広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!


テーマ:

 景数  48景 
 題名  水道橋駿河台 
 改印  安政4年閏5月 
 落款  廣重画 
 描かれた日(推定)  安政4年5月2日 

$広重アナリーゼ-水道橋駿河台


 大きなこいのぼりを不自然なくらい真ん中に配置し、背景に江戸の街並みが広がり、一見するとこれは何だと思わせ、よく見ると幟の上から見た構図なんだとわかる。広重得意の近像型構図の典型的な例である。
 明治三年生まれの江戸考証家三田村鳶魚によると、こいのぼりは江戸の発祥で、文化年間までは上方になかったということだ(釣魚をめぐる博物誌)。江戸時代の江戸と上方の文化の差は、圧倒的に上方有利で、酒、呉服、タバコ、陶器など下り物が高級とされ、江戸の物は下らない物(現在の「くだらない」の語源)とされた。
 そんな中でも上方より優れたものに、「江戸紫」と「紫鯉」がある。江戸紫は江戸の水でしか独特の色が出ないとされ、またその水を飲んでいる鯉の唇がほのかに紫かかり、味も上々とされていた。江戸のこいのぼりは、その紫鯉にちなんで、口の横に小さく藍を施している(川柳江戸名所図絵 底本は三田村鳶魚)。
 この絵では残念ながら、そこまでは再現されていない。初刷を集めた高橋誠一郎コレクションの40枚の中に「水道橋駿河台」が含まれているが、唇に特別色をつけたという形跡は見当たらなかった。
 しかし鱗には雲母摺(きらずり)が施されており、美術館などで鑑賞する機会があるなら、ぜひ注目してもらいたい。

 その他の描かれてるものを解説してみよう。手前に流れている川は神田川である。1つ前の47景「昌平橋聖堂神田川」と神田上水の懸樋をはさんだわずかな場所の違いである。47景「昌平橋聖堂神田川」でも述べたが、他のシリーズではよく描かれていた懸樋が百景では描かれなかったのは、明確な理由が乏しく謎とされている。
 その神田川にかかる橋は水道橋で、名前の由来はもちろん近くに懸樋があったことによる。
 神田川の対岸に広がる街並みは、小石川や牛込などの旗本屋敷である。これらの屋敷からもこいのぼり、幟、鍾馗などを立てている。斎藤月岑の東都歳事記には「武家は更なり町家に至る迄、七歳以下の男子ある家には戸外に幟立、冑人形を飾る」とあり、この盛況ぶりもうなずける。東都歳事記には、十軒店の冑市の様子が描かれている。

$広重アナリーゼ-東都歳事記 十軒店冑市
東都歳事記 十軒店冑市


 ところで一般に市販されている江戸切絵図では、水道橋南詰あたりに講武所が記されている。講武所は幕末の外国勢力に対抗するため、近代兵器の調練を目的に設立された。NHKでドラマ化された平岩弓枝の連載小説「御宿かわせみ」で主人公のるいの恋人(後に結婚)である神林東吾が教授方になることから、知っている人も多いだろう。
 しかし講武所は広重が百景を描いた安政年間は、まだ築地にあった。水道橋に移転してきたのは、万延2年(1961年)で広重の死後である。ちなみに時の将軍家定公は、暗愚とされる小説が多いのだが、徳川実紀を見ると講武所の視察は年に2、3回のペースで行っており、砲術訓練も見たようだ。その他、忌日に紅葉山へ参拝したり、鷹狩をしたり、将軍としてあるべき業務を普通にしており、それほどひどいとは思えないが。

 さて、実は筆者はこの絵が入銀物(広告料をもらって描かれた絵)ではないかと疑ったことがある。江戸の日暦には、端午の節句で上げる絵幟は、この絵の辺りにあった駿河台の「玉甚」が一番と書かれている。絵の中にも周りの家の大きさからすると、かなり大きい鍾馗の幟があり、ひそかにアピールしているように思える。しかし改印が閏5月ということから、おそらく絵が発売されたのは7月ころであろう。書き入れ時に絵を出さないのはおかしいことから、入銀物ではないと結論した。

 このあたりの安政地震の被害は、駿河台や牛込あたりは台地にあたり大きな被害はなかったが、それでも蔵が全壊したり、塀が倒れたりといった被害があった。こいのぼりの背びれあたりに描かれている田安御門は、土手と枡形の石垣が崩れた。一方少し離れた小川町になると、家屋の倒壊多数で、火事も起こった。地域的にわずかの距離でも、台地と谷では地盤が異なり、被害に大きな差があることが分かる。絵の地域の地震被害が軽微であり1年半の月日が経っており、百景が安政地震の復興を描いたとする推論に対しては、地震との関係はないとというのが結論である。

 最後にこの絵の描かれた日の推測である。絵を見ると、一見して端午の節句に近い日であることがわかるが、橋の手前の道に兜をもった人がいる。おそらくどこからか買ってきて家に帰る途中だろう。十軒店の端午の節句のにぎわいから考えると、当日の可能性も十分ある。
 安政4年のこのあたりの天気は、5月1日、4、5日と雨、3日は曇で、晴れて富士山が見える可能性があるのは5月2日しかない。よって、この日を描かれた日と推定する。

このブログで参考にした本
江戸風俗 東都歳時記を読む
釣魚をめぐる博物誌
高橋誠一郎コレクション 江戸百景
国史大系〈第50巻〉続徳川実紀 (1966年)
江戸の日暦〈上〉 (1977年) (有楽選書〈14〉)
江戸の日暦〈下〉 (1977年) (有楽選書〈15〉)
川柳江戸名所図会 (1970年)

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