「美」というものを表現する形式が、このような哲学的コラムであってもいいし、川端康成や三島由紀夫の小説を論ずる形式が、このようなコラム的な美学であってもいいのである。


 「美」を発見し、顕わしてゆくことこそ、小説の本質であり、「美」を創造しつづけてゆくことこそ、小説家の使命である。そして、その小説家の創造した美を論ずることによって、さらに真善美を創造してゆくことこそ、真なる哲学者の本分である。


 そもそも、言葉の中に愛があることこそ、美の本質である。愛は美であり、美は愛である。愛のある言葉は、美しいのである。


 小説の中の一人一人の言葉や行動の中に天上の生命が顕われてゆく時、それは、愛と美の輝く素晴らしい芸術的創造となるのである。


 また、文章が美しいというのも小説家の本分であり、文体が美しいというのも、小説家のみならず、哲学者の真なる生命である。文章の美しさを以って人々を幸せにしてゆくことこそ、小説家の使命であり、同じく哲学者の天命なのである。


 さらに、美とは、見性体験である。「美しさ」というものを一つでも多く発見して見性してゆくことも、小説を味わう王道であり、哲学を味わう本道である。


 この地上にある全ての美を味わってゆくことこそ天国への道であり、地上と天上を貫く美の大道なのである。


 このように、様々に美しさを表現し、美しさを味わうことによって幸福となりつづけてゆくことこそ、真に小説や哲学を味わい、真なる小説や哲学を創造してゆく大道なのである。

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)