ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ -20ページ目

ギャン父、毒母からの解放。アラフォーからの自分生き直しブログ

自分の言葉で自己表現し、今と未来をより良く生きていきたい。回復途上ですが相談援助のお仕事もしています。書くこと話すこと…対話を通して人生の課題と向き合うお手伝いがしたい。ゆっくりまったり生きづらさから回復しながら生きてゆくのもいいもんだ♪



私が生まれた1976年って、どういう時代かというと…

 

第2次ベビーブームからはちょっと外れているものの、子どもの数も多かった。

私たちはギリ「団塊ジュニア」というカテゴリーに入るのかもしれない。

 

ということは

団塊世代が子育てをしていた時代.

日本全体が経済的な、物質的な豊かさを手に入れた時代。

『1億総中流階級』という言葉も登場。

 

「普通」や「当たり前」などの世間一般の価値観が

作られ

その『普通』の中で生きることが幸せだと考えられた時代。 

そうして

家族や個人の抱える課題や問題は影を潜めて表面化しなくなった。

 

貧困

依存

暴力などなど。


この頃デビューして数々のヒット曲を出したのが

松任谷由実さんと

中島みゆきさん。


松任谷由実さんの曲も好きだけど


寂しさや

むなしさや

やりきれなさを歌った

中島みゆきさんの歌が私は好きです。



2/16、昨日は誕生日でした。そして新月。 そしてそして。平成25年から務めさせて頂いた高知県安芸圏域相談支援アドバイザーとしても最後のお仕事、圏域の相談支援事業所連絡会の事例検討のお仕事でした。 曖昧で抽象的なことをより具体的に、現場の感覚や当事者の言葉で問題の糸口を紐解く、解決に向かう、そのための手立てとしての事例検討にストイックに取り組んできました。 ストイックに取り組むあまり、私の発する言葉や所作は時に『劇薬』になったかもしれません。 そんな劇薬爆弾の私にも最期に暖かい言葉をたくさんかけて頂き、感謝感激です。 人を指導したり、リーダーになる度量は 私には全くないということも自覚できました。ハッキリ言うとチームで動くこと、チームを動かすことは私にとっては凄く苦手なことです。苦手なことでも人に求められているのだから、できて当たり前だから、という思い込みや周りの期待で無理をして取り組んできたことから少しづつ離れていこうと思います。 その第一歩として長年、務めさせて頂いた相談支援アドバイザーを今年いっぱいで辞退することに決めました。 これからは今まで以上に自分の得意なこと、好きなことで貢献できるように行動します。 私の得意。 対話による、言葉での表現による課題解決、問題の紐解き。 得意を活かせる時間をたくさん持とうと思います。 終わりであり始まりの一日。 記憶に残る誕生日となりました。 ありがとうございました。

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私の両親のこと。(私が生まれた当時。)

父親は某大手企業のサラリーマン。(当時は会社ではなかったが、今では名前は誰でも知っている有名大手。)

母親は保育士。私を妊娠中に切迫早産になりかけたので、それを機会に保育士の仕事を辞めたらしい。

両親が結婚式を挙げたのは私が生まれる前の年の9月。

結婚当時について母親からは

当時もう妊娠中で挙式も披露宴も相当しんどかったこと

文金高島田のかつらがきつくてしんどかったこと

新婚旅行も予定していたが、父親が途中で飽きて目的地まで行かずに帰ってきたこと

この3つを聞かされた。

 

両親の出会いや馴れ初めは

はっきり聞いたことがない。

どうも見合いだったらしいぐらい。

 

 

馴れ初めは聞いておいた方が良かったと思う。

 

聞いても話してはくれなかったかもしれない。話したくもないことなのかもしれない。

 

でも。

子どもの私にとっては

なぜ二人が結婚したのか?

