各々を認め合う中での自信 | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

自分たちコーヒー屋の世界ってのはだいたい皆さんそれぞれに

 

「自分はこうだ」をお持ちな場合が多い(特に焙煎士さん)ので

 

誰の言ってることが正しいとか間違いという感覚で捉えるではなく

 

みんなそれぞれに想いを持ってものづくりをしているんだなと

 

陶芸家さんや絵描きさんと同じような見方をするのがベターだと思っています。

 

 

他者を否定した中で さも自分が正しいかのように表現することは

 

時に自らを「下げて」いるということにもなりかねません。

 

というかその言葉を見る・聞く側の立場に立ったらどうか?です。

 

 

あの店のひとはいつも文句ばっかり言ってるなぁと思われたら嫌でしょ笑。

 

常々言ってるように自分はあくまでコーヒーの世界を楽しんでもらいたくて

 

そのきっかけとして自分が機能できていればそれが本望であって。

 

ずっとウチの店に来てくれとか、ウチが一番うまいとかではなく

 

「ウチはこんなんだけど、あそこの店は〇〇が凄いんだよ」と

 

自慢し合えるような同業者が周りにもっと増えたらいいな~という願望も。

 

思いやり 気配り 商売という関係性では大事なこと。

 

 

なんしか「ここだけ」で終わらせてしまうと その結果に待ち受けるのは

 

循環の生まれない世界 なんじゃないかと思うんです。

 

 

なにか新しいことを考えた! これは自分のアイデアだから渡さない!

 

で、特許とって~商標とって~ とかも大事なことなんだろうと思うけど

 

その後の世界において一番楽しみを早く増やす方法はなんだろうと考えた時

 

誰にとっても「ええやんそれ!」が作れる過程を作りたいんです。

 

だから 自分だけひとりじめ! は違うなって。

 

 

色んなアイデアが自分の中にはまだまだあって

 

それを実際にカタチにしたり しようとしたときに

 

過去には所謂 「パクられた」 「アイデアだけもってかれた」 もあるし

 

その時については酷く落ち込んだり苛立ったりもしたんですけど

 

まあ結果的に自分がきっかけにはなったんだろうとおおらかに捉えちゃえば

 

よかったね、めでたしめでたし。が程よい落としどころなんだろうと笑。

 

(勿論こういう考えに至るまでは苦しかったけど。)

 

 

結構世の中には 一喜一憂のプロ が溢れかえってるもんだし

 

自分もかつてはそうでした。今でもたまーに自分の内面に垣間見えますけど・・

 

極論、極論ですよ、でもこれ絶対だと思うんえす

 

楽しい人生を目指す上で 苛々してる・悲しんでいる暇は無い 

 

です。 効率化って言葉を使うとなんかすごく冷酷な奴に聞こえるけど

 

誰だって1日でも早く「もっと幸せになりたい」と思ってるだろうし

 

それを目指す過程で必要なネガティブ要素も時々はやってくるけど

 

その事象に対しては真剣にひとつひとつ向きあうべきだと思うけど

 

そこに費やす時間は最低限で済ませるに越したことはない気がします。

 

そのエネルギーも時間も凄く勿体ないなとか、他に使えるじゃんとか思うしで。

 

 

そもそも今、この時点での幸せだと思えることに焦点をあてたことがあるか?

 

あるいは

 

今すでに幸せだという認識を持った人間が目指す より幸せな自分の方が

 

今が不幸である前提で探す幸せよりも「質」は上がるんじゃないか?

 

みたいなことです。

 

 

背負ってるもんはいっくらでもあるけど幸せですよ、僕は今。

 

言い切れるから、その自分に自信が持てるし、それを過信にならぬよう

 

自分を制御できる気持ちの余裕・余白を持っていられるのだと思います。

 

 

感情的になったときに思いっきり「我慢しない!」も大事ですしネ笑。

 

 

足を引っ張られることにわざわざ近寄り続ける必要もないし

 

手を引っ張り上げてくれる誰かが居るなら・何かがあるなら

 

そっちを視界の中央に据えてった方が何かと「面白い」が見えます。

 

 

切り替えがなかなか出来ないひとも(自分含め)沢山いると思うけど

 

そこで「切り替えなきゃ」ではなくて、その感情すら断捨離するもよし、

 

「まあこれはこれ。」というシャッターの締め方が

 

