私はあまり政治や思想をブログには持ち込みたくはないのですが、その展示は芸術ではなくヘイトそのものだと不快感を多くの人が感じる不謹慎物体陳列会「あいちトリエンナーレ2019[表現の不自由展・その後]」ですが、その展示が一時中断されたものの再開され、新たに物議を醸し出しています。
スルーすればよいのでしょうが、さすがにこれは人としての心を欠いた展示物を目にしてしまったので、ブログの記事を書いています。
【間抜けな日本人の墓】
というタイトルのつけられたそれは、使い古されたドーム型の猫ベッドのような何かの底にアメリカ国旗が敷かれ、天辺には日本の国旗、それは先の戦争で日本のため…というよりも、家族や愛する人たちを守るために特攻隊員として死んでいった人たちの寄せ書きが書かれていました。
たとえ思想心情的に相容れることができない相手であっても、死んだ者には弔いの気持ちを持つのが日本人…というよりも、人間であると私は思うのですが。
【有人ロケット特攻機[桜花]】(2018年8月15日)
「平成最後の終戦記念日」というタイトルで、昨年書いたブログの記事に載せたCGイラストです。
太平洋戦争末期に「お国のために散ってこい」と、日本軍部からの命令で、将来ある多くの若者たちが特攻機に乗り組み、当時の敵国であったアメリカの軍艦に体当たり攻撃をして、その命を落としました。
多くの人命と引き換えに得られた戦果は、軍部が期待したものには遠く及ばないものでした。
ですが、アメリカ軍に底知れぬ恐怖を与え、さらに戦後アメリカの調査団が、日本軍が開発していた兵器群の特異性や技術力の高さを認めたことは、敗戦国日本の立ち位置が、それまでの戦争での敗戦国とは違い、極めて優遇されたものであったことは、決して特攻隊員の死が犬死にではなかったということです。
出撃すれば確実な死が待ち受けている特攻隊員の覚悟は、国のためというよりも、親や妻、子どものためにも日本が単なる敗戦国になってはいけないとの思いからではなかったのではないかと思います。
【芸術の役割】
私はブログで拙い絵やCGイラストを掲載している程度なので、芸術について語ることなどはおこがましいのですが、あいちトリエンナーレ2019[表現の不自由展・その後]に並べられているモノは、人々に不快感や悲しみや怒りを与え、対立を生み出している業の深い物体であって、これらのモノは芸術に不勉強な私から見ると、芸術というものではないと思います。
[あいちトリエンナーレ2019]の芸術監督の津田大介氏は、おそらく確信犯的にこのような展示を企画したのだと思います。