ということは

この上なく重要なこと。

だって

そこから

私という人生が始まっているから。

私が小さかったころからずっとずっと二人は不仲だったので

私は何で一緒になったんだろうという疑問をずっと抱き続けている。

今でも。

二人は不幸だった。

嫌々だった。

私の記憶と状況証拠だけでは

私の命が不幸と不本意の中から始まっている気がしてならない。

今さら当時の馴れ初めを

聞いて何かしらの幸せ要素が出てくるとも考えられない。

幸せ要素が出てきたとしても

不幸だと思い込んでいたこれまでの年月は戻らない。

それでも私は42年間生きている。

 

こまりです。

 

最近、だいすけおにいさんの歌う「わたしおかあさんだから」という歌の歌詞がワンオペ育児や母親が犠牲になることを賞賛する内容だということでSNSで炎上騒ぎになっているようですが。

歌は聞いてませんが、私も歌詞を見てみました。

 

うーん。

正直あんまりいい気はしなかったなあ。

確かに炎上するのも分かるなあとは思いました。

 

石鹸の宣伝や歌の歌詞が批判されて炎上するのはSNSで気軽に発信できる今のご時世ならではですね。

 

でも。

ひどいなあ、こんなの歌にしなくても…。って思う歌は昔からありました。

 

私、子どもの時、N〇Kを恨んだことがありますm(_ _ )m

こんな寂しくて泣ける歌を夕暮れ時に放送するなー!といつも思ってました。

当時は子どもだったし、SNSなんて手段ないので世間にその気持ちをシェアすることはできず、一人悶々としていたものです(_ _。)

みんなのうたという番組で放送されていた

「泣いていた女の子」という歌(☜リンクが貼れませんがYahooで検索すると歌詞と映像が出てきます。)

 

寂しい子供時代だったもんで、

この歌、本当に嫌いでした。

しかも放送は夕方。

当時歌と一緒に放送されていた映像も寂しさ半端なく、

見捨てられ不安を煽るような映像です。

 

 

あたしおかあさんだから

よりも

私にとっては

衝撃の

歌です。

 

「ママは帰らないかわいそう」って

3回も言わんでえいわっ(`ε´)

 

あくまで私個人の感想なので

いい歌やなあ~と思って聞いてた人もいるとは思うのですが、

この歌、今だったら炎上しないのかなあ?なんて思ったりして。

 

泣いていた女の子も

あたしおかあさんだからも

人の心をざわつかせる

心の琴線に触れる名曲なのかもしれませんね。

 

ソーシャルワーカーこまりです。

 

先日とある現場での話。

残念やなあ、とため息がでたエピソード。

支援している当事者のご親族の処遇の件でこの人が関係機関に協力しなければならないことができた。

そのことについて

直接支援している支援者の人に

当事者に説明しましたか?と聞くと

 

「たぶん、理解できないと思ったので本人には伝えてません。」

との回答。

(*当事者は全くコミュニケーションの取れない人ではなく、ある程度の理解は可能な人です。)

 

(@ ̄Д ̄@;)

 

「理解できる」「理解できない」は支援者の尺度。

支援者と同じように理解できなければ知っても仕方ないというのは支援者の理屈。

 

分かりやすいように説明する、という支援は思いつかなかったのか??

どのように伝えるか?伝えないとすれば何故か?もうちょっと慎重な議論もあればいいのにと思ったことでした。

 

障害があっても

その障害ゆえに理解できることが限られているとしても

自分のことを

自分で決めたい、決める場面は人生の中でいくらでもあります。

 

今回の事案は当事者への直接の影響は少ない事柄ではあったのですが。

 

例えば

進行性の病気(がんや難病)について

ご親族の病気や死亡、所在の有無

財産について

雇用条件

利用するサービスについてやそのサービスの根拠となる制度について

 

「分からないから伝えない」が第一選択ではないと思います。

 

厳しい表現をすると

「(支援者側が)分からないから伝えられない」

「分かるように伝える技術が支援者にない」

とも言えます。

 

分かるように伝えることは

理解や判断に支援が必要な人の「支援」の中身そのものだと思います。