すべてはうまくいっている! 光と心の調和

すべてはうまくいっている! 光と心の調和

横浜の心理カウンセラー ロキのつぶやきブログ。
その人がその人らしく
『生まれてきてよかった!」
と思える人生のために。

見つけてくださってありがとう!

とうとう本年も残り約3ヶ月になってしまった。なーんてこったい!

今年も新たな出会いや別れがあり、喜怒哀楽悲驚恥etc. あらゆる感情を味わい、猛反省や猛反省や猛反省など、とても深い経験や思い出を心に刻むことができた。

 

朝が来て夜が来てというのが死ぬまで続くわけで、今年一年とくくることもないのだけれど、やっぱり1日、1週間、1ヶ月、一年という区切りは、人間にとって必要なものなのだろう。

というわけで今年中に、机の右側の引き出し1段目を整理しようと決意してしまった。

成功体験を積むには、思い切りハードルを下げるのがコツ♪

 

久々に友人👩‍🦰と行く旅の宿をネット予約したのだが、その際にうっかり男性2名でポチしてしまった。

友人に「(実質)女装したおっさん二人でも通るよね」と言ったら超ウケていた。

いちおう宿に電話をかけて訂正したけど。

 

 

ほんとうに人の心は、一人ひとりまったく異なるシステムで成り立っているのだな、としみじみ思う今日この頃。

精神医学や臨床心理の領域でも、診断名や様々な心理学理論、心理療法各論だけではとてもじゃないが、人の心は はかれない。

 

心を扱う分野では、様々な研究・調査や分析、次々と発信される新しい知見も、結局は主観を含む統計学が元になっている。

〇〇症や〇〇障害といった判断基準に従った治療やカウンセリングを進めても、上手くいかないことも多々ある。ということを心理職に携わる者は知っておく必要がある、「例外がデフォルト」の世界なのだ。

 

もちろん、膨大な時間を費やした精神医学や心理学の調査分析や研究成果は人類にとってたいへんな価値があり、心を病む人々に多大な貢献を果たし続けているのも事実だ。

 

その上で、人と交流すればするほどに、人の心はほんとうに繊細で脆くて、単純で複雑で、影響を受けやすいが可塑性に富んでいて、つくづく凄い!と思う。

共通部分も多いが、個々人ではまったく異なるのだ。

 

信頼関係にある他者とのコミュニケーションの累積によってはじめて動く、心の琴線というものも存在している。

このところ全国的に猛暑が続いているが、熱中症だけではなく、メンタル面でも様々な影響が出ている方も多いのではないかと思う。道ゆく人々の顔も、極限不快!という強いストレスの向けどころを失って不機嫌モード全開の人が多い。

 

殺人を犯した理由を主人公が「太陽のせいだ」という不条理小説があったが、これは全てに無関心な主人公のせいで暑さは関係ない。しかし猛烈に暑くてむしゃくしゃしている状況にあると、自分でも想定外の言動をしてしまうことが多々ある。

 

つい先日も、知人との待ち合わせ場所を探し求めて彷徨い汗が吹き出し片目に入って滲みるのなんの、辛うじて時間に間に合いウインクしたまま開口いちばん「ふざけてますよね!このクソ暑さ」と言ってしまった。。これも暑さのせいだ!

 

調べてみると日本全国で35度以上の猛暑が頻繁に観測されるようになったのは2000年以降になってからという。まだ猛暑に身体が慣れていないせいもあるだろう。この程度は夏の通常気温と感じる時代が来れば、心身も多少は耐性を獲得しているかもしれない。

 

異常な暑さが継続することで、身体的な影響だけではなく、脳機能に及ぼす影響についてもいくつか紹介してみる。

 

1 気分的な影響

 

・特に前頭前皮質(理性や判断を司る部分)は温度変化に敏感で、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を増加させる。これにより、イライラや不安感が増し、冷静な判断が難しくなる。

 

・研究によると、暑さによって脳波が変化し、リラックスや集中に関するアルファ波の活動が低下することが報告されている。これが感情制御や理性的な判断に影響を与える。

 

