畠中は、石橋に確認した。

 「CO2問題と防衛問題はいずれも国民の負担増につながりますが、どちらを優先すべきだとお考えでしょうか」

 「経済がしっかりした自立成長軌道に乗ったら、これらを順次やっていこうという話を畠中さんとしていたんだけど、どちらの問題も今や待ったなしの状況で、やりやすい方から順番に、なんてことは言っておれなくなったよね。できることなら同時並行で進めたいよ」

 「なかなか欲張りですねえ」

 畠中は、こう言って冷やかしたことを、この後の石橋の言葉を聞いて後悔した。

 「確かに欲張りかもしれないねえ。普通は、何か一つ大きなレガシーを残せば、首相としては満足すべきなのかもしれないんだけど、僕は、自分が満足するために政治をやっているわけではないからねえ。国民から高く評価してもらうためには目先の国民負担は避けた方が得策なのだろうけど、政治家としての僕の目的は、将来まで見据えて国民が幸福になることなんだよねえ。だから、国民がいずれ痛い目に遭うことが分かっていることをお座なりにすることはできないんだよ」

 こうしたやり取りの後、4人はとりあえず炭素税の問題から話し始めた。まず石橋が口火を切った。

 「炭素税を負担するのは企業ではなく消費者であるべきとする考えは、4人で共有できているけど、実際に全商品で一斉にスタートするということは可能だろうか」

 それについては、畠中も考えてきた。彼は即座に答えた。

 「現実には無理だと思うんです。CO2排出量の算出には、製品に含まれる天然由来でない炭素の量を明確にする必要がありますが、国内で販売されている全製品の品数は膨大ですから、全部出そろうまでには相当な時間がかかるかもしれません。なので、簡単に算出できて効果の大きい業種から順次五月雨(さみだれ)式に進めざるを得ないでしょうね」

 「そうだろうねえ。早く取っ掛かれて効果的な業種というとガソリンからということになるだろうな」

 「そうですね」

 石橋提案に賛同した畠中は、別の問題提起をした。

 「一点議論しておきたいのは、小売事業者が消費者から徴収する間接税にするか、消費者が炭素税を直接税務署に納税する直接税にするか、という点です」

 「間接税にすると、消費のたびに炭素税を実感するから、より環境にやさしい商品を選択するように促す効果があるけど、消費マインドを冷え込ませるかもしれないですね。直接税にすれば消費時の痛税感は和らぐ半面、環境にやさしい商品選択を促す効果は弱まりますね」と、合田。

 「じゃあ、商品の値札に参考情報として炭素税額を表示することを義務化して、実際の納税は確定申告時に納める直接税にするというのはどうだろう。商品選択の時に環境負荷の比較はできるけど、購入金額には含まれないからの痛税感は和らげられるので、良いとこ取りになるんじゃない」

 石橋のこの提案に、皆が賛同した。すると、石橋は、別の炭素税問題を俎上(そじょう)に載せた。

 「炭素税問題で、ガソリンと同等、いやそれ以上に重要なのは電力だよね。新政権は、発送電分離を行って送電網を国有化したので、送電網がボトルネックになって再生可能エネルギーを生かしきれないという問題は解消したことだし、いち早く炭素税を導入して化石燃料依存から脱却しないとねえ」

 その提案に、誰も異存などあろうはずがなかった。この問題で、以前から気になっていたことを畠中が指摘した。

 「脱化石燃料の話になると、原発依存度を上げるべきだという声が必ず大きくなります。再生可能エネルギーか原発かという議論がかまびすしくなるでしょうね」

 石橋は、それについては信念をもって語り始めた。

 「原発は、そもそも再生可能エネルギーよりも高くつくことは間違いないんだけど、電力会社は原発をやめたくてもやめられないんだよね。原発を廃炉にすると、未償却設備の除却として損失になるばかりか、その後も膨大な廃炉コストや核廃棄物の最終処分コストか掛かるんだよね。電力会社が儲かると思って自発的に始めたことなら自業自得だけど、政府の要請を受けてやらされた感が強いからね。そうであれば、除却による損失から廃炉コストまで、政府が負担すべきじゃないかねえ」

 「原発を推進したのは前政権ですが、政権を引き継いだからには負の遺産も引き継がなければならない、というわけですね」と、合田。

 「そりゃあそうでしょう。親から遺産を相続したら、親の借金も相続するのは社会の常識だからね。前政権が他国と交わした合意文書を、政権が代わったからと言って反故(ほご)にしていては外交にならないのと同じことだよ」

 合田はうなずきながら、電力事業の将来を予測した。

 「原発の隠れた間接コストを電力価格に反映させざるを得なくなると、電力の販売は自由化されていますから、競争に勝つために、既存の電力会社はこぞって原発を廃炉にして再生可能エネルギーに本腰を入れて取り組むようになるでしょうね」

 皆が同意してうなずいている様子を見て、“我が意を得たり”と、石橋は満足したようだ。
 炭素税問題は一応の結論に達したので、話題を防衛問題に振り向けた。いよいよ、侃々諤々(かんかんがくがく)の激論の火ぶたが切って落とされた。

 

 

 

 石橋が、最近入手した情報を紹介した。
 「最近、警察庁から上がってきた報告書を見ると、犯罪が激減していることがデータで裏付けられたよ。特に、窃盗や強盗などの財産犯が激減しているんだねえ。ベーシックインカムが社会に善良バイアスをかけているというマスコミ報道があったけど、それが定量的に示されたわけだ」

 ベーシックインカムは、犯罪者には支給されないので、小金を稼ぐような犯罪はペイしなくなって減ることだろうとは誰しもが予想していた。実際にそうした犯罪の報道がめっきり減ったことから、予想通りになっていることは多くの国民が実感していた。
 闇バイトとして犯罪の実行犯を募っても、若者がほとんど集まらなくなって、元締めの反社会的組織は大きな資金源を失うことになった。かてて加えて、反社会的組織の構成員はベーシックインカムの支給対象外にされているので、足を洗う構成員が続出し、組織はほぼ壊滅状態だ。
 報告書には、犯罪が減少した別の理由も記されていた。刑法の改正が著しい効果をもたらしているという。これまでも、交通違反の罰金は、裁判にかけることなく、警察の行政処分として実施されていたが、行政処分の対象範囲を拡大したのだ。
 これまでは、裁判事案が増えすぎると、裁判の目詰まりが起こるので、起訴を抑えてきた。微罪で検挙しても、送検せずに微罪処分という形で放免したり、送検しても検察が不起訴にすることが多かった。しかし法改正後は、こうした微罪犯も、警察による行政処分で罰金を科すことが可能となった。
 行政処分で罰金を科す対象は、裁判の判決が罰金以下の刑に該当する犯罪で、証拠が明白であり、本人が行政処分を受け入れた場合に限られる。罰金額は犯罪の種類に応じて細かく定められており、判決で想定される罰金額の5割から7割程度だ。裁判に挑んで有罪となれば、罰金が増えて前科まで付くのだから、身に覚えがあるのに行政処分を受け入れないという者はさすがにいない。
 誹謗中傷や名誉棄損などのネット犯罪も激減した。これも、行政処分で罰金が科される対象であることが功を奏している側面もあるが、決定的な効果を発揮したのは、この種のネット犯罪を複数回繰り返すと、プライバシーコードに紐づけられた書き込みアカウントをすべて削除するようにしたことだ。SNSを生きがいにしている者にとっては、アカウントの削除はサイバー空間での死刑に等しい。

