禅の悟りである所の「純粋経験即空である」ということは、さらに、小説というものを一つの意識現象として味わうということでもある。
小説の中の一つ一つの事柄や人物の言動というものは、意識に映し出された所の作者の心である。そして、それを読む読者の感想というものも、また、意識現象である。
小説家の創造力というものは、一つの小説のみならず、一つの人生そのものをも創るものである。一つの世界を一つの世界観をもって人物を配剤し、育むのである。
小説の中の言葉の一つ一つはロゴスであり、また、その一行一行は詩歌でもある。このような創造的実在精神というものは確かにあるのである。
小説において描かれた所の作者の人生観、世界観というものは、その小説を通して味わうことの出来る所の読者の意識現象の経験でもある。
真なる小説の中には、そこに永遠普遍の実在精神というものが実成しているのである。
輪廻してゆくある魂の実在は、一つの人生物語の叙述によって、作品(小説)となって結実してゆくのである。
作家が己が人生の一つ一つの経験の中で培った真理と真実が、その小説の中に叙述されてゆくのである。
確かに、生きた経験というものは、その人の唯一無二のものであり、そのことは、感受性というものについても、また同じである。
しかし、多くの人々には共通項というものがあるのである。多くの人々は、心でつながっているのである。故に、一つの心が動けば、もう一つの心も動くのである。
大いなる夢の実現の一つとは、小説を創ることであり。小説を味わうことであり、さらに、自らの人生そのものを一大小説へと成してゆくことである。
善く生きることとは、美しく生きることであり、真なる美的生活とは、「イデアの美」を体現した生活である。真に美しさを観照しながら生きる時、人は真に幸福になるのである。
天川貴之
(JDR総合研究所・代表)