臨床つれづれ:日心臨大会自主シンポ「在野の心理臨床学」8/10 | こころの臨床

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心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

昨年の日心臨大会自主シンポ

「在野の心理臨床学ー精神分析的サポーティブセラピー(POST)と大学院教育を題材としてー」

の参加報告のつづきです。いよいよ真打登場....(敬称略)。

 

東畑指定討論:

聴きながら作った、PPTを掲示。

わかりづらかった。在野問題とPOST問題が入り乱れながら。

聞いている人が整理できてないのでは。

社会の大きな変化。

キャッチアップしょうとしている。がたがきている中でなんとか修理したい。

がたがきているのはなぜ、社会が大きく変わっているからだろうな。

 

期待されているもの。前の時代のパラダイムと合わなくなっている。

山口さん、ならっていたものをうまくやれない。

その中での在野。

アカデミアへの反発、学派へ反発

これら二者が一致していた。

在野のオブジェクションはこれら2つに対して。

 

臨床心理士会だけでなく、ユング、精神分析、理事は大学人で重なっている。

学派から現場へ、

個室からフィールドへ、

心から社会へ、

心の専門家からつながりの専門家へ、

これらは「も」でつながれる

 

下山晴彦の「つなぎモデル」をバカにされていた、が、先駆的だった。

 

革命は人間社会には過酷すぎる。

重要なのは、かつての考え方でうまくいかないこと[を、認めること]。

 

自分は大学を辞めた、ある日ピキッと頭が、これ以上やっていると死んでしまう、と。

 

週間文春での連載、評価されない。エッセイの意義。

官僚制とあわなかった。

臨床知と大学知は相性が悪い。

 

・大学の変化の問題

....とはいえ、あまり自分のことを在野とは思ってない。

学派は排他的。

心理臨床の定義が狭い、大学では臨床力の評価ばかりされていた。

「良い臨床」と評価されるものと外れるものへの評価。

 

・現場での工夫、大学ではどうなのか?

大学の変化は遅く現場の変化は早い。

制度変わるのが遅い。

教員30年居る、アップデートしにくい。

10年で時代は変わる。現場でやることばビュンビュン変わる。

最新の臨床が、心理臨床学を作る必要がある。

 

大学変われよ!!....他人に変われと言ってもダメ。

 

現場の地が心理臨床学を作っていく必要がある。現場のクリエイティビティを学に。

 

・岡田巻頭言について

正しいものとそうでないもの、こっちがやりたいこととクライアントが求めることが違う。個室で待つのではなく、家庭訪問するとか、多種多様なことが現場が現に行われている。

 

・それにしても一体何が変化しているのだろうか?

自分が書かなくても社会の大きな変化の中で同じことを考える人が出てくるだろう。

「個人は意味ない」という悲しい気持ちにもなる。

時代のどういう波の中で溺れているのだろうかと思う。皆様の議論の中で考えたい。