 こんな話題を肴(さかな)にして、4人は盃を重ねた。しかし、誰も酔いしれてはない。先は長い。石橋が、話題を変えた。

 「この国が、世界に例をみないほど犯罪の少ない安全な国になったことは間違いなく、素晴らしいことだよね。でもねえ...」

 3人は手を休めて、石橋の次の言葉に耳をそばだてた。

 「犯罪は、常に大きな社会問題ではあるが、それが国民の将来不安の元凶というわけではないんだよねえ」

 そう言う石橋に、三人とも異議はない。

 「犯罪を心配する人は、相当程度自衛できますからねえ」
 「犯罪被害に遭った人は、犯罪に不安を感じていなかった人の割合が多いという調査結果があるのも皮肉ですね」
 「要するに、将来不安の元凶は、いずれ自分に降りかかってくるかもしれないと感じる不幸であって、自分は大丈夫だろうと高をくくっている不幸は所詮他人事ですからねえ」
 「そうですね。滅多に起こらない出来事には正常性バイアスがかかって、起こらないものと思いがちですからねえ」
 「問題は、不安を感じながらも、自助努力ではどうすることもできない不安ですね」
 「経済的不安は、ベーシックインカムでかなり解消しましたね」
 「経済的不安の解消にベーシックインカムが寄与していることは否定できませんが、年金制度刷新の効果も大きいね」
 「そうですね、年金掛金の天引きと、掛金の半額を雇用主が負担する制度を撤廃して、それらを給与に含めて全額支給した上で、消費総額の40%を上限として自分で掛金を決められるというのはいいよね。まさに、自助努力で将来不安を軽減できるわけだから」
 「しかも、積立方式だけど、積み立てるのは掛金そのものではなく、ポイントに変換して積み立てるというのはいいね。年金積立としてお金が滞留することはないからね」
 「積み立てられたポイントに応じて年金が支給されて、平均寿命まで生きたときに、総積立額と同等の総支給額が保証されているのは安心だ。将来、年金をちゃんと払ってもらえるんだろうかという心配はまったくなくなったよ」

 三人のこんな会話を、うなずきながら黙って聞いていた石橋が、頃合いを見計らったかのように、語り掛けた。

 「自助努力でどうにもならない将来不安として残るのは、自然災害、危険水域に達した気候変動、CO2問題といった方がいいかな。そして、忘れてはいけないのが防衛問題だね」

 畠中が、石橋の問題提起を少し整理した。

 「自然災害対策として、自助努力でできることは、災害保険を充実させることくらいしかありませんね。でも、全国の社会インフラ工事を地方自治に任せずに国の予算で行い、大災害が起きると、不要不急の工事を止めて、予算、作業者、重機などの資源を被災地域に結集できるようにしたことは、国民の不安を和らげましたね。そうすると、自助努力でどうにもならない残る問題は、CO2問題と防衛問題ですね」

 「インフラ工事と災害復旧工事との間で、資源をダイナミックに割り振るスキームが出来上がったのは、畠中さんに誘導されて建設省が提案してくれたおかげだね」

 石橋は、畠中に向かってそう言いながら、笑みを浮かべて続けた。

 「ということで、CO2問題と防衛問題について徹底的に議論しようじゃない」

 顧問三人は同意してうなずき、この問題で、これから激論を戦わすことになった。このときの激論は、後に改新党にひびが入ることを予感させるものだった。
 

 

 

 石橋は、畠中ら3人の顧問と忘年会を開いた。場所は、以前のような市中のレストランではなく、ホテルの割烹だ。石橋は首相になって、上級国民という自意識からそのような店を選んだわけではない。四六時中警護に着いているSPの負担が少しでも軽くなるようにとの気遣いからだ。
 石橋は首相に就いて以来、毎年恒例としている彼らとの忘年会を楽しみにしている。首相ともなると、一般国民の本音の声を直接聞く機会がほとんどない。国民の声として、議員や秘書を通じて届くのは、一般国民というよりも議員を取り巻く支持者の声だ。マスコミ報道を通じて伝わってくる国民の声も貴重なのだが、報道各社の意図に沿ってフィルタが掛けられている。それでも、国民からの支持率を知るためには有用かもしれないが、石橋は支持率を気にして政策を選択するつもりは微塵もない。
 石橋が知りたいのは、支持率ではなく、国民の幸福度だ。ただ、幸福度を定量的に計測するバロメータは存在しないので、生活に対する満足感や安心感などを、直接肌感覚で感じ取りたいのだ。畠中らからの情報はその一助となる。

 畠中、合田、町田の顧問3人組が店で待っていると、石橋がSPを部屋の外に残して個室に入ってきた。席に着くや否や、石橋は、三人に一年の労をねぎらい、お決まりの質問を投げかけた。

 「今年一年、世間の風はどうでしたかねえ」

 合田がまず口火を切った。

 「一般市民の声ではありませんが、古くからの経済学者仲間は、押しなべて今の経済状況を高く評価していますね。大規模金融緩和が始まったときには、こんなものがうまく行くはずがない、と言っていた仲間がほとんどでした。でも、それに代わる代替策も思いつかなかったので、口を閉ざして象牙の塔にこもって、自分の専門分野に没頭していました」

 「まあ、学問としての経済学と経済政策とは、似て非なるもんだからねえ」

 学術会議には一切口を出さない石橋らしく、こう言ってアカデミズムに理解を示した。

 「そう言われるとこそばゆいですね。正直言って、経済学が経済政策から無縁であってはならないと経済学者は思っています。現在、先進国は新自由主義経済の政策をとっていますが、行き詰まりを見せているのは間違いないと思っています。解決策として我が国では大規模金融緩和策が取られたわけですが、A国でもMMTと呼ばれる現代貨幣理論が提案されて、赤字国債は容認されると論じています。我々経済学者仲間の多くは懐疑的なんですが、それに代わる案がなければ表立った反対はできないですよね」

 「ところで、今ごろこんなことを聞くのもなんだけど、経済学者の合田さんと、開発技術者だった畠中さんがどうして知り合いになったの」

 そういえば、畠中は、その経緯を石橋に詳しく話したことはなかったので、同窓会で久しぶりに再会して以来の一連の経緯を詳しく話した。その後に合田が補足を加えた。

 「実は、同窓会で席が隣同士になりましてね。僕が経済学者だと聞くと、『イノベーションだけではこの国の経済を救えない』と言い出すんですね。なぜかと聞くと、DLDを開発して、新商品は事業として成功したんだけど、この国の深刻なデフレ経済からの脱却には何の役にも立たなかったことを痛感したらしいんです。それで経済に関心を持つようになって、基本的なことを独学で勉強して、あるべき経済の姿を自分なりに描いたと言うんですね。でも、世間の経済専門家が唱えている経済とあまりに違いすぎるので不安になって、経済学者としての僕の意見を聞きたかったみたいです。そうでしたよね」

 そう言って合田が畠中の顔を覗くと、口元を緩めてうなづいている。合田は続けた。

 「でも、彼の理論展開は理路整然としていて、理論的ほころびは見当たりませんでしたね。でも、今までの経済専門家が誰も考えなかったような新発想が含まれていて、それが今までとはまったく違う結論を導き出していました」

 「そうだったの。理工系人間の論理的新発想と経済専門家の化学反応から“サピエンス経済”が誕生したというわけか」

 「いや、僕が畠中君と出会ったときには“サピエンス経済”の骨格はできていました。彼は、経済成長で実績を上げてきた新自由主義を大学で学ぶことなく、新自由主義で行き詰っている我が国経済をどうしたものかと、自分の頭で基本的な概念から考えて、行き着いたのが“厚生経済学”に近いものだったようです。その厚生経済学的概念と彼の理工学知識に裏付けられたプライバシーコードとが彼自身の中で化学反応して生まれたのが“サピエンス経済”ではないかと思っています。その“サピエンス経済”を経済学者の立場で命名するなら“新厚生経済学”ですね」

 「なるほど、“サピエンス経済”の概念が、経済の門外漢である理系人間からなぜ出てきたのか、分かったような気がするよ。ともあれ、経済学者の目から見て、今の経済政策が高く評価されたことはうれしいね。それはさておき、市中の人々の暮らしぶりはどうだろう」

 「医療現場から見た景色は激変しましたね。前政権の末期には、従来の保険証を廃止して個人ナンバーカードへの統合をゴリ押しして医療現場も患者も大混乱しましたからね。患者と医療機関と保険組合が三方よしじゃなくて三方悪(あ)しでした。でも、政権が交代して、従来の保険証をそのまま使えるようにしたら、混乱は瞬時に収まりました。改新党政権が、医療情報をプライバシーコードごとにデータベース化するという自治体連合の制度を、国レベルに格上げした効果は絶大ですね。個人の医療情報を仮名化データベースに統合することで、患者のメリットがはっきりしましたから、ほとんどの患者さんがプライバシーカードを提示しています」

 「なるほど。プライバシーカードは、国民が大歓迎するようなはっきりしたメリットがあったから、国が巨額の予算を使ってプロモーションしなくても、勝手に行き渡ったわけだ。我が国では、医療情報は患者のものか医師のものかという議論が進まず、各医療機関の医療情報を統合するデータベース化がなおざりになっていたらしいね。プライバシーカードを採用していた自治体では、患者がデータベース化を望み、医療機関も、患者離れを防ぐために、データベース化に協力せざるを得なくなったというわけだね」

