過疎ブログにきてくださる奇特な皆様に、心から感謝しております。
今年も、好きなことが一つ増えますように。
さて、誰もお待ちかねではない『恋愛感情と生涯のパートナー』シリーズ、約一年ぶりに再開いたします。
あまりにも期間が空き過ぎてしまったため、自分でもどのような心づもりでシリーズ(9)まで延々と引っ張ってきたのか分からなくなっています。体力を考え前回の(9)だけを読み返したところ、恋愛感情についての独善的考察は殆ど書き尽くしていることを述べ、最後は以下のように終わっていました。
〜〜次回から「恋愛感情」とは別の次元で「生涯のパートナー」について、引き続き冗長(自分でもイラつく!)に話を進めてまいります。〜〜
は?「別の次元で」とか書いているが、別の次元がどの次元を指しているのか‥半日を費やして資料やらメモ書きを漁ってみても思い出せませんでした。 (´;ω;`)
もしかしたら、ただ何となく期待感を持たせるために「別の次元」という表現を使ってみただけかもしれません。
閑話休題、次に進みます。
「生涯パートナーを求めない」という選択の先
人は孤独に生きるより、誰かと共に生きることを望む傾向にあります。
一方で「いやいやそんなことはない、独身でいることに満足している!」という人たちもひじょうに多く存在することを知っています。
近年では、「結婚=幸せの王道」という価値観が相対化され、「自分の時間・キャリア・自由」を優先する人々が増えています。経済的・社会的自立が以前より可能になったことで、無理にパートナーを持たずとも生きていける、という選択肢が現実的になり、個人主義や自己実現志向が強くなった結果といえるかもしれません。
データによると2020年の日本では、50歳時点で「一度も結婚したことのない人(生涯未婚率)」の割合が、男性で約28%、女性で約17~18%といいます。ちなみに2000年では男性は約12.6%。女性は約5.8%、1960年は男女とも1%台でした。
世界的にも、結婚率の低下、結婚年齢の晩婚化、未婚・同棲・事実婚の増加など、「結婚と子育て」を結びつける旧来型の家族モデルの変化が報告されています。
ここ数十年の過程で、単身で生きることの自由さ、気楽さ、自己管理、自己実現などが語られ、「シングルで幸せ、満足」という価値観も、以前よりずっと受け入れられるようになっています。
しかし結婚に依らない幸福の可能性を広げた一方で、人間が本質的に持つ「つながりへの欲求」と「自由・自律への欲求」とのあいだで、これまでにない葛藤も生じています。
現代のパラドックス
上記のような理由で結婚を選択しなかった人たちも、人生の後半から晩年に入り、日本でいえば 定年前後の独身者たちが 、強い孤独感・孤立感・寂しさ・死への恐怖‥といった思いを抱えているという現実が見られます。これは私の周辺からも熟年世代の独身者からの本音として強く伝わってきています。
心理学・社会学の研究では、若い頃には「自由」や「自己実現」を最大化することが重要だったとしても、加齢に伴い、「情緒的な絆」や「深い関係性の価値」が大きくなっていくことが示されています。
また、晩年に孤独が増すと、「不安・恐怖・抑うつが増大」「免疫機能低下」「認知症リスク上昇」「早期死亡率が高くなる」といったデータもあります。
若い時期は、社会生活によって「資源を獲得する能力」「健康と体力」「多数の人間関係」によってある程度の安定を得られますが、加齢とともにその優位性を失うため、「情緒的な絆が生存に不可欠な資源」へと再び浮上するわけです。
人は人生の後半になるほど、
⚫︎ 表層的な人間関係よりも「信頼できる少数
の関係」を求める
⚫︎ 自分の存在を理解し、共有できる相手の
必要性が高まる
⚫︎ 孤独は死亡率を高め、健康にも強く影響する
といった傾向が強まるということです。
