====ウイルスが来たりて社会を打ちのめし、ミームの変異で復活へ========
これは、新型ウイルス感染症に襲われたN国の物語だ。新型コロナウイルス後の日本の秘めた可能性に願いを込めたフィクションである。
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0.序章

 

 畠中憲一は、そろそろ喜寿を迎えようとしている。退職してから15年の歳月が過ぎていた。在職中はメーカの研究所で電子システムの研究開発に携わり、デジタル・レーザ・ディスク(DLD)のコンセプト提案から開発までを手掛け、その開発は大きな成功を収めていた。通勤電車の中で、DLDがどうのこうのという女子高生の会話を聞くと、そこまで世の中に浸透したことに嬉しさが込み上げてきたものである。
 光ディスクが絶頂期を迎える時期に、その開発に携わってきた会社人生に畠中は満足していたが、社会に対してやり残したものがあるという感覚が拭いされなかった。やり残したものの正体は分かっていた。開発したDLDは大きな事業規模となり、かなり大きなイノベーションであったと自己評価していた。にもかかわらず、その時に社会が抱えていた大問題である粘着質のデフレの解消には何の役にも立たなかったのだ。DLDは新たな個人消費として従来の個人消費に上乗せされるわけではなく、単に消費者の選択肢を増やしたに過ぎなかったからだろう。個人消費の総額がほとんど増えないことでそれを悟った。会社生活には充実感を感じながらも人生には未達成感を抱きつつ定年退職を迎えた。

 未達成感を抱えたままでは悠々自適に余生を楽しむという気分にはなかなかなれなかった。退職後、請われてある国家プロジェクトのコーディネータを務めたが、税金の無駄遣いの片棒を担いでいるような罪悪感にさいなまれ、プロジェクトの終了を待たずして一年後に希望して退任した。フリーの身になっても、彼の情念がそれで薄れることはなかった。
 ということで、1円の儲けにもならないのだが、多忙な第二の人生にのめり込むことになった。出口の見えないデフレに喘ぐN国の窮状に居ても立ってもいられず、何とかしなければという思いに突き動かされた格好だ。国家プロジェクトの経験がその思いを一層強めたかもしれない。まるで救国の士にでもなったつもりのようだが、一歩間違えばネトウヨ(ネット右翼)にもなりかねないパターンだ。しかし、彼はそちらの方向に向かうことは決してなかった。リベラル的価値観を持っていたこともあるが、現社会体制の構造が自分の人生を利してきたという意識が微塵もないからだろう。

 畠中の第二の人生が思ってもいなかった驚愕の飛躍を遂げたきっかけは、彼が退職して間もないころに催された高校の同窓会だ。還暦を機に催されたものだった。同窓会での再開というものは、これまでの経歴と近況を報告しあい、昔話しに興じ、そして互いに健康を誓って別れてそれきり、というのが通り相場だ。畠中もその程度の出会いのつもりで隣に座った合田弘信と話を始めた。合田は大学で経済を教えていて、専門分野は社会保障政策だという。在職時代のイノベーションがデフレ解消に何の役にも立たなかったことに遣り残し感を抱いていた畠中にとって、格好の話し相手だった。デフレ問題を中心に話は弾んだ。二人の会話を傍らで聞いていた町田忠雄が会話に割って入った。

 町田は親が開業した中堅病院を引き継いでいた。畠中とは家が近く、幼友達である。高校時代も友達付き合いをしていたが、あるとき畠中に秘めたる思いを漏らしたことがある。
「考古学に興味があり、本当はそちらの道に進みたいよ。」
彼の“本当は”という言葉には、親の後を継ぐことを宿命づけられていることを受け入れる他ないという諦念ともとれる響きがあった。
 高校3年となって具体的に進路を決める段になり、進路指導をしていた進学担当の教師によるクラス単位の進路指導があった。担当教師は町田に質問を投げかけた。
「町田君、君は医学部を志望しているがなぜ医者を目指すのかね。」
町田の父親が設立した町田病院はそれなりの規模の病院として地元では名が通っている。誰もが町田忠雄が後を継ぐのは当たり前だと思っていた。なぜそんな質問をするのだろう、と畠中が思っていたら、町田が答えた。
「医者は人の命を救う尊い仕事だと思ったからです。」
非の打ちどころのない、面接試験の模範解答のようだ。が、教師は畳みかける。
「それは違うぞ、町田君。職業に貴賤はない。医者は確かに尊い仕事だ。しかし、ごみの収集や公衆トイレの掃除をする人が居なかったらどうなる。困るだろう。彼らの仕事だって社会には必要で、尊いんだよ。」
 町田はバツの悪そうな顔をして着席したが、一瞬の憮然とした表情を畠中は見逃さなかった。彼が本当に進みたい道は考古学だけど、それができない現実を受け入れ、医者は尊い仕事だと思い込もうとしていたのだろう。それを教師に否定されたことが彼をして憮然とさせたのだろう、と畠中は感じ取ったことを思い出していた。

同窓会での三人の会話が弾んでいたのだが、司会者からお開きの時間となったことが告げられ、出席いただいた4人の恩師を拍手でお見送りして散会となった。会話が盛り上がっていたところでいきなり散会となったので、畠中は合田と再び会食する約束をして家路についた。この三人の邂逅が、のちにこの国を大きく変貌させるきっかけになろうとは、この時は知る由もなかった。

 この国が変貌を遂げて行き着いた先は、絶対にできるはずがないような、誰も思いもつかない様々なことが現実のものとなった、さながら現代の理想郷のような世界だ。新型ウイルス感染症に襲われていなかったらこんなことは起こり得なかったろう。
 内需だけでデフレを完全脱却して、経済が安定した成長軌道に乗ると誰が予想できただろう。
 出生率が上がって人口が増加基調になると誰が予想できただろう。
 形骸化した形式民主主義が真の民主主義に脱皮できると誰が予測できただろう。
 民主主義市場経済は、民主的非効率性を排除しやすい社会主義市場経済の軍門に下って支配されるようになるのではないかと危惧する向きもあったが、民主主義市場経済が本領を発揮し、社会主義市場経済を封じ込め得るほどの勢いを取り戻すと誰が想像できただろうか。