すべてはうまくいっている! 光と心の調和 -20ページ目

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

生きていると、ときどき日常の中で異空間を味わうことがある。

昨日、地元の停留所発のバスに乗り発車した直後に、私の座ったすぐ後ろの席で成人男性が朗々と歌をうたいだした。

「みっちゃんみちみちうんこたれて~ かみ~がないからてでふいて~ (略) もったいないからなめちゃった~」

おそらく知的障害なのであろう。しかし、その響く声が何といおうか、とても知的なのである。おそらくニ~三十代、ひとりで出かけるのだろうか。

立つ人が4~5人程度の乗車率だった。大きな声なので皆聞いていただろう。落ち着いた声と歌の内容に不意をつかれ、その衝撃におしゃべりも止んでバスの中はシンとしてしまった。

そしてバスの中の一同は、さらに非日常を経験をすることになる。

彼は明瞭な声でゆっくりと発言した。

「う◯こ、たべる?」疑問形。
しばしの沈黙。

「う・ん・こ」
ゆっくり言い聞かせるように。

「う◯ち、なめちゃった。フフフフ」
発言のあと、嬉しい感じで笑う。

「あぁぁ~~~あ」
のびのびとした大きなため息。

同種の発言が、明瞭な声で、繰り返し繰り返し、駅までの約20分間続いた。

私はいちばん最初に聞いた「みっちゃんの歌」がもう一度聞きたくてずっと待っていたのだけれど、それはかなわなかった。それ以降は「う◯こ」もしくは「う◯ち」を食べるか訪ね、なめちゃったと報告する類いの発言を、ずっと繰り返し聞くことになる。

不思議なのは「う◯ち」と「う◯こ」の両方の言い方を用いていること。ふつうは「う◯こ派」か「う◯ち派」に分かれるはずなのであるが。

駅に到着するまで誰もひとこともおしゃべりせず、彼の発言だけが、適当な間隔を置きながら車内に浪々と響き渡っていた。

まさに異界。諸星大二郎の世界である。違)

成人男性の声で「みっちゃんみちみち」の歌や「う◯こ(ち)」という言葉を、パブリックスペースで耳にすることは一生に一度あるかないか、というよりほとんどあり得ないだろう。

知的障害とか差別してはいかんとか、そんな表層の感情を軽く吹き飛ばし、一同を異次元に瞬間移動させてくれた。が、同時にみんなの頭には、「誰が彼にあの歌を教えたのだろう??」という疑問が浮かんでいたと思う。

うんち関連の言葉を絶叫して大喜びするのは小学生男子であるが、彼の発言はそういう感じとも違っていた。

終点についてバスを降りるとき、私の前の人たちが彼を一目見ようと振り返っていた。ジーパンに縞のTシャツ、わりと長身の彼の姿がちらりと目に入ったが、あえて顔は見なかった。

いまふと思ったけれど、彼が何もかも承知の上で、意図的に件の行為を行っていたのであれば・・・・なかなかのツワモノである。BBCのリトルブリテンを思い出した。

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「ひとりでできるもん♪ P要素強化訓練」「★P要素の強化方法・Level 3」の最終章です。Level 1~2までは、「個人と他人」「個人と社会」といった横軸(同じ次元)のコミュニケーションによる、P要素強化型リフレーミングでした。そしてLevel 3では、「個人と宇宙」「個人と神様」との関係を規定し、縦軸(上の次元)とのコミュニケーションによるP要素強化型リフレーミングをご提案しようと、あがいているわけです。

といっても、実際に神様やサムシング・グレートと直接コミュニケーションができるわけではありません(特殊な方々を除いて)。ただただ、神さまにお祈り(お願いではない)するわけです。したがって、これは対人的P循環ではなく、あくまでも個人的P循環です。

方法はそれぞれ自分だけのオリジナルな方法を考えていただければ、どのようなお祈りの仕方でもかまいません。既存の「アーメン」とか「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」とか「インシャラー」とか「アブラカダブラ」とか「テケリ・リ!」とかの、ご自身にとって馴染む言葉を付け加えてもいいと思います。「エロイムエッサイム」はやめたほうがいいかもしれません。

あくまでも個々人が心に描く「神(のようなもの)」の概念、つまり「人智を越えた存在」「全てを司るもの」「究極的なもの」「永遠的なもの」「完全なもの」「無限なもの」「何だか知らないけどすごい存在」etc.

