すべてはうまくいっている! 光と心の調和 -19ページ目

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

ああ、もう大晦日になってしまった。


森羅万象的には大晦日と元旦の差なんて何もないのだけれど、やはり大晦日である。

だから多少は大晦日らしく過ごす。

 

とりあえず、昨日は玄関の扉に正月飾りをぶら下げたし、今日は母のところでお節をいただいてきた。

毎年3キロの手作り栗きんとんのうち、大型タッパーに入れられた1キロほどを渡される。もう無駄な抵抗はせずに、ありがたく頂戴する。

 

息子は友人たちと盛り上がっているのだろう。

スーパーで買ったエビのかき揚げをのせたおそばを、ひとりで食べる。

ひとりの時間も嬉しい。ひとりっていいな。

 

年賀状は年々減ってきている。メール環境で、近しい人ほどハガキでのやり取りの必要がない。けれども、もらうとすごく嬉しい。だから遠い知人たちに私も毎年、大晦日に手作り年賀状をつくり元旦に出す。

 

ここ数年、WOWOWの映画・ドラマとほぼレンタルのDVD以外にはほとんどTVを観ない。

年末年始のTVもまったく状況が分からない。

NHKの紅白は、サブちゃんの鼻の穴に紙吹雪が入った年くらいから観ていない。今年はどんな歌手が出場したのだろうか。

 

今年も好奇心だけは旺盛だった。

すべてのクライエントさんから深く心を動かされ続けた。

相も変わらず失敗や恥かきは多けれど、嬉しいこともたくさんあった。

 

で、今年いちばんの衝撃は、やはりバスの中で「ミッチャン道々~♪」の独唱を聴けたことかな。

 

来年も面白き年でありますように。

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自分とはいったい何なのか。
 
誰しもが若いころ、そんなことを考えたことがあると思います。

大人になっても、たまに考えてみるのもいいものです。
 
 
約37兆の細胞と意識ででき上がっているこの私は、
いったい何のために生きているのだろう。
 
目をつぶってみてください。
何を感じますか。
 
目を閉じた網膜には何が映っているでしょうか。
耳を澄ましてください、いま何が聞こえていますか。
味やにおいは感じますか。
肌に触れる、衣服や周囲の空気の感触はどうですか。
 
いま感じている心の揺らぎは何でしょう。

不安、悲しみ、怒り、憎しみ、寂しさ、満足、喜び、安心・・・
それはどこからきていますか。
 
いま抱えている悩みを数値化できますか。
 
何かしたいことはありますか。
ほんとうは、どうなりたいですか。
 
宇宙にたった一つの自分、
この肉体と意識でできた生命体に意味があると思いますか。
 
地球という星に産まれた自分はいったい何ですか。
 
 
そんなことを考えるイノセントな夜もいいものです。

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あーもう月末になってしまった。

 

今月は日程に余裕がなく、臨床心理の研究会やセミナーにいくつか出たりしたこともあり、乏しい脳みそがオーバーヒート気味で珍しくエンスト状態。就寝前のお楽しみB級C級アクション映画鑑賞も、途中で睡魔に襲われ爆睡してしまう日が多かった。

 

やっと暇ができたので、引っ越し以来十ン年間三十数箱の段ボールに詰め込んだままの、若いころ読んだ本の整理を思い立つ。ときどきふたを開けて風通しをしていたのが幸いしたのか、恐れていたカビや虫食いはなくホッとする。

 

いや~実にくだらない本が多い。もともとジャンルを問わず乱読に明け暮れていたのだけれど、こうも節操のない読書をしていたのかと呆れる。恥ずかしくて書けないような本もどっちゃり出てきた。選別して処分しなくては。

 

けれども嬉しい漫画の発掘もできた。以下は自慢。(恥をさらすとも言えなくもない)

 

諸星大二郎の各種短編集、シリーズ物、なかでも西遊妖猿伝(双葉社)9巻が出てきたのはありがたい。ぜんぶで30冊くらい。

 

