秘密の部屋(その2) | こころの臨床

こころの臨床

心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

お伽話などの「物語」は、歴史的事実の記録や報告ではなく、空想の世界のお話だから、

「事実でない(ウソだ)」と思われるかもしれません。

 

でも、このような現実ではありえないようなお話を通してしか伝えられないことも、あります。

それは、歴史書や新聞記事、そしてなりより、お作法通り書かないと絶対に認めてもらえない学術論文では、

表現できずに、伝えきることが困難なことを、無意識から無意識にダイレクトに伝えることができる、

それがおとぎ話をはじめファンタジー作品なのだと思います。

 

その、意識や論理に枠づけられた方法では、表現しがたい伝え難いものというのは、

どのようなものなのでしょう?

 

それは、人々のこころの深い部分(無意識)の思いや感情です。

それらは、おとぎ話や説話、演劇、芸能、儀礼、近代・現代となって、詩や小説、コミック、アニメ、

映画などによって、後世に語り伝えられていくのだと思われます。

 

この「かたる」という言葉は、たとえば、「有名人の親戚をかたって、大金を巻き上げる」とか、

「だます」という意味にも使われます。

こちらは、良くない意味なのですが、いずれも、「事実」とはちがうことを「語る」ことで共通しています。

 

(その1)では、日本と西洋の「秘密の部屋」の物語を紹介しました。

これらのお話はどちらも、古いお話なのですが、いま現在もよく知られています。

つまり、時代を超えて伝え残されてきたのです。

このお話の中のなにかが、多くの人々のこころに、なにか深く重要なものを感じ取らせたからでしょう。

それを他の人とも分かち合いたくなるような、なにかを。

 

それは、一体どのようなもおのなのでしょうか。

ただの「ウソ」ばかりの薄っぺらいお話には、決して誰もこころを揺すぶられないでしょう。

だから、記憶に深く刻まれることはないはず。

ですが、これらのお話が人々のこころに残り、広く時を超えて語り伝えていきたいと思わせるのは、

この一見「ウソ」に見えるお話の奥底に、こころの「真実」が秘められていて、そのことを、

人々はなんとなく(暗々裏に)気づいているからなのでしょう。

 

これはオオイヌノフグリです。山岸凉子の『天人唐草』、あの漫画も怖かったですね...。