石橋は、畠中ら3人の顧問と忘年会を開いた。場所は、以前のような市中のレストランではなく、ホテルの割烹だ。石橋は首相になって、上級国民という自意識からそのような店を選んだわけではない。四六時中警護に着いているSPの負担が少しでも軽くなるようにとの気遣いからだ。
 石橋は首相に就いて以来、毎年恒例としている彼らとの忘年会を楽しみにしている。首相ともなると、一般国民の本音の声を直接聞く機会がほとんどない。国民の声として、議員や秘書を通じて届くのは、一般国民というよりも議員を取り巻く支持者の声だ。マスコミ報道を通じて伝わってくる国民の声も貴重なのだが、報道各社の意図に沿ってフィルタが掛けられている。それでも、国民からの支持率を知るためには有用かもしれないが、石橋は支持率を気にして政策を選択するつもりは微塵もない。
 石橋が知りたいのは、支持率ではなく、国民の幸福度だ。ただ、幸福度を定量的に計測するバロメータは存在しないので、生活に対する満足感や安心感などを、直接肌感覚で感じ取りたいのだ。畠中らからの情報はその一助となる。

 畠中、合田、町田の顧問3人組が店で待っていると、石橋がSPを部屋の外に残して個室に入ってきた。席に着くや否や、石橋は、三人に一年の労をねぎらい、お決まりの質問を投げかけた。

 「今年一年、世間の風はどうでしたかねえ」

 合田がまず口火を切った。

 「一般市民の声ではありませんが、古くからの経済学者仲間は、押しなべて今の経済状況を高く評価していますね。大規模金融緩和が始まったときには、こんなものがうまく行くはずがない、と言っていた仲間がほとんどでした。でも、それに代わる代替策も思いつかなかったので、口を閉ざして象牙の塔にこもって、自分の専門分野に没頭していました」

 「まあ、学問としての経済学と経済政策とは、似て非なるもんだからねえ」

 学術会議には一切口を出さない石橋らしく、こう言ってアカデミズムに理解を示した。

 「そう言われるとこそばゆいですね。正直言って、経済学が経済政策から無縁であってはならないと経済学者は思っています。現在、先進国は新自由主義経済の政策をとっていますが、行き詰まりを見せているのは間違いないと思っています。解決策として我が国では大規模金融緩和策が取られたわけですが、A国でもMMTと呼ばれる現代貨幣理論が提案されて、赤字国債は容認されると論じています。我々経済学者仲間の多くは懐疑的なんですが、それに代わる案がなければ表立った反対はできないですよね」

 「ところで、今ごろこんなことを聞くのもなんだけど、経済学者の合田さんと、開発技術者だった畠中さんがどうして知り合いになったの」

 そういえば、畠中は、その経緯を石橋に詳しく話したことはなかったので、同窓会で久しぶりに再会して以来の一連の経緯を詳しく話した。その後に合田が補足を加えた。

 「実は、同窓会で席が隣同士になりましてね。僕が経済学者だと聞くと、『イノベーションだけではこの国の経済を救えない』と言い出すんですね。なぜかと聞くと、DLDを開発して、新商品は事業として成功したんだけど、この国の深刻なデフレ経済からの脱却には何の役にも立たなかったことを痛感したらしいんです。それで経済に関心を持つようになって、基本的なことを独学で勉強して、あるべき経済の姿を自分なりに描いたと言うんですね。でも、世間の経済専門家が唱えている経済とあまりに違いすぎるので不安になって、経済学者としての僕の意見を聞きたかったみたいです。そうでしたよね」

 そう言って合田が畠中の顔を覗くと、口元を緩めてうなづいている。合田は続けた。

 「でも、彼の理論展開は理路整然としていて、理論的ほころびは見当たりませんでしたね。でも、今までの経済専門家が誰も考えなかったような新発想が含まれていて、それが今までとはまったく違う結論を導き出していました」

