76景 京橋竹がし | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  76景 
 題名  京橋竹がし 
 改印  安政4年12月 
 落款  廣重畫 
 描かれた日(推定)  安政4年7月15日 

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-京橋竹がし


 京橋は日本橋を起点とする東海道の最初の橋で、名前の由来は京都に向かう最初の橋から名づけられたとされる。町屋にありながら擬宝珠を備えている橋は、日本橋と京橋だけで、格式高い橋である。

 絵に描かれているものを詳しく見てみよう。
 まずは京橋。川面から高く描かれているが、これは縦絵構図で誇張が入っている。橋桁には虫食いを防ぐため木を巻きつけて補強してある。この辺りは海から近いため食害が激しいため、どの橋にも施されているが、この補強によって橋桁の耐久年数が数年違うのである。
 京橋の上には橋を渡る人が数名見られる。右から来る一行は御幣のようなものを持っていて、これは大山講から帰って来た人である。
 橋の中央左手を行く提灯に「彫竹」の文字が見えるが、この絵の彫氏が、横川彫竹であることがわかる。

 大山講は江戸の最大の講で、大山は6月27日山開き、7月17日までで、大山阿夫利神社に数日をかけて参詣する。
 江戸時代の大山信仰は多様化していった。もともとは「雨乞い」に代表される農村部を中心とした農耕の守護神であったが、漁業・航海の守護神、出世の神であるとする初山参りの習俗、死霊鎮座、大工・左官・畳職人・瓦職人・鳶など、江戸の職人たちの「太刀奉納」、という5つの性格があった。

 下を流れるのは京橋川で、小型の舟で竹製品だろうか、何かを運搬している。また川面にはまだ陸揚げされていない竹筏が係留されていたり、遠くには竹筏を運んでいる人もいる。
 左側に描かれているのは、竹が立てかけられている。この辺りは竹問屋が多く竹河岸と呼ばれていた。

江戸絵本土産6編では、
京橋 竹川岸 日本橋の通り,南の方、京橋の左右,諸国の竹林を伐つてこの所に聚めつなぐ。大小の竹竿幾億千万夥しともいはん方なし。遥かにこれをうち望まば,信濃の国に在りといふ園原山(そのはらやま)の木賊(とくさ)だにかばかりならじと見ゆるなるべし

 とあり、諸国(千葉、茨城、群馬あたりから利根川水系が多い)から竹を伐ってきて、ここに留め置いて、その数は計り知れないものだった。その風景をまるで信濃の特産である木賊(とくさ 砥草とも書き、磨くための草でもある)の群生に例えている。

 京橋の奥に描かれているのは、中橋、その奥には牛の草橋または白魚橋と呼ばれる橋である。江戸っ子は「しらうおはし」と読まずに「しらおはし」と呼んだそうだ。その白魚橋の南詰には白魚屋敷があり、白魚屋敷の役人と佃島の白魚漁の紛争については4景 永代橋佃しま 白魚漁の疑問に書いたとおりである。

 空には満月が描かれている。日本の浮世絵は明治初期にヨーロッパに多数輸出されて、ゴッホをはじめとする多くの画家に影響を与えたが、この絵は印象派の画家ホイッスラーの「青と金のノクターン:オールドバターシー橋」のモチーフだったとされる。

 次にこの辺りの安政地震の被害を見てみよう。
 京橋は広重の住まいにも近く被害の状況については、内田實の「広重」に詳細に書かれていた。

 安政二年十月二日の夜(亥の刻、即ち午後十時)に襲来した研謂る安政大地震の時は、廣重は五十九歳で、中橋の狩野新造に住んでゐたわけであるが、辛うじて火災の厄は免れた。「武江年表」で京橋辺の被害を記るした條に、「南鍛冶町一丁日より出火、同二丁目狩野屋敷(狩野探淵のあったところで「狩野新道」狩野屋敷とは異なる)五郎兵衛町ヽ畳町、北紺屋町、白魚屋敷、南伝馬町、南大工町、松川町、鈴木町、因幡町、常盤町、具足町、柳町、炭町、本材木町等へ焼込」とあつて、前に掲出した地図を見ても判る通り廣重の住居は南塗師町と南鞘町の通り二つを隔てゝ無事であつたのである。内田實「広重」

 広重の住まいの通り2つのところまで火が来たが、大鋸町は無事だった。しかし京橋までは丸焼けだったことがわかる。

 最後にこの絵が描かれた日の推測をしてみよう。まず満月であることから15日である。次に大山講の帰りの人々が橋を渡っていることがヒントになっている。大山講は6月27日山開きで、7月17日までなので、描かれたのは7月15日であることがわかる。おそらく改印のある安政4年の風景を描いたのだろう。


この記事で参考にした本
高橋誠一郎コレクション浮世絵〈第5巻〉広重 (1975年)
ゴッホが愛した浮世絵―美しきニッポンの夢


江戸庶民の信仰と行楽 (同成社江戸時代史叢書)

広重
広重 名所江戸百景


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