↑こちらの続きです♡






私と彼(恋人)は、
ネットで出逢って、遠距離で、
直接逢ったことが
1回しかないんだけど、


それでも
運命の人って思ったのは
理由があって、





生身の彼を見ていたときに、
なぜか分からないけど、


突然、
自分の、今までの人生が
全肯定
されたかのような、
強烈な光を感じたんだよね。



それは、
彼が努力して立派に生きてるから、とか
何かをしてくれたからから、
言ってくれたからとか、
めっちゃ私を好きになってくれたから、とか
そういう相対的なことじゃなくて、



ありとあらゆる
理屈をすっ飛ばして、



「ああ、私の人生、
今まで色々あったけど、
何ひとつ、
間違っていなかったんだ。」





「この人に出逢えた。
それだけで、
なんて素晴らしい人生だったんだ」






って、
絶対的なその存在だけで、
やばいくらいの強さで思わされた。


今でも、
その時の感覚、
その時の光の感じとかが、
鮮明に思い出せるほど。


すごく神秘的で、
センセーショナルな
体験だった。




それからずっと、
彼のことが頭から
離れなくなってしまったのだけど、


「彼」のことが忘れられないのか、
彼を通して感じたその「光」
忘れられないのか?


いまだにどっか
悩んでるとこある。笑


でも、
特別な出逢いで
あることは
間違いないよね。







今日は
前回の記事の続きで、



この奇跡的な出逢いの前に
私がしてたことその②。



2:今生きている現実に感謝した





この記事でも
書いたのだけど、


彼に出逢う前の私は
大絶望状態
で。

フリーランスとして2年、
がむしゃらに
頑張ってきたつもりだったのだけど、


気づいたら、


・思うように稼げない

・心を開いて話せる人が誰もいない

・SNSで何か発信しても、
全く手応えがない

・他人
(特に、優秀な女の子の知人たち)
自分を比較して、
自分の至らなさにがっかりする

・住環境にストレスを感じつつ、そこから出られない
(鍵のないシェアハウスだったり、
急に知らない人が泊まりに来たり、
シェアメイトの家の使い方にイライラしたり、
外を野生のイノシシが毎日普通に歩いていたり)


という感覚で
生きていて、


リアルに、
「生きてる意味、なんだろう・・・」
って毎日悩んでるような
状態だったんだよね。





加えて、千葉県を襲った
9月の台風15号で、
電気・ガス・水道・
鉄道・携帯の電波・物流

が全て止まり、
東京で
知人の家を転々とするという経験をして、


金谷の現状。台風15号の記録。


「こんな生き方が
したいんじゃないのに!」



「私は、
いざとなったら、誰かを
受け入れられるくらいの、
余裕がある人でいたいのに、


ものすごく人に気を遣って
人様のご厄介になっている
この現状はなんなんだ?」



っていう、憤りを
ものすごく自分に対して
感じたんだ。


「理想の自分」と、
「現実の自分」の
距離が遠すぎて、


完全に未来が見えない


というか、
真っ暗な闇の中に
落ちてしまったかのような
感覚さえ抱いていた。




ここからどうやって
回復していったか、
なのだけど。






いったん、お寿司休憩はさもうか。











まず、絶望を
「良いもの」
として、
とらえ直したんだよね。


実は、そういう
悲劇的な感情は、
私の中に、
もともとあった。


それと向き合うのが
怖いから、


ずっと
見ないように、
気づかないように
してきて、


だから、
「忘れられたくない」
という
潜在的な
もう一人の自分からの
メッセージとして、


その感情を
感じさせる現実が
目の前に
現れていた。


という、構造。



そこに気づいてから、
まずは、


しっかりと、その、
今まで感じて来なかった
「絶望」を感じることに
徹した。


この際、なぜ
その絶望を
抱えることになったのか?
は、どうでもよくて。


(親の体内記憶遺伝説とか、
生まれる前から説とか、
色々あるよね)



まずは自分から出てくる
未消化の感情を、


「悲しかったよね。」

「辛かったよね。」



って、自分の中の
もう一人の誰かに
受け止めてもらうような感覚で
全部聞いた。



気づいたかな?


実は、さっきのこれ↓




・思うように稼げない

・心を開いて話せる人が誰もいない

・SNSで何か発信しても、
全く手応えがない

・他人
(特に、優秀な女の子の知人たち)
自分を比較して、
自分の至らなさにがっかりする

・住環境にストレスを感じつつ、そこから出られない
(鍵のないシェアハウスだったり、
急に知らない人が泊まりに来たり、
シェアメイトの家の使い方にイライラしたり、
外を野生のイノシシが毎日普通に歩いていたり)






全部、
「私の感じ方」がそれを
問題として
感じさせていたということ。


同じ状況を体験しても、
それを悲しい、腹立たしいと
思わない人もいる。


それは、単純に
「意識の違い」
なんだよね。


悲劇的な感情
それ自体が
悪いものではない。


それを「悪いものだ」
と判断する
心があるだけなのだ。






そうして、
絶望を絶望のまま
受け止められるように
なった時、


次に意識的にしたのは
「現状に感謝をする」
ということだった。


ちょっとひねくれた
言い方をすると、
「自分は最高」と思うのも
「最悪」と思うのも
どちらも妄想でしかないけど、


「今、生きてること」


は、
紛れもない事実じゃん?





いろんな
絶望的な経験をしてきて、
もしかしたら
死んじゃうかもしれない時だって
あったかもしれない。


てか、人間、
いつ死ぬかわからない。


そんな中で、
自分の命が今、あるってことは


「よくやってきた」



っていう、
何よりの証拠だと思う。



(念の為書いておきますが、
亡くなった方に対しての
意図は一切ないです。


その方にはその方の、
生き方があったと思います。
そしてそれは、
どんなものであったとしても
素晴らしいです)





だから、
自分の今の収入、
自分の周りにいてくれている人、
自分の周りにいる優秀な知り合い、
自分の住環境、


そういうものに目を向けて
ひとつひとつ
感謝していくことを
ノートに向かって
やっていったんだ。

















こういうのを
繰り返していったら、


ギリギリでも、
暮らせていけてる収入があること。


何かあったら
助けてくれる仲間たちがいること。


そういうのが、
少しずつ見えてきて、


目の前の
闇が晴れていった。


それからだったんだ。


今の彼と、連絡を
取り合うようになったのは。
(向こうから連絡がきた)










今回の話の
ポイントは、
いきなり「感謝」から
入らないこと。



「感謝しなきゃ」
っていうエネルギーは
どこか自己犠牲的というか、


やっぱり自分のことを
無視してることに
代わりはなくて。


感謝って、
しなきゃと思ってする行為じゃなく


「私って恵まれてるな♡」
っていう満たされ感から
自然と湧いてくるもの。


だから、絶対
現実を見つめることが
先なのです。




あ、だから、
「俺(私)にもっと
感謝しろ」

っていう人間からは
秒で離れようね。笑

そういう
依存心のかたまりと一緒にいても
自己犠牲がつのって
共依存に陥るだけだから。






目の前の現実に
「愛」
を見つけよう。


そうしたら、
必ず、


強烈な闇の後に、
強烈な光の体験を
することになるよ。









その③は
次回の記事へ続きます♡











COKO






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