若い頃には「自由を守るためにパートナーを持たない」という選択が魅力的に思えても、人生の最終局面では、むしろ深い人間的つながりの欠如が後悔へと転じるケースが少なくありません。
実際、定年期以降の独身者を対象にした調査では、
⚫︎ 今からでも信頼できるパートナーが欲しいよう」
と回答する人が多数を占める
⚫︎ 特に男性独身者の孤立は深刻化しやすい
⚫︎ 孤独感はうつ、認知症、生活機能の低下とも
関連する
という結果が繰り返し報告されています。
「自立できるようになった社会」であるがゆえに、
人は人生の後半に入ると「孤独を強く意識する」ようになり、より深く「寄り添う相手」を必要とする。
つまり、
若さ : 自由を優先する価値観
老い : 絆を求める心理
との間に、人生を通したダイナミックな転換があるといえます。もちろん特にない人もいます。
次回は、進化心理学の観点からみた、人が深い絆を求める本質的理由について。
前回は『恋愛中の彼氏に触れられることが苦手な女性』へ向けての考察でした。今回はそのような傾向のある彼女に恋する男性へ、誤解しないでほしいことと、心の距離を育てる方法について考えてみます。
恋愛中の彼女に触れさせてもらえない男性へ
付き合っているのに、手を握るのをためらわれたり、キスやセックスを避けられたりすると、男性としては戸惑いや不安を覚えるものです。
「俺、嫌われたのかな?」
「もう他に好きな人ができたのかも」
「何かして怒らせたんだろうか……」
と不安になるのは当然のこと。
しかし、触れ合えない理由は「拒絶」や「愛情不足」とは限らないのです。
それは、「彼女にあなたへの愛情が足りない」のではなく、「彼女の中で“心と身体のタイミング”がまだ揃っていない」からかもしれません。
彼女自身も、「なぜそうなのか」がわからずに戸惑っていることがあるのです。
この記事では、「恋愛関係にあるにもかかわらず、身体的接触に抵抗を持つ女性たち」に対して、
男性側が誤解や自己否定に陥らないための視点と、お互いの関係を育てるための実践的なヒントをお伝えします。
1. なぜ心と身体のタイミングがずれるのか
・明確なトラウマがなくても感じる生理的な拒否感や、愛着スタイル、感覚過敏など、背景は人によってさまざま
・特に愛着回避型傾向は、身体的接触への抵抗と強く関連している
・身体が自然と防御反応を示しているだけで、その人の“異常”ではない
・「好き=すぐ触れ合いたい」は一般的なイメージだが、すべての人に当てはまるわけではない
2. 男性が感じやすい誤解
・「俺に魅力がないのかも」「もう気持ちが冷めたのかもしれない」「俺が傷つけた?」
これらネガティブな自己解釈は自然な反応
(もちろん解釈通りというケースもあるよ)
3. 伝えてほしい、本当の気持ち
(この項は彼から彼女へのお願いになる)
・「あなたのことを嫌いなわけではない」
「ただ、自分のペースで近づきたい」
「心と体が準備できるまで、そのペースを見守ってほしい」等々、彼女から言葉で誠実に伝えられることで、相手の誤解や不安を和らげる大きな助けとなる
4. 彼女を大切に思っているなら
・性だけがゴールではなく、「安心感を育む時間」こそが関係構築のベースとなる
・手をつなぐ、優しいハグ、隣で静かに本を読む時間など、最小限の接触でも親密さは増す
・お互いに未来の可能性を共に育てていくという姿勢を持つことが、深いつながりの礎になる
5. お互いにできること〜具体的対応法〜
■ 女性側:
・感覚に言葉がなくても、「触れられることが苦手」ということを伝える勇気を持つ
・「拒絶」ではなく「信頼のタイミング」として説明する
・少しずつ「安心の触れ方」を一緒に探していく
■ 男性側:
・「なぜ?」よりも「どうすれば安心?」に視点を切り替える
・性=愛ではない、という関係の様々なあり方を受け入れる