その「何ものか」に向かって朝と晩、毎日祈ることで、N要素にとらわれた感情を手放し、P要素で満たされた感情を充填します。

以前に書いたかもしれませんが、私にとっての「個人と宇宙」「個人と神様」の規定は、私と太陽さんです。太陽に向かって言霊を唱えます。始めてからもう5~6年にもなるでしょうか、毎日「太陽さん(お天道様)」に臆面もなく話しかけるわけです。早朝は直接朝日に向かって、夜は就寝前にイメージ上の太陽に向けて祈ります。

目的は「いつでもP循環を起こす」ことなので、それにお天道様を引っ張り込んでP循環の触媒になってもらうというわけですね。ちなみに5年越しの実体験では、一日のうちを占めるP要素の割合が増え、悩むこと自体が嫌でなくなり、トラブルを歓迎することすらある・・という主観的効果が上がっています。

神様との交信?方法は、基本的には各人各様の自己流でよいので、堅苦しく考える必要はありません。最初はいろいろな言い方でためしてみて、自分にしっくりくる言い回しや表現方法を探してください。祈るときは声に出してください。声に出して、耳から入れるという同時Output・Input の循環がミソです。

例として適当にいくつかご紹介します。

一日の始まり
「◯◯(神様とか太陽さんとか好きな呼び名)、
 今日も豊かな一日を過ごすことができ感謝します」
「◯◯、すべてはうまくいっています」
「◯◯、今日は◯◯を成し遂げられます、感謝します」
「◯◯、何があっても絶対大丈夫です」
「◯◯、必ず最善の方法を手に入れることができます」etc.

一日の終わり
「◯◯、一日を無事に過ごすことができ感謝します」
「今日のトラブルを、すべてプラスに変換できることを感謝します」
「今抱えている怒りを、すべて◯◯に委ねます」
「今の迷いを、すべてあなたに委ねます。」
「今日も豊かな一日をありがとうございます」etc.

注意する点は、「もっと金持になれますように」「結婚できますように」といった願い事は避けることです。「お願い」は利己的な欲によるものなので、執着というN要素を強化してしまいます。「人のためにお金を使える豊かな生活に感謝します」といったようなP要素溢れる宣言に言い替えてみましょう。

もうひとつ大切なのは、たとえば怒りや不安、悔しさ、迷い、悲しみ、復讐心などのN要素を抱えてしまった場合、その思いを神様にあずけてしまうことです。

たとえば、「今抱えている怒りを、すべて◯◯に委ねます」という具合に、いったんN要素を心から放逐するわけです。どうしても自力で肯定的再解釈ができないとき、他力(神様)に委ねるのです。まさに他力本願。そうすることで怒りを外在化し、N要素を過度につかむ弊害をブロックします。

P循環の起動には、まずは自ら先んじてP要素を発信することP循環を起こそうという意識をもつことが、P要素を強化しP循環を起動するための最もたいせつなポイントです。


ここまで読まれて、やっぱり怪しい!と思われる方がほとんどかもしれません。自分で書いていても、なにやら怪しいスピリチュアル系or自己啓発系の伝道師みたいでんがなまんがな・・・。

だがしかーし( ̄  ̄)b 、この縦軸(上の次元)とのコミュニケーションによるP要素強化型リフレーミングは、人間の脳の働きを利用した、ひじょうにすぐれたリフレーミング方法のひとつなのです。身もふたもない言い方をすれば、「自己暗示」ですね。「信じる」というエネルギーを注入することで、心にひじょうに大きな影響を与えることができます。

脳 は、本人の知らぬ間に膨大な情報を処理し、それによって心身を調節維持しています。全身の受容器(五感の感覚器)から脳へと情報が送り込まれ、脳からは全 身に指令が送られている。それは本人が自覚しないまま、無意識に行われていることです。そのなかでも、高度な機能を司る大脳新皮質に最も大きな影響を与え る情報が、言語(言葉)なのです。

