5月11日(日)


6時半に起きたのに、モーニングページを書く前に、つい井上新八さんのブログを読みふけってしまった。


おととし『「やりたいこと」も「やるべきこと」も全部できる! 続ける思考』を読んで以来、noteやブログや著作を繰り返し読み続け、私淑している。
やろうと決めたことを毎日続けられる人にワタシモナリタイ。

朝の散歩中、祖母から電話がくる。今日は祖母の92歳の誕生日だ。
毎年送っているとらやの羊羹と日本酒が無事届いたらしく、「ありがとうねぇ」を何度も繰り返していた。
近々、一族集合で“大誕生会”をやる予定だが、その日をカレンダーを見ながら指折り数えているらしい。

祖母の笑顔を見るのが楽しみだ。

今日は母の日でもあるので、母にはカーネーションと一緒に「美の秘薬、献上いたしまする」のメッセージ付きで、最近私が試しているリポソームというビタミンCサプリを送った。私的には肌のきめが整って、ざらつきが減ったような……気がする?……たぶん?
そう信じたい。美容とは信仰である。

今日の読書は、『罪と罰』(ドストエフスキー)3巻と『黄昏の狙撃手』(スティーヴン・ハンター)下巻をそれぞれ途中まで。
(現在、私の中で「ドストエフスキー五大長編読破祭り」と「ボブ・リー・スワガーシリーズ全巻制覇祭り」が同時開催中)

漫画は『サ道』7巻。
ドイツのサウナはまさかの男女混浴&全裸とは!
日本に住んでいたことがあるというドイツ人の美人スタッフから

「サ道というドラマがあって」と話しかけられるが、全裸だったため、

「私こそが原作者だ!」と言えず、

「知ってます‥‥」としか言えなかったという話がおもしろかった。

 

 

 

 

 

 

 

2/24(月)

 

生牡蠣が食べたくてオイスターバーへ行く。

久しぶりに食べた生牡蠣はおいしかったが、そういえば前回食べたのいつだろう?と考えたら、おととし広島へ旅行に行ったときだった。

 

広島で食べた牡蠣は、小ぶりだったが旨味がぎゅっと凝縮されている感じがしておいしかった。

 

原爆ドームや平和記念資料館も見たが、私が一番印象に残ったのは、爆心地とされている場所へ行き空を見上げたときに感じた恐怖だ。

 

原爆ドームから少し離れた裏路地の、当時もそこで開院していたという病院のビル。

あまり観光客も来ないようなその場所に、爆心地であることを示すモニュメントがひっそりと建っていた。

 

その日はとても晴れていて、思わず空を見上げたときの太陽はまぶしくて、その目を刺す白い光が、映画やドキュメンタリーで見た原爆の光を思わせ、ぞくっとしたのだった。

 

広島に行くからと直前に読んでいた、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』の一節が頭に浮かんだ。

 

 

広島はそれ全体がひとつの墓場だ、町のあらゆる隅々に慰霊塔がある、ごく小さい石のごときものにすぎないそれにしても。

 

 

 

生牡蠣がおいしかった!という軽い日記を書こうと書き始めたのだけど、記憶の連鎖は自らも止められず進んでいくものだな。プルーストも、マドレーヌがおいしかった!と書きたかっただけ?・・・んなわけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2/25(火)

 

キッチンの断捨離をする。

数えるほどしか使っていなかったガーリックプレスやフードプロセッサーなどの調理器具や、おそらく引き出物などでもらって昔はよく使っていたけど最近はあまり使ってなかったコップやお皿なども思い切って処分したら、だいぶすっきりした。

 

やましたひでこさんが洋服について「旬」という言葉を使っていたけど、それは何にでも当てはまると実感。食器や調味料や化粧品や文房具などなど、買った当初やもらった当初は気に入って使っていたけど、その旬の時期が過ぎてしまって使わなくなってしまったものは思っていた以上にたくさんあった。

 

物がそこに収納してあることに慣れてしまっていて、これをどう配置したらいいかな?と考えてしまうけど、待て待て、よくよく考えたらこれ今使ってないじゃん、の連続だった。1つ1つの物にもっと意識的に向き合わなければと思った。

 

 

2/5(水)

 

やましたひでこさんの『引き出し1つから始める 1日1か所 断捨離』を読んで、断捨離のモチベーションを上げる。やましたさんの自宅の写真の、空間、余白を大事にする収納に憧れる。

