ジャッジ&チョイス2 | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

    「オリンピック留意帖」

https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12191995913.html

 

 コロナとオリンピック、

 命か経済か、コロナと経済等々、

 多くの議論がなされてきたけど、結局この程度。

 国民全員いや人類全体がカーネマン理論を習得していれば、これほど愚かな現実は出現していなかったとも思われます。

 

「医者はよい診断を下すために、大量の病気ラベルを頭の中にしまっておかなければならない。

ラベルは一つひとつ、病名と症状、前例と考えられる原因、起こり得る経過と予後、治療または症状緩和のために可能な治療法と関連付けられている。」

(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)

 

 医療に限らず、あらゆる分野で、

 同じようなことが要求されているはずです。

 ビジネスにおいても一つのプロジェクトにおいても、大量のビジネスラベル・大量のプロジェクトラベルが頭の中にしまっておかれていなければ話にもならない。

 

 さらにラベルは一つひとつ、プロジェクト名とコンセプト・コンセンサス、前例と考えられるファクター、起こり得るアクシデントとプログレスとプログノセス、当該プロジェクト成功のためのストラテジー&プロセスとフロー&バジェット等々と常に関連付けられていなければ、到底、超一線級のスキルを持った人間とは言えぬような気もしないでもないのです。

 

 が、現実には、現在、あらゆる分野で

 このクラスに匹敵するようなスキルを持った人は、

 稀少であり皆無へと向かっているようにも思われなくもないとも考えられます。

 

「医学を学ぶことの一部は、医学の言葉を学ぶことだ。同じように判断と選択(ジャッジ&チョイス)についての理解が深まるほど、日常用語では間に合わない語彙がどっさり必要になる。」

(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)

 

 人生を学ぶことの一部も、

 人生の、人間の言葉を学ぶことかとも思われます。

 同じように選択と判断(ジャッジ&チョイス)についての理解が深まるほど、仲間内だけで通用するような稚拙な語彙、貧困なボキャブラリーの数では間に合わない場合がどっさりうんざり必要になってくるとも考えられるのです。

 

「いま何を考えているのかと訊ねられたら、あなたはたぶんすらすら答えられるだろう。

 自分の頭の中で起きていることぐらいわかっているとほとんどの人が信じているし、ある考えから次の考えが浮かぶという具合に、順序立てて思考が進むと思っている。」

(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)

 

 当該書はカーネマンが

 ビジネス・エリートに向けて著したものである

 とされているので、カーネマンも、そのようなことは「アタリマエである」くらいのビュー・ポイントからというポジションで著しているようです。

 

「だが頭はいつもそういうふうに働くわけではないし、それが標準的であるとも言えない。」

(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)

 

 カーネマンも、

 一般受けしない書物は売れないと反省し、

 カーネマンが考える人間スキルがアタリマエではないということも知っていますよと表明し直しているところが、さすが一般受けのノーベル賞をものにした賢人であるということなのかも知れません。

 

 そもそも、ノーベル賞などというものは、

 ノーベル文学賞の川端康成「雪国」「伊豆の踊子」等々にしても、

たいした作品であるとも思えないけど、挙句の果てには接続詞・接頭語の使い方にも間違いまであるのに、

 一般人は「素晴らしい」だとか「さすがノーベル賞の天才である」とかぬかしているけど、そもそも、一般人に理解できる程度のシロモノは天才とは呼べないとも思われなくもないのです。

 

「印象や考えのほとんどは、どこから出てきたのかわからないままに、意識経験の中に浮かび上がってくるものである。」

(「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン)