初詣 回向院 | 酒と散歩の日々                                               

 能登の大地震から1日が経過した。余震・家屋の倒壊・津波の被害などなど報道されている。

寒い一夜を不安の中で過ごされた方も多いでしょう。

改めてお見舞い申し上げます。

 早く日常が戻ることお祈りすると同時に、常にこういう自然災害に対して油断のないようにしなければと思います。

 

 ブログの方は、新年の話を。

 昨日書いたように、年越しは国技館でむかえた。つれあいの好きなさだまさしさんの「カウントダウンコンサート」~「NHK 年の初めはさだまさし 2024」の観覧まで。

 その後、午前3時過ぎにホテルの部屋に戻る。

 

 のんびりと眠って、今年は初日の出もみなかった。

 そして、チェックアウト。

 昨年と一昨年はここから隅田川沿いを歩いて浅草寺で初詣を済ませたが、今年は人出も多そうだしつれあいの腰の具合もあってそれはなしに。

 代わりにせっかくの両国なので回向院へ参拝に出かけた。

 

 

 両国寄席へ訪れたりするため、私は何度か回向院にお参りをしているが、つれあいはこちらの門をくぐるのは初めて。

 

 

 回向院の開創の流れはこうだ。江戸時代に明和(1657)の大火(振袖火事)があり約10万人の方がなくなった。この方々の多くは、身元や身寄りのわからない人々。当時の将軍家綱が、この無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を行う。この時、建てられたお堂が回向院始まりでであるという。

 

 初詣の場所としてあまり喧伝されている様はない。みかけた人たちも、墓参りに来られた方が多いように見受けられた。

 

 

 門を入ってすぐ左手にあるのが「力塚」。昭和11年に相撲協会が、歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したもの。入門した新弟子たちが力をつけられるよう祈願をしにくるのだそうだ。

 この朝は、どこの一門だろう。清掃活動をされていた。皆さんどんどん力をつけて出世をしてください。

 両国といえば、相撲の地。それというのも天保の頃より旧両国国技館ができるまでの間は、この回向院の境内が年2回の興行の定場所であったことからきている。

 

 

 初代中村勘三郎の墓。

 

 

 塩地蔵。これの謂れを知らなかったが、たくさんの塩がお供えされているのにつれあいが気付いた。帰って調べてみると、江戸期の地蔵尊参りの1つに数えられていたそう。

 右奥には、鼠小僧次郎吉の墓。この墓石を削ったものが「長年捕まらなかった強運」「するりと通り抜ける」といったことか縁起物とされた。現在では墓石の代わりに削るための「お前立ち」が置かれている。

私たちも少し削ったものをいただいてきた。