前コラムで我々はソクラテスが、小役人を含む政治家、医術を含む技術者等々が知っていると思い込んではいるが実は何もわかっていない事柄について、ソクラテス自身が彼らよりは知恵のある者であると自覚した経緯を見てきました。
「哲学とは?ソクラテスとは?という命題を知るためには、プラトンの「ソクラテスの弁明」とクセノフォンの「ソクラテスの思い出(随想録)」に頼るのが賢明であるとも思われます。
ここではソクラテスの対話活動に注目するということです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
これについても前コラムにおいて、私的に記させて頂きました。
「その発言の中に、ソクラテス哲学の骨格全体があると言ってもよいくらいなのです。
また、哲学とは何か、ソクラテスが何故<哲学者>と呼ばれるようになったのか、その手がかりを見出せるはずです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
パク・イルゴンは哲学を分かり易く紹介するために、
最も著名であるソクラテス、プラトン、アリストテレスあたり
から解説するのが最良であると考えたようです。
が、我々はすでに、哲学の基本中の基本、哲学の基礎の基礎、哲学原理ともいうべきソクラテス以前のディオゲネス、ゼノン、アウレリウス等々についても学んできました。
ディオゲネス、ゼノン、アウレリウス等々、そもそもの哲学のはじまりであるギリシャ哲学には、ソクラテス以降の哲学者たちには観られぬ視点、原石のような真実真理が示されていたようにも思われます。
──ディオゲネス──「コスモポリテス 25(了)」──
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12578318745.html
───「ゼノン 26」───京都大学学術研究会篇───
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12590452121.html
───「アウレリウスの独り言 45 (了)」───
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12572859007.html
共に学んできた我々の知識も取るに足らぬのかもしれませんが、
互いにそれなりの価値は見出せたようにも
思われなくもないのです。
「ですから、たとえば、哲学は大学で学んで、それで終わり、というようなものではない、ということです。
どういうことかと言えば、哲学と人生は一体のものとなっている、ということです。
あるいは、ある哲学の本を読んで、自分の何らかの悩みが解消して、それで終わり、というようなものでもないのです。
つまり、ソクラテスによれば、その人の人生が終わらぬ限りにおいて、哲学に終わりはない、ということです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
なので、生涯続けられる趣味として、生涯の心の支えとして、
老若男女、何歳からでも始められ、趣味と実益の伴うものとして
哲学は最良であるとも思われなくもないのです。
「今の日本でいえば、就職を最優先に選択するのなら、大学では理系の工学や医学、薬学など、文系では経済学や社会学などを学ぶべきであって、何の役にも立ちそうにもない哲学を専攻してしまえば、まともに就職もできない、と言われるかも知れません。
この場合の<哲学>というのは、現在の日本での大学の<哲学>であって、主に西洋哲学の文献の研究に終始してしまう<哲学>である、ということです。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)
欧米では幼い頃から宗教、哲学に親しむ環境が整っているけれど
我国には親も学校もそのような環境にはなさそうですものね。
幼い頃から宗教、哲学に親しんだ欧米のオトナは、専門職に就いても、その基本的理念・論理が自然と哲学におかれているようです。
が、日本の専門職はほとんど専門バカとでもいわれるように、
専門以外のことには幼児並みの感性しか持ち合わせていない。
というのが欧米人から見た日本人観でもあるそうです。
「この現状をふまえて、ソクラテスは<哲学>をどのように考えていたのかを見ていくことにしましょう。」
(「哲学の話」パク・イルゴン)