 「医師としては、カルテを抱え込んで、患者を引き留められるようにしたいという医師会の空気が分からないでもないですけどね」

 「それにしても、仮名化データベースを民間に開放すると提案されたときには、そこに統合されている医療情報は大丈夫かと、最初は驚いたよ」

 そう言って、石橋は笑みを浮かべて畠中を見遣り、畠中はそれに応えた。

 「プライバシーカードはもともと地方自治体で医療情報をデータベース化する用途から始まりましたが、用途を多方面に展開することは当初から織り込んでいましたから、その前提で仕様を設計しました。ですから、データの種類に応じてアクセス権を制御できるようにしています。民間に開放したとは言っても、アクセス権はマーケティングに有用な消費情報だけで、医療情報へのアクセス権は医療関係者に限定しています」

 町田が、医療従事者の立場で補足した。

 「大手製薬会社のベンチャー投資で設立された企業がAI診断補助システムを開発して、今はどの医療機関もそれを使っています。検査で得られた患者の画像情報や測定値を、データベースに保存されている過去分と比較して、その差分にも注視して予備診断を行うようにしています。これによって、画像細部の見落としによる医療過誤が激減し、診断時間が大幅に削減されることが高く評価されています。そのベンチャーは今や立派な企業に成長しましたね。ベンチャー投資を後押しする政策の効果と言えますね」

 「医療をとりまく環境は激変しているようだね。保険証は今まで通り使えたんだけど、ほとんどの患者が提示しているプライバシーカードに保険証機能を入れてほしいという国民の要望が強くなっているというのも皮肉なもんだね。病院の景色が様変わりしたことはよく分かったけど、街中の景色はどうだろう」

 畠中が、二人の顧問の視線に促されて、口を開いた。

 「様変わりしました。三人で時々居酒屋に行く機会があるのですが、周りから聞こえてくる会話の雰囲気が変わってきましたね。かつては、上司の悪口や同僚のうわさ話などの下世話な話に混じって、政治に対する不満や、年金問題などの将来不安などが漏れ伝わってきたものですが、そんな暗い話はほとんど聞かれなくなりましたね。笑い声が増え、雰囲気が明るくなったような気がします」

 このような話から始まったが、社会の激変ぶりを語りつくすには三日三晩、いや、千一夜かかりそうなほど多岐にわたる話がこの後も続いた。
 

 

 

 「実践に移したい産業省の提案というのは、どの提案のこと?」

 「プライバシーコードごとのデータベースとして蓄積されている仮名化ビッグデータへのアクセス権を事業者に有償で与えるという提案です。国の条件を満たす認定事業者に限りますけど」

 「今は、グルメサイトの運用会社に仮名化ビッグデータの無償利用を試験的に許可しているけど、すこぶる評判がいいようだね」

 「飲食店ごとの売り上げ情報へのアクセスだけ許容しているのですが、店の利用客の主観的点数による評価よりもリピート情報の方が高い信頼を得ているようですね。仮名化ビッグデータから得られるリピート率はリアルなデータですから、利用客の主観的な評価点数よりはるかに信頼されているようです」

 「店の利用客による評価とされているものの中には、“やらせ”や“なりすまし”が潜んでいても、一般人が見分けるのは難しいからね。だけど、もう一度行きたくなるような店かどうかというのは、初めて行く人にとっては一番知りたい情報かもしれないね」

 「グルメサイトでの経験から、多くの国民が、仮名化ビッグデータの有効性を実感しているんですね。それを目の当たりにして、あらゆる分野の事業者がこのビッグデータの活用に大きな関心を寄せているようです」

 「仮名化ビッグデータを民間に有償で全面開放するために、細目の法制化を急がんといかんね。ところで、A国の巨大なインターネット・プラットフォーム企業は、悪質な書き込みを封じ込める動きが緩慢で、迅速な対応を正面から要求しても動きが鈍いので、からめ手から攻めると言っていたけど、それとどう関係するの」

 「インターネットを牛耳っているA国の巨大プラットフォーム企業を、少なくとも国内市場においては凌駕するような自国企業を育てたいのです。仮名化ビッグデータは、A国の巨大なプラットフォーム企業が我が国の国民を囲い込んで構築しているビッグデータに比べてはるかに強大です。仮名化ビッグデータは実際の購入実績がすべてデータ化されているわけですから、マーケティングにおける有用性は異次元です」

 「そうなれば、A国の巨大なプラットフォーム企業が、必ずや仮名化ビッグデータへのアクセス権の取得を請求してくるだろうね。そのとき、悪質な書き込みが行われたアカウントを書き込み禁止とする仕組みの導入を認定事業者の条件にしようというわけだね」

 「ご明察のとおりです」

 「国内のベンチャー企業を育てて、優良企業を生み出すためには、税制も大事なんだよね」

 「税制が大事であることには同感ですが、税制はシンプルであるべきだとする原則は曲げない方がいいんじゃないでしょうか。税制上の優遇措置とか補助金とかは、とかく政治家や官僚の利権の温床になりますから」

 「そういえば、補助金とか優遇税制とか、多くの利権が絡んでいる省の大臣ポストにこだわる政党もあったねえ」

 石橋は、畠中に問いかけるように続けた。

 「A国では、大企業がベンチャー投資すれば減税措置を受けることができて、それが多くのベンチャー企業を生み出す原動力になったと言われているんだけど、優遇税制のようなものは乗り気じゃないんだよね」


 石橋の考えが優遇税制に傾きかけたのには理由があった。それは、彼の過去の経験に由来する。彼が政界入りする前に、5年足らずだが、銀行員をしていたときのことだ。
 我が国での起業を難しくしている一因は銀行にあるのではないか、と石橋は感じていた。我が国の銀行は、融資先の将来性を評価する目利き力が貧弱で、担保によって貸し倒れリスクを除却することばかりに熱心だったからだ。とりわけネットワーク関連事業では、その傾向が顕著だという問題意識を抱いてきた。
 そんな石橋が、畠中と出会って間もないころ、強く印象付けられた言葉を彼から聞いた。それは、『事業家は、自分の人生を掛けるというリスクを取り、投資家は、事業の将来性を評価して投資するというリスクを取ることで資本主義は発展した』という、畠中の理解だ。銀行員時代に、ベンチャー投資に消極的な銀行に問題意識を抱いていた石橋の胸にその言葉は刺さった。
 石橋は畠中と、以前この問題について話し合ったことがあった。金融機関には、資金運用のスキルを備えた人材はいてもベンチャービジネスに対する目利きはいない、という点で意見は一致した。金融業界よりも、財・サービスの生産という実業を担っている事業会社の方がベンチャービジネスに対する目利き力が備わっているのではないか、という点でも同じ見方をしていた。
 前政権は、A国で誕生して大成功を収めているLLCと呼ばれる会社形態を我が国にも導入するために会社法を改正し、合同会社の設立を可能とした。しかし、我が国では、合同会社の設立は低調だった。A国では、大企業がLLCに投資すれば減税措置を受けることができるが、我が国ではそのような推進策は何ら講じられなかったからだ。A国のLLCをまねて合同会社制度を導入したものの、“仏を作って魂入れず”状態だと、二人は嘆いた。

 石橋政権が発足すると、税金を取りやすいところから取る応能税から、社会から受けた便益に応じて負担する応益税に軸足を移した。個人税は、所得税を廃止して消費税を主軸に据えた。当初は、消費税は所得の再分配機能がないとか、消費が低迷するとかの批判が渦巻いたが、それはすぐに収まった。実際に新税制が始まると、再分配機能は、累進課税よりもベーシックインカムの方がはるかに強力であり、消費税は直接税化することによって消費時には徴税されず、消費増税しても消費が落ち込むこともないということを、国民は肌感覚で感じ取ったようだ。これらはすべてプライバシーコード効果だ。
 個人税の税制改革は国民に好意的に受け入れられたので、その理念を法人税にも適用する改革案策定に着手していた。利益を課税ベースとする法人税をやめて、消費税と流動資産税の原則二種類に単純化する方針だ。流動資産税は、流動資産の増分に課税するものだが、他社への投資は、債券や証券が現金化されるまでは流動資産税の対象外とする。これが、A国のベンチャー投資減税と同等の効果をもたらすはずだ。
 この法人税制改革は、将来的には、下請け中小企業と親会社のいびつな関係を刷新するきっかけにもなるのだが、この時は、そこまでは思い至っていなかった。


