もう会えない親友へ | 旦那が脱サラ・起業しました!嫁の起業サポートと育児奮闘記 color-1010(十人十色)

旦那が脱サラ・起業しました!嫁の起業サポートと育児奮闘記 color-1010(十人十色)

アラフォー、第2子育休中の藤田結香です。
私自身は大学卒業後、ずっと同じ会社で働くサラリーマン(ウーマン)
雇われることに何の疑問も抱いていない私の前で、突然旦那が
「脱サラ×起業」宣言!!そんな我が家の起業・育児日記をつづります。

2019年年始。

私にとっては忘れられない衝撃の年明けになった。

 

友人から久しぶりの電話。

「久しぶりビックリマーク元気?こんな年始にごめんな。」

から始まり、しばらく近況報告。

 

「あのさ、○○ちゃんおったろ?」

(方言のまま書きます)

おった・・・という過去形の表現に違和感を覚えつつ

「うんうん。何かあった?」

 

「亡くなったんやさ。」

 

全く知らなかった、闘病していたこと。

最後に会ったのは6年前。

中学の同窓会があるとの連絡を受け、当時上の子を妊娠したてで

帰郷するまでに6時間はかかる状況で、正直迷っていた。

そんな中、その親友と電話で話す機会があって

 

彼女も同窓会出席を迷っていた。

 

でも、話しているうちに

「あんたが行くんやったら行くさ。」

と言ってくれて、二人で出席を決めた。

 

久しぶりに行く同窓会は、何か恥ずかしいような感じもして

 

でも、こんな機会でもないと会えないみんなと会えて

本当に中学校の時に戻った感じで

来て本当に良かった、と

背中を押してくれた彼女に感謝したし、彼女も来て良かったと笑っていた

 

二次会には行かず、気心の知れたメンバーで集まった。

そこで妊娠していることも報告し、彼女は、

「良かったなー。幸せやー。」

と喜んでくれた。

 

故郷に実家があった時は、年2回は帰郷していて

その度に彼女とは会っていた。

 

会社を経営していた父親が会社を閉めることになり

帰郷することがなくなっていたので、久しぶりの帰郷だった

 

彼女は、

「またいつでも帰ってきてよ。」

と。

「家の事情もあって、迷惑かけた人もおるで帰りづらいのもあって。

 今回もそれをちょっと気にしとった。」

と言うと

 

「今日も誰もそんなこと言わんかったろ。いつでも待ってとるで。」

と笑っていた。

 

嬉しかった。本当に。

 

それが最後の言葉になってしまうとは

 

その時は夢にも思わなかった

 

故郷に帰る場所があったと思った私は

帰る場所がまたなくなった

 

なんとなく年末に

「どうしてるかな?年賀状でも出そうか。連絡してみようか。」

と強く思ったことがあったが

 

なんとなくやめた

 

後から知るが、その時には意識があるか、なくなるかという時期だったそうだ

 

闘病していた時に、少しでも寄り添いたかった

全然連絡もしていなかったから、そんな権利ないかな

寄り添われても困らせてしまったかな

 

苦しい時に何もしてあげられなかったな

 

といろいろな想いが錯綜した

 

年始の葬儀には、上の子と私が溶連菌に感染し高熱を出してしまい

下の子もまだ8か月だったことから行けなかった

 

このお盆に実家に会いに行って

 

次回はその時のことを書こうと思います。