「経済政策に発明という言葉は変ですが、要は新発想が必要ということです。産業に適用可能な新発想の技術は発明ですが、経済システムに適用可能な制御技術の知見に基づく新発想も発明のようなものです。そこで、まずは制御技術の基本概念から説明させてください」
そう言って、畠中は1枚のフリップを取り出して説明を始めた。
「上の図は、制御ループの概念図です。作用手段は制御対象の状態を変化させるような作用を与える手段で、制御対象を動かすためのモーターのようなものです。下の図は、経済制御ループの概念図です。国内総生産の拡大を制御の目標としていた従来の経済制御ループです。実は、これらの図では、重要な要素を記述していません。制御対象に作用を及ぼすための十分なエネルギーの発生源を制御ループが内包しているか、ループ外からのエネルギー供給を必要とするかという点です」
司会者が、どういうことか尋ねると、テレビカメラは出席者たちを写した。いずれも無表情で、キョトンとしているような印象を与えた。
「わかりやすい話として、車の運転を例にとります。この絵をご覧ください」
そう言って、畠中は別のフリップを取り出した。
「上の図は自動車が下り坂を下っている場合です。エンジンが働かなくても車体自身に働く重力が動力源となって前進力が発生します。コントローラであるドライバーがスピードをコントロールするために必要な操作は、ブレーキという作用を及ぼすだけです。下の図は上り坂の場合です。ドライバーはアクセルを踏んでエンジンが車体にエネルギーを与えるように作用しないと、車は止まってしまい、後退するかもしれません。経済が右肩上がりの自律成長基調にあるときは、上の図のような下り坂を走る車に似ています。この時に必要な政策は、経済が過熱して暴走しないように金融引き締めというブレーキを踏むだけで十分でした」
「デフレ経済は下の図に相当するということですね」と、司会者。
畠中は一息ついてから、説明を続けた。
「おっしゃる通りです。エンジンを噴かせて外からエネルギーを与えなければ経済が上向いていかないのは、上り坂を上る自動車と同じようなものです。金融緩和がエネルギー源にならないことは過去の失われた30年が物語っています」
金融・証券業界出身のエコノミストがそれを捕捉した。
「証券業界には、景気が過熱すると、金融引き締めで紐を引っ張って抑えることはできるが、紐を押しても景気を刺激することはできない、という格言がありますが、その通りでしたね」
「そういう格言があったのですか。私が言うまでもなく、先人はわかっていたということですね。問題は、その先だと思います。金融緩和が直接デフレを解消することはありませんでしたが、大規模な金融緩和を行ったので通貨安を招き、ドルベースでみると我が国は貧しい国に成り下がってしまいました。でも、輸出企業は安くモノが作れるようになって外需で稼げるようになったんですね。これは、国内経済を押し上げるために、経済ループ外から注入されるエネルギーです。さらに、前政権は大規模な財政出動を行い、これも国内経済を押し上げる経済ループ外からのエネルギーになったことは間違いありません。これらの政策によって確かに、GDPは拡大しました。しかし、生産の増加はほとんど外需や公共事業に引っ張られたもので、内需は置いてきぼりでした。国民の生活レベルが向上しないのは当然のことです。そもそも、財政赤字で経済を下支えするような政策に永続性はあり得ません」
保守党議員は、自分たちが厳しくなじられたと感じ、激しく反論した。
「確かに、新しい経済政策で直近の個人消費は伸びているようですが、その政策に永続性があるかどうかは、まだ誰にも分らないのではないでしょうか」
「おっしゃる通り、健全で永続的な経済成長が確約されているわけではありません。ただ、これまでの政策を見ていると、経済の現状を救おうとすると、とりあえず永続性には目をつぶらざるをえませんでした。財政の永続性を優先して健全化を図れば、今を生きていけない。こうした矛盾を解決する新発想を技術の世界では発明と呼びます。そこで、経済政策に立ちはだかる矛盾を解決する新発想をあえて発明と呼びました」