そんなのはダメだ とは誰にも言われる筋合いはないです。

 

爆発しそうなときは抑え込まずに 一気に出しきってしまえばいい。

 

 

「パッ」と出して「サッ」と締めて「シュッ」と片づける!笑

 

 

ものすごく自分勝手(に見える感じ)に生きていくことに対する

 

マインドブロックは間違いなく誰にだってあるものだけど

 

自分勝手でいいと思います。 我慢してしんどくなるぐらいなら。

 

 

他者との比較だったり 周り環境の「目」を気にしすぎてしまうと

 

それこそ 人生で大事な残りの時間を 生き切るという観点では

 

浪費 に近い時間の割合を増やすだけかも。かもです。

 

わかりづらい表現になっちゃったけど完結に言えば・・

 

 

自分が大事だと感じる全てを しっかり大事にすること

 

それ以外を取捨選択していくスキルを身に付ける努力を続けること

 

とかでしょうか。 もちろん「これ良いな!」を見付ける力も。

 

 

味わい切って死にたいでしょ。 人生一度っきりなので。

 

 

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冒頭のハナシにもどりますが

 

 

よそはよそ なんです。

 

でもその よそさま が居なければ成り立ってない世界もあるから

 

まずはお互いを受け入れて認め合ってくことが大事だということです。

 

 

同じ業界にいる人間を真っ向否定して「自分が正しい」ではなくて。

 

おかしく感じるようなことしてる人とか 受け入れがたい人の中にこそ

 

自分が想定できなかった常識や学ぶ必要のあることが隠れてるかもしれない。

 

「見たくない!」ではなく「見ようとしない」でもなくて

 

「へぇ~あのひとはそうなのか~」って覗いてみればいい。否定するではなく。

 

 

僕は缶コーヒーが大好きなのですごく沢山日常的に飲んでいます。

 

自家焙煎のコーヒー屋が言うのもなんですけど。笑

 

 

でも、なんで大衆的にあるものを受け入れるのかって

 

それを知らずにプロを語るのは違うと思っているからです。

 

(これは単に自分の考えなので異論は認めない笑。)

 

 

チェーン店で出されるコーヒーを否定的に捉えていいのは

 

一般消費者だけでいいと思うんです。

 

 

実際、スタバにせよコンビニコーヒーにせよ

 

「コーヒーを世に普及する力」の一端を間違いなく担ってくれていて

 

それこそスタバができなかったらここまで自分もコーヒー飲んでないし

 

チェーン店としてのサービスの質・提供手順や就労環境にせよ学ぶことは多々。

 

セカンドウェーブのコーヒー屋としての役割はまだ終わってもいませんし

 

むしろまだまだ生き残り続けるのは明確に感じるじゃないですか。

 

 

焙煎士だからって「スタバのコーヒーおいしくないよね~」は違う。

 

僕はそういう考えの持ち主である、プロの焙煎士、です。笑

 

大衆的なものも「それはそれ」ですけどね。

 

 

「いいものをお客さんに届けたい」

 

そういう想いは当たり前に持っているわけだし

 

「いいものを作れる自分で在り続けたい・もっと成長したい」

 

それも当たり前に意識し続けています。

 

 

だからこその どれだけ沢山の視野・目線を

 

消費者のみなさんと共有できるのか

 

「おしつけ」になってしまっていないか?もそうだし

 

過分なまでの「我」を出したいわけでもないです。

 

全体が よくなってけばいいな を考えたときの

 

自分ができることの、できるだけを続けていくことにせよ

 

チェーン店やコンビニもその役割としてのコーヒー屋のひとつであって

 

否定する理由は見当たりません。むしろありがとう。

 

 

 

まあとか色々ゆーてますけど 自分のが一番おいしいんですけどね。笑

 

 

同業者のお店に行って自分が感じるあくまでの主観としての感想は色々思うけど

 

だからって否定的なことをどうこう言うのも書くのもしたくないです。

 

いいと思う店については全力でお客さんにお薦めしまくってます。

 

むしろ自分の店の宣伝なんかほっとんどしないし。笑

 

みんなで潤ってかないと。

 

 

いや、自分のが一番好きだけども! 

 

そこは、揺らいじゃだめですから言い切りますけどね笑。

 

 

ジメジメしんどい時期ですが、良い週末を!

 

今日、そして明日月曜日も9時~17時までの営業です。