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// TimeLine:20200320
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TITLE:
風見鶏の視線の先に。
SUBTITLE:
~ Rooter’s eye. ~
Written by BlueCat

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 風が強い。

 3時に眠ったのに6時半に目覚めてしまった。
「いや〜、昨日も寝てなくてさぁ」「寝かせてもらえなかったんだよぉ」などという馬鹿のアピールをするつもりはない。
 僕はほとんどのSNSをしていないし、ブログもこのとおり、あまりSNSしていない。
 社交性ネットサービスですか。IRL(in real life)でいいじゃん! と思っているが、コメントにはなるべくリプライしている。
 これは単なるお人柄でしょうね。
 一方、仕事もしていないから、職場があって同僚がいる、というわけでもない。
(私のIRLどこいった)
 ついでに今は就職活動をするタイミングではないから、ハローワークにも行っていない。いつか行くのだろうか。
 だいたい目覚めて軽く掃除や洗濯をして、気が向けば少し運動をして、ゲームをしている。
 ひどいときは午後に起きてゲームをして、夜中にお風呂に入って眠る。入浴中に文書を書くこともある。PCが防水ならいいのだけれど、そもそも僕はデスクトップ信奉派なので、どうだろう。
 とにかくそろそろキーボードに触れたいし、ネット環境にも接続したい。なにより大きなモニタでコンピュータを操作していたい。
 まぁいいや。いずれにしてもダメ人間生活を送っている。
 気分まかせであるが、その開放感はひと月くらいしか味わっていない。
 おそらく、これからもっと開放的な気分になるだろう。
 その日の気ままな風見鶏生活である。
 定見を持たない? 多いに結構。
 それこそ僕をして考える行為の目的だといっても過言ではない。
 定見なんか持ったら最後、何も考えないイキモノに成り下がってしまう。
 どうせなら成り上がろう。
 定見なんか持たずに。
 毎日毎回、少しずつ違う同じような問題を悩めばいいじゃないか。

「考えない芦はただの芦だ」
とどこかの豚が言ったとか言わないとか。
 少なくとも、猫はそういうことを言わない。

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 この数年、まともな休日などなかったから、振替出勤分の休暇を消化しているようなものだ。
 数年分のヴァケイション! それはまさに今始まったばかり!
 そんな言い訳を用意して引きこもっているうちに、世間は大騒ぎ、というわけで。

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 もしも就活生がまかり間違ってこのブログのこの文書を、たまたま見てしまっていたら言いたい。
 真面目に働きたい人は働けばいいし、働きたくない人は働かなくてもいいんでねぇの? と簡単に他人に言ってしまうようなオトナになってもいいんじゃないのぉ? と。

 なぜなら「真面目に働かなくてはダメだ」という人は100人中70人以上はいるわけで、オトナになると自分の立場やお気持ちをうやむやにする人も少なからずいるわけだけれど(よってそうした人たちから、冷ややかな視線を浴びることもあるわけだけれど)、それでもたくさんの人がすでに根拠のない(あるいは正しい根拠に基づいて)正論を述べているなら、僕くらいは間違ったことを言ってもいいんじゃないか、そのほうが物事を選択するという行為において正しい状況が生まれるんじゃないか、とうっすら思い浮かべつつ、半分以上は「面白いから好き勝手言ってやれ」と思ってテキトーなことを言っている。
 ちなみに僕には両親もいないし養ってくれるステディなガールやメンがいるわけでもないから、経済活動の隅々まで自己責任で背負って引きこもっている。嫁と子供がいなくてよかった。
 食事事情だって自己管理である。
 たとえるなら、魚の獲れる湖のほとりでキャンプ生活をしているようなものだろうか、ちょっとカッコつけすぎではあるが。
 引きこもりの道は、かように長く険しいのである。
 諸君がもし、真面目に、働かないで自律した生活を送りたいなぁ、とぼんやりとでも考えているなら、世俗を知り、計画し、試行錯誤を繰り返すしかない。
 あと、夜更かしはダメだぞっ、めっ。
 少なくとも、会社員として生活を安定させたり、誰かに「うまい話」を聞いているようでは、自律した引きこもりにはなれないだろう。
 え? なりたくないの。あそう……。

