このままこのテーマを書き続けていくとⅣ・Ⅴ・Ⅹ・ⅡⅩ・ ・ ・なんとか表示出来そうですね。


 音楽関連でお世話になっているwakuwakuさんが ジョン・レノンについて書かれているので関連記事を書いてみました。

 

 林望氏が自身のエッセイの中でジョン・レノンとオノ・ヨーコさんについてふれている。

 どうしてジョンは呼び捨てでヨーコさんはさんなのかといった質問は止めていただきたい。

 cologne自身が疑問に思いながらも説明出来ないことだから。かといってジョンさんと呼ぶのはぴんとこないし、ヨーコなんて呼び捨てはとても失礼なことだと感じてしまう、だからジョンとヨーコさんと呼ばせてもらいます。


 ジョン・レノンの映画「イマジン」でレノンはいつも孤独で、その孤独なジョンの魂をヨーコさんが必死で支えていた。

 しかしそのヨーコさんの存在がまた皮肉にもジョン・レノンに対する反感と非難を招いたというのも遺憾ではあるが事実だ。

 疲れきったジョンは一時期ヨーコさんから離れ独身生活を送るけれど、酒乱の毎日だった。

 酒は彼の孤独を癒してくれたのだろうか。応えはNO。

 酒で癒える孤独などあるはずがない、もしあるとすればそれは孤独ではなく、孤独ぶっているだけのことである。

 

 以上が林望氏がジョン・レノンとオノ・ヨーコさんについて書かれていたエッセイの要約。


 りんぼう先生は全くの下戸で酒飲みの気持ちは理解出来ないと自分でも書いている。

 それでも酒で孤独が癒せないと断言しているのは、彼の師である池田弥三郎氏の酒論を引用して断言しているからだ。

 cologneもワイン好き、ビール好きだが、体がコップ一杯分の量しか受け付けない。

 そんな自分も、酒で癒される部分もあるとは思うが「孤独」は酒では癒せないと断言できる。

 「孤独」という崇高な悩みは酒などで癒されてなるものかという下戸の屁理屈が、先に結論ありきなので、とても議論はできないのだが。

 この点については林望氏も同様だろう。

 お酒の席は嫌いではないし(好きです)飲ミニケーション大歓迎なcologneですが、いい大人がうさばらしの泥酔や人格の変わるような飲み方を黙認できるほどに自分は人間が出来ていないので、そういった飲み方をする人とは飲まないことにしている。


 結局なにが結論かといえばジョン・レノンの孤独を癒し救ったのはオノヨーコさんの存在であったということ。

 その後ジョンは見事に立ち直った。

 しかし彼は急いで死を迎えてしまった。直接の死因はどういった形であれ、彼は早すぎる死を迎えてしまった。

 でも立ち直れず迎えた早すぎる死ではなく、立ち直った後の早すぎる彼の死は、今となってはけして悲劇ではなかったようにさえ感じられる。

 そう感じさせてくれるのは、残されたオノ・ヨーコさんの生き方。

 

     Forever

 

 スピルバーグは「宇宙戦争」で何を言いたかったんだろうか。

 スピルバーグは「宇宙戦争」を誰に見せたかったんだろうか。

 あらすじについてはこれから映画を見る方も多いと思うので触れないように注意します。


 映画というのはなんでもありの世界だけに何にでも手を出してしまうと観客が困惑してしまうところがある。

 「宇宙戦争」はまさにその典型ではないだろうか。

 「大金をかけたB級映画」と認識することでしか自分の中で消化できなかった。

 いろいろ疑問符のつく場面はあったが、特に気になったのが「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンスと絡むシーン。

 暴力で解決しようとする人間を結果的に暴力で組み伏せてしまう場面は、どう受け止めたらいいのか理解不能だった。

 こんなことを許していいのか、と訴えるものがあるわけでもないし、かといって守るべきものがあるなら暴力も正当化できると言っているようにも見えない。

 自分が考えすぎなのかもしれない、もっと単純に子供の目線で、CGの迫力ある場面だけを楽しめばいいのだろうか。


 しかし、そう考えると今度は地球に住む人間以外はみな悪者的描き方すぎて、小さな子供には見せたくないと思ってしまう。


 9.11テロがアメリカに、スピルバーグに与えた影響は日本人には計り知れないものだったのだろう。

 自分も問題提議はここまでにしておこうと思う。

 結論を出すにはまだ早すぎるし、まだ1回観ただけなのだから。

 

 

 アメブロの週末からのメンテナンスが終わりました。無事終わりました、と書きたいところですが相変らず重い、遅いとの声があちこちから聞こえてまいります。

 しかしながらcologne、ある理由があって、アメブロに対して重いだの遅いだのと文句を言うつもりは一切ございません。

 アメブロから移転するつもりもありません。


 アメブロスタッフの皆様、泣いて喜ぶところかもしれません。

  

 重い遅いと嘆いている方、下↓の図を見てください。上の方は「オレンジ色」「赤紫色」に見えていませんか?

