景数 | 75景 |
題名 | 神田紺屋町 |
改印 | 安政4年11月 |
落款 | 廣重畫 |
描かれた日(推定) | 安政4年5月 |
![$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-神田紺屋町](https://stat.ameba.jp/user_images/20121111/20/cofdm/44/5b/j/t02200327_0252037512281364129.jpg?caw=800)
紺屋(こうや)は染物のうち、もっともポピュラーであった藍染の専門職で、神田紺屋町はその名の通り、その職人が多く住んでいた。
藍染は無地の生地に模様の入った型紙を使って糊を塗り、その後に染料に付けると、型の部分が白抜きの模様になる。そして近くを流れる藍染川でその糊を落とし、この絵のように反物を干した。特に夏には注文の柄に応じた浴衣地を大量に作るため、夏の風物詩となっていた。
広重は、北斎の富嶽百景「紺屋町の不二」をモチーフにして、長い浴衣地を縦絵を使ってより長く描き、さらに得意の近像型構図を取りいれた描いた。また生地には布目摺りが施されていてる。シリーズの傑作の一枚である。
絵に描かれているものを詳しく見ていこう。
手前に描かれている浴衣地の柄はさまざまな柄がある。魚とあるのは、版元の魚屋栄吉から「魚」の一時を取っている。魚屋は「ととや」と読む。約して読むときの魚栄だと「うおえい」が一般的な読み方だが。
次に見える菱形の模様は、ヒロをデザイン化した模様で、広重の版画ではしばしば見られる。左側の車輪の柄は、当時流行っていた大八の車輪模様で、44景「日本橋通一丁目略図」の新内節を弾く女太夫の浴衣柄にも見れる。
車輪柄で笑い話を1つ紹介しよう。ある大店の娘が車輪柄の着物を新調したが、車輪の真ん中がちょうどアソコの位置に来てしまい、あえなく古着屋行きとなったとか。
手前の干し物の間から、壁のように連なる葦簀(よしず)、蔵、江戸城の櫓、富士山などが見える。
まず壁のように連なる葦簀から説明しよう。この絵は紺屋町2丁目から西の方を描いたとされている。紺屋町はもともと道を挟んで両側に町屋があったが、火事の多かったため南側を火除け地として接収されたため、片町となった。紺屋町の北側にその代地が置かれ、それが藍染川に接している。
火除け地は、防火設備であるため更地であることが原則だが、火事のとき直ぐに撤去できる葦簀作りが、時代が下るにつれて認められ、それが両国広小路などの繁華街を生んでいった。
紺屋町南の火除け地も同様に葦簀作りの店が作られたものと思われる。絵では店の裏側を描いていたのだった。
生地を干している家が数件描かれている。この地域での夏の風物詩であることは間違えないが、紺屋町に店を構える数は47件で江戸市中522件に対して一割にも満たない。江戸開府当初は、職人を集中させて町屋を作ったが、長い江戸時代の中で市中に分散していったのだった。
次に蔵が描かれているが、これは神田鍛冶町の商家のものと思われる。神田鍛冶町は日本橋から筋違御門までの目抜き通りに位置しており大店が多い。
次に江戸城の櫓であるが、これは物見櫓とされる。
安政地震におけるこの地域の被害を見てみよう。
安政地震は、日本橋の北、内神田の地域では被害が少なかった。この地域は嘉永7年(安政元年)と地震のあった安政2年に火事があり、まだ建物が新しかったことから倒壊がほとんどなかった。ただし土蔵の壁はことごとく崩れてしまった。絵の中の蔵も例外ではなかっただろう。
いつものようにこの絵の描かれた日を推測してみよう。いままでの解説にもあるように時期は初夏である。しかし日付を特定するものが少ない。
当時のこの辺りに変遷を調べてみると、安政4年閏5月からこの周辺の火除け地は軒並み町屋となり、町会所付請負地と称するようになった。江戸切絵図でこの辺りにやたら請負地とあるののはそのせいである。
そして同時に神田堀が埋め立てられ、目抜き通りにあった今川橋は廃止となった。
先ほど書いた紺屋町二丁目の南にあった火除け地も請負地となり、改印のある11月には町屋が造営されていたはずである。したがってこの絵は安政4年閏5月までに描かれた絵ということになる。
安政4年の天気を斎藤月岑日記から調べてみると、この年の梅雨は閏5月3日(新暦1957年6月24日には入っていたと思われる。この絵のように晴れ渡った富士山が見れる日は閏5月にはなかったと思われる。よって安政4年5月ころの絵であろう。
参考文献
定本 武江年表〈上〉 (ちくま学芸文庫)
定本 武江年表〈中〉 (ちくま学芸文庫)
定本武江年表 下 (ちくま学芸文庫)
江戸・町づくし稿〈上巻〉
江戸の職人―伝統の技に生きる (中公文庫)
広重と浮世絵風景画
新収日本地震史料〈第5巻 別巻2〉安政二年十月二日 (1985年)
広重―江戸風景版画大聚成
広重 名所江戸百景
この記事は全てオリジナルです。許可なく他への引用は禁止です。