「勉強法」を語れるほど、勉強家でもないし、その成果もたいしたものではないのだけれども、自分なりのやり方と言うのはあるので、書いてみる。



「教えることは学ぶことに通ず」



誰が言ったのかはわからないけど、大切なこと。
もっと極端に、むしろこういいたい。



「教えられて初めて学べたと言える」



欧米では大学の試験などはペーパーテストだけでなく、口頭試問を行うことが多いと聞く。
何かについて、とっさに説明できて、初めて理解できていると判定するわけだ。


予め質問の一覧を用意して、対応を決めてから討論を行う日本の議会が恥ずかしくなるような話だ。


さて、何かについて自分なりの意見をもったり、新しいことを勉強してそれを積極的に理解しようとするとき、私はそのことを口に出して説明しようとすると言うトレーニングをする。


トレーニングなどと言ってみたけれども、ようするに、「独り言」でしかない。


何分、独身独居独立事業者。週の9割以上の時間は一人で過ごしている訳で、独り言を言う時間には事欠かない。トイレで、お風呂で、ベッドの上で、誰かに向かって、時には具体的な人物に説明することを想定して、何かについて説明してみる。


別に意識的にトレーニングしていると言うよりも、その時思いついたことを口にする。


勉強のために本を読んだときなどは、一区切りごとに、その内容について説明してみたり、自分の感想やそこから得た考え方を説明してみる。人に説明できる形で頭の中に情報を書き込むというのは極めて重要なことだ。


これは、単に勉強だけでなくて、プレゼンテーションや面接などで人としゃべるための練習にもなる。丸暗記とは違って、こういうことを日常的に行っていると、質問されたときや、何かの意見を述べるときに、とっさに理路整然とした説明をする能力が磨かれていく。



寂しい独り身ゆえの暇つぶしでしかないのだけれども、これは本当にお勧めの方法。


ただし、決して文字にしたものを音読してはいけない。文章を暗記するのが目的ではなくて、文章にして表現する内容を覚えることと、それを文章化する過程を身につけることが大事なので、言うべき内容を書き出してしまってはトレーニングにならない。

しいて言うなら、項目を箇条書きに書き出すくらいはOK。プレゼンや会議のときにもそういうものは用意しておくことができるから。

でも、そういう準備もなしに、日常的に、ケータイをいじるのと同じ程度の頻度でできるからこそ、この勉強法には意味があると思う。


と言っても、私のように「いつも一人」と言う人でもない限り、頻繁にこれをやると周囲から奇異の視線を注がれることは間違いないので、そういう人は、小声で練習するか、口には出さずにあくまで頭の中で説明を試みると言うことを行う。頭の中でやる場合は特に「誰か具体的な人物」が目の前にいることを想定することが大事になる。相手から質問が帰ってくるのも想定するとなおいい。脳内リハーサルとでも言うべきか。


これだと、通勤中の電車の中、歩いている最中、ご飯を食べながら、お酒を呑みながら、つまらない講義やセミナーを聴きながら、実りのない会議に出席しながら、いつでも出来てしまう。口に出して行うことは、実際にそれを説明する機会に恵まれたときに極めて有効なので、できればやっておいた方がいいけれども、脳内リハーサルでも十分力を発揮する。


是非、お試しあれ。


書き捨て御免!
ふと、思いついたというか、今までも考えていたこと。


ITバブル期にはパソコンとインターネットの普及によって、オフィスから紙がなくなるのではないかって話がまことしやかに言われていましたが、事実はむしろ紙の使用量は増えてるんじゃないかとすら言われています。

じゃあ、本当にペーパーレス化するためには何が必要かってことを考えてみました。



まずは、「パソコンでは実現できない(しずらい)紙の機能や特徴」を考えてみました。


1.低コスト
2.薄くて軽い
3.はさみで好きな大きさに切れる
4.筆記用具ですぐに情報を書き込める
5.画鋲、セロテープなどで壁などに貼り付けられる
6.クリップなどでまとめておける


まず、コストについては、基本的にどんな技術でも、本気で需要ありとなれば、いずれは低コストになっていくもの。なので、ここでは特に言及しないことにします。



2の薄くて軽い。最近の動向は知らないのですが、「紙のように薄くて丸めることすら出来る液晶」って言うのが確か開発されていました。どれぐらい実用化されているのかは知りませんし、おそらく高いコストが掛かるのだと思うのですが、とりあえず、こいつをベースに3以降の機能が実装できれば、目的は達成できそうです。