 さて就活生へのアドバイスはこのくらいだ、ガキの読むものじゃねいんだから、帰れ帰れ!
 といった感じに街角のひなびた一杯呑み屋に昼間からたむろしている赤ら顔のダメ人間のような気分で僕は書き進めるのである。

 というわけで、ワタクシの浮き草生活についてちょっと吐露したついでに、思ったことをいくつか。

 世俗は経済が回らないらしい。
 先日、人のすなる経済といふものの正体をつかむべくあれこれ思索していたわけだけれど、いっそうの深掘りであるとかをしないうちに経済がアヤシイ、となってしまった。

 おかしい。
 経済とは、自浄作用をもち、恒常性を持っているからこそ、ある程度の範囲でのゆらぎを伴いながらも右肩上がりに成長してゆく(あるいはそのように設計されている)ものではなかったか。

 要するに「人が起きて、飲んで食べて運動して歌って踊って遊んで風呂入って眠る」だけでは経済は回らないらしいのだ。
 そんなものはほんの底流、あるいはかすかな上澄みでしかなくて、そこには莫大な上積みであるとか、基礎が存在しているようなのである。

 あれぇ? 経済って、半分以上の無駄でできてるのでしょうか、というのが僕の感想。
 巨大なビル群や交通機関、通信網といったインフラ、人がましい顔をして後ろ指を差されても気にせず政治活動を続けちゃうナニカや、法治国家の仮面を被った人治国家を作り上げようとしてついでにその中心に身を潜めちゃおうとしているかのようなナニカなどは、無駄なのでしょうか。
 たとえば呼吸するだけで酸化していって成長とともに抗酸化作用が弱くなるように、必要悪すら内包して、それを前提として成長するのが生命の定めだと直感しているからこそ、経済という生命の悪性を「それも必要悪かな」とか、アヤシイ議員も「他に選択肢がないんだろうな」と思って眺めているのにもかかわらず、もしかして、全部無駄なのぉ? といった気持ちにはなる。

 もちろん通信インフラは、人間の物理的移動を仮想化することが可能で(まぁ、ようやく僕が子供の頃に思い描いていた社会認識に近付いたか)くらいには感じていたから、物理的交通手段というのは、仮想化(電子化)される以前の機械化(電機化)なのだろうし、そう考えれば無駄ではないだろう。

 政治については基本的に僕はノータッチ/ノースタンスである。
 僕に代わって面倒な仕事をしている人が沢山いるなぁ、と思って見ているだけだ。
 直近の選挙には行ったが、基本的には選挙に行かない。
 僕はケダモノで、社会不適合者かもしれないし、その場合を考えると多数決社会に無駄な波風を立てたくないとか高尚なことを考えているわけではない。
 多数決原理を信頼して成り立っている仕組みの中で、常識的な人間が過半数いて(だからみんな選挙に行く)、それらが個々として考えればだいたい信頼に値する要素と見なされる、あるいはそう信じることができる(みな横並びなのも決して貶されるものではないのです)場合において僕は社会を信頼できると思えるからだ。
 あと移動の手間や時間がもったいないから。
 ゲームをしたりガールとぱやぱやするのに忙しいから。
 最後のほうでぶち壊しだ。

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「株をしているのですか」と問われることがある、というのは以前どこかで書いた気がする。
(いまだにリリースしない文書のほうが多い、あとゲームとぱやぱやが忙しい)
 株はしない。
 経済という仕組みが、どうにも僕には理解できていないのだ。
 子供の頃からそうだった。
 いやそんなことを言ったら、僕は箸の使い方くらいしか、まともに親から教わっていないのではないか(おそらくそんなはずはないが)。
 2歳半の頃にはオムツをしていなかったので、排泄についてはその後も失敗した覚えがほとんどない(神経性急性胃炎のときはダメだったが)。