梅図かずお「わたしは真悟」「神の左手悪魔の右手」「まことちゃん」のシリーズも全巻揃ってヤッホ~だ。その他に20冊くらい。両作家は、わたしの基準では天才である。

 

あと、白土三平「カムイ伝」全21巻、ジョージ秋山「浮浪雲」バラで30冊くらい、みなもと太郎「風雲児たち」22巻まで、ゴルゴ13が3冊、望月 三起也「ワイルド7」が18冊。

 

全部わたしが買うたのじゃ~!そうじゃ、そうじゃ、そうなのじゃ~、ガーン!(まことちゃん風)。これから再再々・・・読の楽しみができたので、とても懐かし嬉しい。そのうち息子にも貸してやろう。

 

少女?時代から、少年ジャンプやビッグコミックの愛読者だったので、少女フレンドやマーガレットを読んでいる同級生と話しが合わないことが悩みの種だった。青年期に「ベルサイユのバラ」を借りて読んだが、ヴィジュアル的に吹き出してしまい無理であった(ファンの方、気にしないで)。

ちなみに我が弟は、わたしの漫画コレクションを目にしていたにもかかわらず、1冊も読んでいないはずである。性格・趣味、感受性、まるで鉱物と軟体動物ほど隔たっているから面白い。

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母が実家に来ていた弟に、

例によって説教をたれていた。


「だからあなたは自己中なの! 

  私はひとのことばかり考えてるタコ中!」


「他己中」という言葉は無いと伝えた。

それをいうなら「おせっかい」と思ったが、

黙っていた。


敬老の日に、

弟はアラエイ(around eighty)の母へ、

スミソニアン協会監修の「地球博物学大図鑑 」

をプレゼントした。

意図は不明である。


母の感想「種類が少なすぎる、色が悪い」。

荒俣宏の「世界大博物図鑑(全7巻)」

なら文句あるまいが、

いったい誰が買う?


そのうちこっそり私にくれるという。

もらうけど。


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ゆとり、団塊、負け組、アラフォー、草食・肉食系、リア充、おたく、上級民、モンスターピアレンツ、八方美人、KY、かまってちゃん、ダメンズ、ネトウヨetc. 巷には数えきれないほどのレッテルが溢れていて覚えるのが追いつかない。

レッテルは人々を大ざっぱに分類して類型化・単純化する。

たとえば「男37歳、独身、無職歴15年、週3バイト始めて3ヶ月」などと聞こうものなら、
「元ニート」「社会不適合者」「負け組」なんてラベルを貼ってしまうでしょう? ほんとうは親の遺産で悠々自適、バイトは社会見学、本に囲まれ読書三昧の「高等遊民」(古!)、かもしれないのに。←ほぼ友人

レッ テルはものごとをわかり易く伝えるにはとても便利なもので、ただぺたんと貼れば分かったつもりになって何だか安心する。ときには問題を矮小化したり差別に つながったり、ことの本質から大きくズレてしまうリスクもあるけれど、話を面白く簡単にするには外せない表現方法なのだろう。

ところがラベリングの対象が個人へ向くと、圧倒的に弊害の方が多くなる。個人へのレッテルで最も多いのが、マイナスイメージを想起させてその人を決めつける、という類い。誰しも心あたりがあると思う。

レッテルには他人へ貼るものと、自分へ貼るものとがある。

「あの人は◯◯だから」
「アイツって◯◯だよね」
「私って◯◯だから‥」
「俺は◯◯な人間だからね」

【他人へのレッテル】

なぜ、人にレッテルを貼りたくなってしまうのか。

他人へのレッテルは、その相手と深い付き合いがなく、何となく虫が好かなかったり、苦手だったりする人に対して貼る場合が多い。

裏返すと、ほんとうはその人のことが「理解できない」「よく分からない」からである。

人間は本能的に、自分が理解できないものや分からないものに対しては「不安」や「恐れ」を抱くようにできている。不安や恐怖という感情は、危険を察知し、自分の身を守るために不可欠な情動でもある。