 左右とも同じ「赤色」です。

 同様に下の方の図についても「黄緑色」「青緑色」に見えていますが実はこれも同じ「緑色」なのです。

 初めてご覧になった方は、まず納得できないと思います。


 ですからアメブロが重かったり遅かったりするのも錯覚かもしれません、気長にいきましょう。


ムンカー錯視

     ムンカー錯視↑

 

 見る働き、視覚における錯覚を特に『錯視』と呼びます。


 下の図はどうでしょうゆっくりと回っているように見えませんか。もっと図形が大きければよくわかるのでクリックで拡大してみてください。

蛇の回転

   



 真ん中が膨らんで見えるようですが総て正方形の組み合わせです。


黒いダイヤ


   カフェウォール錯視↑

  

 錯視に関するサイト


☆ムンカー錯視
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/Munker.html


☆東京大学「錯覚展」展示作品候補(かなりの作品数が展示されています)
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/Todaisakkakutenlist.html


☆カフェウォール錯視
http://www.brl.ntt.co.jp/people/takeuchi/cafewall/cafewall-J.html


☆北岡明佳氏の錯視のページ
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html

 

 



 長時間図形を見続けるのはよくありませんのでご注意ください。

 LIVE8 のニュース映像を見ていて思い出したのが「We are the World」。
 作詞・作曲はMichael Jackson and Lionel Richie


 マイケルについては今はあまり語りたくないけど、少なくとも85年のマイケル・ジャクソンは貢献者だったと認めたい。
 

 この曲は1985年、アフリカ難民救済のために全米のポピュラー・アーティスト達が集まり全世界に向け募金を呼びかける際に創られた曲の一つ。


 みんながそれぞれにパーツを分担して歌う姿に、いろんな大陸にわかれた広大な地球という星がまとまっていき、やがて世界がひとつになればいいなという想いとともに聴いた曲だった。
 

 この曲を最初にcologneに教えてくれて映像まで見せてくれたのが鎌○君。
 以前住んでいた団地で知り合った。大型のTVを訳ありで買って車から降ろして5階にある自宅まで重くて汗だくで運んでいるところを会社帰りの鎌○君が通りかかって、疲れているにもかかわらず、運ぶのを手伝ってくれた。
 後日、お礼に食事でもと自宅に招待したときにビデオテープとフォークギターを持って訪ねて来てくれた。
 そこで彼が見せてくれたのが「We are the World」の録音の様子を撮影したビデオテープ。

 そして「cologneさんよければ一緒に歌いませんか。」とギターを弾く鎌○君に誘われて歌ったら、易しそうなメロディだと思っていたこの曲が簡単じゃなく難しかった。
 鎌○君もcologneの歌唱力を見切ったかのようにさりげなく曲を変えてくれた。
 その曲というのがcologneが大好きなサイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」。
 普通この曲、いきなりギターで弾いてくれても曲は知っていてもなかなか歌えない。
 

 cologneが歌えるなんて知ってるわけがないから、鎌○君の偶然の気まぐれで曲をかえただけなのかもしれないと考えるほうが妥当な推測だろう。
 それを二人で一緒に歌った、2番は鎌○君がポール・サイモンのパートを歌ってくれた。

 彼は海外の医療機関に医療器具を販売する会社の営業マン。

 都合によっては危険な地域にも出張しなければならなかった。
 今もどこかの国に出張して販売活動していることと思う。



 20年前の1985年、後10分の命と言われていたライブエイドの映像でも取り上げられていた赤ちゃんを関係者が探し出してきた。そして2005年ライブ8のイギリスでのコンサート会場に現れた。
 20歳を過ぎたかつての赤ちゃんは美しい女性に成長した姿を会場に披露していた。
 

 こういった演出は、慈善活動というものに参加したものにとって、成果という形になって参加者の満足度と更なる活動意欲の向上に大いに貢献するような気がする。

 所詮は偽善などと批判だけしてなにもしないより、「偽善も善」と割り切ることで具現化出来た「善」のほうがよほど社会的に貢献している気がする。

 彼らの活動ももちろん偽善などではなく、彼ら自身が活動することで多くの支援者の方が寄付したり活動がマスコミに取り上げられることにより活動がより活発化することを願っての行動だと信じることが出来る。


 あと9時間ほどでアメブロのメンテナンス突入ですね。

 たった2日間と少しのことなのにとても長く感じます。


 こんなときは「ワンフレーズで勇気がわく曲」を聴いて過ごそうかなと思います。

 「勇気がわく」というのも変な表現ですが、心が落ち着いたり、リラックスできたりと、いろんな表現方法があり、いろんな感情がわくのですが、集大成していくと「勇気がわく」という表現になりました。