 「そうだったの。理工系人間の論理的新発想と経済専門家の化学反応から“サピエンス経済”が誕生したというわけか」

 「いや、僕が畠中君と出会ったときには“サピエンス経済”の骨格はできていました。彼は、経済成長で実績を上げてきた新自由主義を大学で学ぶことなく、新自由主義で行き詰っている我が国経済をどうしたものかと、自分の頭で基本的な概念から考えて、行き着いたのが“厚生経済学”に近いものだったようです。その厚生経済学的概念と彼の理工学知識に裏付けられたプライバシーコードとが彼自身の中で化学反応して生まれたのが“サピエンス経済”ではないかと思っています。その“サピエンス経済”を経済学者の立場で命名するなら“新厚生経済学”ですね」

 「なるほど、“サピエンス経済”の概念が、経済の門外漢である理系人間からなぜ出てきたのか、分かったような気がするよ。ともあれ、経済学者の目から見て、今の経済政策が高く評価されたことはうれしいね。それはさておき、市中の人々の暮らしぶりはどうだろう」

 「医療現場から見た景色は激変しましたね。前政権の末期には、従来の保険証を廃止して個人ナンバーカードへの統合をゴリ押しして医療現場も患者も大混乱しましたからね。患者と医療機関と保険組合が三方よしじゃなくて三方悪(あ)しでした。でも、政権が交代して、従来の保険証をそのまま使えるようにしたら、混乱は瞬時に収まりました。改新党政権が、医療情報をプライバシーコードごとにデータベース化するという自治体連合の制度を、国レベルに格上げした効果は絶大ですね。個人の医療情報を仮名化データベースに統合することで、患者のメリットがはっきりしましたから、ほとんどの患者さんがプライバシーカードを提示しています」

 「なるほど。プライバシーカードは、国民が大歓迎するようなはっきりしたメリットがあったから、国が巨額の予算を使ってプロモーションしなくても、勝手に行き渡ったわけだ。我が国では、医療情報は患者のものか医師のものかという議論が進まず、各医療機関の医療情報を統合するデータベース化がなおざりになっていたらしいね。プライバシーカードを採用していた自治体では、患者がデータベース化を望み、医療機関も、患者離れを防ぐために、データベース化に協力せざるを得なくなったというわけだね」

 「医師としては、カルテを抱え込んで、患者を引き留められるようにしたいという医師会の空気が分からないでもないですけどね」

 「それにしても、仮名化データベースを民間に開放すると提案されたときには、そこに統合されている医療情報は大丈夫かと、最初は驚いたよ」

 そう言って、石橋は笑みを浮かべて畠中を見遣り、畠中はそれに応えた。

 「プライバシーカードはもともと地方自治体で医療情報をデータベース化する用途から始まりましたが、用途を多方面に展開することは当初から織り込んでいましたから、その前提で仕様を設計しました。ですから、データの種類に応じてアクセス権を制御できるようにしています。民間に開放したとは言っても、アクセス権はマーケティングに有用な消費情報だけで、医療情報へのアクセス権は医療関係者に限定しています」

 町田が、医療従事者の立場で補足した。

 「大手製薬会社のベンチャー投資で設立された企業がAI診断補助システムを開発して、今はどの医療機関もそれを使っています。検査で得られた患者の画像情報や測定値を、データベースに保存されている過去分と比較して、その差分にも注視して予備診断を行うようにしています。これによって、画像細部の見落としによる医療過誤が激減し、診断時間が大幅に削減されることが高く評価されています。そのベンチャーは今や立派な企業に成長しましたね。ベンチャー投資を後押しする政策の効果と言えますね」

 「医療をとりまく環境は激変しているようだね。保険証は今まで通り使えたんだけど、ほとんどの患者が提示しているプライバシーカードに保険証機能を入れてほしいという国民の要望が強くなっているというのも皮肉なもんだね。病院の景色が様変わりしたことはよく分かったけど、街中の景色はどうだろう」

 畠中が、二人の顧問の視線に促されて、口を開いた。

 「様変わりしました。三人で時々居酒屋に行く機会があるのですが、周りから聞こえてくる会話の雰囲気が変わってきましたね。かつては、上司の悪口や同僚のうわさ話などの下世話な話に混じって、政治に対する不満や、年金問題などの将来不安などが漏れ伝わってきたものですが、そんな暗い話はほとんど聞かれなくなりましたね。笑い声が増え、雰囲気が明るくなったような気がします」

 このような話から始まったが、社会の激変ぶりを語りつくすには三日三晩、いや、千一夜かかりそうなほど多岐にわたる話がこの後も続いた。