4を実現するためには、その紙のような液晶が画面だけでなく、入力デバイスを兼ねたものにならなければいけません。iPhoneみたいにレスポンス良く反応してくれる感じで、おそらくは指よりもペン型のデバイスを使うものの方がいいでしょう。

3と5と6ができれば完璧です。まあ、画鋲はともかくセロテープはどうにかなりそうです。クリップも素材の郷土次第ですが大丈夫でしょう。難しそうなのは、「切っても使える」ことですね。好きな大きさに切って、その大きさで使えて、例えば半分に切ったら、両方とも使えるって代物じゃないといけません。これは結構厳しいかも・・・。



もちろん、単に画像や絵をかけて、表示できるだけでなく、パソコンとの連携は不可欠です。「切っても使える」がものすごくネックですが、これができれば、例えば・・・

・写真(低コストのデジタルフォトフレームでしかないですが)
・カレンダー
・メモ用紙・メモ帳
・計画表など仕事上常に見えるところにおいておきたい資料
・仕様書など目を通しながらパソコンを操作するのに使う資料

などが、紙を使っているのと同じ要領で実現できることになります。
そして、紙と違って完全に再利用可能なので、エコでもあるということになります。

紙のコストが性格につかめませんが、大雑把にA4大100枚1万円程度なら、
再利用できることも加味すれば、コストが合うんじゃないかと思います。


実際、今までパソコンの導入によってペーパーレス化を図れなかった、
仕事上結局資料を印刷してしまう理由は、「ディスプレイの大きさの制限」と「書くときの手軽さ」であると思っています。

ものすごく巨大なディスプレイを持っていたり、一人で2,3枚のディスプレイを使える状態なら、印刷する必要はだいぶなくなります。(自宅は21インチワイド+17インチですが、資料を印刷することは滅多にありません)しかし、日本のオフィス事情では一人2枚以上のディスプレイを設置するのは難しそうです。



「書くときの手軽さ」は今のところ、紙と黒板やホワイトボードを上回るものはありません。
キーボードから文字を入力するには両手が必要ですし、エディタなりワープロなり、書き込むためのソフトを立ち上げなければなりません。

メモ帳やノート、裏紙を机においていないデスクワーカーは、トンマな新社会人か、電話すら取らない窓際族だけですね。



上のことが出来るようになると、紙の存在意義は、コストの低下によって解消可能ではあるかもしれませんが、手紙や名刺などの「送る紙」と、簡単に複製できてはいけない、署名つきの文書類ぐらいになるんではないかと思います。


はい。たいして面白くないこと書きました。書き捨て御免!
こちらのブログもすっかり放置気味でした。

忙しいと言うのもあったんですが、意識していないとネタがなくって書かなくなってしまう。
そして、ほとんどであるかない私には、ネタになるような出来事はまったくと言っていいほどないわけで。



さて、放置と言えばあまりにもがなく放置し、かなりお恥ずかしい状態になっていた、
コラボロジックのWebページをリニューアルしました。

WordPressでとか、自家製のCMSでとか、そういうことを考えていて、
ずるずると先延ばしになっていたものですから、
とりあえず、形にすることが大事!と思いなおして、ざっと静的HTMLにしちゃいました。



デザインが苦手と言うことは露呈するかもしれませんが、
まあ、以前に比べればはるかにマシと言うことで。

http://collabologic.jp
思い立って、ブログのタイトルを、


Collabologic Report 「書き捨て御免!」


に変更しました。

最初はまじめな仕事の話をまじめに書いていこうと思ったんですが、
そんなに毎日論旨を組み立てて、理屈を展開した文章を書く気力も続かず・・・。


まとまらないときは、まとまらないまま投稿しちゃえっ!ってことで、、
「書き捨て御免!」でございます。


もちょっとだけ、気楽なブログにしようと思います。
昼ごはんを食べに行ったお店で読んだ新聞にちょっと気になる記事があった。
テレワークやSOHOに関する啓発の記事だ。


私が関係しているプロジェクトの問題意識と基本的には同じ目線の記事だがちょっとだけ違和感があった。


非雇用モデルのSOHOが労働基準法、家内労働法双方の適用範囲から外れていることで、職業生活の選択肢としてリスクが高くなっていると言うものだ。

総務省もテレワークの推進と言うことで様々な形で、この問題に取り組んでいる姿勢は見える。


確かに、私も労働基準法にも家内労働法にも保護されていない。不便や不安を感じることは確かにあるのだが、一方で、「雇用されない生き方」を選択していると言う自覚があり、少なくとも労働基準法の適用範囲に含められることには抵抗がある。


果たしてSOHOと言うのは、「在宅の労働者」なのだろうか?


