昔ながらのラーメン | 酒と散歩の日々                                               

 ラーメン文化を表すに、百花繚乱という言葉がふさわしいほど、多様なラーメンが世に作り出されている。もうこれだけあれば、新しいアイデアも出なさそうなものだが、新機軸のラーメンが次々と打ち出されている。人類の(日本人の?)物事を応用し進歩させるこの英知には拍手を送りたい(大げさすぎるか?)。

 私もラーメンは嫌いではない。しかしながら、やはり歳とともに嗜好は変わってきた。初めて家系なラーメンをいただいたのはもう30年も前になるだろうか。たぶんまだ、その「家系」という呼び名はなかった。杉田に「吉村家」と呼ばれる濃厚なとんこつ醤油のラーメン屋があることは聞いたことはあった。ただ、行ったことはなし。

 横須賀の現在の県立大学駅近くのバス通りに「がんこ亭」というラーメン屋がオープンして、そこでこの濃いとんこつラーメンを喰った。いま改めて調べると、「がんこ亭」は「吉村家」から最初に独立した店(「家系」の呼び名が始まる前のことらしい)で横浜の釜利谷道路にあったと記憶している。たまに店の前を車で通り、その名に記憶があったので入店したのだ。県立大学にあったのは、その暖簾分けの店だったらしい。

 そのシステムに驚いた。「味濃いめ薄め、油多目少な目、麺固め・・・」等のリクエスト。そして出されたラーメンにはほうれん草のトッピング。確かメンマなし。そして、そのこってりとした味は若かった自分の私には最高であり、何度も通った。

 ・・・、いつしか家系を喰うと、胃にもたれるようになり、また「二郎系」も一度二度喰って胃にもたれることがわかり、だんだんと好みは原点回帰の「昔っからのやつ」へ。新機軸のラーメンの方でいうと、端麗系とよばれる方ばかり求めるようになった。

 それでも3年に一度くらいは、家系ならば喰ってもいいという衝動にはかられる。

 

 さて、私のラーメンの嗜好歴はこれくらいにする。

 我が家ではたまに「夕食各自」が発令される。つれあいがライヴに参戦したり、友人と食事をしに行ったりするときである。

 この日も、その「夕食各自」。

 

 その「昔ながらのラーメン」が喰いたくなって足を運んだのが、汐入の「一福」。ここは呑んでよし喰ってよし、昼によし夜によしの店。

 

 

 おや、カウンター前のホワイドボードが新調されて字が読みやすくなった。良きこと、良きこと。

まずはホッピーの氷入りを所望して、つまみを考えよう。

 

 

 お通しはポテサラだったかな。お願いしたのは、たぬき奴とメンチ玉子煮。どちらも、この「一福」ではよく注文する。たけのこ天も迷ったけれども、メンチの気分。多分、たぬき奴が先に出てくるだろう。メンチが出てきたタイミングか、ホッピーの中をお代わりするタイミングでラーメンを追加注文するつもり。

 

 

 ここのたぬき奴はそっけない。少し小振りの角に切った奴の上に、揚げ玉を散らし、ショウガなどの薬味を添えて麺つゆがかけてある。この麺つゆはたぶんもりそばなんかに使うやつの流用。これだけ口にするとしょっぱい。ただね、その濃いめの味付けが奴に合う。

 

 

 メンチ玉子煮がきたところで、ホッピーの中を追加。で、ラーメンも追加注文。作戦通りに進行している。

このメンチ玉子には、何度かこの店とともにブログに登場している。カツならば当たり前のこの料理がメンチだとここでしか目にしない。でもって、美味いのだ。料理って特許がないから、割とまねっこありありなんだけどね。好む客が私くらいなのかしらん。

 

 

 私的に、ラーメンの理想形がこの形。醤油ラーメン(麺が少し縮れて)に具はメンマにチャーシューにナルトにほうれん草。あとは小口の葱。このシンプルな組み合わせがなかなかないのだ。海苔は不要だし(のせてくる店が多い)、ほうれん草の代わりにわかめ(わかめは嫌いじゃないけどね)、ナルトはなくてもいいけどあれば最高(別に好きなわけじゃないのだが)。チャーシューも本来ならば「焼き豚=チャーシュー」が正解でそっちのが好きなのだが、この手のラーメンでこの価格でそこまで期待しない。ただ私的には、「煮豚≠チャーシュー」なのだ。呼び名を変えればいいのにとは思う。

 きっと、ラーメンを年に数百杯単位で喰う方はこのラーメンを出汁が云々、麺がのびやすいの云々いうんだろうねぇ。

 でも、私的には最高の一杯でもあるのさ。