議論の流れで、必要となれば石橋首相のアイデアを、党の決定ではなくアイデア段階だと前置きして、開示してよいとの了承は得ていた。
畠中は石橋のアイデアを話すことにした。
「社会が複雑化してカオスとなっている昨今、政治家の唱える政策がもたらす結果は、直近のことはわかっても将来的にどうなるかは専門家でも予測が難しくなっています。いわんや一般国民をや、です。そうした先の読めない社会では、民主主義は、目先の利益で有権者を誘導するポピュリズムに走りやすく、将来に禍根を残すことになりかねないということに、石橋党首は強い懸念を抱いていました。そこで、経済予測を研究する研究機関に今以上の予算をつけて、将来まで見据えた投票行動を可能とするような環境づくりを考えられています」
保守党議員がすぐに反応した。
「経済予測のシミュレーションは保守党政権時代にもやっていました。大学の経済学部でも政府系のシンクタンクでも、最新のシミュレーション手法であるDSGEモデルも使って実施してきました。特に目新しい取り組みとも思えませんが」
「今までの取り組みでは不十分だということでしょうか」と、司会者。
「経済予測のシミュレーションが各方面で行われていることは党首もよく承知しています。それが、有権者の参考になるような形で生かされていれば、改めてこのような提案をすることはないのですが、残念ながらそのような話は聞いたことがありません。なぜ経済予測が生かされていないのか、その点を問題視ているのです」
「なぜ経済予測が生かされていないとお考えなのでしょうか」と、司会者。
「一言で言ってしまえば、与党が政策を決めるときの判断基準は、国民にとって最適かどうかではなく、党にとって最適かどうかだったからです。だからといって、国民を無視していたというわけではありません。ただ、国民のためを思ってというよりも、国民のためを思っているように見えることに重きが置かれていたのではないかという心象を持ちました」
保守党議員はいわれなき批判にさらされたと感じ、黙っているわけにはいかなかった。
「保守党政権のときに、国民のためを思って取り組んでいた政策がおためごかしだったと言っているように聞こえますが、そんなエビデンスがあるんでしょうか」
「私は何も決めつけて言っているわけではありません。そのような心象を持ったと言っているだけです。そのような心象を強めたきっかけはあります。保守党の重鎮から、『ヒットラーが、民主的手続きでワイマール憲法をナチス憲法に変えた手口を学んだらどうか』とか、『民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず』とかの発言を聞いた時です。発言内容もさることながら、その後も党の要職に居座り続けたことの方が驚きでしたね」
質問した保守党議員も、そのときの重鎮の発言には義憤を覚えたので弁明する気にもなれずに黙ってしまった。
畠中はさらに別の問題を指摘した。
「そもそも、将来予測のシミュレーションは、具体的な数値を掲げた政策案でなければ不可能なんです。言うまでもありませんが。ところが、今まで、こうしたいという願望や努力目標を掲げるだけで、異次元の取り組みだとか新しい経済政策だとか言われても、シミュレーションのやりようがありません。目標をコミットせず、国民の期待感をくすぐるような言葉が躍るだけのキャッチコピー政治では先が見えないわけですね。そこで、改新党政権では、将来予測のシミュレーションが可能なように、できるだけ数値を明確にしてきました。そして、忘れてはいけないのは、プライバシーを保護しながら世帯ごとの消費額を捕捉できていますから、経済厚生の計測ができることになり、将来予測の評価軸も加わりました。これによって国民は、政策選択が非常にやりやすくなるはずです」
「野党も対立軸を明確にして具体的数値を掲げた政策案を打ち出せば、国民は、将来予測を参考にして投票先を選ぶことができるようになるというわけですね」と、司会者。
「石橋党首は、まだ道半ばで、まだやらねばならないことがあるとお考えです」
「やり残しているというのは何でしょうか」と、司会者。
「経済予測のシミュレーションを行っているのは国のシンクタンクや大学ですが、研究内容について政権に忖度(そんたく)する風潮が根強く残っていることを気にしておられています。学術部門に政権が関与しないように、学術会議の人事も政府への届出だけを義務化して認可は不要としました。それでも、今までの習慣は体に染みついて、すぐには消えないようです」
「それは困ったものですね。何かいい手はありませんかね」と、司会者。