・恋愛関係を続けたいのであれば、焦らず、彼女の歩幅に歩み寄る姿勢を続ける
恋愛とは、相手の世界を尊重しつつ、自分の心にも正直であること、お互いに我慢や無理をしないことが重要。触れ合うことが愛の全てではないし、触れられないからといって愛が欠けているわけでもありません。
二人で育む「安心という心地よい状態」を大切にすること、それが本当に深い信頼関係を築く第一歩ではないでしょうか?(想像なので弱気)
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念のために付け加えるならば、女性だけではなく、当然男性にも当てはまるケースが存在すると考えます。
解釈によってはプラトニック・ラブも含まれるかもしれません。お互いに共感できれば選択肢の一つ。
以上、明らかな勘違いや誤解からの別離を回避していただくためにも、恋愛関係には「こういうケースもある」ということを知っておいていただきたいと思う次第です。
私のこれまでの様々な出会いの中で、とくに圧倒的に女性に多い事例として
過去に明確なトラウマ(PTSD)や虐待の経験がないにもかかわらず、恋愛対象の男性に対して肉体的接触(ハグ、キス、セックスetc.)に、程度の差はあれ「嫌悪」あるいは「抵抗」「苦手意識」を持つ
ことで悩まれているケースが複数ありました。
こういった男性への身体的接触への抵抗を持つ女性は、実際に臨床や研究でも一定数報告されています。かなりセンシティブな問題でなかなか顕在化しにくく、潜在的には統計よりかなり多く存在する可能性もあると考えています。
世のお年頃の男性にも、相思相愛の(これ自体が勘違いというケースも多々あれど)女性の理解しにくい拒絶反応に対しての誤解や勘違いを回避していただくために、このような心的傾向を持つ女性が存在することを知っていただきたいと思う次第です。
といいますのも、思い切って相手の男性に嫌悪感や不安感を伝えたとしても、女性自身もなぜ強い抵抗が生じるのか明確な原因がつかめておらず、よって男性側も的確な理解が及ばない…という事例がほとんどなのです。
恋愛中の彼氏に触れられることが苦手な女性へ
これまでに考えられている心理的要因としては、
1. 愛着スタイルの影響
・幼少期の養育環境が「過度に距離のあるもの」だった場合、身体的親密さ=侵入・コントロールと感じる傾向が育つことがある
2. 性嫌悪
・性的な接触に対して、根拠のはっきりしない「生理的嫌悪感」「拒絶反応」を感じるケース
・幼少期の性教育・家庭の性に対する価値観が「ネガティブでタブー視されたもの」だった場合、それが身体レベルの嫌悪感として残るケース
3. 自己概念と身体像のゆがみ(ボディイメージ/セルフ・スキーマの影響)
・自分の身体に対する否定的な感情(「見られたくない」「魅力的ではないと思われるのが怖い」など)
・特に自己肯定感の低さや身体的羞恥心が強い人は、他者との身体的接触が「恐怖・恥・嫌悪」を引き起こすことがある
4. 感覚過敏や神経発達的傾向(HSPやASD傾向)
・ハグや接触自体が「身体的に過剰な刺激」に感じられるケースがある
・これは特に、感覚過敏や神経発達特性の一部として現れることがあるため、必ずしも心理的トラウマに基づくとは限らない
5. 未分化な親密さの恐怖(親密=支配・自己喪失という無意識の図式)
・特に自立性を強く大切にする人に見られる
・身体的親密さが「個の境界のあいまいさ」「自分を失う恐怖」と結びついている可能性があるケース
稀な実例として、アセクシャルの女性にとって、男性の性的興奮に囚われた状態と通常の状態との乖離が滑稽に感じられ、どうにも可笑しくて真面目に対応できないケース、というのがあります。
まず最初に、以下のことを当事者の女性に知っていただきたいです。
「あなたの感覚は“おかしい”のではなく、“あなたの大切な感覚の一部”」