 脱線しそうなので本題に戻すが、経済というのは、他の多くの仕組みと同様に複数のレベルというかレイヤというか階層というか段階というかクラスタというかがあって、個々のレイヤにおける各クラスタの働きなども含めて全体を把握できないと僕は理解したとは思えないのである。
(なので昨今、経済書やら経営学書を読んだりしているのですが、いかんせんゲームとぱやぱやに忙しい)

 僕にとって、大半の仕組みは生態系のように循環(サーキュレイション)する系か、その中で部分的に直線的(シーケンシャル)に扱うほうがいい系かに二分される。
 経済は時間軸を無視したマクロな全体像は循環型だけれど、時間軸でとらえた成長から窒息までのスパンは直線型だ。

 水の流れで考えた場合(今回は循環型の中で機能する直線型モデル)、ひとつの大きな流れは、個々の箇所の障害物をふくむ環境によって、淀みを作ったり、うねったりして各所の動きを作りつつも、全体の流れはそれに関係なく加速する。あるいは加速を「求められて」いる。
 そこでは勾配を与えたり、障害をあえて作るなどの「工作」もあるだろうとは思う。それが必要悪かどうかは僕の考えることではない。
 ただ、ここで作用する運動機能がよく分からない。
 水であれば、位置エナジィ(potential energy)と運動エナジィ(kinetic energy)を交換しながら、途中で運動エナジィを消耗してゆく。
 小さな流れから大きな流れになって、やがて海のような巨大なうねりになるし、それは川と海のように独立した存在ではなく、海の中に川があったり、川の中で海があるような感覚で捉えている。

 経済の場合、どうも無駄に見えるプロセスがあったり不可思議な運動が見えるから、できればそのブラックボックスが理解できるまでは手を触れたくないのだ。

 ために株はしない。
 株をしている多くの人は、投資活動ではなくて投機活動をしているように観察される。
 むろん株という仕組みがそういう方向に動くのは仕方ないけれど、投機活動が投資活動を上回っている場合、ギャンブラーばかりでは場の信頼性が損なわれる。
 おそらくそれを防ぐ仕組みが株式市場には明文化されているものとは思う(あまり僕の記憶にない)が、投機活動をする者たちが働かずにゲームやぱやぱやをして過ごすには、自分の持つチップを増やす必要がある。
(ここで僕の言っている「働く」とは、経済を動かすことではなくて、手足を動かして、直接的に誰かを助け、その役に立つことです)
 ために市場をマクロで見た場合、一定の範囲で不安定かつ自分本位な「投機」が横行し、それがほぼ飽和状態になるだろうということが予測できる。
(経済の勉強なんてしていないので、あくまでニンゲンの特性による概説です、就活生が読むものではない)

 つまるところ「投機」は「投資」の基礎をベースにしたハリボテのようなものになりかねない。
 でも誰も「自分は投機者です」なんて名乗りを上げない。みんな暖炉の前でパイプを咥えてブランディグラスを片手に「ん〜、まぁ『投資』を少々、ね」みたいに気取ってやがるに決まっているのである。
 気取ってんじゃねーぞこのクサレギャンブラー風情が! とついついアナーキストなラケンローであるワタクシなどは口汚く罵ってしまいそうになるのだけれど、そんな人、本当にいるのかなぁ。
 はいはい、脱線、脱線。
 ゆえに投機者同士は、お互いの動きや世相の顔色を窺って、気遣いしなくてはならないことになる。
「こういう状況だから、世相はこう動くだろう、という読みを多くの投機者がして、こう動くだろう」程度の読みはしているはずで、そうした仕組みやゲーム理論の帰結をみんな適当にごまかして説明しているように観察される。
 だから、数多ある情報をひと通り飲み込んで、自分で消化して学ぶしかないのである。
(オカネモチーになったら大学受験でもするけどよ)

 顔色を窺うというのは、本来はあまりよい意味では使われないかもしれない。
 風見鶏、というのも同様である。
 しかし周囲を見回すとどうだろう。

 皆が皆、周りの人の顔色ばかりを窺っているように観察される。
 やれ不祥事だ、不適切発言だ、不倫だ、偽装だと騒ぐのも、他人の動向がそんなに気になるのかと問いたくなるほどである。
 SNSで誰かに評価されて楽しい人を否定するつもりはないが、不特定多数の他人に自分の感覚さえ左右される価値観でいいのだろうか。
 それを利用し、あるいは怯える人たちがいるのは分かる。
 彼らはそうした発言/発信をする庶民を食い物にしているから、顔色を窺わざるを得ない。
 共有/拡散文化は脳の高次機能の外部化であるが、周囲の顔色を窺ってばかりいるのは結局のところ、単純で無能の証ですらある。

