名門の私立女子大の閉学、あるいは、男女共学化を昨今よく耳にするようになりました。
そもそもにゃんの母校阪女(大阪女子大学)も、20年前に府立大学に吸収統合されました。
さらにそののち、府立大そのものが市立大と合併してしまって、もう、阪女は影も形もなくなってしまいました。
いま国公立の女子大を検索してみますと、公立では、群馬県立女子大学と福岡女子大学の2校、国立ではお茶の水と奈良女のみ。
おそらく後者は名門中の名門だし、双方東大系だし(って関係あるかは不明...)だから、まずなくなることは想像がつかないけど、前者公立の2校ってもしかしたら存続は風前の灯....(失礼、ただ、阪女残党として我身ごととして言っときたい)。
ほんとうに、これからの時代に、女子大は不要なのでしょうか?
阪女の大先輩と少しお話しする機会が先日あったのですが、先輩方の時代、元大阪女子師範の母校は、「良妻賢母」教育を掲げていたとか。
にゃんの時代には、そんなことは全然なくって、むしろ、シスターフッドが醸成される素敵な場だなあ、きてよかったなあと思ったのです。
それでも、同期とはちょうど干支で一回り上の編入生のにゃんは、他の同期のひとたちとは、やはり、女性として生きた経験が一回り分とはいえ、ずいぶんと違っていました。
とりあえず、現代の女子の高等教育機関には、「良妻賢母」教育を掲げるのは、大いに時代遅れも甚だしいことは、誰もがうなづくことだろうと思います。
ただね、愛国とか国家を防衛するという意識、いわゆる第二次世界大戦のアジア太平洋戦争においては、「母」の役割が、産み育て慈しむことから、とんでもなく歪曲され、国家が「軍国の母」を強要した時代が確かにあったのです。
そうではなく、
ディープエコロジーの理念に基づくならば、
国家間、民族間の争いなどは、絶対に許容できない、
母の原理、女性の原理に基づく、異議申し立てができる、
シスターフッド即ちゆるやかな連帯の礎が築くことができる場とは、
「女子」に特化した高等教育機関ではないのか、
と、この頃の国際・国内の動きを眺めていて、古にゃんは強く思わざるを得ないのです。