 今cologneが想いつくのはフランク・ミルズ・オーケストラの「愛のオルゴール 」。

 もう一曲はタイトルが限定できなくて、どなたかご存知でしたらcologneに教えてください。

 その曲というのは、毎年7月に開催されるゴルフの「全英オープン選手権」でTV朝日系の中継番組がBGMで流すバグパイプの音色で始まる曲なのです。

 のんびりとしたリンクスの海を眺めるような曲と「勇気がわく」曲の2曲が毎年使われています。

 いろいろ調べてみたのですが曲名が特定できません。


 「愛のオルゴール」は随分前にヒットした曲なのでご存知の方も多いと思いますが、ワンフレーズを聴くだけで総てが聞こえてきたかのようなこの曲は、元気がなくなったときにcologneの頭の中でこの曲の演奏が始まれば、それが復活への合図であるかのように、勇気づけられ元気が出てきます。


 もしよろしければ、この記事を読んでいただいている方の中で「ワンフレーズで勇気がわく曲」がありましたらcologneにも教えていただけないでしょうか。

 そういったいろんな「ワンフレーズで勇気がわく曲」を知ることによって、さまざまな場面で、自分を見失わずにいれることができるなら、それは「音楽」というものの、もっとも素晴らしいさではないかと信じるからです。


 残念ながら今日cologneが帰宅する時間には、既にアメブロのメンテナンス時間帯に入ってしまっていてみなさんから頂いた「コメントや曲」に返事出来なくなっていると思います。


 残念ですが、それらのコメントを拝見できるのは、メンテナンスの終了後の大きな楽しみに取って置かせてください。♪


 今日はスピルバーグの「宇宙戦争」観てきます。 (まるでガキみたいに楽しみにしてます)



 どこまで遡ればいいのかわからない、というのが70年頃から音楽を聴き始めた世代のひとつの大きな疑問ではないでしょうか。

 もちろんそんな理屈っぽいことを抜きにして楽しめればそれでいいのですが、自分の好みの音楽はどういった流れの中から生まれてきたのか、知りたい気持ちがあるのもまた自然な欲求だと考えます。

 そんな大それたことを簡単には究明出来ないので、今日は単純に融合から生まれた名曲をひとつ取り上げます。


 60年代といえば音楽的には完全に後追いでリアルタイムではほとんど知りません。

 それでも代表的な存在として名前を挙げるならビートルズとボブディランではないでしょうか。

 

 世の中にミスターという言葉で始まる多くの曲は60年代に発表されたような気がします。

 しっかり調べたわけではないので誤りがあるかもしれません、ご容赦ください。 

 「ミスター・ムーンライト」「ミスター・ロンリー」「ミスター・タンブリンマン」「ミスター・マンデー」等です。

 今回取り上げるのはザ・バーズの「ミスター・タンブリンマン」。

 去年くらいまでトヨタのCMで流れていたので聴いた方も多いと思います。

 

 彼らの甘い歌声はビートルズを、そして演奏した曲はまさにボブディランのものなのです。

 本来ボブディランのアルバム「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」に収録される予定だったのがトラブルでザ・バーズに回ってきたのです。

 ザ・バーズ自身がビートルズとボブ・ディランの融合によるフォーク・ロック・サウンドの確立を目指していたときだったのでまさにうってつけでした。

 そして曲はボブディランでアレンジをビートルズっぽくすることで1965年「ミスター・タンブリンマン」をひっさげてデビューを飾り、いきなり全米ナンバー1に輝いてしまいました。

 彼らが考えたビートルズとボブ・ディランの融合というアイデアは、もうすでに斬新なものとしてではなくアメリカの大衆が充分に受け入れる体制が出来ていたのも大きな要因であったのかもしれません。


 しかしただ単に時代のトップを走る一人とグループを模倣しただけの曲が偶然全米1位になったり、40年後の今日、CMで聞くことができるでしょうか。

 そこにはボブディランという不世出のフォークシンガーとビートルズ初期のリバプールサウンドがまさに融合し、それをフォーク・ロック・サウンドという形で、見事なまでに完成させたバーズの存在なしにはなしえなかった名曲の誕生といってよいのではないでしょうか。

 

 久しぶりにイギリス話でシンプルなスリップウェアについて書いてみようと思った。


 帝塚山学院大学教授のアリステアシートン 氏のスリップウェア についての講義を昨年受講する機会があった。

 非常に興味深い内容で参考になったので、誰か書かれている人がいないかと思って『アリステアシートン』と『スリップウェア』で検索したら1件だけヒット。


 やったー!と思ったら「I have a dream」

 

 自分のブログの、しかも自分のコメントだった。 orz

 