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 しかしである。
 そうはいうものの、どうだろう。
 冒頭で書いたが、多数決によって正当性を信用できる社会の、その信頼のよりどころは、風が吹いたらその方向に向くことではないだろうか。
 みなが同じであることを嫌う風潮は分かるし、自分がオリジナルでユニークであることを主張したい気持ちも結構である。
 それでも社会の安全性を信頼できるのは、そうした「みんな同じものを基礎にしてるよね」という安心感ではないだろうか。
 単民族特有の平和ボケ発想といえばその通り。しかしそれこそ、人間が理想とする状態ではないだろうか。
 そして理想に向かって歩むこと、進むこと、模索すること、そういう気持ちをくじけずに持ち続けることが、人間が人間でいるための技術ではないのだろうか。

 風が吹いたらどこに飛んでいくか分からない僕のような人間ばかりで社会が構成されていたら、みんなが家に引きこもってゲームとぱやぱやに明け暮れてしまう。生産性などどこ吹く風である。

 そう考えると、波風を立てているのは多数派にして少数派の食い物にされている愚にもつかないエラソーな庶民であって、風見鶏はその風の方を向いて頭を下げておべっかを使っていればいいのである。どのみちエサだから。
 そんな穿った考え方だってできるだろう。

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 何を考えるかは自由だ。

 多くの人は、自分の経験だけをもとに、それだけが正しいとばかりに、吹聴する。
 1人分の、しかもその途中までの人生しか送っていない人間の言葉を、僕は今までさんざん聞いて、ときにそれに従ってきた。

 結論をいえば、自分で考えて、自分で選択して、自分の手足で動いたことがすべてだ。
 誰かの正解が自分の正解だなんていうのは、カンニングがまかり通るテストの世界だけだ。
 実戦に、そんな公式は存在しない。
 自分で式を作るしかないのだ。
 そしてそのためには、自分で問題を見つける必要がある。
 与えられた缶詰のやわらかいエサしか食べたことのない子猫ちゃんたちには無理だろう。

 骨ごと齧り付くのが、下品だとか野蛮だというならそれはそれで「正しい」だろう。
 ただ、骨を齧ったことのない者に、骨の味は分からない。

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 かれこれ3時間ほど風呂に入っているのだが(僕は長風呂である)、風は弱まるふうでもない。

 子供の頃(だいたい8歳の春の夜だったと記憶している)、1人分の人生しか送れないことを、僕はとても残念に、寂しく思った。
 ゲームのようにセーブして、分岐点からやり直せるなら、どんなに豊かだろうかと。
(当時はゲームにセーブ機能なんてなかったが)

 もちろん楽しいことばかりではない。
 ただ大変なことを楽しむという能力は、きっと誰でも備えていると思うし、それを教えてくれる人は、少なくとも僕の場合にはいなかった。

 みんな同じ「常識人」の皮を被っていて、だから僕は、たくさんの人間ぶん生きるには、どうすればいいだろうかと、いつも考えていた。

 もう何人分の僕だろう。
 今は何人目の僕だろう。

 風呂から上がったら、ゲームの続きをしよう。

 僕には、したいことがある。







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[NEXUS]
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[ Cross Link ]
  


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[Engineer]
  -青猫α-/-黒猫-/-BlueCat-/-銀猫-/-青猫β-

[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Color-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Kidding-Link-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Technology-

[Module]
  -Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Resistor-

[Object]
  -Camouflage-Cat-Computer-Game-Human-Koban-Memory-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
-夢見の猫の額の奥に-






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スマートフォンだけで編集するとか無理だ〜。
無理じゃないけどちょう苦痛だ〜。
オレだオヤブン、なんとかしろ〜!