なぜビジネスとセットになるのか?
ここがエグいところ。
「信じたい欲求」には「生き延びるための生存戦略」を満たすため、つねに 不安・依存・希望・救済願望がくっついている。
そこに、
・これで救われる!
・これで成功する!
・これで安心!
を置いたら、無限市場が広がる。
それを強化するのが
成功 → 教義の正しさ
失敗 → 本人の問題
論理的には永久に否定できない構造になっている。
宗教も、スピリチュアルも、マルチも、自己啓発も、カルトも同じ。
これって悪いことなのか?
人の信じたい欲求というのは、愚かだからでも弱いからでもない。
むしろ「意味を欲しがる」「希望を欲しがる」「世界(宇宙)とつながりたい」「自分の生に意味を持たせたい」といった、ひじょうに人間的な機能が働いている証拠でもある。
問題は、
信じる対象 → 検証不能(似非科学)→ 排他性 → 金・権力
とつながったときに、
信仰 → 狂信
希望 → 依存
物語(解釈)→ 無謬の教義
に変わること。
だから同じように 心理学も、AIも、危うい。
媒体は違うが、人間社会においては永遠になくならないテーマ。
宗教が弱くなればスピリチュアルが来る
スピが飽きられたら心理学・脳科学が来る
心理学・脳科学が疑われたら
自律的AI・シンギュラリティが来る‥
中身は「これを信じれば大丈夫」という救済装置。
人間が信じたいのは「神」ではなく「不確実性がない世界」
だから、「全部説明してくれる」「迷わなくていい」「自分が正しいと思える」という物語に、どうしても引き寄せられてしまうのだ。
繰り返すが、なぜ人間は信じたいのか?
世界が意味を持ってほしいから
・ そうでないと不安に耐えられない
・ 誰かと同じ物語を共有したい
・ 何者かに委ねたい
・ 希望を持ちたい etc.
これは特別な心理ではなく、「不安を除き安心したい」という人間本来の生存仕様なのだ。
「ケッ! 生きることに意味なんてネエヨ」というカッチョイイ台詞もあるけれど、それも「意味なんてねえ」という解釈(意味付け)で自分を納得させているのだ。屁理屈っぽいけど。
時代を通じて、人間のそうした欲求を「うまいことビジネスにつなげて儲けよう」という、これまたとても人間的な思考も必ず生じる。
いまや、SNSで再生数を稼ぐためには不安を煽るのが最も効果的、と皆気づいており、そういった情報発信の仕方がかなり多い。「怖い〇〇!」「〇〇しなければたいへん!」「危ない〇〇!」「〇〇してはダメ!」的なものがてんこ盛り。
人が根源的にもつ不安感や恐怖心をビジネスとセットにする→ 不安解消のために飛びつく
大昔から現在まで、あらゆるかたちで不安ビジネスは存在し続けてきた。
ただ、一概に善悪では語れないのも事実。
後になって大金を毟り取られたことに気づき怒り狂うケースもあれば、信じることで安心満足な人生を手に入れたと喜ぶケースもある。
次回は、どうしたら信じたい欲求と破壊的にならず付き合えるのか?
