大人発達障害女子、たぶんこれが私の生きる道☆ -15ページ目

大人発達障害女子、たぶんこれが私の生きる道☆

未診断ですが、発達障害の疑い極めて濃厚(^^;
今後一年ちょっとくらいで人生岐路かなぁと思うので、記録を付けたいと思います。

子供が欲しくない理由をずいぶん引っ張ってしまいました。


以前は一緒に子供の名前について(彼氏の話に乗って)

話してさえいた私ですが、「発達障害は遺伝する」

という話をして以来、なんとな~く

子供欲しくないということは匂わせていて、

最近は彼氏もあまりその話をしなくなりました。


一度、「その件は今度ゆっくり話そう」と彼氏が言ってた

こともあるので、向こうもあまり触れたくない話題なのかも。

(もう半年くらい前だけど、未だその”今度”は来ず)


ちなみに彼氏とは、理屈っぽいところが合います(笑)

例えばお互い違うことを主張していて口論になっても、

どちらか一方が納得できる筋道だった理由や論理を

主張すれば、「なるほど」とあっさり納得できるんです。


逆にうちの母親は理屈や筋道が通じない

感情タイプで、理論的に話そうとすると

「理論的である」ということにまず嫌悪感を示され、

批判されるので、話が全く進みません。

彼女の感情にその都度従うしかないのです。

たまに、独身主義の(極端な)男性で、

以下のような主張を目にします。


「専業主婦希望の女なんて寄生虫。結婚は奴隷契約」


なんだそりゃ、って思います。

家事育児労働というものをわかっていないですね。


私が子供を持つことは負担の方が大きいと

書いたのは、こういう意味ではありません。


私は、勉強中の資格が取れれば彼氏より

稼ぎはよくなるかもしれません。

もし結婚したとして、彼氏が体調を崩すとか

仕事がうまくいかなかったという場合になれば、

がんばって私が養いたいと思っています。


お互い自分の意思で選んだ相手です。

相手を尊重し、力を合わせて生きていくのが

夫婦だと思います。


そういう関係は本当にステキだと思うし憧れるんです。


ただ、子供の場合は「力を合わせて共に生きていく」

のではなく、ひたすらに親は与え、

子供はやがて別の人生を歩み離れていくわけですよね。

子供は、自分とは全然気の合わない宇宙人のような

人間に成長するかもしれないのに。(うちのように)


自分の意思で選んだ気の合うすばらしい人ではなく、

宇宙人にひたすら滅私奉公し、お金と時間と労力を

捧げまくり、やがては自分から離れていく。


それはちょっと、あまり魅力に感じません。

与えるだけと言っても代々繰り返されることなのだ、

といわれるかもしれませんが、

自分が親にしてもらったことを考えると、

これまたしんどい思いや辛いこともありあまっていて、

それを恩義として苦労して次世代に返そうとも思えません。


母も子育てに大変なことはあったでしょう。

母にとって私が宇宙人だったので、

ハズレクジ引いたのかもしれません。

でも、子供を作るのは宇宙人だろうが

重い病気を持った子だろうが、大きな責任は生じるのです。

ハズレだったからといって放棄されては困ります。

残念ながら頑張ったという事実だけでは、

何にもなりません。それが無意味な、あるいは間違った

頑張りであった場合、頑張ったことは免罪符になりません。


汗水たらして必死になって空き地に大きな穴を掘り、

次の日は一生懸命頑張ってその穴を埋めたとしても、

その頑張りは残念ながら何にもならないことであり、

別に評価もされなければ、見返りもないでしょう。

むしろ、そこにいた虫や植物が死んでしまったという

弊害だけが残るのかも。


だから私は、初めからその選択をしないでいた方が、

自分は幸福で満足な人生が歩めると思うんです。

こうして親子関係をドライに理解してしまうと、

子供を持つ意義って何だろう?と思えてくる。


ネットで若い母親の声を聞くと、子育ての負担の大きさに

驚かされる。そして彼女らは、口々に

「子供を持つこと=手放しの幸せ」という風潮があって、

こんなに大変だと知らなかった、と言う。


もちろん大多数が「でも可愛い、愛している」が

上回っているようだが。


子供を持つと、特に母親は周り中から子供のために

滅私奉公で生きることを要求されるらしい。

しかし、「子供は親の所有物ではなく、別人格、別の人生」

とも言われる。(当たり前だけど)

中高生ともなれば子供の頭の中は学校や自分の友達で

いっぱいになり、家族のポジションは相対的に下がっていく

ことが多いだろう。

(湊かなえの「告白」に出てくる下村少年の心理と行動は、

実に生々しい中学生の現実じゃないかと思う。

以下の空欄を反転すると、「告白」のネタバレがあります

家族にHIVがうつらないように必死だったのは、家族への愛

ではなく、自分の安定した生活を崩さないために、

親には健康でいてもらわないと困るからだったという描写がある。

中学生の心理ってそういう感じではないかと思う


その過程でも、子供中心に子供の幸せを第一に考えることが

求められ、お金も非常にたくさんかかる。

自由も時間もお金も子供のために

とんでもなく割かねばならない。


大人になって独立すれば親孝行に目覚める人も多いだろうが、

介護や同居となると、実親でも手放しに喜ぶわけでもないらしい。

つまり、親より大切なものが、当然ながら色々出てくる。


ちなみに、子供を持つ幸せとして、「乳幼児期に無条件に絶対的に

自分(母親)を愛してくれること。」を挙げる人も多い。

「こんなに100%の愛情を注がれることは、人生で他にない」

らしい。

でも、個人的にはこれにも懐疑的です。

だって、乳幼児は本能的に生存のために必要だから母親を

求めているだけでしょ?

それを、「顔を真っ赤にして声が枯れるほど泣き叫び、

体をのけぞらせて「ママ~」と自分に向かって手を伸ばす」

という人間らしい愛らしい姿で行なうからなんとなく

情にほだされるのかもしれないが、あくまで乳幼児は

己の生存に必要な相手を確保しようと本能でそうしているに

過ぎないんじゃないだろうか。

それって、愛情なの…?愛ってそういう類のもの??


こうして考えると、トータルでは負担が多すぎるように思える。

子供のいる人生で、幸せファクターと負担ファクターを比べた場合、

後者の方がよっぽど大きいように、個人的には見えてしまう。


もちろん、女には肉体的ダメージもあります。

何事もないように見えても腰痛持ちになるとか、

慢性的ダメージを残すことも少なくないようです。


さて、この負担に加え、ドライな親子関係の認識に加え、

厄介な脳機能が遺伝しかねないという心配を加えると、

自ずと子供は持ちたくないという結論に至りました。


もし反論してくれる人がいたら、ぜひお願いします。

納得せざるを得ないような力強い反論があれば、

私も人生少しは変わるかもしれないし。


駄文長々とお付き合いありがとうございました。

(読んでくれた人は果たしているかな・笑)