せっかく覚えた昭和歌謡を歌う機会が減っている。
今となっては年に何回かオファーをくださる相応の年齢層の方々の前で歌うのみになっているのだが、いざ歌ってみると節回しなどが相当あやしくなっていることにハっとする。自作の歌だって忘れてしまうのだから仕方ないのかもしれないが、忘れる、忘れられる、どちらも寂しいものだ。
毎晩のように横丁へ呑みに来ていた通称「おかあさん」が姿を見せなくなって久しい。
日によって微妙にサバを読んだりするので「おかあさん」の正確な年齢はわからない。ただ疎開の話などからして八十代半ばだったろうと思う。横丁にくる会社で一番偉くなった御大レベルの御客さんよりさらに四半世紀も先輩だ。四十年にわたり小料理屋を切り盛りしてきたというこの粋な「おかあさん」を相手に、私は覚えたての古い唄を夜な夜なおさらいするのだった。といってもほとんどが「おかあさん」のリードで歌われ、周りからは拍手喝采となるのがいつもの風景で、日付がかわる深夜まで歌うこともザラであった。
「おかあさん」の十八番は「悲しい酒」と意外にも「傘がない」で「悲しい酒」に関しては、間奏にある情感たっぷりの台詞まで演じてくれる。こちらもエビ反ってトレモロや合いの手で応戦し、エンディング後の歓喜の咆哮「ほー!」を二人でやるのがお約束だった。
私は酒に弱いので、常に「流しに酒類を与えないで下さい」と書き出しているのだが、「おかあさん」の愛情はそんなものを飛び越えて流しを隣に座らせてしまう。口を尖がらせて「いいぢゃないのよ、ちょっとくらい」と言われれば抗うことはできない。いっしょにNHK「ゆうどきネットワーク」に出演したこともある。オンエアーで「おかあさん」が見せた、普段の江戸っ子口調とはまるで違う、酸いも甘いも知り尽くした女優のごとき語りっぷりには一同度肝を抜かれた。
エピソードは尽きないのだが、やがて「おかあさん」は実の息子さんと供に引っ越すことになる。そして横丁にも簡単に来られなくなった。ある場において、たった一人の人物がどれほどの風情を作り出していたのか、去られてしまうと改めてその寂しさと味気なさが身に沁みた。
それから一年も経たない先週のことだった。たまたま便所で隣り合った常連さんから思いがけない訃報を聞いた。
お通夜で、棺の中の痩せ細ってしまった「おかあさん」に再会して、ぐっと胸がつまった。お悔やみを申し上げ、ご遺族といっしょにスライドショーされてゆく映像を眺めている時、思いがけず出てきた横丁のシーンに再び胸が締まった。そこには「いいぢゃないのよ、ちょっとくらい」と言い放ち歌っている元気な「おかあさん」がいた。
横丁では、もはや誰も望まぬ古い唄たち、しかし好きな唄はたくさんある。そして「おかあさん」にとって「青春の唄」だったものは、私にとって「いっしょに歌った思い出の唄」になった。