 石橋と畠中によるこのような談義からほどなくして、我が国の仮名化ビッグデータを開放するための骨格が、ほぼ産業省の原案通りに法制化された。具体的な利用料金などの細則は省令で定めるとしている。有能な官僚たちが、前例主義や事なかれ主義から脱皮して、国民最適を目指して発揮される政策推進能力には、石橋は驚き、頼もしさすら感じた。
 省令では、企業の規模に応じて利用料に差をつけ、スタートアップ企業は無償とした。利用料収入は、プライバシーコードごとに検索された実績に応じて国民に配分することとした。こうした粋な計らいを、石橋はたいそう気に入った。

 これと並行して進められていた法人税制改革も、議論が紛糾する局面もあったが、最終的には提案に多少の修正を加えた形で法制化された。
 仮名化ビッグデータの解放が狙っていた最終的な目標を達成するための条件は、これで整った。
 ベンチャービジネスの起業に意欲を燃やす動きは活発化した。その胎動を感じ取った石橋と畠中は、これから経済は確かな足取りで成長するに違いないと確信。そしてそれは、これから起こる社会の大変革の端緒に過ぎないはずだ、とも確信した。今回の動きは産業省の提案から始まったが、その発案をもたらした官僚の意識改革は、産業省固有のものではなく、すべての省庁の官僚たちに共通した意識改革であることを二人はよく理解していたからだ。
 石橋政権は、官僚たちの自分最適な行動が、国民最適な方向と一致するように設計した評価制度の改革が、思惑通りの成果を出し始めたのだ。これからこの社会は、すべての国民が生きやすい社会になると確信し、その時の社会の姿を思い描きながら、石橋と畠中は美酒を酌み交わした。


 それから3年ばかりの時が過ぎた。社会は驚くばかりの変わりようだ。石橋と畠中が想像していたレベルをはるかに超えている。
 

 

 

 石橋首相と畠中は、インターネットに関連した問題についてもずいぶん時間をかけて話し合った。それは、石橋の問題提起から始まった。

 「最近、ネット上で誹謗中傷や名誉棄損となるような投稿をしても、表現の自由だと言い張る連中が後を絶たないね。彼らは本当にそう思っているんだろうか」

 「他人に迷惑を掛けるとしても、言論の自由が優先すると本気で思うほど馬鹿ではないと信じたいですね。他人の迷惑も顧みず、それに勝る権利であるかのように言論の自由を振りかざしている本人も、それが言い訳に過ぎないことはわかっているんじゃないでしょうか」

 「承認欲求を満たすための言い訳ということかな」

 「そういう人もいるでしょうが、ほとんどの人が金目当てじゃあないでしょうか。広告料を稼ぐためにアクセス数を増やしたいんだと思います」

 「金目当てか。それじゃあ、なりすまし詐欺や、闇バイトをネットで募集する連中と同じ穴の狢(むじな)だねえ。程度の差はあるけどね。それにしても、サイバー空間は無法空間だね」

 「本当に大問題ですね。ネットワークは社会に多大な恩恵をもたらして光り輝いていますが、輝きが増すほどに、影も濃さを増すようですね。サイバー空間が無法空間になっているというご指摘は私も同感です。このような状態に手をこまねいていては、政府に不作為の罪があると言われても仕方ありません。やはり、無法空間から法治空間へと様変わりするようにサイバー空間を大掃除する必要がありそうですね」

 「サイバー空間の無法者たちは、表現の自由を金科玉条のように振りかざすけど、彼らだけの問題だろうか。無法サイバー空間を提供している大手の通信インフラ会社の責任も大きいんじゃないかなあ」

 「そう思います。情報通信ネットワーク事業は巨額の利益を上げていますが、彼らが提供する無料サービスに連動した広告料は主要な収入源の一つになっていて、広告料を稼ぐための生命線はアクセス数なんですね。だから、事業者は、できるだけアクセスを増やしたいんですね。だからアクセス数に応じて投稿者にも広告料を配分するわけですね」

 「ネットへの投稿が悪質なものであっても、アクセスを稼いでくれれば運営会社は儲けになるわけだ。手間と金をかけて悪質な投稿を阻止しても、利益を減らすことになるのであれば、本気でやりたくはないのは道理だね」

 「だから、SNSの運営会社は、自由に解放されたプラットフォームを提供しているだけだと言って、投稿が悪質なものであっても、それを制限することには消極的なんでしょうね。でも、世間の非難を無視もできないので、言い訳程度に取り組んでいるようにしか見えませんけどね」

 「守られるべき表現の自由を守りながら、悪質な投稿を阻止する仕組みは作れないもんかねえ」

 「技術的には手があるとは思いますが、問題はSNSのインフラを提供している強大な情報ネットワーク会社の本拠地が海外にあることですね」

 「うーん。海外に拠点がある情報ネットワークの巨大企業は一筋縄では行かないだろうねえ。SNSの巨人たちがウンと言うかどうかはさて置いて、技術的にはどんな手があるのかねえ」

 畠中は、笑みを浮かべながら人差し指を立てて一言。

 「あれです」

 「うん」

 「プライバシーコードが役に立つと思いますよ。ネットに投稿するためのすべてのアカウントにプライバシーコードを登録することを義務付けるんです」

 「そんなことで効果を上げられるだろうか」

 「有害な投稿を見つけると、悪質度が高くなければ、アカウントの所有者に警告、言わばイエローカードを発し、悪質度が高い場合は即座にレッドカードを発して、一定期間書き込みを禁止すればいいと思います」

 「それだったら、何もプライバシーコードを登録しなくてもできるんじゃないの」

 「今でも、悪質な書き込みが発覚すると、そのアカウントを削除するようなことはやるんですが、SNSの運営会社が、悪質な投稿を撲滅しようと本気になっていなければ、同じSNSに別名のアカウントを作れる可能性もあるし、他のSNS運営会社のサイトなら簡単にアカウントが作れてしまいます」

 「そうか、有害アカウントを削除してもイタチごっこ、てわけだね」

 「そこで、すべてのSNS運営会社の間で、有害アカウントに登録されているプライバシーコード情報を共有すれば、一度アカウントが削除されると、一定期間はどこのSNSにも新たなアカウントを作れないようにすることができます」

 「なるほど。それは効果ありそうだね。でも、名誉棄損罪とか脅迫罪とか侮辱罪などのように投稿自体が刑事罰に該当するような場合には、アカウントの削除は当然可能だろうけど、すべての有害投稿が犯罪というわけではないよね。自分の犯罪行為を撮影して自らネットに流す行為は微妙だよね。映像が犯罪行為を撮影したものであっても、それを投稿する行為自体が犯罪だとは言えないからね」

 「確かに、やらせの犯罪行為をネットに流したり、他人の犯罪をでっちあげて私的逮捕する映像をネットに流したりする事件がありましたね。このような問題に対しては、広告料の支払いを止めるべきだと思いますね」

 「そうしたとしても、公序良俗に反する投稿が見つかるのはごく一部だったら、一部の広告料収入が得られなくなることを覚悟の上で、公序良俗に反しても刺激的でアクセスを稼げそうな書き込みは後を絶たないんじゃないの」

 「それに対処するためには工夫が必要ですね」

 畠中は、しばらく腕組みをして考え始めた。長い沈黙。

 「例えばこうしたらどうでしょう」

 そう言って、畠中は続けた。

 「投稿に対する広告料の支払いは投稿の1年後として、その1年間に悪質な投稿が認められなかったことを支払いの条件とする、というのはどうでしょう。悪質な投稿が見つかると、それ以前1年間に得た広告料の受領資格を失うことになります」

 「なるほど。悪質な投稿をすると、それ以前の1年分の広告料収入を棒に振るわけだから、失うものが大きくなるね。それならかなりの抑止効果がありそうだな。問題は、SNS運営会社がそれを飲むかどうかだね」

 「すぐには飲まないでしょうね。正面突破が難しいなら搦め手(からめて)から攻めましょうか」

 「搦め手?」

 「産業省の提案を実践に移して、我が国デジタル環境を一新することから始めてはどうでしょうか」

 産業省の提案というのが何を指しているのか、畠中の説明を聞くまで石橋には見当がつかなかった。
 

 

