ヒステリー | コラム・インテリジェンス

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透き通るような…心が…ほしい

ヒステリーは、
イエス様の誕生よりも、はるか2000年あまり前から
人類に認識されていたらしい。
 
紀元前1900年、エジプトのカフン・パピルスは
「さまよう子宮」のなかで、女性における行動上の
障害として報告している。
 
紀元前400年には、かのヒポクラテスが「女性の疾患について」のなかで、
ある種の女性の病気をあらわす術後として
「ヒステリー」という言葉を用いる。
 
1662年になってようやく、トーマス・ウィリスが
「ヒステリー状態の女性と子宮には、なんの病理的関係もない」
ことをあきらかにする。
 
それまで、ヒステリーと女性は
偏見をもって扱われていたということになるのかもしれない。
 
「ヒステリー」・・その語源からして、ギリシャ語の「ヒステリア」≒「子宮」
であることからして、その偏見の強さがわかるような気もしないでもない。
 
現代神経学の創始者といわれるシャルコーが、
ヒステリーの症状として、度を超えた泣き笑い、過度な情動的行動を研究し、
それらの治療法として催眠術を用いたことで、
ヒステリーも一躍、偏見から疾患の一つとして着目されるようになった。
 
「ヒステリーの法則は普遍的である」ジャン・マルタン・シャルコー
 
シャルコーによれば、
ヒステリーは遺伝的で、その症状は規則正しく発症し、
生涯つづく疾患であるという。
 
私見、ヒステリーに限らず、どのような疾患だろうが空き缶だろうが、
そのパートナーの知恵と協力さえ有効に作用さえすれば
すくなくとも致命的なものともならず、良い方向に転換させることも
けっして不可能ではない、と信じている。
 
が、この「ヒステリー」という命題によって、
シャルコーの弟子であるフロイトが
後に「ヒステリー研究」という著書を書き上げることになったことは、
 
「瓢箪から駒」いや「飛んで火にいる夏の虫」いやいや
「腐っても鯛」・・・「挙句の果ての水疱瘡」・・・
・・・なにを言っているのかわからなくなってしまいそうだが、
 
どちらにしろ、「ヒステリー」は
人類の心理学発展のためには、大いに役立っているといっても
けっして過言ではないような気もしないでもない。