子どもの頃に親から受けた暴力や心無い言葉のせいで、心に傷を負ったまま大人になった人は、自己否定が強く、どこか自虐的たっだり、人が信用できなかったり、いつも孤独や不安、恐れを感じていて、他人の顔色を窺うようなところがあったりします。
僕自身もずっとそんな生きづらさを感じてきました。
子どもの頃に心が壊れてしまうほどの悲しいことを云われ続けていましたし、それは今も心の傷として残り、時折僕を苦しめたりします。
小さい頃から親に殴られたり、押し入れに入れられたり、外に放り出されて鍵をかけられたり、とくに父には本当によくどやされ殴られしたものでした。
顔が腫れ、鼻血が出てなんていうのはしょっちゅうでしたし、殴られている時の痛みもさることながら、父の鬼のような形相と、声が裏返るほどの狂気に満ちた怒鳴り声は、幼かった僕にとって恐怖以外のなにものでもありませんでした。
後頭部や首を殴られ、鼻血が吹き出し、頭がもうろうとして息ができなくなったときは、殺される、僕はもう死ぬんだ、いやだ、死にたくないと、もの凄い恐怖と絶望を感じたこともありました。
なにが悲しかったって、それをそばで見ていた母も僕をかばってはくれませんでした。
意識がもうろうとしてあおむけに倒れている僕に、氷枕をもってきて頭に当ててはくれたものの、あんたが悪い子だからお父さんに怒られるんだ、あとであやまりなさいみたいなことをずっと言われていたような覚えがあります。
僕はたしかに良くはなかったかもしれないけど、こんなになるまで殴られなきゃならないのかな?
こんなになってる僕に、お母さんはなぜおまえが悪いとか謝れとか云えるんだろう?
なんか悲しいな、悔しいな、でもお父さんにはとてもかなわないからな…ちくしょう。
でも、お母さんの言うとおりかもしれない。
こんなふうに殴られるのは僕が悪い子だからだ。
ちゃんと言うことをきかないからこうなるんだ。
自分は殴られても仕方のない悪い子なんだと自分に言い聞かせ、ごめんなさいと父に謝ったあと、なんだかとてもやるせない思いが僕の全身を覆い、殺してやりたいと思った父への怒りを自分の心の奥深くにとじこめ、自分の無力をただただ呪ったものでした。
それでもまだ一人で生きていくなどできない子どもです。
子どもってどんなに怒られても暴力をふるわれてもお父さん、お母さんが大好きだったりするものです。
やっぱり両親から愛されたかったし、かわいがってほしかったのです。
気づけばいつも親の顔色をうかがい、父の機嫌が悪そうな時はなるべくおとなしくしていたり、わざとふざけてみたり、親の機嫌をとるようなことを言ってみたりしていました。
やがて時は流れ、中学生、高校生ともなると僕も成長し、力も強くなるので、だんだん親にも反抗的になり、父にも何か云われると言い返したりもしました。
それでも父の本質は、親という威厳をかさに、最後は殴って力で抑えつけるという支配的なふるまいは変わることはありませんでした。
高校生の頃は何度も何度も、殴り返してやろうか、殺してやろうかとさえ思ったものでした。
最後の一線を越えることはなかったのはたぶん、それでも親が好きで、親に愛されたいという思いが僕の中の怒りの衝動を已の所で抑えていたのだと思います。
親が大好きな自分と、親が大嫌いでゆるせないと感じている自分が、自分の中に同居しているような、とても窮屈で違和感のある感覚がずっと僕にはありました。
今もまだ完全になくなったわけではありません。
僕は両親には、大学まで行かせてもらって、ここまで育ててもらったという感謝はあります。
でもやっぱり、本当にしてほしかったことや、わかってほしかったこと、信じてほしかった思いや、謝ってほしかったことが今もたくさんあることに気づきます。
たまに両親に会った時などのやりとりのなかで、両親の言動や行動が幼い頃の傷に触れつい反応してしまうことがあります。
いくつになっても子どもの頃に感じたり体験したりした心の傷というものは癒えることなく、今も心の底でくすぶり続けているものだと思い知ったりする瞬間です。
両親への愛憎、この言葉がとてもしっくりくるのが悲しいです。
ゆるせない、けどゆるしたい。
今からでも愛されたい、あのときかけてほしかった言葉をかけてもらいたい。
以前ほどではないにせよ、僕のなかではそんな葛藤が繰り返されているのを感じる瞬間が今もあったりします。
子どもの頃に親からもらった価値観は、その後の人格形成に大きな影響を与えます。
いつも怒られ、殴られ、育ってきた子は自己価値が低く、自分のことを大切にあつかいません。
自分が満たされていないから、他人のことも大切にできなかったりするものです。
おまえみたいな悪い子はうちの子じゃない、おまえはいらない子だ、なんでおまえなんか生んだんだろう、おまえはなにをやってもだめだやつだ、本当は男の子がよかったのに…。
存在を否定されるような言葉を親から言われてきた子どもは、自分は必要とされていない価値のない人間なんだ、というセルフイメージをもちつづけます。
親の言動が、子どもの自己重要感を育てることにも、奪うことにもなると言って過言ではありません。
僕にも幼い子どもがいますが、こんな悲しい価値観を絶対にこの子には引き継ぐまいと心に誓っています。
僕が幼いころに両親から云われてとてもつらくて悲しかった言葉、大人になった今も僕の心を締めつける、幼なかったころの経験をつづったメールマガジンを本日午後12:00に発行いたします。
子どもの自己重要感を育むのも、その芽を摘むのも親の言葉だったり愛情の向けかたひとつだということ。
また不幸にも親から受けたトラウマを抱えたまま苦しんでいる人も、生きづらさから解放され、自分らしい人生を生きたいと本気で思うなら、いつか自分のなかの闇と向き合い、親への執着や依存を手放すことが必要なんだということを、僕の経験を通して感じていただけたらと思います。
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