肥満の心 | かいじゅうと美女~スリムでHAPPYなアラフォー:トミータマリンの記録~

かいじゅうと美女~スリムでHAPPYなアラフォー:トミータマリンの記録~

幼少期に超肥満サイズだった私は、19歳で激やせ。それからまた太ったり痩せたり繰り返し。心と体を整えて、もっと心地よい自分になるスリム道を突き進む!

子どもの頃、超肥満児だったとき、

 

私の心はいつもこうだ

 

「私は主役にはなれない」

 

「非難されたのは私が太っているせい」

 

「がんばれなかったのは、私が太っているせい」

 

「太っているから逆上がりができない」

 

「私は太っているから嫌われる」

 

「太っているから、みんなに蔑ろにされる」

 

「私が太っているから」

 

「太っているから」

 

「太っているから」

 

 

(で、イライラして、いじめられたりして、もう絶望に耐えられずにまた食べる)

 

 

その後、私は運動したり、あの手この手で徐々に標準体重に近づいていったのだが、

 

ある程度「フツー」になったとき

 

私はものすごい真実を突きつけられた。

 

私、性格けっこう悪くない?

あれ?太ってないのにがんばれなかった。

あれ、太ってないのに、なんか周りとうまくいかない。

 

あれ?あれ?

あれ?
 

 

嫌われたのも

 

逆上がりができなかったのも

 

蔑ろにされたのも

 

がんばらなかったのも

 

全部

全部

全部

 

「自分の努力不足」

 

 

嫌われるようなことをした

うんざりされるくらいウジウジしてた

がんばらなかった

美しくなる努力、みんなを明るくする努力

みんなに愛される努力を

私はしなかった。

 

周りは意地悪な人ばかりじゃなかっただろうに

自分で殻に閉じこもって

いつも間にか、心はゆがんでいた。

 

 

「被害者意識の塊」

 

被害者意識なんてのは永遠の正義だ。

 

被害者でいる限り、弱いダサいアホな自分と向き合わずにすむ。

 

実に楽だ。

 

痩せた時

私が真っ先に目の当たりにしたその

ただのおバカな自分というもの

 

 

もう言い訳できない

もう逃げられない先延ばしできない

私は初めて、自分とサシで向き合った

 

それは肥満という事象でなくても

何かハンデだと自分が思うもの

強烈なコンプレックスだと思っているもの

 

もしかしたら、人間はそれをバネにもできるが

自分と向き合わない言い訳にしてしまうことがあるかもしれない

(私がそうだからといってみんなそうではないだろうけど)

 

自分の核は外側にはない

太っていようが痩せていようが

貧乏だろうがしがらみが多かろうが少なかろうが

家庭環境がどうであろうが

 

自分は自分

 

だから私は、コンプレックスは乗り越えてみるものだと思う。

 

乗り越えた先に見える景色を、ちゃんとしっかり眺めなくちゃいけない。

 

そこで気づくだろう。

 

コンプレックスが問題ではなかったことを。

 

自分の人生はどんなときも、今ここにある。

 

だったらもっと笑っていればよかった。

 

みんなに優しくすればよかった。

 

何でもやれるだけやればよかった。

 

それだけだ。