操作的診断が、主観操作的「あてはめごっこ」に陥るとき | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

そもそも操作的診断とはどのようなものなのでしょうか。
このサイト、信頼性も担保されていて、参考になります。ぜひご一読ください。

 

 

 

このコラムで塩入先生がしっかり書いてくださっている箇所が、以下文中の最後の一文。

 

…[略]…というように、明確な基準を設けた診断基準である。これによって、症状項目リストの提示が必然的に行われ、症状学の不足による①情報分散も同時に大きく改善される。一方、②観察/解釈分散については、症状学に対する十分な研修が必要である。そして、適切な診断基準によってより均一の患者群を抽出することが可能となる。その目的は、①病態解明だけでなく、それぞれの医療機関や医師の間での②治療成績や③転帰の比較検討を可能にすること、そして④疫学的調査への有用性である。したがって、極言すれば、診断基準は元々、個々の患者での診断を正確に行うために作られたものではないとも言える。

 

 



 

精神分析系の理論に基づくクライエントや患者さんへの理解の中で、来談・受診する人そのものを、医師やカウンセラーが自分自身のあらゆる投影や予見予断を取り去って出会うことが、大前提となることは、あらためて言うまでもありません。そのために、精神分析家や心理療法家には、長期間の教育分析と生涯にわたるスーパーヴァイズが課せられ、少なくとも推奨されています。公認心理師にあっても、生涯にわたる研鑽が努力義務として求められています。

 


 


しかしながら特定の学派を名乗ったりその理論が性に合っているとして奉じている方々の中には、自らの依拠する学説や解釈理論があまりに好きすぎて、ご縁を得たあらゆる患者さんや来談者さんたちを、その学説・理論のフィルターを通して、診断し・見立て・「理解」してしまいがちです。例えば、援用頻度が比較的高いのは、「エディプス複合」、「アニマ」・「グレートマザー」、「叱らない・褒めない」とか…そう。昨今すでに一般語と化して神秘性のオーラも薄れつつあるあの類の「理論」類の言説です。

 

 

 



治療・支援する相手の総体を裸眼で直視するのではなく、自分と相手の間に、相手を自分が見い出したい像へと変換する装置を暗黙裏に設置し、その装置を介して結ばれた像を、みずからが見抜いた相手の本態であると分析・解釈してしまうことが残念ながら少なくありません。

そこで、それじゃあ拙い、全く科学的ではない、と、それらのいわば文学的な学説・理論よりも、科学的信頼性の高い、DSMに代表される「操作的診断基準」が登場し、これを変換装置として用いることが公に推奨されることとなりました。

 

 

 

 

 

国家資格である公認心理師試験の出題内容にまで、DSM診断基準名称の多出というかたちで、この趨勢が如実に現れています。

 


第七回の実績では、DSM-5の診断基準名称そのものを含む問題が、一般問題8問、事例問題5問と23点配分、つまり全問230点中1割を占めています。

 


(ただし、興味深いことに、第六回国試で一般問題8問、事例問題6問にわたり、「DSM-5に基づく」と記された設問箇所の文言が、第七回国試においては、学校教育現場の事例問題1問を除き、記述されていないのです。このかなり目立った改変には、どのような意図があったのか、これも今後の探求課題です。)

 


 

 

しかしながら…、文学的理論仮説のを用いた支援対象者への「理解[事実上の診断]」が、「あてはめごっこ」だと、バカにされがちな事態を、他山の石とすることを公認心理師は怠ってはならないと思います。


もう一度、上記の引用箇所を示します。

 

極言すれば、診断基準は元々、個々の患者での診断を正確に行うために作られたものではないとも言える。

 

 

 



時短や効率化を図るあまり、診断基準に当てはまるように、つまり支援する側が見たいように目の前の支援対象者を見るなら、見たくないところを見落とし、誤診や誤った治療方針につながる落とし穴があることを、こころの支援者は常に肝に銘じたいと思います。


診断する側が陥りがちな根本的な誤謬は、こちらは相手自身が知らない相手の心を知っている[施す側]であり、相手は自らの心さえ知らない[施される側}であるという社会環境的・生活歴等の非対称関係(いわば「外的現実」)を、こころの領域(いわば「内的現実」の領域)にまで、持ち込んでしまうことにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

あなたは、いま目の前にいる人のその後の人生を左右し、ときには生殺与奪に関与しているのだという重責を負って、いまここに自分はいると確と認識してこの場に臨んでいるのか?

 

 

この点をズバリと問う問題が今後の公認心理師国試に出題されたならば、多くの現任者は拍手を惜しまないでしょう。