2 認知機能の低下

 

・体温調節(汗を出す)に多くのエネルギーが消費され、注意力・集中力・記憶力の低下を招く。

 

・高温環境での作業が、反応時間の延長やミスの増加と関連していることはご存知の通り。

 

・高温環境にあると、短期記憶と作業記憶のパフォーマンスが低下。長期記憶の形成や情報の検索能力も影響を受ける。

 

3 神経伝達物質の影響

 

・脳内での化学反応は主に酵素によって促進されるが、酵素の働きは気温の影響をもろに受ける。

 

・酵素は、神経伝達物質の合成と分解、エネルギー代謝、シグナル伝達、神経細胞の維持と修復、神経発生と可塑性等々、多くの重要なプロセスに関与している。外気温の変動はこれらの酵素の働きに影響を与えるため、脳の温度は一定に保たれることが重要となる。

 

・気温はホルモンバランスの変動にも関わっており、行動や感情に影響を与える。例えば、暑さで増加するアドレナリンは、攻撃性や衝動性の増大にも関与している。

 

・高温環境に長時間晒されると、ドーパミンとセロトニンのレベルを変化させ、前頭前皮質の衝動抑制機能が弱まり、気分や認知機能、感情の調節などに影響を与える。その結果、攻撃的・衝動的な行動が増える傾向にあり、性衝動の高まりの誘因ともなる。

 

 

以上、継続的な高気温環境は上記のようなメンタル面にも様々な影響を与える。ただし一般的傾向であって当然個人差はある。こういった影響を頭の隅に置いておくと、ある程度自分の状態を客観視することができ、自己管理がしやすくなる、かもしれない。

 

物理的回避策は熱中症対策と同じ。

高温環境での長時間の活動を避け、屋内ではエアコンや扇風機を利用して適度な温度を保ち、こまめに水分補給と休息を取る。

外出から帰ったら、冷たいタオルや冷却ジェルパックなどを使用して体温を下げる方法も効果的。

 

暑さによって上積みされたストレスを、自分に合った方法で丁寧に解消しつつ、少しでも愉快に酷暑の夏を乗り切ってゆきたいものです。

 

Netflixで映画『THE FIRST SLAM DUNK 』を視聴。

 

湘北vs山王戦。

終盤の試合時間残り1分、背中にダメージを受けている花道が交代で戻ってから、宮城がもみくちゃで天井を見上げる試合終了までの約10分間を、立て続けに繰り返し7回観た。そのあとも際限ない感じで、当分は続きそう。

原作漫画の山王戦がやはり最高だと思うが、映画ではアニメの全てのクオリティが、なんというか、私などでは適切に評価できないほど凄い。息が詰まり、心拍数が上がる。

 

私もそうだけれど、バスケやスポーツに興味のない属性でもこの映画で感動する人は多いと思う。

置きっぱなしのバイクのメンテをさせる為だけに、母親に二輪免許を取れとしつこく迫る不可解な息子は、ときどき自分が気に入った映画やアニメ、YouTube動画を勧めてくる。ちなみにバイクに年齢上限はないらしいが、路上死確定を断固拒否し赴任地まで持って行かせた。

 

面白いと感じる感性や笑いのツボが子と同レベルで何だけれど、最近帰省したときに推奨されたのが、バシャウマという方のYouTube動画。ショート動画のナレーションが意表をついてきて笑える。エンドルフィンやセロトニンが大量分泌されるので、疲れたときに度々観ている。

 

笑うことが心身にとても良いことは広く知られているが、最初に笑いの効用が注目されたのは、当時アメリカの著名な雑誌編集者であったノーマン・カズンズの著作『笑いと治癒力』によってであった。

 

1964年にカズンズは、重度の結合組織疾患(脊椎関節炎の一種で原因不明の難病)と診断される。この病気により、凄まじい痛みと動けない状態に陥るが、医師たちは回復の見込みはひじょうに低いと考えていた。

 

そんな状態の中、カズンズは喜劇映画やテレビ(特にマルクス兄弟の映画)を見て大笑いすることによって、痛みが和らぎ睡眠が改善されることを発見する。笑いがエンドルフィン(天然痛み止めホルモン)の分泌を促進し、痛みを和らげる効果を持つのでは?と考えた。