長いあいだ「言語(言葉)は人間の考えを伝える道具」と考えられていましたが、現在では「考えは言語そのものである」ことが証明されつつあります。脳というシステムが生み出す心にとって、それだけ言語のもつ威力は絶大なのです。

言葉を使って心の潜在意識に働きかける。それによって有害な言語(N要素)を有益な言語(P要素)で追い出す、あるいは相殺してしまおう・・・というのが「★P要素の強化方法・Level 3」の目指すところです。

というわけで、好奇心の旺盛な方はぜひ怪しさ満載の「★P要素の強化方法」も試していただきたいと思います。


P的な心は環境にP的な出来事を現象させる・・・を仮説として、長々と書き連ねてまいりましたポジティブ・リフレーミング「ひとりでできるもん♪ P要素強化訓練」・・「★P要素の強化方法・Level 1~3」をやっとこさっとこ終了することができました。 ハレルヤ。


以下は今までのおさらいになりますが、

「ものごとに対する意味づけの仕方」「フレーム(枠・枠組)」と呼び、個人のフレームを変えることで、連鎖的にその人の感情や行動、考え方、身体症状に変化が生じる。その変化がさらに周囲の人間関係に影響を及ぼし、その人の属するシステム全体の変化を促す・・・それをリフレーミングといいます。

その「リフレーミング(再枠組み、再意味づけ)」技法によって、ブレイクスルー(問題そのものを「問題ではなくしてしまう非問題化」、もしくは「問題が消失してしまう価値の転換」)を起こす。そのためにもっとも効果的なのが、「N要素の高いフレーム」を「「P要素の高いフレーム」に変えていくP要素強化型リフレーミングである・・・というお話でした。

そ して「P要素強化型リフレーミング =  ポジティブ・リフレーミング」のひとりバージョンをこれまでにいくつかご紹介してきたわけです。でも、ここで挙げた方法はほんの一部、もっとずっと効果的 な方法が他にもあるでしょう。それはご自身が取り組む中で見つけていただきたいと思います。そして少しでも、一日のうちのP要素の占める時間の割合を増や していっていただきたいと思うのです。

そうそう、これまで長々しく書いてきたことを、ひとことで見事に表現したことわざがあります。

笑う門には福来たる・・・ 



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前回から「N要素の高いフレーム」を「「P要素の高いフレーム」に変えていくP要素強化型リフレーミング = 個人によるポジティブ・リフレーミングをお伝えしています。

というわけで、P要素で心を満たして個人的P循環環境(personal Circulation Type P)につなげるという試み

「ひとりでできるもん♪ P要素強化訓練」の最終章です。

前回ご提案した「★P要素の強化方法・Level 1~Level 2」は、日常のなかで比較的簡単に行えるものでした。今回は「Level3」ということですが、この方法は人によっては抵抗があるかもしれませんし、拒絶反応が出るかもしれません。けれども、やり方によってはひじょうに効果のある方法です。

Leve1~2が、「個人と他人」「個人と社会」といった縦軸(同じ次元)のコミュニケーションによる、P要素強化型リフレーミングの提案とすると、Level 3縦軸(上の次元)のコミュニケーションを取り入れたP要素強化型リフレーミングの提案といえます。

「縦軸」を簡単にいうと、神様、仏様、宇宙の総元締、サムシンググレート、ご先祖様etc・・・との間にP循環を起こすということです。ね、かなり怪しくなってきたでしょう? ドン引きした方はお引き止め致しませぬ。

あ くまでも個々人が心に描く「神(のようなもの)」の概念、つまり「人智を越えた存在」「全てを司るもの」「究極的なもの」「永遠的なもの」「完全なもの」 「無限なもの」「何だか知らないけどすごい存在」etc. といった、横ではなく上の方にいらっしゃる「超自然的存在の概念」とのコミュニケーションです。

システム論的には、素粒子から宇宙まで、階層を越えたシステムが相互に影響し合っていると考えます。人間もその中間のどこかに位置する存在ですから、とうぜん人間も宇宙とつながっています。それを「個人と家族」と同じように「個人と宇宙」「個人と神様」との関係として規定し、同じ発想をすればよいわけです。

