今夜の猫たちです。
【[戦争と科学]展に出かけた3人と
びわ坊】
猫山市自然科学館で開催されている[戦争と科学]展に出かけた麦ちゃん、
みどりちゃん、
童子さんと
びわ(左奥)です。
「この小さなロケット機に乗って、アメリカの戦艦に体当たりしたのね」
「まだ学生だった若い人たちも、特攻隊として飛行機や潜水艇に乗って自爆攻撃をさせられたのよ」
「自ら特攻隊に志願した…って言われてるけど、そうせざるを得なかったのでしょ?国による殺人よ」
【有人ロケット特攻機[桜花]】
※桜花の3Dモデルは3D WarehouseよりDo. A氏の作品を使用させていただきました
太平洋戦争末期に開発され、実践に投入された固体ロケット特攻機の桜花です。
大型の母機に吊るされて敵艦近くまで接近し、母機から切り離された桜花はロケットエンジンを点火し、音速に近い速度で敵艦に乗員もろとも激突させ、機首にある1200kg爆弾を炸裂させるという自爆攻撃兵器です。
敗戦濃厚となった太平洋戦争末期の日本軍は、このような特攻兵器を次々と開発し、国民の中から徴収した人々を志願兵とし、確実な死と引き換えに不確実な戦果を上げることに躍起になっていました。
特攻隊員は一般の人々でした、中には学徒動員で徴収された将来有望な学生も特攻隊員として国家のために命を捧げることを強要されました。
ですが、それら特攻隊員の方々は、国を恨まず特攻兵器に乗り込み敵艦に向かっていきました。
おそらくそれは国のためというよりも、親や妻、子どものためにも日本が敗戦国になってはいけないとの思いからではなかったのではないかと思います。
有人ロケット特攻機[桜花]の発案者は、大日本帝国海軍の大田正一大尉。
自らは航空隊員としての適性がないと判定され、航空機に乗ることはないと知りながら、「私が真っ先に搭乗しますので、ぜひこの必殺兵器を作ってください」と軍上層部に提案したそうです。
そのため戦後は卑怯者と呼ばれ、かつての部下からの報復を恐れその消息を絶ちましたが、戦死者として無戸籍のまま隠匿生活をして平成6年に亡くなりました。
同胞を殺しおめおめと生き延びた卑怯者…と大田氏を断罪できるのか、彼もまた戦争の被害者だったのではないかといろいろ考えてしまいます。
ぐら兄と
びわ坊
「猫は人と違って戦争はしないです」
「でもときどきケンカするー」
ぐら兄と
びわ坊
「相手が攻めてきてもぼくは平和主義者なので抗戦しません」
「よわむしー」
楓
「あ、アメリカ兵がきたー」
「いや、あれはアメショ風味なので敵じゃないです」
銀ちゃん
「あ、ロシア軍もせめてきたー」
「いや、あれもロシアン風味なのでこわくないです」
銀ちゃんはブリティッシュショートヘア風味かもしれないのですが、それでもイギリスなので連合国軍です。