「ゼノンは本来厳格で気難しい人であったが、酒が入ると激したり穏やかで優しくなったりと、その性質の起伏の激しさが現れた。
このことを指摘されたゼノンは『ルピナスの種も本来は苦くて不味いが、水に浸せば甘く美味に変化する。私はルピナスの種同様、自然本性を受け入れありのままに振舞っていただけなのだ』と応えた。」
──(「ホメロス『オデッセイア』注釈」エウスティオス)──
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
酒の席での発言を真か否かという議論ほど愚かしい命題もない。
我々の持っている知識と経験が全人類の全知能を
備えたとしても、それは真理のほんの断片、宇宙の星屑よりも
はるかに小さく認知されるべきほどのものでもない塵の如くで
あるということを認識できている者であれば、
そのような議論は、幼稚園児に相対性を命題として
議論させるようなものでもあるということくらいは、
理解していてアタリマエのことなのかも知れません。
「ゼノンは病気の時にも普段以上の御馳走を食べてはならないと考えていた。
治療にあたった医者が『高価であるが鳩の雄を食べて下さい』と提案した時、これを否として『奴隷と同じように私を治療してください』と言ったという。
これは、治療にあたっても奴隷よりも軟弱な方策を好まなかったからである。
なぜならゼノンは『奴隷たちが高価な食事なしに養生しているのであるから、私も同じような精神と肉体を自らに私は要求している』と述べ、『善き人は如何なる点においても奴隷よりも軟弱であってはならない』と医者を諭した。
そして『飲食に限らず、快を求める者の欲望は必ず際限のないものとなり、私も同じ人間である以上、そのような愚かな習性となってしまう行為は、たとえ病気の時でも、如何なる時においても避けるべきだと確信しているから』と続けた。」
───(「治療と食事の自然本性について」ヒポクラテス)──
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
ご存知ヒポクラテスは、医療の祖であり、
若き日にはディオゲネスとゼノンに弟子入りを嘆願した逸話も
有名であるようです。
──ヒポクラテスとプロタゴラス「ヒエロス・ロコス 1」──
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12560751179.html
───ヒポクラテスと女性特有の疾患「ヒステリー」───
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12534120428.html
あまりに有名な「ヒポクラテスの誓い」にもあるように、
医療の祖である彼は肉体的治療と精神的治療のパラレルこそ
医療の真髄、人間の自然治癒力と自然本性の融合こそ、
「医療は倫理である」の核心であると確信していたようです。
僕は自分の担当医たちに、このような話をしでかすので、
ある担当医は「担当を外れたい」と医局長に懇願し、
ある担当医たちとは公私ともに良き友人としてのお付き合いが
長く続いているような気もしないでもないのです。
「知人がゼノンを訪ね、『オリーブ油が足らなくなってしまったので分けて欲しい』と頼むと、ゼノンはきっぱりと『分けるつもりはない』と応えた。
そしてその知人が立ち去る時に『どちらが恥知らずであるのか考えてみるが良い』と吐き捨てた。」
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)
己の身の回りの日常作務もマトモにこなせずに他者を頼る者と、
この者の喚起を呼び覚ますために叱責してあげる者との差異を
ゼノンは説きたかったのかとも思われます。
「学派を転向したが、神々の在り様を探究せぬ者がゼノンに『なぜ私だけ叱らず正さぬのですか?』と尋ねた。
ゼノンは『君を信用出来ぬからだ』と応えた。」
───(「ギリシャ哲学者列伝」ディオゲネス)───
(「ゼノン/初期ストア派断片集」京都大学学術出版会)