最近は明るい曲を聴く余裕がないので『信号』を聴いては泣いている。





この曲はsora tob sakana解散発表後のラストアルバムに収録された新曲2曲のうちの1つであり、もう1曲の『untie』はラストライブのラストシーンの短い曲であるから、その特別さを考慮すると実質的にはオサカナ最後の新曲である。


 


私の浅いオサカナオタクの活動の中で数少ない自慢できることの一つはこの曲をライブで観ていることだろう。しかも↑2回も観てんじゃん羨ましいな当時の自分。言うに及ばずながら当時はコロナ禍はじまりの渦中であり、無事に9月6日を迎えられるかどうかの瀬戸際の際際でメンバーやスタッフにもし何かあれば的な状態の中、それでも解散前に一度だけでも一目だけでもメンバーを見たいと願うオタクの夢をかなえる4回公演だった。


https://ameblo.jp/soratobsakana/entry-12615231701.html 

ラストライブで会えないオタクのためにチャンスを作ってくださりありがとうございました…




この曲、当時の私は“想像をやめてしまえ”という山崎愛さんパートに衝撃を受けていたが、今ではもっと気持ちが高まっており(?)、sora tob sakanaの物語の最終章を描いた曲だと勝手に思っている。


なので今回はsora tob sakanaという物語…つまりアイドルプロジェクトとしての活動と、それに影響されて作られる楽曲とが織りなす物語(というか私個人の思い込み)について書いてしまいます(危険な内容だがもう今ならどんな思い込みを書いても自由だろう(そんな事はない))。


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そもそも前提として、sora tob sakanaの曲はすべて照井順政さんがsora tob sakanaのために書き下ろした曲であり、すべてメンバーが歌うために作られていると考えてよかろう。


https://mora.jp/topics/interview/sora-tob-sakana/ 

個人的にはここで照井さんが語っているDetroit: Become Humanというゲームの、女性型アンドロイドが主人公のシーンは特に『信号』の世界と通じるところがあると勝手に思っているが…最近のSiraphTVで照井さんDetroitはやってないって言ってましたっけ…?



『信号』の話に戻って、先ほどの“想像をやめてしまえ”

のパート、実際は曲調的にもここから話が動き出して、

“モニターの夢を眺めても

呼ぶことをやめられない 鼓動”

と続き、


“均等な 完璧な夢に漂う

そっと 君の手を握って”

という歌詞の2回目が歌われたあと、3回目に


“風のない 風のない星を彷徨う

そっと 君の手を握って”

へと変化する、


これは私の超トンデモ解釈かもしれないが、手を握っての意味が、2回目までは誰かに連れられて漂いながらついて行くために握っているのが、3回目は自らの意志でさまよい歩くことを始めたことを描いているように思われる。



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なぜそう思うかというと過去のsora tob sakanaの曲のイメージから連続してきている変化があると思うからです。


私がオサカナのライブに行き始めたのは2019年5月以降で、『ケサランパサラン』の頃の感じはわからないので、アルバム「World Fragment Tour」以降の話になりますが…



World Fragment』には、


“空を飛ぶ魚になって”


という歌詞があり、

そして歌の最後はこう終わる。


“空を飛ぶ魚はきっと

私を連れて行く

遠くへ

思いがけない場所へ”


この曲はアルバムの全体の中ではほぼ最後の曲で、旅を終えて日常に戻る朝の話(?)である。





オサカナのオタクが今聴くと、ライブの翌朝みたいな気持ちであり、思えば恵比寿CreAtoも、初めて行ったときはこんなところにライブハウスあるんだ~という気持ちだったし、池袋harevutaiも、ヒューリックホールも、オサカナと出会わなければ行くこともなかっただろうな~という感じで、渋谷には一頃7th FLOORに通っていたんですけどオサカナがO-EASTを筆頭にその辺のデカい3つを全部使ってフェスをやるなんて最高だったし、ラストライブに至ってはうちの近所の幕張まで接近(席巻)してライブビューイングまでやっていたのだから個人的にはどこを思い出しても最高…という個人的感情は置いといて…。