 

 石橋首相は、相談したいことがあるのですぐ来てほしいと、畠中を執務室に呼んだ。畠中は執務室に着くなり形式的にドアをノックして、応答を待つことなくいきなりドアを開けて中に入り、いつもの打ち合わせテーブルの方に勝手に歩を進めた。

 「急にお呼び立てして申し訳ない」

 そう言って、石橋は打ち合わせテーブルの方に歩きながら話し始めた。

 「相談したいことがいろいろあってねえ」

 そう言いながら二人が向かい合って席に着くや否や、石橋が最初のテーマを切り出した。

 「まずは、外国人に対するプライバシーカードの問題なんだけど、悪名高い研修生制度は廃止して、彼らにプライバシーカードを支給することはすでに法制化したでしょ」

 「彼らにもベーシックインカムを支給するために、3年間の期限付きで二重国籍とする当初案は、野党の修正案を受け入れて、期限付き市民権とすることになりましたが、まあ、目論見通りのところに落とし込めましたね」

 「でも、すでに受け入れ済の研修生をどうするかという議論がまだ残っているんだよね。研修生としてすでに入国している外国人は、研修生の証明書を持参して在留管理庁に申請すれば、外国人労働者として再登録して3年間の市民権を付与すればいいと思うんだけど....」

 「問題は、過酷な職場環境に耐え切れず逃げ出して、滞在許可期間が過ぎてしまったオーバーステイの人たちですね」

 「そうなんだよ。彼らは不法滞在者になってしまったから、在留管理庁に出向くことはできないよね。そこで思ったんだけど、オーバーステイの外国人たちも在留管理庁に出向けば、おとがめなしで、滞在許可期間が切れる日に遡って外国人労働者として再登録できるようにしたらいいと思うんだよ。そうなれば、プライバシーカードと市民権を得てベーシックインカムを受け取れるようになるから、喜んで在留管理庁に出向くだろうよ」

 「それなら確かに不法滞在者も安心して申請に出向くでしょうね。問題は、窃盗などの刑法を犯した犯罪者ですね」

 「そういうことになるね。さすがに刑法犯を無罪放免というわけにはいかないから、何とかあぶり出したいもんだよね。そこで、店で現金決済を望む客にはパスポートかプライバシーカードあるいは免許証の、いずれかの提示を求めるようにしてはどうかと思うんだよ。それらの持ち合わせがないという人には、顔などの生体認証情報を取らせてもらえばいいんじゃないかな」

 「普通の国民や外国人は現金で支払いをする機会が減るでしょうが、それでも現金決済を望む人には、不法滞在者やスパイなどと区別するためだ言えば、善良な国民は聞き入れてくれるでしょうし、後ろめたい人はごねるとやぶ蛇だから、不承不承でも従うでしょうね」


 二人で話し合ったのは、これらの他にも重要な案件がいくつかあったが、それらは、その後ことごとく実現することになる。その決め手になったのは、プライバシーカードだった。プライバシーカードは、ベーシックインカムを受領するために必要なので、普及するのは当然だが、プライバシーカードを用いたデビッド決済の普及がなければ、これほどまでに日常生活の中に浸透することはなかったかもしれない。
 後になってわかったことだが、デビッド決済が普及した理由は単純だった。プライバシーカードのセキュリティに政府は自信があったので、不正使用による決済で生じた損害は政府が補償するという制度がもたらした効果だった。クレジットカードではなくデビッドカードにすれば、クレジットカードのようにカード会社が立て替え払いをするのではなく、カード使用時に即座に口座から引き落としされる。だからカード会社には貸し倒れリスクがない。カードの不正使用による損害は政府によって保障されるとなれば、もはや保険は不要だ。カード会社が支払っている保険料は決済金額の1%以上で、そのコストが掛からないなら、ポイント還元率を2%以上に上げて利用者数を増やそうと、カード会社が競ってプライバシーカードでデビッド決済ができるようにしたのだ。
 消費者は敏感なので、この国での購入代金の支払いは、現金決済でもクレジットカードでもなく、プライバシーカードによるデビッド決済がスタンダードとなった。

 プライバシーカードの携行と、それによるデビッド決済がN国社会のスタンダードとして定着すると、紙幣の発行量は激減した。これを機に、財務省は、銀行口座から紙幣が引き出されると、その記番号をすべて口座番号に紐づけして記録するよう、省令で金融機関に義務付けた。

 それに呼応するかのように、産業省は、記番号読取機能付きのキャッシュレジスターや、記番号を読み取るスマホアプリを普及させるべく行政指導して補助金も付けた。その効果もあって、記番号を追跡するインフラが整ってきた。複数の省庁が自発的に強調するというのは珍しい出来事だ。官僚の意識が変わったことの証左かもしれない。
 遠からず、犯罪にまつわる金銭の授受には現金が使われるという常識は過去のものとなることだろう。そうなれば、反社会的組織は兵糧攻めにあって壊滅状態となるのが運命(さだめ)だ。

 公安委員会も動いた。古物商に、買い取り相手のプライバシーコードの通知を義務付けたのだ。全国の古物商が金属や時計などを買い取ると、売り手のプライバシーコードが通知されてデータベースに登録される。プライバシーカードの偽造はほとんど不可能なので、同一カテゴリーの物品の買い取りで特定のプライバシーコードが頻繁に使用されていると、盗品の販売が疑われる。裁判所に令状を請求して、仮名化データベースにアクセスすれば、疑惑のプライバシーコードに紐づけされた容疑者はすぐに特定される。

 社会のインフラが変化すれば、いたるところに波及して、ときとして社会を激変させてしまうものだ。インターネットがそうであったように、プライバシーカードもそんな役割を演じるだろうと予感した人は少なくなかった。


 石橋首相と畠中が首相執務室で話し合った内容は、こうして実現し、社会を大きく変貌させ、安心と安全をもたらしたが、話し合った内容はこれだけではなく、ネットワーク社会に対する大きな挑戦にも及んでいた。
 これも実現にこぎつけ、この国をさらに大変革させることになる。
 

 

 

 2週続けて日曜日に放映された時事討論会は、視聴者の多くに強烈なインパクトを与え、将来は今より暮らしやすい社会になるのではないかという希望を持たせてくれた。社会人になって間もない若い世代にとっては初めての経験だが、定年間近の世代にとっては、古き良き時代の再来のように思えた。
 とはいえ、テレビからの情報は有識者たちによる将来予測であって、期待はするものの、多くの国民は半信半疑でもあった。話がうますぎて、“うまい話には気をつけろ”との警戒感を拭い去れないからだ。
 国民一人当たり月額5万円のベーシックインカムはすでに始まっているのだが、これまでの長年にわたる大盤振る舞いのバラマキ政治が、今の巨額の累積財政赤字をもたらしていることを思えば、将来の財政を心配するのも致し方ない。政治に対する国民の信頼は、それほどまで失墜しているということだろう。
 しかし、国民が政治に対する信頼を取り戻すまで、長くはかからなかった。新しい法案が次々と可決、施行されると、社会が良くなって行くことを体感し、将来に希望の光が見えてきたからだ。

