Ahの備忘録…滑走路編 -8ページ目

Ahの備忘録…滑走路編

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2009年 6月


3回目の入院

3回目の抗がん剤投与 (カルボプラチン + パクリタクセル)



この年は、梅が豊作で、我が家の小さな梅ノ木からも20キロ以上の

梅が採れた。

ご近所からも「Ahちゃん梅いらんかね??」と言われ、「あるけど欲しいぃ~~」

と欲張って頂戴して、30キロ梅干し漬けました。

毎日息子の弁当にいれても、卒業までもつわ。今年は漬けなかった。

遠くの友達に少しずつだが送って喜ばれました。



2009年 7月


4回目の入院

さあとりあえず1クール終了か???と思いきや。

肝機能低下で、4回目の抗がん剤うてず(泣)そのまま

7月いっぱい入院。



2009年  8月


5回目の入院

4回目の抗がん剤投与 (ゲムシタビン + ビノレルビン)

今回は1週間に1度の投与を4週で4回の予定でしたが、

白血球低下で2回しか打てず、2回は棄権。


一応これでホントに1クール終了。暫く抗がん剤はお休みか??

と思いきや、まだまだ続き、現在に至ってます。


県外の大学に通ってる大学3年の長男は帰らずバイトの毎日。

私立の理系(国立落ちて、予定外の支出トホホ・・)です。

仕送りはゼロ。ゴメンネ!

授業料は半分奨学金で、半分実家の母からの援助でどうにか・・


家賃と生活費は自分で働いて出してます。


私は親に充分してもらってました。

学生時代は仕送りしてもらってたし、実家に帰る度小遣いもらってた。

(50歳近くなっても 今だ親のすねかじってる私)


でも子供には何もしてあげられない。

してあげたいけど、してあげれない不甲斐ない親ですまんのお。


きっと、逆境に強い逞しい人間になってくれると思う。

勉強はできないけど、賢い優しい息子です(親バカ??笑)



当時高3長女もバイトで荒稼ぎ?してくれてました。

高校になって小遣いやったことないです。


お笑いが大好きで、週末になると夜行バスに乗り、新宿のルミネよしもと やら

渋谷無限大??とかの、お笑いライブに通ってました。



当時中3のチビちゃんも、「うちは貧乏かもしれないけど、

毎日腹いっぱいご飯食べれてるから、貧乏と思ったことないよ!!」

お下がりのテカテカの学生服、いやがらず着てってました。



主人が病気になってから、益々家族の絆が深まったか??


私も苦労してるけど、不幸と思ったことないし・・(能天気状態?)


自営で四六時中一緒なので、休みの日は主人も私もお互い干渉しあわなかったし・・(朝から晩までお互い何処行ったか知らん状態?)


私が誰と何処へ何しに行こうが文句ひとつ言わなかったし・・(放し飼い状態?)


午前様の不良母ちゃんになっても気にもとめなかったし・・

(逆に早く帰りすぎると、「なんや、喧嘩でもして帰ってきたんか??」だし・・笑)


器のデカイたいした男です。


結婚する39歳まで、貯金通帳持ってなかった(宵越しの金持たないってやつ??)し・・

それまで「飲む、打つ 、買う?」で好きなこと、し放題みたいだったし・・


13歳も離れた嫁さん(私)つれて 十数年ぶりに 故郷にかえってきたし・・



2009年 5月


2回目入院

抗がん剤投与2回目 (カルボプラチン + パクリタクセル)


疲れてるのだろうから、もう毎日こんでもいいと、主人に言われた。

行く度にベット占領して昼寝しちゃう私。

泣きっ面に蜂で、自動車事故でもなったら大変だから。


「苦労かけて、すまんの・・」

自分の病気のことより、私や子供のことを心配するばかり。



初めての入院中は、私は毎晩のように泣いて枕を濡らしてました。

これからどうなるんだろう、どうしよう、どうしよう・・


1ヶ月も泣き続けてると、なんかもう開き直っちゃって・・

女って強い生き物だね。成るようにしか成らんのじゃと

思うと、どうにかなりそうに思えるのよ。


主人も「俺が死んでも、いつまでも泣いてるなよ、善い事あるかもしれんし、

好きなように、なんなとしてくれ」って。


こんな病気に成るなんて思ってもいなかったころは・・

「大ちゃん(主人の東京時代のあだな)死ぬなら60歳までに死んでよ。

61歳過ぎると、保険金ガタッと落ちて葬式代位しかないでの。

生きるなら、78歳以上生きて、年金払い込みの元取って長生きしててよ!」


主人は今62歳、ハイもう葬式代しかでません。癌保険にも入ってませんでした。


でも大金、手にすると変な男に騙され大金吸い取られ、ボロボロにされて

捨てられるのがオチだから、やたら持ってないほうがいいかもね(笑)。

(ああ~でもあるに越したことはないけど・・)



入院中は病人のように見えるけど(当たり前か・笑)退院してる時の主人は

とても重症患者に見えません。

しかし、免疫低下で抵抗力なくなってるので、マスクはかかせません。

風邪でも引きようなら、すぐ肺炎おこして、死に至るのです。


それでも掃除も洗濯もしてくれるし、ご飯ごしらえもしてくれる。

まあマメです。

草むしりしたり、剪定したりと、動いてないと嫌みたい。


ホントに癌末期なのかねえ?? こんなに元気なら初期か中期位に

しといてほしいよね




2009年 4月





抗がん剤第1ラウンド開始


(カルボプラチン + パクリタクセル)





それと平行して、背骨の癌に放射線をあてる(10回) W攻撃!!





副作用は、脱毛、関節痛、胸焼け、倦怠感、しゃっくり、足のしびれ。


脱毛に関しては、もともと禿げてたので、大して代わり映え無し。


しゃっくり以外は、見えないので辛さわからず・・





でも、副作用定番の「嘔吐」がないので、なんでも食べれたのが幸い。


毎日のように、私のお弁当もって病院で主人と一緒に昼食。


主人のベットを占領して、しばし昼寝してから帰宅。


看護師さんには、「どっちが患者さんやら判らんね(笑)」


と言われる始末。





4週間に1回の抗がん剤投与を4回して1クール・・




途中、肝機能が低下したり、骨髄抑制で白血球がなかなかあがらず、


退院できなかったり、抗がん剤打てなかったりもありましたが、


だいたい3週間入院して、1週間自宅いられるペース?でした。





さすが田舎!人から聞いたと、次から次へと見舞い客がきた。


「もう、末期で治らないよ、快気祝いのお返しもできないと思うから


お見舞いは貰わんことにしてるんや」・・とは言うものの、





「何言うとるんや、気にするな!これから何かと入用になるんじゃ、


貰っとき!」・・が大半でした。





我が家の経済事情よくご存知で(笑)





皆さん口々に言うこと「あーさん(主人のあだ名)ほんまに癌なんけ??


信じられん。全然いつもと変わらん・・頭はもともと禿げてたしのう」