 

ビタミンCの摂取とともに、できる限り大笑いするという二つの難病克服への試みを実践したカズンズは、わずか数か月後に症状が改善し、奇跡的な社会復帰を果たす。

 

彼は本の中で、病気とその治療に関する詳細な経緯を述べている。その実験的なアプローチと結果についての記述は、医学界と一般読者の双方に大きな影響を与え、「笑い」が医学的に有益である可能性を研究するきっかけとなった。

 

現在では、笑いの効果はエンドルフィンの分泌による痛みの減少だけではなく、身体、精神、脳機能へも及ぶことが解明されている。その複合的効果が、カズンズの痛みを含めた心身や脳の機能を回復へと導いたのだと考えている。以下に幾つか抜粋してみた。

 

 【 笑うことによる効果 】

 

・ストレスホルモン(コルチゾールやアドレナリン)のレベルを低下させ、これによりリラックス感が増し、ストレスに対するレジリエンス(困難を柔軟に乗り越え回復する力)を強化する。

 

・血管の内皮機能を改善して血流を促進するので、血圧低下や心血管系(循環系)の健康を促す。

 

注意力や集中力が向上し、学習や仕事のパフォーマンスが向上する。また、脳の認知機能を活性化させ、創造力や問題解決能力を向上させる。

 

・免疫系を活性化させ、免疫細胞(ナチュラルキラー細胞やT細胞)の活動を促進し、感染症に対する抵抗力を高める。

 

・気分が向上するため、うつ状態や不安感の軽減に役立つ。セロトニンやドーパミンといった「幸福ホルモン」が分泌され、ポジティブな感情が増幅する。

 

・人と共有する笑いは信頼感や親しみを生み出し、コミュニケーションを円滑にする。人と人との絆を強化し、社会的なつながりを深める。

 

・脳機能を活性化させ、注意力や創造力、問題解決能力を向上させる。

 

・緊張やストレスへの対処能力を高め、困難な状況に直面した際に前向きな態度を維持する助けとなる。

 

アメリカ映画などで、危機的状況に陥ったときによくジョークを飛ばすシーンがあるが、現実逃避ではなく、緊張をゆるめて冷静に対処する余裕をつくるという文脈なのだろう。私の好みの主人公タイプは、どちらかというと陽気でお喋り系よりも、ニヒルで寡黙系なんだけれど、その場合はいかに仏頂面を笑わせるかが醍醐味になる。

 

そういったわけで、日常のなかに如何に楽しい笑い(嘲笑ではなく)をより多く取り入れるかが、健康で豊かな人生へのキモになるのではと思う。どんなときに大笑いするのか、自分の笑いの感性を知っておくのもいいかもね。

 

 

これまで、人と人との間に生ずる「恋愛感情」について、進化心理学や生物学、脳神経科学等々、各方面から大雑把に身も蓋も無いことを述べてきました。つまり、ホモ・サピエンスの遺伝子に組み込まれた生殖行動のための、特化された「期間限定の情動」が恋愛感情の源であろう、という見地です。

 

その他にも「恋愛」については様々な角度から捉えることができます。

 

娯楽や文化的側面からの恋愛については、    神話や伝説の時代から「物語」として扱われてきています。思いつくままに並べてみますが、ひじょうに偏った知識による雑談なので、「さっさと生涯のパートナー」について語れや!」という方は次回まで読み飛ばしてください。

 

『恋愛』辞書のあつかいでは、

薄味の広辞苑(第6版)=『男女が互いに相手を恋したう事。また、その感情。こい』

濃厚味の新明解国語辞典(第7版)=『特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと』

 

編者によって表現に違いがあるのがとてもいいですね。

 

読書体力のあった若かりしころ、ギリシャ神話(ホメロス・ヘシオドスの英雄、冒険ワールド)や中国古典文学(西遊記・水滸伝、三国志・聊斎志異のみ)にどっぷり耽溺し、長期寝不足によって仕事でミス乱発の不届きな時代もありました。その時期に私自身も昨今で言うところのアセクシュアル傾向を自覚しはじめたように思います。