経済学者がすかさず質問をした。
「現政権の経済政策が、その矛盾を解決できると判断している根拠はどこにあるのでしょうか」
口調にとげがあるのは、経済学者が役割を果たしていないと非難されているような被害者意識故だろうか。畠中は、そんな口調は意に介さず、3枚目のフリップを取り出して淡々と説明を始めた。
「この図は、我が国経済が右肩上がりの自律成長を続けていた頃の経済ループを表した概念図です。このころは、財政赤字で政府がループ外からエネルギーを注入しなくても、お金も生産物も家計部門と企業部門との間の循環ループだけで増大していました。それを可能にしたキーポイントは、家計部門が貯蓄をしても、その何倍ものお金が生産部門に融資されたことです。いわゆる信用創造ですね。設備投資で生産力を増強すれば消費が付いてきましたから、生産が増加し続けました。ところが、金融バブルが崩壊すると悲惨な不況に見舞われ、わが国だけがそこから立ち直れず、設備投資が低調なままでした。失われた30年ですね」
保守党議員がすかさず発言した。
「だから前政権時代に、金融緩和で設備投資を促したわけです。でも、期待通りの設備投資に至っていないことは認めざるを得ません。現政権の政策なら同じことの繰り返しにはならないと言いきれますか」
「断言はできません。しかし、我々は、同じ失敗を繰り返さないために、金融緩和をしても設備投資が増えない理由をこのフリップのような経済循環図を眺めていると、答えらしきものがすぐに見えてきました。設備投資をしないのは資金が足らないからではなく、需要が足らないからで、元凶は将来不安だと。だから企業の投資意欲が弱く、信用創造が行われにくくなっていたのでしょう」
「将来不安が消費不足の大きな要因であることは、そのような考察を経るまでもなく、多くの識者が指摘しています。何をいまさら、という感が拭えません」
エコノミストである出席者がこのように手厳しく断じた。予想の範囲内の指摘だったようで、畠中は平然と答えた。
「デフレの解消には、将来不安の解消が必要であるということが従前から指摘されていたことは承知しています。それをあえて経済ループ図を用いて説明したのは、内需拡大が設備投資を促すような状況にならない限り、自律的経済成長は不可能であることの根拠を少しでも明確にしたかったからです。改新党は、経済政策の目標として経済厚生の向上を掲げていますが、それはすなわち内需拡大と言い換えてもほぼ同じことです」
保守党議員が、対抗意識をあらわに質問をぶつけた。
「要するに、これまで多くの識者が指摘していた将来不安を解消し、内需主導で自律的経済成長を目指すというだけのことですよね。わざわざ話を難しくしているのか理解できません。逆に、国民は解決が困難なのだろうと感じ取り、将来不安を増幅させることになるんじゃないですか」
「これから、将来不安解消の助けになるような説明をしたいと思っています。これまでの話は、その地ならしです。真逆の受け止め方をされたようですが、この後の説明をお聞きいただければ、その誤解は解けるものと思います」
そう言って、畠中は説明を続けた。
「問題点が分かりさえすれば、すべての問題が解決するというものではありません。特に二つの問題が相互に連関しあっているような場合には、こちらを立てればあちらが立たず、というような矛盾が存在したり、鶏が先か卵が先かで、どちらから手を付けたらよいかわからず、かといって同時に解決することもできないというような事態に陥ったりします。こうした状況を打破するためには創造的新発想が不可欠です。ところが、新発想は、得てして新たな矛盾を生み、さらなる新発想を必要とする、という具合に、新発想の連鎖が必要となることも珍しくありません。新発想の技術で産業上の問題を解決すれば発明ということになります。失われた30年から抜け出すためには、同じようなプロセスが政治に必要だと思い、先ほどは、政治に発明が必要だと表現した次第です」
「よくわかりました」
司会者も納得して、引き続き畠中に説明の継続を促した。