 プライバシーカード絡みの法案を次々に上程できたのは、国内のすべての人々にプライバシーカードが行き渡ったからだ。だが、そこに至る道のりは容易ではなかった。それができたのは、プライバシーカードを取得する必要性があったからだ。ベーシックインカムはプライバシーカードに紐づけされた銀行口座に振り込まれ、プライバシーカードを作らなければ引き出せないのだ。ベーシックインカムを質にしてプライバシーカードを普及させようとするあざといやり方だという批判もあったが、クレジットカードのポイントを餌に個人ナンバーカードを普及させようとした過去と二重写しに見えたのだろう。しかし、それは的外れだ。ベーシックインカムはプライバシーコードに対して支給されるもので、プライバシーカードを取得していなくても紐づけされた預金口座に振り込まれたベーシックインカムが消滅するわけではない。振り込まれたベーシックインカムが正しい受給者に届くように信頼性を高めているだけだ。
 とは言っても、すべての受給者がベーシックインカムを直接引き出せるわけではない。家計が独立していない未成年者には養育者を、自分で預金の引き出しができない要介護者には介助者を、それぞれ登録して、登録者がベーシックインカムの引き出しや、それによる消費を代行できるようにした。
 この程度のことは、ほとんどのすべての国民に行き渡せるために必要とされる最小限の配慮に過ぎず、まだ不十分だった。ベーシックインカムは、その趣旨から言えば、限りなく公平でなければならない。難航したのは、ホームレスだった。プライバシーカードの登録をお願いする通知を届けようにも、郵送ができない。
 ベーシックインカムが始まってから、生活保護給付は廃止し、代わって、生活保護世帯にはベーシックインカムに加えて必要最小限の衣食住を現物支給することにしている。住居はホームレスにも無償提供されるのだが、彼らのほとんどはそのような制度の存在すら知らない。自治体の嘱託職員が駆けずり回って、ホームレスの人たちを説得した。住居が無償提供され、月額5万円のベーシックインカムが支給されると聞けば、断る者はほとんどいなかった。頑固に居座り続けようとする変わり者には、公有地の不法占拠を許容するわけにはいかないので、やむを得ず移住を強制執行した。
 プライバシーカードを取得済みであるにもかかわらず、ホームレスに成りすましてベーシックインカムの二重取りを狙ってもそれはできず、詐欺未遂犯となるのが落ちだ。生体認証情報を登録するときに、既登録になっていないか照会するからだ。
 民間企業であれば、運用するシステムの信頼性や安全性は、企業の存亡にかかわるという意識が畠中には染みついていた。そんな畠中は、当然のこととして、プライバシーコードの信頼性や安全性に万全を期すようにシステム仕様を設計していた。行政が進めるシステムでは信頼性に不備があるとか、使い勝手がとてつもなく悪いというようなこともしばしばあった。倒産の心配のない官僚を揶揄する“親方日の丸”という言葉があるが、この国の官僚は新政権になって生まれ変わったようだが、かつてはそうであったのかもしれない。
 個人ナンバーカードはセキュリティの穴をつかれて、偽造カードが詐欺に悪用された。個人ナンバーカード導入のそもそもの動機は、貯蓄額を捕捉して流動資産税を課税できるようにすることだとの憶測が国民の間に広がるや、タンス預金が急増した。その事実が、流動資産税は無意味であるという現実を突きつけたからか、税務への活用は電子納税にとどまっている。政府は躍起になって普及に努めたが、10年以上経った今もって電子納税の利用率は60%程度だという。鳴り物入りで導入した個人ナンバー制度が失敗作だったと言われないように、後付けで用途を身分証明などに無理矢理拡大したことが裏目に出たようだ。

 石橋首相は、前政権による個人ナンバー制度の失敗を非難することは一切しなかった。それどころか、個人ナンバーからプライバシーコードに自動変換するソフトを開発させて、個人ナンバーカードからプライバシーカードへの乗り換えが簡単にできるようにした。個人ナンバー制度のおかげでプライバシーカードの普及が楽になったと、石橋は随所で語り、個人ナンバー制度に対する批判を畠中は聞いたことがない。
 政策の欠点や失敗を非難するのは評論家に任せればよい。他党の政策を非難するのではなく、より優れた政策を提案し、他党案を凌駕(りょうが)することを目指すのが政治家の本来の役割だ。他党の失敗を追求するだけでは、しがない政治屋に成り下がってしまう。それが石橋の口癖だった。

 石橋が精魂込めてプライバシーカードを国民にあまねく行きわたらせたおかげで、この国からホームレスはほぼ居なくなった。しかし、まだ不十分であることに石橋は気が付いていた。仕上げは、国内に在留する外国人にも、インバウンド旅行者も含めて、あまねくプライバシーカードを行きわたらせることだ。
 石橋のやり方は、かなり太っ腹で、その進め方には与党内で大論争を巻き起こした。畠中もかなり驚かされた。しかし、議論を重ねて石橋の思いが伝わるにつれ、畠中も含めて多くの議員が石橋案に傾き、最終的にはほぼ全会一致で石橋案が支持された。

 

 

 議論の流れで、必要となれば石橋首相のアイデアを、党の決定ではなくアイデア段階だと前置きして、開示してよいとの了承は得ていた。
 畠中は石橋のアイデアを話すことにした。

 「社会が複雑化してカオスとなっている昨今、政治家の唱える政策がもたらす結果は、直近のことはわかっても将来的にどうなるかは専門家でも予測が難しくなっています。いわんや一般国民をや、です。そうした先の読めない社会では、民主主義は、目先の利益で有権者を誘導するポピュリズムに走りやすく、将来に禍根を残すことになりかねないということに、石橋党首は強い懸念を抱いていました。そこで、経済予測を研究する研究機関に今以上の予算をつけて、将来まで見据えた投票行動を可能とするような環境づくりを考えられています」

 保守党議員がすぐに反応した。

 「経済予測のシミュレーションは保守党政権時代にもやっていました。大学の経済学部でも政府系のシンクタンクでも、最新のシミュレーション手法であるDSGEモデルも使って実施してきました。特に目新しい取り組みとも思えませんが」

 「今までの取り組みでは不十分だということでしょうか」と、司会者。

 「経済予測のシミュレーションが各方面で行われていることは党首もよく承知しています。それが、有権者の参考になるような形で生かされていれば、改めてこのような提案をすることはないのですが、残念ながらそのような話は聞いたことがありません。なぜ経済予測が生かされていないのか、その点を問題視ているのです」

 「なぜ経済予測が生かされていないとお考えなのでしょうか」と、司会者。

 「一言で言ってしまえば、与党が政策を決めるときの判断基準は、国民にとって最適かどうかではなく、党にとって最適かどうかだったからです。だからといって、国民を無視していたというわけではありません。ただ、国民のためを思ってというよりも、国民のためを思っているように見えることに重きが置かれていたのではないかという心象を持ちました」

 保守党議員はいわれなき批判にさらされたと感じ、黙っているわけにはいかなかった。

 「保守党政権のときに、国民のためを思って取り組んでいた政策がおためごかしだったと言っているように聞こえますが、そんなエビデンスがあるんでしょうか」

 「私は何も決めつけて言っているわけではありません。そのような心象を持ったと言っているだけです。そのような心象を強めたきっかけはあります。保守党の重鎮から、『ヒットラーが、民主的手続きでワイマール憲法をナチス憲法に変えた手口を学んだらどうか』とか、『民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず』とかの発言を聞いた時です。発言内容もさることながら、その後も党の要職に居座り続けたことの方が驚きでしたね」

 質問した保守党議員も、そのときの重鎮の発言には義憤を覚えたので弁明する気にもなれずに黙ってしまった。

 畠中はさらに別の問題を指摘した。

 「そもそも、将来予測のシミュレーションは、具体的な数値を掲げた政策案でなければ不可能なんです。言うまでもありませんが。ところが、今まで、こうしたいという願望や努力目標を掲げるだけで、異次元の取り組みだとか新しい経済政策だとか言われても、シミュレーションのやりようがありません。目標をコミットせず、国民の期待感をくすぐるような言葉が躍るだけのキャッチコピー政治では先が見えないわけですね。そこで、改新党政権では、将来予測のシミュレーションが可能なように、できるだけ数値を明確にしてきました。そして、忘れてはいけないのは、プライバシーを保護しながら世帯ごとの消費額を捕捉できていますから、経済厚生の計測ができることになり、将来予測の評価軸も加わりました。これによって国民は、政策選択が非常にやりやすくなるはずです」

 「野党も対立軸を明確にして具体的数値を掲げた政策案を打ち出せば、国民は、将来予測を参考にして投票先を選ぶことができるようになるというわけですね」と、司会者。

 「石橋党首は、まだ道半ばで、まだやらねばならないことがあるとお考えです」

 「やり残しているというのは何でしょうか」と、司会者。

 「経済予測のシミュレーションを行っているのは国のシンクタンクや大学ですが、研究内容について政権に忖度(そんたく)する風潮が根強く残っていることを気にしておられています。学術部門に政権が関与しないように、学術会議の人事も政府への届出だけを義務化して認可は不要としました。それでも、今までの習慣は体に染みついて、すぐには消えないようです」

 「それは困ったものですね。何かいい手はありませんかね」と、司会者。

 「経済の将来予測の精度を競うコンテストのようなものを党首は考えておられるようです。A国の国防省が技術課題を提示してコンテストで競わせているのに倣ってシミュレーション精度を競わせようというわけです。それなら忖度なんてやっておれないですからね。A国のように懸賞を出すのではなく、精度のよい上位何グループかには、政府からの委託事業として潤沢な予算をつけようと考えています。もちろん与党案だけではなく、野党案も、具体的数値が提案されている限りシミュレーションの対象とします」