といっても、すでに信仰を持っておられる方は、馴染んでいらっしゃる神様や教祖様でもよいのです。自由なコミュニケーションを取り入れることが可能であれば、です。

例 外として、「神様」や「◯◯様」に「罰が当たるもの」「ひたすら畏れ多いもの」といったイメージ(刷り込み)のある方は、今回のLevel3はスルーして ください。縦軸交流によって、かえって「恐れ」「不安」の気持ちが沸き起こり、N要素を強化してしまうことになります。また、神様的な存在自体に拒絶反応 を引き起こす方もあっさりスルーでお願いします。

もちろんコミュニケーションといっても、イタコや霊能者やスピリチュアル◯◯を介して、守護霊やらご先祖様やらエンジェルやらどこぞの神様と会話するということではありません。いや、それはそれでいいのですが。(; ̄ー ̄A アセアセ・・・


少し話が逸れますが、心理学と神様(信仰)は、その源流を辿ればなかなか近い関係にあります。

最近「ヒトはなぜ神を信じるのか」ー信仰する本能ー/ジェシー ベリング といった本がでました。進化心理学の知見では、「神は人類の必然が生み出した創造物」という前提で、「ヒトは神を信じるように適応」したと解釈します。つ まり、「生き残りのために脳内で生み出したんだもんね。だから神様なんていないもんね。 」 という考えです。

まあ、よくある主張です。しかし人間の心の仕組みを一面から説明することはできますが、それが「神」の存在の有無を結論できるかといえば、まったく別問題なんですけれどね。

精神医学や心理学のない時代、心の苦しみを癒す役割を担ったのは宗教でした。
ブッダやキリストの後をゾロゾロと人々がついて行ったのは、「この人なら信じることができる」という安心感ではなかったでしょうか。

ブッダの有名な逸話に、芥子(ケシ)の実の喩えがあります。

ある村で、医者に見放された瀕死の我が子を抱えた母親がブッダの噂を聞いてやってきます。半狂乱の母親は、自分の身はどうなろうと、この子だけは助けてほしいとブッダにすがります。ブッダは伝えます。「この村をまわって芥子の実をもらってくるなら、それで薬をつくり助けてあげましょう。ただし、これまで死人を出したことのない家の芥子の実にかぎります」。
母親は村中の家を訪ねますが、先祖代々死人を出したことのない家など一件もなく、精も根も尽き果ててブッダのもとに戻ります。ブッダの腕の中で子どもはすでに亡くなっていました。母親はがっくりと膝を落とし、その死を受け入れます。


ブッダは、現実を拒否した執着の苦しみを「母親が自ら悟る」というかたちで受け入れさせたわけです。カウンセリングでいえば、認知の歪みに気づき、ありのま まを受け入れる、ということに近いでしょうか。

ブッダは神や信仰など形而上的議論は「無記」とし、「神」や「あの世」についての有無を論ずることを批判しています。いくら科学が発達しても、存在するか否かの証明は不可能ですし、けっきょくどちらの説を信じるか 信じないか・・・に帰結します。それ以上は不毛の論争になるだけです。といっても、ブッダ自身はドグマの奴隷となる信仰(閉じられたシステム)については否定しているのですけれど。

組織化された宗教を批判したアインシュタインは「私の教会は心の中に自らひっそりと設立した良心の教会なのだ」と語りました。彼は、宇宙は一貫した法則(神の意志)に貫かれており、それに対しては人間の計らいの入り込む余地は無いということを言っています。「神はサイコロを振らない」という言葉は有名ですね。既存の宗教では仏教に強い関心をもっていました。

いずれにしても、太古の時代のアニミズムから始まり、あらゆる時代のあらゆる人々が、民族や集団ごとに異なる「神」であってもその存在を信じてきたのは、それが人類の繁栄にとって都合がよかったからでしょう。もし「神」の存在が適応的ではなかったら、
これほど人類史に間断なく、多様な神様(宗教)は存在しなかったように思います。

言い方を変えれば、「パスカルの賭け」のように「神は在るに賭けた方が、掛けの勝ち負けに関わらず幸福である」・・・ということになるでしょうか。もちろん「神は無い」に賭けることで心の平安を得る人もいるわけですが。

