「美」というものを表現する形式が、このような哲学的コラムであってもいいし、川端康成や三島由紀夫の小説を論ずる形式が、このようなコラム的な美学であってもいいのである。


 「美」を発見し、顕わしてゆくことこそ、小説の本質であり、「美」を創造しつづけてゆくことこそ、小説家の使命である。そして、その小説家の創造した美を論ずることによって、さらに真善美を創造してゆくことこそ、真なる哲学者の本分である。


 そもそも、言葉の中に愛があることこそ、美の本質である。愛は美であり、美は愛である。愛のある言葉は、美しいのである。


 小説の中の一人一人の言葉や行動の中に天上の生命が顕われてゆく時、それは、愛と美の輝く素晴らしい芸術的創造となるのである。


 また、文章が美しいというのも小説家の本分であり、文体が美しいというのも、小説家のみならず、哲学者の真なる生命である。文章の美しさを以って人々を幸せにしてゆくことこそ、小説家の使命であり、同じく哲学者の天命なのである。


 さらに、美とは、見性体験である。「美しさ」というものを一つでも多く発見して見性してゆくことも、小説を味わう王道であり、哲学を味わう本道である。


 この地上にある全ての美を味わってゆくことこそ天国への道であり、地上と天上を貫く美の大道なのである。


 このように、様々に美しさを表現し、美しさを味わうことによって幸福となりつづけてゆくことこそ、真に小説や哲学を味わい、真なる小説や哲学を創造してゆく大道なのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 

 

 


 


 福澤諭吉が説く所の「学問のすすめ」とは、「実学のすすめ」というだけではない。文学や哲学や宗教や芸術など、実学を超えたものをも含めて、「学問」と云うのである。それはまさしく、真なる教養そのもののことである。


 同じく、福澤諭吉が説く所の「文明論の概略」とは、文明の本質には真なる哲学が要るということでもある。さらに、日本国では、文明の本質には、神道や仏教等、真なる宗教的精神が要るということでもある。


 もちろん、実学を「サイエンス」と訳すこともあるが、それは、人文科学や社会科学などの現代の学問分野に相応した訳でもあろう。このように、学問とは、科学でもある。それは、「法則」であり、「道」であり、「理念」「イデア」であり、地上に投影された所の天上の実在の法でもある。


 この法こそが、「文明論の概略」の本質である。それは、文明の法であり、文化の法である。法律の法も、叡智の法も、自然の法も、神仏の法も、これらの法は全て、軌を一にしているものである。


 それはまた、「真理」の道である。この真理の道に則ってこそ、人は最も強く繁栄してゆくのである。最も生長してゆくのである。


 このような大宇宙を貫く法則、真理に則って生きてゆくことを教えるものこそが、真なる「学問」である。


 真なる愛は、真なる叡智になるのである。ソフィア(知恵)を愛することこそが、哲学の源であり、このフィロソフィアの精神こそが、学問の源なのである。


 ただ単に、愛に始まり、愛に終わるだけでは、真なる哲学者としては充分でない。やはり、哲学者は叡智に生きなければならない。真なる学問を幅広く修め、思索し、様々な作品を味わい、そして、創造してゆかなくてはならない。


 と同時に、真なる哲学とは、科学でなければならない。さらに、医学や心理学や芸術でもなければならない。


 このように、幅広い学問の道を修めながら、その中に真なる徳義を実現してゆくことこそ、真なる文明国家の本質なのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)

 

 


 


 美しい文章というものは、美しい心情を磨くことによって生まれる。美しい文章というものは、美しい魂の証である。美しい魂こそが、美しい創造を成すのである。


 美しい詩歌や小説というものは、美しい魂を育むために大切なものである。このような美しい芸術によって、美しき魂は育まれ、創られてゆくのである。


 美しい一行一行の詩歌は、美しい魂から生まれてゆくものである。美しいものを感じ取る悟りによって、美しい芸術は生まれてゆくのである。


 美しさこそ、詩歌の真骨頂である。美しい光の言霊こそ、詩の魂であり、詩の格である。美しい品格のある言霊こそ、詩歌の本分なのである。


 同じく、小説家の一行一行の言霊の品格こそ、小説家の品格の証である。真なる大和魂、さらに世界精神こそ、美しい思想と言霊の背景にあるものなのである。


 「イデア」の投影こそ、美しい文章の核心である。イデアを観照することこそ、美しい魂を育むための至上の方法なのである。


 「イデアの美」の実現こそ、あらゆる文芸・芸術の本分である。文章を通して、人々をイデアの世界に参入せしめることこそ、歌人や小説家の本分である。これは、哲学者の天命とも変わらないものである。


 ひたすらに美を求め続ける真なるエロスこそ、イデアの美を実現する鍵であり、イデアの美の創造の源なのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)