しかし、それが認知の歪みによって過剰になると、必要以上に自分を守ろうとする心理がはたらく。ラベリングもそのひとつで、自分を脅かす「よく分からない人物」に対し、不安を打ち消し、安心感を得るために行う。

レッ テルを貼ることで、分からないものを分かったものとしてしまう。そのために細部を無視して、わかりやすい特徴を捉えた短い単語を探したり、適当な単語がな ければつくりだして、それをレッテルにする。そもそも不安や恐れからきているので、ラベルは自然と、相手を見下したり、価値を下げる方向へと近づいてゆ く。


中世から近世にかけて行われた魔女狩りなども、極端なかたちのレッテル貼りといえるかもしれない。当時の強烈な社会不安を背 景に生じた集団ヒステリーともいわれているが、その核となっているのは未知のものへの「不安・恐れ」の感情である。その脅威を解消する為の手段が、スケー プゴートとして選んだ人間への「魔女=悪魔との契約者」といラベリングであり、その異分子を排除(処刑)することであった。

自 分にとってよく理解できない人間は、自分にとって脅威の存在にもなり得る。そこで、その相手を一言ですませられる、単純でとるに足らない人間だと決めつけ る。さらにそれを周知させれば、自分は不安を感じずにすむ。ラベリングは、理解できない相手を無意識に異分子として排除しようとする行為ともいえる。

「アイツは小心者だから~」といった噂話をする人は、一見、批判的だったり、攻撃的だったり、強気で声が大きかったりする場合が多い。でもほんとうは、自分自身が小心者であったりね。

と いうことで、人に対してむやみにレッテルを貼る人というのは、「分からない」「理解できない」人に不安や恐れを抱きやすい傾向があるといえる。よく知らな いのに、たいしたことのないヤツと価値を下げて安心する。ほんとうは臆病で自分に自信がないからなのだ。自信があれば、他人を低めたり見下したりする必要 はないもんね。


【自分へのレッテル】

自分へのレッテルは2種類ある。

ひとつは、ほんとうに自分がそういう人間だと思い込んでしまっている場合。
もうひとつは、他人から自分を守るために自らにレッテルを貼っている場合。


「私って何やってもダメな人間だから・・」

つらい状況にあってものすごく落ち込んでいるとき、このように自分のことを表現する人がいる。不安障害やうつ病の人もこういった言い方をする傾向がある。自己評価が著しく低く、「私ってバカだから・・」「私ってネクラだから・・」「私ってつまらない人間だから・・」と本心から思い込み、 はなから自分を諦め、見放すようなラベルを自分に貼る。

自分へのネガティブな解釈が習慣化すると、「私ってダメ人間だから」→「どうせ何をやってもうまくいかない」と続くように、自分で自分の行動に制約をつくってしまう。すると新しいものに挑戦しようという気持までなくなっていく。

一方で、自分に貼ったレッテルを、「こういう性格だから仕方ない」という言い訳につかっている場合もある。「私って恐がりな人だから~」と言って、意志や努力の問題ではなく、性格の問題にしてしまえば自己正当化できる。変わろうとしない挑戦しようとしない人が、人に責められないため、自分を守るために無意識にラベリングを利用しているともいえる。

いずれにしても自分へのラベリングは、自らの価値を低く規定したり、行動しないことを正当化するための場合が多い。でも「言葉=ラベル」に自ら縛られるのは、自分自身と向き合うことから逃げ、成長から遠ざかるだけで、自分に良い結果をもたらすことはない。

「人はひとたびラベリングされると、それにもとづいたアイデンティティと行動パターンを形成するようになる」というレッカーのラベリング理論がある。レッテルが自己暗示となり、自ら無意識層へ浸透させ強化していく。自分を貶めるようなレッテルを貼ることはしないほうがよい。


ところで、レッテルの巣窟ともいうべき世界がある、どーこだ? 心理学用語と精神疾患名の世界である。


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