ月、週二のペースで通っていたらしく、清田とも2回遭遇したとのこと。

それとなく店の人間に、清田が今日飲みに来ると聞き出していたようだ。
僕達が店に到着した時には、ママと3人のホステスさん。まだ時間も早く他に客は居なかった。
一番奥のテーブル席に着こうとしたら断られた。予約席だそうだ。――清田だ。
清田がいつもあの席に座ることを知ってて、岸本さんはわざとあの席にしてくれと言ったに違いない。今晩、清田はやってくる。
僕達はその予約席からひとつ挟んだテーブル席に案内され、紅萬子似のママが僕らに付いた。
僕が北新地に来るのは初めてだというと、ママは嬉々として洗練された「北新地あるある」を披露してくれた。「仕事帰りに、三菱タクシーを使うホステスは、まだまだひよっこ」あるあるは、秀逸だ。


店に入って1時間。
清田はまだ来ない。確証が取れたと思ったがなんだか心配になってきた。
ママに席をはずしてもらい、岸本さんに問う。
「清田は来ますかねえ?」
「たぶんな」
「もし来なかったら?」
「そのときは、また二人で出直しだ」
「また二人でねえ・・・」
来て欲しいような、来て欲しくないような・・・あぁ、複雑。って、悲劇のヒロインかっ!
「まあ、そんな顔するなよ。あの大選手に会えるんだから」
できることなら別の形で会いたかった・・・。だから悲劇のヒロインかって!話を変えよう。
「ところで、三井さんの方はどうなんですか?」
「例の『枠』を作ってるそうだ」
「あの人見かけによらず器用ですからね」
「それより、OBに近付く方に手を焼いてるみたいだけどな」
「大丈夫ですかね?」
「あいつは意外と人懐っこいから、きっかけさえあれば大丈夫だろう。日時さえ合えば呼んでくれるさ」
岸本さんがそう言うんだったら、大丈夫なんだろうと思えてしまう。不思議な人だ。
ふいに華やかな女性達の「いらっしゃいませ」という声が僕達の会話を遮った。
僕は岸本さんと視線を合わせた。
「大沢、いよいよだ」
ゴクリ。岸本さんにバレないように生唾を飲む。
来た。それは紛れもなく清田正和、その人だった。

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