そういえば河合隼雄先生もよく「これに賭けます」ということをいっています。

私 が言っている「なぜ」というのは人間の存在とか、われわれが生きているという根本に関係するような「なぜ」であり、それに対しては、科学では答えられない わけです。それはなにも科学が悪いんじゃなくて、そういう科学的な説明のほかに、もう一つの説明がほしい。もう一つの説明をされて「そうなんです。これに 賭けます」という、それがどうしてもわれわれにはいるわけです。
    そのときに私が思いますには、宗教の持っている意味というのは、そういうわけのわからないところがありながら、それに賭けましょうということです。(「カウンセリングを語る」/河合隼雄より)


河合隼雄の学んだユングも、若い頃から宗教的なものにひじょうに深い関心を持っていました。深層心理学理論をもとに、個人的無意識と、個人を越えた人 類共通の集合的無意識普遍的無意識)を提唱しています。ユングがそれに確信をもつ裏付けとしたものが「曼荼羅」でした。どちらかといえば、科学的根拠というよりも宗教 的発想ですね。また、ユング心理学における共時性(シンクロニシティ)という概念も、心理学というよりも何やらスピリチュアリティに近いものを感じます。 超心理学とかね。


えーと、えーと、話がとっ散らかってしまいましたが、何がしたかったのかな?・・・

そうだ、縦軸(上の次元)とのコミュニケーションを取り入れたP要素強化型リフレーミングをしよう♪という提案でした。で、怪しさを軽減するために外堀を埋めようとして志なかばで力尽きた、と。

というわけで、「★P要素の強化方法・Level 3」最終章は次回にまわします。ヾ(ーー )ォィ
  

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たとえば、

電話を先に切られ、ツーツーツーという音を聞いたとき
  
話している相手が偶然知り合いを見つけ、笑顔で挨拶したとき
  
相手の去って行く後ろ姿を見たとき
  
メールの返信が来ていないのを確認したとき
  
相手が時計を見て「もうこんな時間、行かなくちゃ」と言ったとき
  
自分が話している途中、相手がつまらなそうな顔を見せたとき
  
否定してほしいのに、相手が黙ったままなとき
  
ふと視線を外されたとき
  
ラインが既読になっているのにすぐに返事が来ないとき
  
他の人と写っている写真がSNSにupされているのを見たとき
  
予定していた約束を断られたとき
  
待ち合わせ時間ジャストになっても相手が来ないとき
  
等々・・・



このような状況のとき、下記のような情動に心が支配されます。


砂漠にたったひとり取り残されたような孤独
  
足元の氷が突然割れて底なしの穴に落下するような恐怖
  
大声を出して泣き叫びたいような不安
  
内蔵が突然凍ってしまったような絶望



情緒が著しく不安定な人たちは、常に人とのつながりを求めています。同時 に、そのつながりが断たれることを極度に恐れています。人とのつながりが断たれたり、断たれそうになったり、断たれるのではないかと想像したりした瞬間、 孤独・不安・恐怖といった強い感情に突き動かされ、心全体がそれに囚われてしまうのです。時間の経過とともに情緒の揺れは増大してゆきます。

これが「見捨てられ不安」です。

その結果激しい怒りの感情を爆発させます。怒りの裏は恐怖心です。
相手に何十ものメールを送信し続けたり、昼夜かまわずの電話をしたり、メアドを削除して相手を遮断したり、自傷行為をしたり・・といった行動化として表出され、見捨てようとする相手を何とかつなぎとめようと必死の試みをします。

そのなりふりかまわない努力を「しがみつき」といいます。

その裏には「人を信用できない」「また裏切られるのではないか」といった、人に対する根源的な不信感があります。

その根深い不信感について、「基本的信頼感」が身についていない、精神分析で言う「対象恒常性」が獲得されていない、などといわれますが、根底にあるのは「強い自己否定感」です。


人 から見捨てられるのは誰しも不安に思います。けれども、境界性パーソナリティ障害、AC(アダルトチルドレン)などの情緒が不安定な症状を持つ人は、その 不安が想像を絶するほど強いのです。特に「見捨てられ不安としがみつき」は、境界性パーソナリティ障害の中心的症状であり最大の特徴ともいえます。