その頃までのオサカナは、というかこの時点の空を飛ぶ魚とは、連れて行ってくれる存在であって、メンバー(というかメンバー演じる主人公ですが)はそれに連れられて行っている形で歌われている。



ところが解散発表の時には既にファンはそうは思っていなかったんですよね、思いがけない場所へ連れてきてくれたのはsora tob sakanaというプロジェクトではなくて、メンバー自身なのだと。


なぜファンがそう思ったかといえば、やはり『flash』のラストの歌詞、“もっと高く 遠い場所へ 連れていくから” を聴いていたからであろう。





『flash』は、ハイスコアガール2の曲でもあるのでオサカナメンバーだけを描いた訳ではないとも言えるが、オサカナメンバーの姿とアニメの内容が重なることによって相乗効果となった名曲であるし、sora tob sakanaにとってはメジャーデビューという責任を引き受けて『New Stranger』に続いてアニメの完結を手伝った曲である。



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https://open.spotify.com/episode/1RPCmaNeRuu6WrFDLas6Sf?si=OB8MyoiCT5KPFdB0acY4TQ 


照井順政さんのカラオケ店バイト時代仲間で寺嶋由芙さんファンのたわわちゃんさんのPodcastでも、“照井順政がsora tob sakanaをここまで連れてきたのではなく、sora tob sakanaが照井順政をここまで連れてきてくれた。照井さんの友人として感謝”と語られている。感動的なので勝手に引用…31:45~


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個人的な想像ですが、この辺の歌詞の背景というべきメンバーにとってやはり重要な出来事だったと思うのは、メジャーデビュー→『New Stranger』のヒットときた後のメンバーの脱退だったと思う。


その時の神﨑風花さんのブログをもう一度読んでくれ



https://ameblo.jp/soratobsakana/entry-12459707201.html 



れいちゃんが卒業するって言った時に
3人にも卒業する選択肢はあったんです。
でも残ることを決めました。
それはどういうことかわかりますか????
察してください😌



4人での最後の定期公演が初のオサカナライブ体験であった私は、これにいきなりやられた訳ですね


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とはいってもオサカナの物語はあくまでも物語であるというところがポイントで、


「照井さんの歌詞に共感したことないです」

「ないね」

「ない」

https://www.phileweb.com/sp/interview/article/202003/11/725.html 

という(マジこの企画最高でした…プラントロニクス【Poly】様…一生ついていくぜ…)貴重インタビュー記事からもよくわかるこの態度こそが、オサカナの物語を物語たらしめている。


照井さんはメンバーを投影して曲を書いているけどメンバーはあくまでsora tob sakanaの楽曲世界を演じているだけで、sora tob sakanaは「ソラトブサカナはじめます」と言ったときだけのステージ上の姿(独自解釈)だというのが本当に良いですよね…


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長々書いてしまいましたが、sora tob sakanaの物語、特に『信号』における最終章とは、


岐路に立ってもsora tob sakanaの音楽を続けることを選んだ姿、


責任を果たし自らの意志で活動を終えることを決断した姿、


https://soratobsakana.tokyo/news/index02100000.html 



ライブ始まって最初のMC、「ここにいる全員で楽しみたいです」と言って歌い踊る姿、


https://ameblo.jp/soratobsakana/entry-12623088378.html 


照井さんの曲を歌ってくれて幸せだったな…


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そんなオサカナメンバーたちの、sora tob sakanaの音楽を楽しみ楽しませるということの期待とプレッシャーの中で、自らの意志を見いだし歩き出す姿を描いている最終章、


作り上げてきた均等な完璧な夢こそがsora tob sakanaというプロジェクトであり、脈を打って呼び合うのは夢の最後に向かっていくメンバーとファンの心、色とりどり点滅するのはファンの期待であり、ファンと音楽に連れられてきた現在地から、ここからはファンを連れて行こうとする決意。それが『信号』の描いた情景だったのだと私は感じている(これが独自解釈というものです)。


そして完璧なラストライブでsora tob sakanaが解散した今も、モニターの夢を眺めては呼ぶことをやめられなくて今も点滅する亡霊オタクの鼓動…とも思えて、今日もその夢(その姿)に涙せずにはいられないのである。