景数 | 87景 |
題名 | 井の頭の池弁天の社 |
改印 | 安政3年4月 |
落款 | 廣重筆 |
描かれた日(推定) | 嘉永3年ころ |
名所江戸百景のシリーズの中では、最も離れた地のこの絵は、江戸時代初期の命綱とされた神田上水の水源に当たる井の頭池を描いている。
江戸開府当初、今後の江戸の発展には水が不可欠と考えた家康は、豊富な水量がわき出る井の頭池に目を付け、大久保忠行に上水開削を命じた。完成したのは3代家光のころとされ、神田上水と名付けられた。神田上水は、116景「高田姿見のはし俤の橋砂利場」、40景「せき口上水端はせを庵椿やま」、48景「水道橋駿河台」を通って、江戸の江戸城内、神田、日本橋までの水源を供給していた。
それまでの水源は、溜池、牛ヶ淵、千鳥ヶ淵などを利用していたことを考えると、上水が引かれたことで生活が便利になったことは間違えない。
名所江戸百景が描かれた江戸の範囲は、広重がいままで描いてきた浮世絵から見ると、明らかに広範囲に及んでおり、その範囲をどのように決めてか長年不明だった。広重と浮世絵風景画
この絵に描かれているものを見てみよう。手前の社が弁財天で、人々は橋を渡って参詣している。服装をみると晩秋の服装のようだ。
その後ろにはふんだんな水量の井の頭池が描かれている。一説によると池には7つの涌き口があるという。そのなかを5羽の白鷺が優雅に飛んでいる。遠景の山々は日光連山であろう。
最後にこの絵が描かれた日を推測してみよう。嘉永3年刊行の絵本江戸土産3篇に同様の構図の絵があり、これを参考にして描いたと推測できる。また江戸名所図会にも同様の絵があることから、広重としては嘉永3年ころにはすでに構図ができあがっていたと考えられる。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
広重 名所江戸百景
広重と浮世絵風景画
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