 収録時間が予定をはるかに超えて延びており、コメンテータがまとめに入った。

 「確かに、精度の高い経済予測ができるようになれば、各政党とも具体的な数値を掲げた政策を主張するようになり、有権者は投票先を決めやすくなります。次の総選挙までに精度の高いシミュレーションは間に合わないでしょうが、投票率は飛躍的に向上するでしょうね。選挙の後も、政治家の行動を見て、前の投票内容を修正できるということは、常時政治参加しているようなものですが、選挙で投票しなければ蚊帳の外ですからね」

 政治評論家がさらに補足した。

 「民主主義が一段高いレベルに進化したように感じますが、民主主義を高めた取り組みが他にもあります」

 「それは何でしょう」と、司会者。

 「地味で目立ちませんが、学術に対する政権の介入に終止符を打ち、独立性を高めたことです。学術研究は、政権から独立することで、政権とは異なった多様な価値観で社会を安定に支える役割を果たしていたんですが、前政権は学術研究の領域にも介入して独立性を制限していました」

 「国の予算で研究をするのだから、政権が介入するのは当然だ、という意見もありますが」と、司会者。

 「国が予算を出すのだから政権がすべてを仕切るのは当然だという考えは危険です。学術研究の独立性はささいな問題だと片づけられないのは、これが最後の砦だったからです。立法、行政、司法の三権分立は、それぞれの独立性を尊重することで国の安定を実現しようとするもので、三脚の足を広げて安定に立つようなものですね。その三権すべてが政権にそんたくするようになったのは、背景に人事権があるからだろうということは透けて見えました。まるで三脚の足をすぼめて一本足にするような愚行で、社会を不安定にさせます。三権分立と同じくらい政府からの独立性が重要視されるのは中央銀行です。政府が容易に借金できてしまうと、安易なバラマキ政治で財政を痛めてしまうという問題が起こるからです。しかし、前政権は中央銀行を政府の子会社呼ばわりして介入し、大規模金融緩和で通貨安を誘導し、我が国を貧乏国にしました。政府から独立して、政府の独善的な暴走にブレーキを掛けるチェック機能を果たし得るのは、学術研究部門だけかもしれません。最後の砦と言ったのはそういう意味です。多面的で多様な価値観を切り捨てて、政府の価値観に糾合してしまうのは一本足で立つようなもので、いつ倒れるかわかりません」

 「一本足でも、地中深く埋め込んだ電柱は倒れることはありません。一本足だから倒れるというのは根拠のない決めつけではないですか」

 こう言って保守党議員が突っ込むと、政治評論家はすぐさま返した。

 「地中深く埋め込んだ電柱でも、大地震が来ればぽっきり折れますよ。脚を目一杯広げた三脚は、大地震が来ても横滑りをすることはあっても倒れることはありません」

 司会者が割って入った。

 「禅問答のようになってきましたが、本日は非常にいい議論ができたと思います。残念ながら時間も無くなってきましたので、本日の討論会はここまでとさせていただきます。ありがとうございました」


 白熱した時事討論会の収録は、実際には予定の2倍の時間を費やした。収録後の報道局編成会議で、番組時間内に収めるためにどこをカットするか議論した。しかし、カットすべきではないという意見が大勢を占め、2回に分けて2週続けて放送することになった。収録した映像をいくつかに分割して、間に何人かの有識者がコメントを加えるという形で時間が調整された。

 実際に放送されると、世間の反応は大きかった。誰でもすぐわかる平易な内容ではなかったが、有識者のコメントが理解を助けたこともあるが、彼らがこぞって現政権の政策を絶賛したことで、国民の期待は膨らみ、将来不安はしぼんだ。

 その後、国民は、目まぐるしい変貌を遂げる国の姿を目の当たりにすることになる。各省庁から出された、過去にとらわれない新提案を矢継ぎ早に法案化したことで、我が国が長年抱えていた難問を次々と解決したのだ。そのことが、今までの政権の無為無策ぶりを浮き彫りにすることにもなった。

 

 

 畠中は続けた。

 「誰でもすぐに気がつく簡単な話です。生産者に炭素税を課税すると、輸出価格が上昇し、国際競争力が低下します。しかし、消費者が炭素税を負担することにすれば、輸出時には課税されず、国内消費時に、国産品だけでなく、輸入品にも公平に炭素税が掛ります。だから、炭素税が国際競争力に影響することはなくなります」

 「しかし、それは増税ですから消費が落ち込みますよ」と、保守党議員。

 「増税という言葉が政治家にとってタブーだということは承知しています。我が国だけでなく、万国共通ですね。そして、政治家の口から決まって出てくる言葉は『増税は消費を低迷させて経済を悪化させる』です。しかし、石橋党首はよく言っていました。『増税をタブー視するのは、消費を低迷させることを恐れてではなく、支持率を低迷させることを恐れているからだ』と」

 「先ほど、個人的意見だと前置きしたのは、炭素税の導入に関して、石橋党首はまだ同意されていないということでしょうか」と、司会者。

 「いえ、そんなことはありません。そもそも、石橋党首が我々の党に合流したのは、前の政党に居たら、彼が政治の世界に飛び込んだときの清廉な志が萎えてしまいそうなことに嫌気がさしたからだそうです」

 「政権与党内では、国民そっちのけで権力抗争に明け暮れるのが常ですから、そうした中で清廉な理念を貫くのは至難の業でしょうからね。とは言っても、政権政党からの離党を決意するには相当勇気が必要ですよね」と、コメンテータ。

 「党首が言うには、権力抗争に嫌気がさしながらも離党までは容易に決意できなかったそうです。そんな折、“サピエンス経済”を読んで、それが琴線に触れ、目が覚めたとのことです」

 「どういうところで目が覚めたのでしょう」と、司会者。

 「一言で言えば、『真の民主主義の可能性を感じた』から、とのことです」

 「真の民主主義というのであれば、今までの民主主義は似非民主主義ということになりますが、“真”と“似非”の違いはどこにあるのでしょうか」と、司会者が畳みかける。

 「強いて言えば、民主主義の形式を自分最適に利用する政治姿勢が似非民主主義で、国民主権の阻害要因を取り除いて国民最適を目指す政治姿勢の中に宿るのが真の民主主義ということでしょうか」

 「選挙の時に、プライバシーコードに紐づけて投票内容を保存して、有権者は後から投票内容を変更できるようにしたのは画期的ですが、それも国民主権を尊重した政治形態というわけですね」と、コメンテータ。

 「はい、その通りです。でも、国民最適を目指すための重要な阻害要因はまだ残っています」

 「重要な阻害要因とは何でしょう」と、司会者。

 「最大の問題は、ほとんどの有権者には、候補者の掲げる政策案のいずれが自分最適であるかの判断がつかないということです。税制問題のように、目先の損得については判断できても、長い目で見たときの良し悪しは皆目見当がつかないという有権者がほとんどです。その意味では、投票とは、どれが当たりか分からないクジを引くようなものです」

 政治評論家がはじめて口を開き、持論を展開し始めた。

 「当たりくじがあればよいのですが、空くじばかりと感じている有権者が多いだろうと思います。そうした多くの有権者が投票先を決める判断材料は、候補者の知名度とか、目先の損得とか、縁のある組織からの推薦などです。だから、多くの運動員が候補者の売り込みに駆けずり回る、いわゆる“どぶ板選挙”や、片っ端から有権者に電話を掛けまくる“電話作戦”が有効になるわけですね。それにはお金がかかります。つまり、お金を掛ければ掛けるほど候補者が有利になるのは、強く支持したくなるような政策がどこからも出てこないからでしょうね。私は、金権政治が政治を劣化させたのではなく、魅力的な政策案も出せない政治の劣化が金権政治をはびこらせていたのだと思いますよ。だから、改新党が魅力たっぷりの政策案を掲げると、金権政治は吹っ飛んでしまいました。改新党政権が続く限り、当たりクジなしのくじ引きみたいな選挙になることはないでしょう」