「身体が拒否」しているのは、心や身体を守ろうとする自然な反応であり、故障でも欠陥でもないという視点をもってください。
相手に対して、信頼がないからでも愛情がないからでもなく、「安心できる距離感でしか心地よくいられない」から、というのが実情です。愛情があっても「身体が追いつかない」という場合もあるのです。それは「心と身体が丁寧に関わっている証拠」でもあります。
社会的・文化的な影響で、「好きな人には触れたくなるはず」「セックスがなければ本物の恋愛じゃない」という『恋愛の定型的なイメージ』に自分を合わせようとして苦しくなる場合もあります。
しかし実際には様々な愛情表現のスタイルがあり、「“恋愛=スキンシップができること”という思い込みは手放して、個人によって大きな差があることを受け入れていただきたいです。
また、自責に陥る女性のケースでは、自分の“感じ方”を変えようとして「こんなことじゃダメだ」とさらに苦しくなることもあります。しかし実際には、感情や身体反応は「意志」ではどうにもならない領域がとても多いのです。
例えば、熱いヤカンに触れて「熱い」と感じるのは意志のせいではありません。それと同じで、「近づかれると怖い感じがする」も、意志ではなく感覚の働き。
問題は“怖い”と感じることではなく、その感覚を自分で「否定すること」なのです。自分の反応を「判断せず、逆に「好奇心を持って観察する」ことができるようなると、回復の一歩です。
「“今の感覚”が“永遠に変わらない”わけではない」
安心感・信頼関係・自己理解が深まるにつれて、「今はまだ苦手だけど、もしかしたら…」という変化が起きる可能性もあります。
あらゆる場面で活用する私の好きな考え方「どっちでもOK!」ではないですが、「今の自分のままでもよく、変化してもいい」と両方を認めてあげることで、過度な自責や不安から自分を自由にできます。
上記のような心理的要因を知らないと、恋愛対象の男性への身体的接触への拒否・抵抗が、相手の誤解(=「愛されていないのでは」「性的に魅力を感じてもらえてない」など)を招き、恋愛関係の破綻に繋がるケースもあるかもしれません。
こうした場合、本人にとっても相手にとっても傷つきは大きく、慎重で丁寧な対応が求められます。
次回は、「恋愛中の彼女に触れさせてもらえない男性」へ伝えたいことと、「二人にとっての有効な対応方法」についてです。
人の情動を理解することはひじょうに難しい。
感情の発動は、しばしば当人ですらその明確な動機や原因を理解できず、ましてや、言語化できない繊細な心の揺らぎは、無限に存在する。
したがって、例えば、人が人を好きになるのに、他人の理解は必要ない。
好意や愛情は、合理や説明を超えたものであり、それは「なぜ好きなのか」という問いを必要としない。
理解されなくても、人は人を想う。
その不可解さこそが、人間らしさであり、
情動とは、論理よりも生の深部から湧き上がる衝動なのだ。
よく、「何でそう思うの?何でそういうことができるの?あなたのことが理解できない!」という言葉を、相手を責める意味合いで発することがあるけれど、それは自分の自我の延長線上に相手の自我があるという錯覚から起きている。
誰もが自分と同じように感じ考えるべき(それが当然である)、という自分と他人の線引きができない未熟な思い込みだ。
人には、他人の情動やそれに基づく行為を、正確に理解できる能力はなく、経験や知識を駆使して推測ができる程度。それさえも見当違いのことが多い
感情に共感はできるが、理解をする必要はない。
「何でそう思うの? 何故そういうことをするの? あなたのことが理解できない!」
それには「当然だ、あなたは私ではないのだから」と応えるしかない。
「理解できないけれど、そういう人なのだ」ということを受け入れることができると、かなり楽になる。お互いにね ♪