 

 

ギリシャ神話で描かれる恋愛

 

古代ギリシャでは「特定の相手を求める感情」を「エロス」と定義し、人類愛や同胞愛などとは別のものとして区別していたといいます。

 

人間臭い神々の世界をベースとしたギリシャ神話では、恋愛は日常茶飯事のように勃発し、様々な混乱や事件を引き起こす元凶?として多数くの物語で記録されています。

 

神々の王であるゼウスは、天空と雷を司るオリンポス山の最高神として崇拝されておりますが、バツ2で再婚した後も男神や人間の娘と浮気しまくる恋愛体質の神様です。ゼウスの最後の正式な妻である女神ヘラは、ゼウスの浮気のたびに猛烈な嫉妬で暴れるのですが、その被害はハンパありません。

 

またギリシャ神話では、アポロはじめヘラクレス、アマゾネス等々、同性愛(バイセクシュアル含)を楽しむ英雄や人間も数多く登場します。アポロの双子の姉であるアルテミスは、文献によってはアセクシュアル(無性愛)として描かれています。

 

預言者テイレシアスは、7年の間男性から女性に変身してしまうという設定ですが、男性性に戻った際「女性性のときの方が10倍も性行為を楽しめたもんね!」とうっかり発言し、ゼウスの妻ヘラの怒りを買って盲目にされたという、トランスジェンダー的要素をもつ存在です。

 

トランスジェンダーに関しては、従来の男女という規範に一致しない性的アイデンティティとして、古代シュメール王国やギリシャ・ローマ時代等々、人類の歴史を通じて多くの証拠とともにその存在が証明されています。文化によってはノンバイナリーやトゥースピリットといった概念で認識されています。

 

といったわけで、話題のLBGTQ‥という存在も、すでに様々な形で数多く人類史上に登場していたのでした。

 

 

中世ヨーロッパの宮廷愛

 

中世ヨーロッパの恋愛観では、貴族の男性には騎士道精神(Chivalry)とともに理想的な貴婦人に対する忠誠心や礼儀正しさが求められ、自己犠牲も厭わないといった高貴な関係性(『宮廷愛』という概念)が理想の愛のかたちとして定着していました。プラトニック重視な傾向が強かったようです。

 

とはいいつつ実態は、貴族同士の地位や財産結合が目的の政略結婚がほとんどで、結婚後は夫妻それぞれ愛人を持つのは許容範囲事項だったようです。結婚と愛人関係は、まったく異なる社会的機能を果たしていたのでしょうね。

 

しかし宮廷愛的恋愛観はその後消えることなく、現代においても夢見る乙女たちの「白馬の王子様幻想」として生き延びています。現代の女性対象コミックなど「財閥の優秀美形息子に愛されちゃう女性or 男性設定」は定番となっておりますな。♂=資源という遺伝子レベルからも女性の魂を揺さぶるのでしょう。

 

中世の貴族以外の一般人はどうかというと、やはり恋愛や結婚は家族の生計を立てるための協力関係として捉えられ、恋愛感情だけでなく実用的な配慮も重視されていました。現代日本の結婚事情とも似ていなくもないですが、それでも確かに恋愛を謳歌する人々は存在していたようです。

 

フランス革命の18世紀を舞台としたディケンスの「二都物語」では、愛する女性のために、自らその女性の愛する夫の身代わりとしてギロチン台にのぼる男性が描かれております。読後、雌に命捧げるんはカマキリやクモの雄だけで人間にはいないやろ!と高校生の私は激しく思ったものです。しかし命をかけた自己犠牲という恋愛のかたちも、きっと存在したのですね(過去形)。

 

 

日本の恋愛系古典文学

 

日本の中世においても、恋愛とは別に婚姻はしばしば政治的な同盟や家族間の結びつきと深く関係しており、個人の感情よりも社会的利益が重視されることが一般的だったようです。しかし歴史や文学の中には、個人の恋愛や浪漫を扱った作品も数多く存在します。

 

平安時代の女性が描いた『源氏物語』は、ひとりの男性が幾多の恋愛にただひたすら現(うつつ)を抜かす、世界最古ともいわれる恋愛長編小説です。光源氏って、好きですか?...