 以外にも、畠中がそれを即座に否定した。

 「それは改新党を買いかぶりすぎです。改新党は政治を大改革しましたが、これは、統治機構の構造改革ですから、現在と将来のどちらを重視するかというようなトレードオフの問題ではありません。今まで政治家自身では絶対にできなかった政治機構のリストラを断行したわけですから、今を良くするために問題を先送りするようなものではありません。この政治改革は現在から未来まで、輝きを失うことはないと思います。この改革を逆行させようと企てる政治家は当選できないでしょうから。私がくじ引き選挙といっているのは政治機構の改革ではなく、政策そのものの問題なんです。経済政策、少子化対策など、長年解決の糸口さえつかめないでいる問題です」

 「しかし、前回の選挙では改新党が圧倒的な支持を得て政権を奪取しました。それは、まさにサピエンス経済を具現化しようとする改新党の政策が選挙民に選択された結果ではないでしょうか」と、司会者が怪訝そうな顔。

 「改新党は、楽観視していません。前回選挙では確かに大躍進しました。その最大の要因は、議員をリストラするような政策を掲げたからだと分析しています。自分たち自身のリストラなんてできっこないと誰しもが思っていたのに、それをやってのけたわけですから。サピエンス経済の具現化も選挙民に評価されたことはありがたく思っていますが、それは、ベーシックインカムの導入に対する目先のメリットを評価したもので、将来まで見据えての評価とまでは言えないと思います」

 「経済政策を将来まで見据えて有権者が評価することは現実的には不可能ではないでしょうか」と、コメンテータ。

 「問題はそこなんです」

 畠中は、その問題について石橋党首が考えているアイデアを紹介した。それには、出席している経済学者が目を輝かせた。石橋のアイデアは、畠中の経験がヒントになっていたらしい。
 

 

 

 「繰り返しますが、永続性のある自律的経済成長を続けるためには、銀行が預かった預金の何倍も融資する信用創造が必要。そのためには、企業の投資意欲が旺盛であることが必要。そのためには、設備投資によって増加する生産量を吸収するだけの消費マインドが必要。貯めるより消費する方が幸せなのだが、それを阻むのは将来不安。という具合に、問題点を掘り下げていくと、最後に行き着くのは将来不安でした。将来不安が消費不況の原因になっているということは、以前から指摘されてきたことで、何も目新しくはありませんが、強調したいのは、将来不安が経済低迷の原因になっているというだけにとどまらず、それが根源的であるという点です」

 経済学者の発言は、それを支持するものだった。
 
 「大規模金融緩和をしても設備投資がほとんど活発化しないのは、資金不足のためではなく、需要不足のためだという分析は私も同意します。その原因に将来不安があることは否定しませんが、問題は、それがわかっていても今まで誰も対処できなかったということです」

 「今まで誰も対処できなかったのは、なぜだと思われますか」

との司会者の問に、経済学者は答えた。

 「将来不安がなくならないと景気は良くならない、景気が良くならないと将来不安が解消しない、という“ニワトリが先か、タマゴが先か”という問題があることはたしかだと思います。それに輪をかけて将来不安をつのらせていたのは、問題点がわかっていても何ら有効な手が打てないでいた政府の無策ぶりだったんじゃないでしょうか」

 コメンテータの政治部長が確認の質問をした。

 「それは、政権が代わったので、政府に対する将来不安が和らぐことが期待できるということを意味しているのでしょうか」

 「そう理解していただいて結構です。ベーシックインカムの導入や消費税の直節税化など、今までは考えられなかったような経済政策の大変革に、国民の期待感は膨らんでいると思います」

 コメンテータがそれを裏書きするように、改新党の政権支持率が80%近いことを伝えた。今までは考えられなかったような支持率だ。世界に目を向けると、そんな国は、言論統制された独裁国家か、民主化を勝ち取ったばかりの若い国家のいずれかだ。N国は、民主国家になって80年近くになる。しかし、それは、敗戦後に戦勝国から与えられたもので国民が勝ち取ったものではなかった。その意味では、現政権が国民の主権を大幅に向上したことで、国民は、初めて真の民主主義を勝ち取ったという高揚感に浸っているのかもしれない。

 コメンテータが、さらに言葉を重ねた。

 「経済政策の大変革以来、プライバシーを保護しながら消費データがビッグデータとして吸い上げられて、その集計が月遅れで開示されていますが、それを見る限り消費は確実に伸びています。国民の将来不安が縮減しつつあると考えられます」

 司会者は、左派系の野党議員に意見を求めた。

 「先進国は十分成熟しており、これ以上の進歩が必要だろうか、現状の生活レベルでいいではないか、と経済成長の必要性を否定する意見も少なくありません。経済成長を安定に続けることが本当に必要でしょうか」

 司会者が、その疑問に対する畠中の見解を求めた。

 「経済成長はこれ以上必要ないとの意見はたしかによく聞かれるようになりました。ただ、経済成長が止まれば結果的に企業部門全体としての利益は消滅します。その因果関係は“サピエンス経済”の中で証明していますが、シュンペーターも分かりやすいモデルで説明しています。成長が止まれば、利潤動機に基づく企業活動が社会を発展させてきたというモデルが破綻しますから、新しい社会モデルを合わせて提案しなければ成長不要論は無責任と言わざるを得ません。が、今はその話は置いておきます。それよりも、成長が止まれば別の深刻な問題が生じますから、経済成長はやはり止めるわけにはいかないんです」

 「別の深刻な問題というのは何でしょう」と、司会者。

 「経済成長を止めて、南北格差を固定化するのでしょうか。それで、平和が保てるでしょうか。また、経済成長が止まれば、生産力を環境保全に振り分ける余力がなくなります。環境問題をこのまま放置すれば、地球温暖化がティッピングポイントを越えて後戻りできなくなるかもしれないと多くの専門家が警鐘を鳴らしています。杞憂(きゆう)であればいいのですが、本当にそうなれば人類は座して死を待つことにもなりかねません」

 コメンテータがすかさず問いかけた。

 「地球温暖化に関する専門家の指摘は嘘だという人もいます。A国の元大統領もそうでした。さらに、温暖化対策は喫緊の課題だと認識している国々でも、押しなべて対策が思うように進んでいません。我が国も今までそうでした。新政権は、この問題に対しては具体的にどのように取り組むつもりでしょうか」

 畠中は、内閣として結論を出しているわけではないが、あくまでも個人的な意見として私見を述べた。

 「これはまだ私の個人的な見解ですが、CO2排出という代償と引き換えに便益を得ている受益者が、同等量のCO2を削減するためのコストを負担するのが筋だと思います」

 保守党議員は前政権与党として、それには反論しないわけにはいかなかった。

 「我々が政権与党の時代にも、地球温暖化が大問題だという意識は持っていました。しかし、環境負荷に対するコストを徴収できるのは政府だけで、それは環境税という形になります。環境税は生産コストを押し上げますので、他国以上の環境税を課すと国際競争力を損なうことになりますから、各国が互いにけん制しあって、なかなか思うように進まなかったというのが実態です。畠中さんは、自国産業の国際競争力が損なわれてもよいというお考えなのでしょうか」

 このような反論こそ畠中が望んだもので、保守党議員はその術中にはまった。畠中の反応は素早かった。

 「まさにそこがポイントなんです。どの国も固定観念にとらわれているんです。それは、生産時に排出するCO2の削減義務は生産者にあり、そのためのコストは生産者自身が負担すべきだという固定観念です。はたして、そこに疑念をさしはさむ余地がないと言い切れるでしょうか。私はそこに疑念を抱いています。生産のためにCO2を排出するのは確かに生産者ですが、生産された財・サービスの受益者は消費者です。であれば、炭素税は消費者が負担するのが筋ではないかと思います」

 保守党議員が、ここぞとばかりに舌鋒鋭く反論した。

 「炭素税を生産者が負担しても、結局は価格に転嫁されることになるんだから、消費者から徴税するのと同じことじゃないか」

 吐いて捨てるような口調だ。小馬鹿にしているような印象すら与えてしまったことを、後々反省することになるのだが、この時は鬼の首を立ったような気分だった。
 だが、畠中は微塵も動じない。というよりも、思うつぼだったようだ。この反論をサラリとかわした。

 「実は、炭素税を事業者が負担するか消費者が負担するかによって、大きな違いが出てきます。その違いに気がつかない限り、各国がけん制しあって、CO2排出問題が遅々として進まないという罠(わな)から抜け出すことは難しいかもしれません」

 保守党議員の反応を楽しむかのように間を置くと、司会者が先を促した。