畠中は、石橋に確認した。
「CO2問題と防衛問題はいずれも国民の負担増につながりますが、どちらを優先すべきだとお考えでしょうか」
「経済がしっかりした自立成長軌道に乗ったら、これらを順次やっていこうという話を畠中さんとしていたんだけど、どちらの問題も今や待ったなしの状況で、やりやすい方から順番に、なんてことは言っておれなくなったよね。できることなら同時並行で進めたいよ」
「なかなか欲張りですねえ」
畠中は、こう言って冷やかしたことを、この後の石橋の言葉を聞いて後悔した。
「確かに欲張りかもしれないねえ。普通は、何か一つ大きなレガシーを残せば、首相としては満足すべきなのかもしれないんだけど、僕は、自分が満足するために政治をやっているわけではないからねえ。国民から高く評価してもらうためには目先の国民負担は避けた方が得策なのだろうけど、政治家としての僕の目的は、将来まで見据えて国民が幸福になることなんだよねえ。だから、国民がいずれ痛い目に遭うことが分かっていることをお座なりにすることはできないんだよ」
こうしたやり取りの後、4人はとりあえず炭素税の問題から話し始めた。まず石橋が口火を切った。
「炭素税を負担するのは企業ではなく消費者であるべきとする考えは、4人で共有できているけど、実際に全商品で一斉にスタートするということは可能だろうか」
それについては、畠中も考えてきた。彼は即座に答えた。
「現実には無理だと思うんです。CO2排出量の算出には、製品に含まれる天然由来でない炭素の量を明確にする必要がありますが、国内で販売されている全製品の品数は膨大ですから、全部出そろうまでには相当な時間がかかるかもしれません。なので、簡単に算出できて効果の大きい業種から順次五月雨(さみだれ)式に進めざるを得ないでしょうね」
「そうだろうねえ。早く取っ掛かれて効果的な業種というとガソリンからということになるだろうな」
「そうですね」
石橋提案に賛同した畠中は、別の問題提起をした。
「一点議論しておきたいのは、小売事業者が消費者から徴収する間接税にするか、消費者が炭素税を直接税務署に納税する直接税にするか、という点です」
「間接税にすると、消費のたびに炭素税を実感するから、より環境にやさしい商品を選択するように促す効果があるけど、消費マインドを冷え込ませるかもしれないですね。直接税にすれば消費時の痛税感は和らぐ半面、環境にやさしい商品選択を促す効果は弱まりますね」と、合田。
「じゃあ、商品の値札に参考情報として炭素税額を表示することを義務化して、実際の納税は確定申告時に納める直接税にするというのはどうだろう。商品選択の時に環境負荷の比較はできるけど、購入金額には含まれないからの痛税感は和らげられるので、良いとこ取りになるんじゃない」
石橋のこの提案に、皆が賛同した。すると、石橋は、別の炭素税問題を俎上(そじょう)に載せた。
「炭素税問題で、ガソリンと同等、いやそれ以上に重要なのは電力だよね。新政権は、発送電分離を行って送電網を国有化したので、送電網がボトルネックになって再生可能エネルギーを生かしきれないという問題は解消したことだし、いち早く炭素税を導入して化石燃料依存から脱却しないとねえ」
その提案に、誰も異存などあろうはずがなかった。この問題で、以前から気になっていたことを畠中が指摘した。
「脱化石燃料の話になると、原発依存度を上げるべきだという声が必ず大きくなります。再生可能エネルギーか原発かという議論がかまびすしくなるでしょうね」
石橋は、それについては信念をもって語り始めた。
「原発は、そもそも再生可能エネルギーよりも高くつくことは間違いないんだけど、電力会社は原発をやめたくてもやめられないんだよね。原発を廃炉にすると、未償却設備の除却として損失になるばかりか、その後も膨大な廃炉コストや核廃棄物の最終処分コストか掛かるんだよね。電力会社が儲かると思って自発的に始めたことなら自業自得だけど、政府の要請を受けてやらされた感が強いからね。そうであれば、除却による損失から廃炉コストまで、政府が負担すべきじゃないかねえ」
「原発を推進したのは前政権ですが、政権を引き継いだからには負の遺産も引き継がなければならない、というわけですね」と、合田。
「そりゃあそうでしょう。親から遺産を相続したら、親の借金も相続するのは社会の常識だからね。前政権が他国と交わした合意文書を、政権が代わったからと言って反故(ほご)にしていては外交にならないのと同じことだよ」
合田はうなずきながら、電力事業の将来を予測した。
「原発の隠れた間接コストを電力価格に反映させざるを得なくなると、電力の販売は自由化されていますから、競争に勝つために、既存の電力会社はこぞって原発を廃炉にして再生可能エネルギーに本腰を入れて取り組むようになるでしょうね」
皆が同意してうなずいている様子を見て、“我が意を得たり”と、石橋は満足したようだ。
炭素税問題は一応の結論に達したので、話題を防衛問題に振り向けた。いよいよ、侃々諤々(かんかんがくがく)の激論の火ぶたが切って落とされた。