禅の悟りである所の「純粋経験即空である」ということは、さらに、小説というものを一つの意識現象として味わうということでもある。


 小説の中の一つ一つの事柄や人物の言動というものは、意識に映し出された所の作者の心である。そして、それを読む読者の感想というものも、また、意識現象である。


 小説家の創造力というものは、一つの小説のみならず、一つの人生そのものをも創るものである。一つの世界を一つの世界観をもって人物を配剤し、育むのである。


 小説の中の言葉の一つ一つはロゴスであり、また、その一行一行は詩歌でもある。このような創造的実在精神というものは確かにあるのである。


 小説において描かれた所の作者の人生観、世界観というものは、その小説を通して味わうことの出来る所の読者の意識現象の経験でもある。

 

 真なる小説の中には、そこに永遠普遍の実在精神というものが実成しているのである。


 輪廻してゆくある魂の実在は、一つの人生物語の叙述によって、作品(小説)となって結実してゆくのである。

 

 作家が己が人生の一つ一つの経験の中で培った真理と真実が、その小説の中に叙述されてゆくのである。


 確かに、生きた経験というものは、その人の唯一無二のものであり、そのことは、感受性というものについても、また同じである。


 しかし、多くの人々には共通項というものがあるのである。多くの人々は、心でつながっているのである。故に、一つの心が動けば、もう一つの心も動くのである。


 大いなる夢の実現の一つとは、小説を創ることであり。小説を味わうことであり、さらに、自らの人生そのものを一大小説へと成してゆくことである。


 善く生きることとは、美しく生きることであり、真なる美的生活とは、「イデアの美」を体現した生活である。真に美しさを観照しながら生きる時、人は真に幸福になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 


 西田幾多郎の云う所の「純粋経験」というものは、主客合一した「空」の境地である。


 この「純粋経験」の意識現象を唯一の実在として、『善の研究』の認識論は成立している。超越的イデアというものも、意識現象の中に現われる実在精神なのである。神仏というものも、意識現象の中に発見見性されるものである。


 般若心経に説かれる「色即是空」の「色」とは現象であり、「空」とは実在である。この「空相」は、不生不滅、不垢不浄、不増不減である。


 龍樹に「八不中道」という哲学があるが、それは、「不」によって否定してゆくことを以って顕われる所の永遠不滅の仏性、実在精神の姿を述べているのである。


 意識現象は「色」であり、それはまた「空」であり、実在である。空・無の背後に実在があるのである。「無門関」を真に透過すれば、実在に到るのである。さらに、「絶対無」というものも、その原点は、趙州和尚の「無字」の関門にあるのである。


 無といっても、有といっても、それは、活殺自在の青竜刀のようなものである。親鸞聖人の「正信偈」にも、「有無を離ると述べたまう」とある。


 「有無の中道」というものがあるが、それが空である。この空の中に実在があり、「真空妙有」があるのである。


 純粋経験によって、主客合一の「空」の境地に立脚して、仏我一如の天来のインスピレーションを受けつづける時に、その哲学は一つの真理の体系となってゆくのである。


 そこから『善の研究』は生まれたのである。西田幾多郎は、見性体験によって、実在を発見したのである。認識したのである。


 真善美聖の実在こそ、神仏の生命の輝きである。真なる見性体験こそが、真理と合一して、真理を思索し、真理を育むことの本質なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 確かに、単なる理論だけでは駄目だけれども、そこに確かな自己の経験則が加われば、その理論もまた、活きてゆくのである。


 その意味で、常に現場に立ち返り、よく現場を見て、現場から数多くの経験を積んでゆくということが大切なのである。


 何が必要で、何が不必要かということも、現場を通じた経験則から学ぶことが多いのである。こうした経験則から、真なる智慧というものが生まれてゆくのである。


 そして、長年の経験則から生まれた実績のある成功者の智慧をよくよく尊重してゆくことである。こうした実績のある成功者の智慧を数多く学び、精進して、己が実人生に活かしてゆくことである。


 実生活に役立つ智慧というものこそが、本物の智慧である。実生活に役立つ学問をこそ尊重してゆくことである。

 

 また、常に学問の智慧を実生活に応用して、役立ててゆくための工夫を怠らないことである。これを「活学」と云うのである。


 こうした「活学」によって実生活に学問を役立ててゆく志を持つと、それは仕事に活きる学問となってゆくのである。学問を通して、仕事が成長してゆくのである。仕事が成功繁栄してゆくのである。


 真なるフィロソフィーなくして、本当の成功は出来ないのである。真なる成功の原理原則の学びと実践なくして、本当の成功と持続した繁栄はないのである。


 そのためには、常に心を閉ざさず、心を開いて、一人一人の心の声をよく聴き、愛と志を持って、己が夢と希望を、「活学」を通して実現してゆけばよいのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)