こんにちは
心理カウンセラーの吉田亮介です。
前回からの続きです。
前回、こんな例からお話を始めましたね。
たとえば、あなたが友人を乗せて運転している車で、急に飛び出して来た子供を避けようとしてハンドルを切り事故を起こしてしまった。
幸い、あなたは無傷でしたが、友人は両足を骨折してしまって入院となった。
さらに、こんなことは想像したくありませんが、万一友人が亡くなっていたとしたら?
「事故を起こした私が死んで友人が助かるべきだった・・・。」
こんな風に思うかもしれません。
そうして、あなたは「友人を死なせてしまった」という十字架(罪)を背負って「こんな私が幸せになってはいけない(亡くなった友人に申し訳ない・・・。)」
という風に思ってしまうのです。
確かにハンドルを切って事故を起こしたのはあなたかもしれません。
ですが、現実問題として、誰しも急に子供が飛び出してくることを常に想定しながら運転するのはほとんど不可能に近いと思います。
世の中の出来事は
「あなたは100%問題ない」
「あなたは100%悪い」
と言えることはまずないと思います。
あなたが事故を起こしたことも、もしかすれば避けることが出来た可能性はゼロとは言えないかもしれません。
極端に言えば、車など運転しなければ良かったのです。
ですが、そういったことは現実的ではないでしょう。
誤解を恐れず言えば「あなたは悪くない」のです。
たしかに、あなたがハンドルを切って事故を起こしたことで友人が大怪我を負ってしまったというのは事実かもしれません。
ですが、そのことに必要以上に罪の意識を持つことはないのではないでしょうか。
「突然飛び出して来た子供が悪い」とも言えないかもしれませんが、少なくとも「私だけが悪いわけではない」とは言えると思います。
「事故」というのは、そこに「偶然起きてしまった。」というニュアンスがありますよね。
だから、例えば、友人にケガを負わせてやろうと思って自らトラックに突っ込んだとしたら、それを知った時点で「事故」というより「事件」という言い方がふさわしくなると思います。
「あれは事故なんかじゃない。事件なんだよ。」
小説だったら誰かがこんなセリフを言うかもしれません。
何が言いたいかと言うと、そこに「意志」がない、そして、どう考えても回避できたと思えるような「過失」がない限り、責任がないとは言わないまでも、それほど重い十字架を背負うのは不釣り合いだと言うことです。
もちろん、本人の心情はそうではありません。
たとえ、法律的に無罪になったとしても、(交通刑務所などに入るとなればなおさらですが)
「友人を死なせてしまった・・・。」という重い十字架がそんな理屈で簡単に降ろせるわけがありませんね。
ではどうしたらいいでしょうか?
次回は、この重い十字架をどうやってカウンセリングで降ろすことができるのかということについてお話したいと思います。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
心理カウンセラー 吉田亮介