 Movie Batonなんてのはまだないんだろうけど、もともとcologneが自分の好きな映画を5本選んで勝手に書いてるだけのコーナー。

 そんなコーナーの映画も今日で4作目。

 5作目になる最後の作品は最初から決めてあるから、4作目を何にしようか、結構迷った。

 映画って2時間あまりの中に、100年以上の話があれば一夜の出来事もありで、それがまた自由であることが最大の魅力だと思うし。

 そして、ばかばかしいほどにハッピーエンドがわかっていながら、それを期待して観ている自分自身がまた大好きなのも事実。


 今日はそんな典型的な1989年のアメリカンムービー「恋人たちの予感」

 

 監督 : ロブ・ライナー
 製作 : ロブ・ライナー / アンドリュー・シェインマン
 脚本 : ノーラ・エフロン

 主演 : メグ・ライアン / ビリー・クリスタル

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 大学を卒業したばかりの友人の友人だったハリーとサリーが喧嘩別れし、5年後に再会してからもいろいろな紆余曲折の末に恋人になるまでを描いたものだが、ロブ・ロイナーは「スタンド・バイ・ミー」と同様に、少年のような目線でわかりやすく(悪く言えばガキっぽく)描いている。

 メグ・ライアンが可愛く、それが映画の大きな魅力ではあるが、この作品以降あまりにも定番化してしまったことが、彼女の女優としての幅を広げることを妨げる作品になってしまった部分については、残念な気もする。まあそれほどはまり役だったということか。

 ビリー・クリスタルもこの役意向、メグライアン同様にイメージチェンジしようともがいたが、男優だけにより厳しい現実に直面しているようだ。

 でも後何年か後全く面影を残さない形でスクリーンの前に現れるような気がする。

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cologne世代にはアートガーファンクルとイメージがだぶってしまうのもマイナス要素かも。


ビリー・クリスタル アートガーファンクル  

 ビリー・クリスタル          アート・ガーファンクル


 今日、6月29日は彼女の誕生日。

 よろしかったら、親ばか親父cologneの思い出話におつきあいください。

  

 思い出は語りつくせないくらいあるはずだけど、今思い出せるのは彼女が高校1年生で誕生日を迎える日、誕生日の前日に、当時の関西デジタルホンで携帯電話を購入し、電源を入れた状態で彼女のベッドの下に箱のまま見えないように隠して置いた。

 午前0時になり、日付が変わると同時にベッドの下に置いた彼女の携帯に電話する。

 最初は何の音かわからない彼女も着信音だと気がついて喜びの表情にかわる。

 くさい演出する変な親父、ひとつ違いの弟から笑われながらも満足した日。


 同じ年、自転車で10kmの距離を高校まで毎日通学していた彼女が、原付免許をとって原チャリで通学したいという。

 高校はバイク通学どころか、在校中の免許取得も校則で禁止している。

 以下は当時の父娘の会話。


 「原チャリはどこに置くつもりやねん」

 

 「学校のすぐ近くに友達の家があるからそこに置かせてもらう」

 

 「友達と親に了解はもらってるんか?」

  

 「おばちゃんも、置いといてもいいよって言ってくれてる」

  

 「わかった、そのかわりもし学校にばれるようなことがあっても、絶対に置かせてもらう友達の名前は出すな、それとバイク通学してることも否定しろ、バイクつきつけられても、知りませんてシラきり通せ。」

 「出来るか?」

 

 「わかった」

 

 「悪いことするときはな、最後までやりぬく決意がないなら、最初から悪いことしたらあかんねん」

 「ただお前が今からすることは校則違反かもしれんけど、学校にとって都合が悪いだけで何も悪いことやないからな。こんな在校中だけ免許取得禁止なんて校則は、在校中に問題をおこされたら困るという教師の都合だけで、生徒のためを思って作った校則やないからな、破ってもかめへん、お前の親が許す。」

 「ただし、さっきも言ったようになにがあってもとぼけろ、親が学校に頭下げたら済むことやから。」

 

 「わかった、絶対そうする。」

 


 そうやって3年間、彼女は10km先の高校へ通いました。

 さらに20km先の短大にも原チャリで通いました。

 そんな彼女も卒業後は幼稚園の先生を経て、今は弁護士事務所でパラリーガルとして北浜にある弁護士事務所に勤務しています。


 もう今日で23歳、もう一人暮らしでもなんでもいいから、早く家を出て行ってくれ。

 自分の家の子供っていい親で幸せだろうな。


 親ばか話におつきあいくださり、ありがとうございます。


 猫も 疲れりゃ テーブルで寝る ってか!

 夏バテの猫cologne

 猫COLOGNE毛皮のコート着てるから暑さに弱いです

 ご先祖さまはスコットランドですし・・・。

 今日はこのまま冷たいテーブルで寝かせてあげよう。