「経済の将来予測の精度を競うコンテストのようなものを党首は考えておられるようです。A国の国防省が技術課題を提示してコンテストで競わせているのに倣ってシミュレーション精度を競わせようというわけです。それなら忖度なんてやっておれないですからね。A国のように懸賞を出すのではなく、精度のよい上位何グループかには、政府からの委託事業として潤沢な予算をつけようと考えています。もちろん与党案だけではなく、野党案も、具体的数値が提案されている限りシミュレーションの対象とします」
収録時間が予定をはるかに超えて延びており、コメンテータがまとめに入った。
「確かに、精度の高い経済予測ができるようになれば、各政党とも具体的な数値を掲げた政策を主張するようになり、有権者は投票先を決めやすくなります。次の総選挙までに精度の高いシミュレーションは間に合わないでしょうが、投票率は飛躍的に向上するでしょうね。選挙の後も、政治家の行動を見て、前の投票内容を修正できるということは、常時政治参加しているようなものですが、選挙で投票しなければ蚊帳の外ですからね」
政治評論家がさらに補足した。
「民主主義が一段高いレベルに進化したように感じますが、民主主義を高めた取り組みが他にもあります」
「それは何でしょう」と、司会者。
「地味で目立ちませんが、学術に対する政権の介入に終止符を打ち、独立性を高めたことです。学術研究は、政権から独立することで、政権とは異なった多様な価値観で社会を安定に支える役割を果たしていたんですが、前政権は学術研究の領域にも介入して独立性を制限していました」
「国の予算で研究をするのだから、政権が介入するのは当然だ、という意見もありますが」と、司会者。
「国が予算を出すのだから政権がすべてを仕切るのは当然だという考えは危険です。学術研究の独立性はささいな問題だと片づけられないのは、これが最後の砦だったからです。立法、行政、司法の三権分立は、それぞれの独立性を尊重することで国の安定を実現しようとするもので、三脚の足を広げて安定に立つようなものですね。その三権すべてが政権にそんたくするようになったのは、背景に人事権があるからだろうということは透けて見えました。まるで三脚の足をすぼめて一本足にするような愚行で、社会を不安定にさせます。三権分立と同じくらい政府からの独立性が重要視されるのは中央銀行です。政府が容易に借金できてしまうと、安易なバラマキ政治で財政を痛めてしまうという問題が起こるからです。しかし、前政権は中央銀行を政府の子会社呼ばわりして介入し、大規模金融緩和で通貨安を誘導し、我が国を貧乏国にしました。政府から独立して、政府の独善的な暴走にブレーキを掛けるチェック機能を果たし得るのは、学術研究部門だけかもしれません。最後の砦と言ったのはそういう意味です。多面的で多様な価値観を切り捨てて、政府の価値観に糾合してしまうのは一本足で立つようなもので、いつ倒れるかわかりません」
「一本足でも、地中深く埋め込んだ電柱は倒れることはありません。一本足だから倒れるというのは根拠のない決めつけではないですか」
こう言って保守党議員が突っ込むと、政治評論家はすぐさま返した。
「地中深く埋め込んだ電柱でも、大地震が来ればぽっきり折れますよ。脚を目一杯広げた三脚は、大地震が来ても横滑りをすることはあっても倒れることはありません」
司会者が割って入った。
「禅問答のようになってきましたが、本日は非常にいい議論ができたと思います。残念ながら時間も無くなってきましたので、本日の討論会はここまでとさせていただきます。ありがとうございました」
白熱した時事討論会の収録は、実際には予定の2倍の時間を費やした。収録後の報道局編成会議で、番組時間内に収めるためにどこをカットするか議論した。しかし、カットすべきではないという意見が大勢を占め、2回に分けて2週続けて放送することになった。収録した映像をいくつかに分割して、間に何人かの有識者がコメントを加えるという形で時間が調整された。
実際に放送されると、世間の反応は大きかった。誰でもすぐわかる平易な内容ではなかったが、有識者のコメントが理解を助けたこともあるが、彼らがこぞって現政権の政策を絶賛したことで、国民の期待は膨らみ、将来不安はしぼんだ。
その後、国民は、目まぐるしい変貌を遂げる国の姿を目の当たりにすることになる。各省庁から出された、過去にとらわれない新提案を矢継ぎ早に法案化したことで、我が国が長年抱えていた難問を次々と解決したのだ。そのことが、今までの政権の無為無策ぶりを浮き彫りにすることにもなった。