人生をフルコースで | 独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

独り言が多い珈琲焙煎士のダイヤリー

流行りの珈琲に左右されない味を貫く珈琲焙煎士

僕はただひたすらに「おいしい」を届けたいだけ。
自分を磨き続け、澄んだ世界で創る最高の一杯を。

いつもニコニコと笑顔で人前に立つあのひとが もし

 

途方もない絶望と不安を抱えながら 毎日を生きていて

 

帰り着いた夜遅く 自宅の玄関で今日も朝まで気絶していたとしたら

 

そのひとが本当に傍から見える「幸せであろう今日」を

 

生きていたとは到底言えないわけだ。

 

 

誰にだってある実生活の 二面性 について考えるとき

 

元気な状態 と そうでない状態

 

あるいは

 

心地よい気持ちのとき と そうでないとき

 

どちらの場合であっても オモテ面のそのひとがニコニコしていて

 

元気に走り回っていたら 誰もそのウラ面に気付くはずもない。

 

 

自分もそれなりに背負う物事こそあるが

 

それをいちいちひけらかした所で誰得?だし

 

それこそ 可哀そうな人 なんて思われるのは心外だ。

 

 

引き寄せたいのは もっと元気で居られる現実 であって

 

そのための自分がどういう心持ちで過ごすべきかと考えたら

 

「笑ってる自分」「楽しんでる自分」で居るに越したことは無い。

 

 

リアルがどうであろうと 表出させている部分がそうであればあるほど

 

現実はそのポジティブに引っ張りあげられていくということだ。

 

 

「アイツいつも楽しそうだな!」

 

そう思うひとは自分の身の周りに本当に沢山いるし

 

そういう人はいちいち小言を発信しようとすらしない。

 

 

もうその人物像としての「ニコニコしている顏」だったり

 

面白おかしなことをしゃべってる姿がイメージとして完成されているわけだ。

 

だから 寄り付かない。 嫌われることも無い。

 

理由は単純で 寄せ付けないエネルギーが既に満ち足りてるから。

 

そして寄り付こうとも そこに関心を向けないから、足枷にはまりすらしないのだ。

 

隙間をつくるから、そこを付け入るスキと認識されてしまうということ。

 

 

「思考は現実化する」の言葉の通りで

 

まず今の自分の状況に対して余計に抗わずに居ること

 

そして 今は今の自分に満足できていると受け入れること

 

そして こうなったらいいな じゃなくて こうなっている自分 を

 

イメージして そういう自分であるために必要な行動や言葉を考えること

 

そして それを続けること。 軸をもって。 意識をもって。

 

(だからくどいほどに同じことをブログでも何度も自分は書く。笑)

 

 

そりゃ すぐに叶う夢もあると思うし

 

達成するに容易い目標だっていくらでもあるだろう

 

でもそれと 自分が持つ目標すべてをいちいち比べるではなく

 

短期的な人生目標なんかをいったん手放すぐらいの方が良い。

 

 

 

また同じこと言ってるよ で、いつになったらそれ実行すんのよ と

 

外野になればなるほどに余計な口をはさんでくる人も出るだろうけど

 

そこを相手している間にも時間は過ぎるし 相手をするほど人生は長くない。

 

「こうなりたい」と言い続けている人は 必ずというほど

 

そうなれるチャンス が巡る順番がやってくるものだ。 

 

 

そんな瞬間を自分の店の中ですら見てきた。

 

あるいは そんなチャンスを 与えてもきた。

 

 

5年後の自分の可能性に蓋をしてしまわないような今を生きること。

 

夢は眠ってから見るものではない。 起きてても夢は見ていていい。

 

「思想の自由」という言葉こそこういう意味合いで使われてほしい。

 

大人が夢を見て「夢なんか見てる場合か」と言われたらきっと

 

多くの人は現実的な視野を持つべきなのか考え込んでしまうだろう

 

今の状況でどうなのか 誰かと比べてどうなのか

 

でもそれはあまり同じ土俵に取り入れるものではない。

 

 

で、あなたはどうなりたいの?

 

 

自分だってよく言われるし 考えてるし 悩んでもいる。

 

いまだに不明瞭な未来をいくつも抱えている気がする。不安もある。

 

 

選択肢が多すぎることは 幸せでもあれば悩みでもある。

 

コーヒー屋だけが人生の終着点だとも全く思っていない。

 

でもそれをすぐにどうにかしなきゃ!では 強制 を感じる。 それは違う。

 

好きで始めた店仕事とものづくり 焦るなよって。なんでもかんでも。

 

 

顔が正面向いてさえいれば、そっちが「前」だし、そっちが「正解」。

 

 

壁が現れたら、背かず向きあって、登るなりくぐるなりして

 

超えた先を見ようとする、実際に見える所まではいってみる

 

判断はそれからでも遅くないし 間違いだったとしても

 

超えたこと という過程が必ず 効いて くるのが人生だと。

 

過程を蔑ろにし結果に執着するのは、哀れな事だと自分は思っている。

 

 

結果的にこうなっていた。 に対する ベターの積み重ねで

 

出来上がったところまでを ベストな状況 を呼べるぐらいに

 

「やりきってきました」ができてさえいれば それは幸せのひとつの形だと思う。

 

 

挫折 とか 断念 とか 失敗 という言葉で片づける前に

 

そこに至るまでになにをしてきたかを他者に対しても評価したい。

 

(明らかに何にも頑張ってないじゃん的な場合は別だが…。)

 

 

揚げ足をとろうとすることはいたって簡単だし

 

その誰かの否をわざわざ突っつく方が同意する人も多く

 

共通のターゲットを得たハイエナは途端に団結しようとする

 