 

江戸時代から明治時代にかけては近松門左衛門の「曽根崎心中」「心中天網島」といった大ヒット作も含め、「心中もの」というジャンルの物語が流行りました。実際の事件を元ネタとする物語は、当時の封建社会の規範や身分制度の中で恋愛は難しい背景があり、恋愛の自由を求める人々の深い共感を得たのでしょう。

 

また、恋愛において障害があるほど燃え上がるという構図があります。困難を共に乗り越える体験は、二人の絆を強め、感情的な結びつきを深め、さらに恋愛の価値や意味を高める‥というわけです。ここでも脳内の快感物質選択圧力(遺伝的適応:困難を乗り越えることができる個体同士が結びつく傾向)といった生物学的な働きが大いに関係しているようです。

 

 

世界各地の様々な恋愛・結婚制度

 

現在も世界各地で珍しい恋愛や結婚の形態を持つ民族が存在しますので、漁った資料や情報からいくつか抜粋。

 

チベットにおけるポリンドリ(多夫婚)は、一人の女性が複数の男性と結婚する制度。

高地に住むチベットの人々は環境の厳しさに対応するため、多夫婚は人口増加を抑えるための手段となっているようです。

とくに兄弟が一人の女性と結婚するケース「兄弟多夫婚」が一般的で、複数の夫が共同で働き、家族の収入や資源を共有することで生活の質を向上させているといいます。

 

ヒマラヤのナシ族は、夜になると男性が好きな女性の家を訪れ、一晩ともに過ごして朝には帰って行きます「歩婚(通い婚)」。男性はアーシャ一と呼ばれるパートナーではありますが、一人とは限らない!し、父という呼称もありません

女性・男性はそれぞれの家族と一緒に住み続け、生まれた子どもは女性(母親)側の家族が育児や教育を行ます。父親の役割は女性家族の男性陣が引き受けるといいます。男性パートナーは気楽でいいですな?

 

パプアニューギニアのトロブリアンド諸島に住む部族は、恋愛&性にオープンで、青年期の男女は自由に複数の恋愛関係を築くという自由恋愛。成人になると、その中からパートナーを選んで正式な結婚に至る、というケースが多いといいます。

 

マーシャル諸島では伝統的に母系制で、結婚相手を選ぶ主導権を女性が握っています。選ばれるのは男性側で、地位や財産は母系を通じて継承されるそうです。離婚決定も女性主導で行われ、自由に結婚相手を変えられまっす♪

 

ブラジルのアマゾン地域に住むムラ族は、若い男女は結婚前に一定期間同棲し、相性を試します。互いに家事能力や協調性等々を評価し合い、結婚に進むかどうかを判断し、双方が納得した上で結婚を決めます。日本でも徐々に増えていますね。

 

上記で紹介した文化や生活様式も、現代の環境問題や社会変動等による近代化の波の中で少しずつ変化を余儀なくされているようです。

 

 

以上、思いつくまま書き散らしてきましたが、時代や社会制度がどうであれ「恋愛感情」が遠い昔から存続してきたことは事実です(もちろん個人差はあります)。

 

特定の相手を熱情的に恋慕する感情は、異性間という母集団に含まれない同性間においても、直接繁殖にはつながらないですが、自然の理に必要な役割を担っていると考えています。

 

ところで最近巷でもチラホラ見かけるようになった「ポリアモリー」という聞き慣れない呼称をご存知ですか?「新しい恋愛(性愛)の概念」とのことです。が、現状は明確な「概念」には至っておらず、いろいろ諸説、個人差がありすぎてなかなか一本化できない感じ?でしょうか。これも実は新しくもなんともなく、大昔から様々なかたちで存在してきているのですがね。興味のある方は検索をぜひどうぞ!

 

次回からはいよいよ私の妄想する「生涯のパートナー」についてです。