桜井報告のまとめ(レジュメからの転記)
・公教育における宗教教育の目的は、シーアはの教義に基づく「法学者の統治」の正当性の確立と維持。
・憲法が認めるスンナ派(人口の9%)や宗教的少数派用の「宗教」教科書を用意するなど一定の配慮はあるものの、宗教以外の教科書(ペルシア語、社会、歴史)などで、十二イマーム・シーア派に関する逸話やシーア派から見た歴史叙述が、数多く採用されている。
・教科書外学習を通じて、 十二イマーム・シーア派の世界観を学習。
・政治と宗教が一体化したイデオロギー教育。
報告者桜井先生の口頭での資料解説(資料からの転記も含む)
宗教教育がそのまま政治教育につながっている。「法学者の統治」
すべてシーア派の価値観。
教科になると、点数化されて成績評価の対象となって、進級・進学を左右する。
小学校から高校卒業までこのようにコントロールされる。
宗教の手段化、形骸化と言える。
この体制に対しての生徒の反応は、
1)「宗教」を学習を通じて体制への忠誠心が強化
2)「宗教」を他の教科と同様に知識として学習
3)「宗教」をイデオロギー教育とみなし、反発
大体の学生は2)。とにかく点数を取る、という態度が広く見られる。
昨年のいまごろ、女子生徒が司法警察に殺された。
抗議の意志の示し方。黒板に向かってベールを取る。
公教育によって押し付けられた宗教。....国家により押し付けられた宗教。
完全に世俗化しているわけではない。もっと精神的なものを求める。
しかし、国にコントロールされるのはうんざり。
桜井先生の資料より
イマームザーデ(墓廟)への参詣。だれにも介在させずに、神とコミュニケートできる場所として女性が押しかける。
憲法で認められていない他宗教への関心も高い。なんらかの代替物を求めているケースもあると考察される。
ある特定の宗教解釈の押し付けにより、本当の宗教的欲求を抑圧されている。
「かれらは私の宗教を奪ってしまった。」との思い。
宗教を手段化して政治的権力を得ようとする一群の人たちがいる一方、それに抗う人々(主に女性たち)がいる。
(つづく)