それは結局「個」が弱いから。 簡単なことだ。

 

 

乗っかるだけなら、誰にだってすぐ出来る。

 

世の炎上騒ぎの殆どが滑稽に感じるだけで感情が浮かんでこない。

 

なにをしてるんだろう。この状況。

 

 

そんなTLを眺めながら 自分は鳥が躍ってる動画にいいねを付け

 

今日も軒先のツバメの雛(多分3羽)を眺め「頑張れよ!」と言うだけ。

 

幸せじゃん、こっちの方が。ずっと笑顔でいられる。

 

 

あとは適当にブログ書き殴っていつも通りコーヒーを淹れながら

 

お客さんとああでもないこうでもないとしょうもない話で笑い合う。

 

幸せじゃん、こっちの方が。(大事なことなので二回言ったw)

 

 

もっと物事はシンプルに捉えられるべきだと思っている。

 

同時に自分の人生も最終的にはシンプルな毎日にしていきたい。

 

必要な物と環境こそ整えるだろうが 稼ぎや物質的な潤いよりも

 

どうやって自分に個としての力を身に付け 

 

その周りにも個としての力が強い人を集め

 

独立している同士の 1.0以上同士の 掛け算をし続けるよう

 

整う場を作っていこうとしてる。(これはよく人にも言ってる。)

 

その中で、あるいはそのコミュニティの周辺で起きるスパイラルが

 

いかに質の良いもので、全体を豊かにするか。 それが理想で。

 

 

自分の人生の目的とは? というハナシはもっとあやふやなものだけど

 

それを死ぬまで見付けようとすることが目的という感覚で生きてきてもいる。

 

 

明確に「こうなりたい」をつくるだけが人生でもないんだろうと。

 

ひとに尋ねられてしまうと先述のように困ってしまうものだが、

 

目的をつくると そこまでの人生になるのも、おそらく嫌で。笑

 

 

このひねくれ根性が どんな未来の自分とか環境を作っていくのかに

 

面白がって乗ってくれるひとが増えたら 多分人生はもっと楽しくなるし

 

そうなっていく自分のイメージは少しずつ具現化されていってもいる。

 

 

要するに 面白い大人 が周りに増え始めた。

 

アラフォーというタイミングは何かと自分に刺激的だ。

 

今度は自分がこの波に乗っからせてもらうほかない。

 

 

だからそこで出てくるいつもの言葉 「役に立つこと」 だ。

 

テイカーであってはならない。あくまでギバー同士が居るから

 

そこに上質な掛け算が生まれる。 それは間違いないことだと思う。

 

 

足を引っ張り合うのではなく 手を差し伸べ合い 引っ張り上げること。

 

そういうひとが周りに溢れていく未来が 面白くないわけもない。

 

 

役に立てる自分になろうと意識して今を生きることで

 

変わる未来はほんの僅かであろうと 0ではないこと が大事で

 

頼まれたことに違和感さえなければ どんどん引き受けていけば

 

自分の新しい役目すらも見つかってしまうかもしれない。

 

 

なにをもっての「自立」かはわからないけれど

 

誰かにとっての「あのひとがいなきゃ」になったとき

 

おそらくその相手にとっての自分は「自立」したひととして

 

認められていることになるわけだから。

 

自分なんて・・・ と思ってないで 胸張ってればいい。

 

 

自分が この人は! と思える誰かひとりでもいい

 

そのひとを 全肯定 することだけでも

 

その誰かさんに生まれる大きな自信が未来を変えるかもしれない。

 

ネガティブの淵にいたら、振り返ってくれるかもしれない。

 

 

どんな絶望を抱えているひとだって

 

希望が見たいし 長く生きたいかもしれないし

 

幸せな今を生きてるなら 尚更そうだろう

 

 

この間死生観のハナシをここでも書いたことがあるけど

 

本当に自分がいつどうなってもいいとは思う ただし

 

その日 まではなるべく長く生きたいし 長く楽しみたい。

 

ミスチルも言ってるように。 「人生をフルコースで」

 

 

些細な事に気が付いて それを楽しんで

 

そこに感動したり 自分に取り入れたり

 

フレキシブルな心を持って生きてれば

 

受け入れることは難しくなくなっていく。

 

 

まだまだ固いアタマも自分にはあると思うし

 

違和感を感じると どうしても放っておけない

 

それもまた弱さだろうし 判断力の賜物でもあるだろうし

 

どんな自分も自分。 それはもう、そういうものだと思うでいい。

 

 

10年後 20年後 どれだけのひとが身の周りに居てくれて

 

どういう状況で自分が40代を終えようとしているか想像もつかないが

 

39歳というアラフォー真っただ中において思うのは

 

今はここで今の自分を受け入れて、幸せだとか感謝という気持ちを持って

 

目の前にあるひとも、ものも、フラットな気持ちで大切にしていれば

 

まあ将来が暗くはならんだろうと。 浅はかだろうがまあいい。笑

 

 

明日もちょっと街に出ようか。

 

今の自分はなんとなくインプットを欲しがっているらしく

 

多少しんどかろうが外に出たい気分らしい。

 

ジメジメとした1日で今日もマトモにアタマが動かなかったけれど

 

いま寝る前にしっかり事務仕事だけある程度終わらせておこう。

 

 

「なんかおもしろいことないかな?」

 

それが口癖になってしまうととても厄介かもしれない。

 

今 おもしろいことしか無いし そんな中で生きてる自分に気付けば

 

そんな言葉は出るはずもない。 「今日暇だな~」 も当然無くなる。

 

やること 「しか」 ないのが今の自分の実際だ。 どこに居たとしても。

 

 

志が高いわけじゃない。 やりたいことがある。 それだけのことなのだ。