昨年の日心臨大会自主シンポ
「在野の心理臨床学ー精神分析的サポーティブセラピー(POST)と大学院教育を題材としてー」
の参加報告のつづきです。指定討論者浜内さん登場、すぐいなくなるというハプニングから....(敬称略)。
浜内彩乃指定討論
Zoom落ちてしまいました。この人数のキャパに回線が耐えそうになかった。
私の経歴は特殊、臨床心理士公認心理師だけではなく社会福祉士、精神福祉士、外側から話ができればと思う。
臨床実践のみは6年、学会発表のみ。
専門学校講師、臨床、5年。
大学教員臨床、4年。
大学と臨床実践の時間はほぼ同じぐらい。大学教員としての臨床をやっている。
・権威について
大学の権威、上下関係、評価・教える する側される側
大学教員以外でやりたいと思う人がどれだけいるか。バイザーも誰がやってもいいはず。
在野では、時間的制約も問題。大学教員がやらないと、まわっていかない。
勤務外、土日とかの対応、家庭もやりながら、相当たいへん。
権威があるのは事実だが、それは教員自身が望んでいない。
心理臨床の世界では、権威が怖いものになっている。
大学教員になったときに、扱いの違い。みなさんから先生、と。社会で職業を名乗ったときの違い。社会風潮。それを怖いと思うか、心地いいとおもうか、...権威が作られている。
今大学って偉くない。
高校の進路指導の先生に頭上がらない。学生満足度調査、学生が立場上では?
・二分割しない考え方
若手の会、松田侑子(筑波大)さんの意見紹介。
研究者と実践者はスペクトラム
どちらが、先後 優劣でない。
実践者では研究しにくいものがある、実践者でなければ研究できないものがある。
お互いの協力、優劣をつける必要ない。
自分で降りてると思っている以上に権威から降りる必要。
・大学、まず型を教える。
・教えることに慣れている、ことが、偉いわけではない。
何偉そうに言っているのか、と自己嫌悪、しかし誰かが教えないといけない。
方向性を導くことが必要。理想論がなければ始まらない。
年下の者から学ぼうとするのは偉いが、前に立ってしゃべっている者を先生と崇めたてる風潮はどうなのか。
葛藤:臨床の現場から離れる。
強み:複数の現場を知る、実習、卒業生、依頼。
難しさ:大学院の2年は短い。
失敗:批判することを教えていない。学生とのコミュニケーション不足。
現場をもっと教えてほしい。お互いに教え合う関係づくり。教員の活用を。論文投稿に所属先による差別はないはず。
・大学院教育のせい?
役にたっているのかという客観的評価が難しい。寄り添いが害のあることだったら?
現場で使えないのは、大学教員のせいなの?
広く浅く、基本的理論を理解していなければできない。
自己研鑽に費用を出してもらえないことがすべての問題だと思っている。
最低限の知識の教授ですら2年間では、難しい。
何にもなれない怖さ。軸とか土台がない若い人。
学生が求めている「心理士」、学生の志望の変化
大学で教えてもらえなかったという考えこそ、大学教員を権威的にするのではないか?
大学を攻めるのではなく、心理職地位向上をめざすべきでは。
・提案
在野の研究仲間に大学教員をいえれもらえないか。
個人のナルシシズムよりも心理臨床全体の利益を考えてほしい。
それぞれの得手・不得手を認めてほしい。
書籍と論文では論文の方が学術性が高い、しかし書籍の方が普及しやすい。
(全体討論へつづく)