自分としては、小なりと言えども経営者、少なくとも自営業者として意識している。


だから、SOHOが労働基準法や家内労働法の保護の下にないことを問題とするならば、自営業者全般にそうした保護や保障のないことを問題にしなければならないと思う。居酒屋のマスターも、スナックのママも、流しのとび職のおじさんも、トラックの運転手さんにだって、自営業者が居るわけで、そうした働き方に対して、何の保護もないということが問題になるのではないだろうか?



私は最近、自分の仕事について「在宅」と言う言葉を使うことを辞めている。自宅で仕事をしているのだから、「在宅」なのだが、「在宅」と言う言葉を使った場合、雇用モデルのテレワークを想起しがちな気がするからだ。


実際には、「SOHO」と言った場合にも雇用モデルで実施されていることはある。


だから、気持ち的には私は「SOHO」と言う言葉もあまり使いたくなくて、「フリーランス」か「個人でWebシステム開発を手がけております。」と言う言葉で自分の職業を説明している。

本当は「フリーランス」と言った場合には、私のような職業の場合、個人として企業と業務委託契約を結び、客先に常駐して、従業員と同じように作業に従事するタイプの事業主をさすことも多く、やはり、あまりしっくりくる言葉ではないのだが、他にぴったり来るような言い方が思いつかないので、妥協的に「フリーランスのプログラマ」とか「フリーランスエンジニア」と言う言葉を使っている。


「フリーランス」については、一つ思い出したことがある。

私が現場作業をやめて今の形に変え始めたころ、急にフリーランスが現場に入りにくくなったことがあった。


大手が下請けに対して、フリーランスに足して第3者委託をすることを受け入れないと言う通達をしたことから、そういう事態になったとのこと。

このような動きになった理由には二つあると思う。


1.ISO90001やISMSなどの認定に関心が高まり、やり取りが煩雑になりがちな、個人との業務請負契約を避けるようになった
2.多重派遣や偽装請負の問題がクローズアップされたため、業務委託の契約のあり方を見直すため

1についてはわからなくもない。これはフリーランス側の対応にも問題があったから、致し方ない気もする。しかし、2番については疑問符が付くのだ。


フリーランスは個人事業主である。誰にも「雇用」されていない。常駐での業務委託先の下請け会社がフリーランスにさらに業務委託した場合は多重派遣とはならない。そもそもが派遣の契約にはならず、もともとの委託元の会社が第3者委託をさせない契約条件にしていなければ、この形自体には問題がないはずである。


うがった見方ではあるが、大手企業は多重派遣や偽装請負の問題について、過剰反応してしまったのではないか思っている。一方で、実際にはやたらと商流の深い案件や多重派遣、偽装請負と言った形は未だに解消されていない部分も多いのだが。



話がだいぶそれたが、「個人で事業を起こす」と言うのは、実は経済的に「しぶとい」社会を作るためには奨励すべきことではないかと私は考えている。大手企業が寡占状態でいる産業では、その大手が「大ポカ」をやってしまって破綻すると、一気に業界ごと沈没したり、経済に大きな打撃を与えてしまったりすることがあり、「代わりもいない」ので、結局国が税金を使って尻拭いをするということになり勝ちだ。

個人事業や中小零細企業が増加し、力を持つことで、「いつでも大手に取って代われる」2軍選手が用意され、そうした事態に対しても、社会として対応できるようになるのではないかと思うからだ。

資本主義経済を「弱肉強食」「自然淘汰」のメタファーで語るのならば、社会の進化には「多様性」が不可欠のものとなる。大手企業しか手を出せない産業と言うのは、多様性がなく、したがって環境の変化によって、その大手が淘汰されると、何も残らないと言うことになる。


雇用モデルのSOHOでは、事業の主体になるのは結局企業であって、SOHOで働く人は「在宅の従業員」でしかない。雇い主が倒れれば、共倒れせざるを得ない存在である。


これからの社会で必要なSOHO、テレワーカとは、個人事業主や一人社長であって、推進するためには、個人事業主全般に対する一定の社会保障が必要なのではないかと思うのだ。




あんまりうまくまとまりませんでした。書き捨て御免!