注:「見捨てられ不安としがみつき」だけでは、境界性パーソナリティ障害であるとの診断にはなりません。診断基準については『境界性パーソナリティ障害』(1)の DSM-Ⅳ-TR(精神疾患と分類の手引き 新訂版)についての記事を参照のこと。


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このところ時間がなくてなかなかブログまで手が回らない。
といっても、過疎ブログなのでとくに支障はないけれど、やはりシリーズで記事にしているものが滞っていると気になる。

途中でほったらかしになっている継続シリーズもいくつかある。心理系の記事は加減が微妙であるし、文章が下手なうえに遅筆、結局途中でめんどうになってしまいそのまま忘れちゃったりする。ヾ(ーー )ォィ   「ブレイクスルー」も書きかけだけれど、これはまあ、なんとかなりそう。

なーんて、自分に言い訳をしつつ、久々に「境界性パーソナリティ障害」シリーズを再開しようかと思っている。若い方で情緒の不安定に悩む方の比率がかなり高いように思う。


まったく話は違うけれど、ストレス解消のための恒例「就寝前映画・ドラマ鑑賞会(参加者一名)」で最近観はじめたのが「名探偵モンクシリーズ」。

数年前までNHKで放映されていたのでご存知の方も多いと思う。ロス市警のコンサルタントをつとめる、38?の恐怖症を抱えるエイドリアン・モンク(元刑事)が主人公の推理ドラマ。ほぼ毎回、猛烈にイライラし大爆笑する。ときにホロリもある。

強迫症はむかし「強迫神経症」と呼ばれていたが、現在は「強迫性障害」という。強迫症状に特徴付けられる不安障害のひとつで、強迫観念と強迫行為が揃っているかで診断される。


毎回、恐怖症の症状によって周囲を混乱に陥れつつも、驚異的な記憶力、観察力、洞察力によって事件を解決に導いてゆく。このモンク、事件解決においてはずば抜けた能力を発揮する一方、コミュニケーション力に少々難があり、空気が読めず共感能力が欠如、嘘が下手で純粋等、アスペルガーの傾向を彷彿とさせるところももっている。

日常のなかで次々と強迫症の対象に遭遇し、そのたびに理性が吹っ飛ぶほど取乱し挙動不審になる。週に一度通う精神分析医のDr. クローガーにその出来事を切々を訴えるのだけれど、完全にDr. に依存しており、その様が実に可愛く興味深い。

規則正しさやシンメトリーにも異常に拘り、額がちょっとでも傾いていれば直さずにはいられないし、花瓶の花の高さが不揃いだと全て同じ長さに茎をちょん切ってしまう。片腕の人物に会えば腕の左右のアンバランスが気になって仕方なく、自分の片目を隠して片腕が視界に入るのを防ぐ・・といった塩梅。

捕り物の真っ最中でも強迫観念に気をとられてしまうモンクに、理解者である警部やアシスタントもその度にやきもきしてしまう。しかし本人にとっては恐怖であり苦痛であるわけで、それを解消するには強迫行為をせざるを得ないのである。

握手をしてもすぐに除菌ティッシュで拭くなど、汚いものや醜いものにもひじょうな恐怖心を抱いている。強迫症によるそういった心情は事実であるが、へたをすると差別主義者と誤解されかねない。裸体も恐怖の対象で、嫌悪からヌーディストを犯人だと決めつけたりしちゃうしね。

そこらへんの微妙なところも含めて、事実に即しつつ品性を保ちつつ、爆笑コメディに仕立ててしまうのはさすが欧米。日本的な情緒や感性の持ち主のなかには、そういった症状を笑いに変換することが容認できない人もいるだろうし、多方面から抗議がくるであろうシチュエーションも多い。おそらく日本でのコメディドラマ化はムリね。

強迫症の扱いではつっこみどころも多いのだけれど、推理ものとしての完成度はひじょうに高く、モンクをはじめ登場人物たちの魅力も相まって、いろいろな意味で楽しめる。モンクの声を角野卓三さんが担当しているのだけれど、もうドンピシャ。

最近「就寝前鑑賞会」で「ほろよい(白いサワー)」を飲むのがお楽しみ。 下戸でも飲める♪

 

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