東京は急に寒くなりましたね、
・・・横浜も寒い。笑

お友達のお誕生日をお祝いしてきました。
ビル風が余計に寒い・・・
そういやあワタシは
誕生日に祝ってもらったり
プレゼントをもらったり、
そもそも親が誕生日を祝ってくれる・・・
なんてのがありませんでした。
妹が生まれるまで。
あくまでも妹が生まれたからそういうのをやるようになったので
ワタシが単独で生きていた5~6年の間はなにもなし。
元から毒両親にはそういう気持ちも、習慣もなく
特に毒父ですが、
「誕生日なんてくだらないものは幼児がやることだ」
というひねくれた封建的な考えを持っていましたから。
(毒父自身が養子のため、継母から虐待を受けていたので
当然誕生日なんてないも同然だったのでしょう、
誕生日自体もその日が本物かどうかわからないそうです。)
小学校のお友達はクラスメートを呼んで誕生会したり
みーんな当たり前に親からプレゼントもらったりしてましたけど
ワタシは祖父母から何かくれていた記憶が少しある程度。
妹が生まれて急に子煩悩になった毒母が
物心ついてわかるようになった妹のために誕生会をやるようになって
(妹の手前仕方なく)ワタシの時もやらざるをえなくなったようですが
つまりワタシの場合は自分がかなり大人になってからです、
家族でその日にご飯食べたりするようになったのは。
それでも毎回毎回、
毒父に嫌味を言われていました、
こんな年になってまで誕生日とかくだらねえ
(こんな年って、当時ワタシ中学生ですw)
こんなものは子供のやることなんだ、いつまでやってるんだ、
(ってまだ中学生は子供だと思いますがw)
と、誕生日が来るたびに言われたので
なんとなく常に肩身が狭いというか
やってはいけないことをやっているんだという意識でいましたので
妹は小さいから祝っていい、自分はもう大きいから祝ってはいけない
とずっと思いながら、でも外の世界の人たちとのギャップを感じながら
(外ではみんな大人になってもパーティとかやってるのに
なぜ自分はダメなんだろうという疑問)
あ、
でも誕生日だからといってワタシの大好物が食卓に並ぶわけではなく
「妹が食べられるもの」「妹の好物」
が並ぶのですけどね。笑
そうこうしているうちにワタシがティーンになり
外部の情報を得たり、海外に行ったり
色々な人に会い話を聞き、弁が立つようになり
「うちが変なんだ」とわかってから
「誕生日を祝うのがなぜ悪い?
家族のひとりがこの世に生を受けた大事な日なのではないか、
それをいくつになっても祝うことは悪いことではないだろう」
と、
やつらの前で堂々と弁論し
「たとえ100歳になってもワタシは自分の誕生日を堂々と祝う、
何歳だから変だとかおかしいとかそんな固定観念ワタシは持たない。
世の中はそんなじゃない、おかしいのはモマエらだ。
人が簡単に生まれると思うなよ、ひとり出てくるのは大変なことなのだ、
これは喜ばしいことだし祝っていいはずだ、
モマエらがやりたくないならワタシのは祝わなくていい、
でもワタシだけはあんたらの誕生日を忘れずに死ぬ手前まで祝ってやる」
と宣言し
くだらない、だ、なんだと反論してくる毒父を論破し
やっとうちという家庭に「誕生日には集まって飯を食う」
という習慣を定着させたのです。
つまり、ワタシがもたらしたんです、あの家に、
その当たり前の感覚や習慣を。
ワタシは常にヤングケアラーとしての役目も果たしながら
「世の中はこうなんだよ」
という情報を常に彼らに与え、
新しいものや習慣を取り込んだりして
あの家に変化をもたらしていました。
イベントごとだとか季節の何かとか
他のご家庭では当たり前にやっていた習慣や事柄を
持ち込んだのは全部ワタシです。
だから妹は
当たり前の家庭のような感じに思って生きていたと思いますが
実は全部ワタシがもたらした変貌なのでした。
ワタシがいなかったらなーーんにもしない家庭だったでしょうね。
もちろん、
世の中には別にうちみたいな毒両親でなくとも
イベントごとや誕生日みたいなものに無頓着なご家庭もあるとは思いますし
それはその方たちが納得していればもちろんOKです、
ただワタシは誰かひとりの人間が偶然にも、
たまたま、もしくは運命的に、
この世に生を受けたのだからめでたいと思います。
健康でその年まで生きてこれたことを喜ぶことの
何がいけないんでしょう。
毒母の方はちなみに、
祝う気持ちがなかったというか、誕生日は
「悪」
そのものでした。彼女にとっては。
「誕生日=自分がひとつ老化するとんでもない地獄の日」
というくくりの認識でしたので
めでたいはずもなく。笑
毒父毒母、
それぞれ別の理由で誕生日を毛嫌いしていたのです。
幼少期の自分は、毒親たちの顔色だけをうかがって生きていましたが
色々なものを取り入れ、
持ち込んで、
家の雰囲気を明るくしたり笑いをもたらしていたのは
実は全部ワタシでした。
あとになって考えてそういうことがわかりました。
確かにワタシはピエロな役割でしたが
重大な役割を担っていたと思います、我ながら。
ワタシがいたからみんなげらげら笑っていましたね。
面白いことを言ったりやったりして
毒両親と妹をいつも笑わせていたのはこのワタシ。
こんな面白いものがあるよ、
こんな場所があるんだよ、
行ってみようよ、楽しいよ?
と誘って尻を叩いて皆を動かしていたのもワタシだし
新しい風を常に持ち込んでいたのもワタシ。
妹はそこに気づいてないと思います。
ワタシが実家に近寄らなくなってから
あの家から笑い声が漏れることはなくなりました。
妹も不機嫌の骨頂な人間ですから
立ち寄ってもさっと用事だけ済ませて帰ってしまうそうで
ワタシが一緒だったからおもしろおかしく過ごせていただけで
彼女単体では笑いをもたらすことはできないのです。