 

大寒波とのことだけど、覚悟して出た散歩は思ったほど寒くなくて、なんだかちょっと拍子抜け。寒さを求めてしまうのは、栃木の血か。

 

夕食は茅乃舎だしでお雑煮を作る。お雑煮なんて5年ぶりくらいに作ったけど、意外とおいしくできて満足。

 

韓国ドラマ『トランク』を見る。

エキセントリックでヒステリー気味な元妻と、「冷めすぎだろ」とツッコみたくなるビジネス契約結婚の現妻という二人の女性に翻弄されまくったあげく、ビジネスを超えて現妻に魅かれて「一日中会いたかった」とか素直に言っちゃう一人だけ子供みたいな男を演じるコン・ユがかわいい。

 

 

 

 

 

2/6(木)

 

大寒波到来とのことで、夜中目が覚めたときに寒さを感じた。

 

朝の読書はドストエフスキーの『白痴』。

4巻の、カトリックはアンチキリストだというムイシキン公爵の熱弁のところ。

本当に作品を楽しむには、歴史や宗教をもっともっと学ばないといけないなぁ。

 

夕食はサラダとゆで卵という調整メニュー。だけど、『イカゲーム』を見ながらチョコとせんべいは食べる。「赤ワインが飲みたい」という欲求を抑え、「月から木はアルコールを飲まない」を守れた自分を褒めたい。

 

『イカゲーム』は新シリーズが出たためシリーズ1から見返している。見たのがもう3年前くらいなのだが、びっくりするほど覚えていなくてまた楽しめている。主役のイ・ジョンジェさん、大泉洋に似ていると言われてたけど、役所広司にも似てるな。

 

 

 

 

 

6/8(土)

 

年1回の人間ドックの日。

 

人間ドックは慣れてくるとどんどん楽になる。

初めてやったときは婦人科検診の痛みや羞恥とか、マンモグラフィーで胸を限界まで押しつぶされる激痛とか、内視鏡(胃カメラ)つっこまれた時のおえおえとオットセイのようにえづきながら涙とよだれを垂れ流す苦しさなんかで、本当にぐったりしていたものだけど、今はなんちゃあない。

 

特に、昨年から内視鏡を鎮静剤ありにしたので、麻酔で意識がぼーっとしてる間に終わっていて、苦しさの記憶はゼロだ。すばらしい。

 

それでも帰宅すると鎮静剤のせいもあるのかだるい感じはあったので、『不思議の国のアリス』『紫式部日記』『ザ・ロード』などを読みながらゆっくり過ごす。

 

『紫式部日記』は、紫式部が主役の大河ドラマ『光る君へ』を見ているから読み始めたのだが、とってもおもしろい。現代語訳を読んだ後で原文を読むと、「読める、読めるぞ!」とムスカ感(by天空の城ラピュタ)を味わえてよき。

 

朝早く道長がやってきて、女郎花を一枝折って差し出してきた姿が「なんとご立派なこと」で、「それに比べて私は、まだお化粧もしていない眠たげな素顔だ」から恥ずかしい、とか書いてる紫式部の乙女感、かはゆし。

 

 

 

 

6/10(日)

 

先日散歩コースがカラス凶暴化のため通行止めになっていた話を書いたのだが、また通りかかったら…

 

 

捕食してる!!

写真ではあまりわからないけれど、なにかの小動物の内臓的なものをひっぱりだして食べてるというなかなかのグロシーンだった。

 

こんなシーン普通に歩いていてもめったに見ないのに、注意書きの後ろという絶好の位置でこれ見よがしに捕食するとは!

 

こいつ、わかってやがる。

前回注意書きの写真を撮っていた私を見ていて、イラストのカラス撮るくらいなら俺を撮らんかい!と舞い降りてきたに違いない。恐ろしい子!

 

……目だけは守り抜かなくては。

 

 

 

 

6/11(火)

 

Netflixで『シティーハンター』を見て(ストーリーはやや陳腐感ありだけど、そんなことどうでもいいくらい鈴木亮平が最高だった)、Kindle Unlimitedで原作を見かけたので、とりあえず1巻を読んでみた。子供の頃アニメ版をよく見ていたのでなじみはあったのだけど、原作は想像していたよりスタイリッシュで断然おもしろく感じた。

 

映画版では槇村が目の前で死んだとき香は泣きわめいていたけれど(当然だと思うし違和感はなかったけど)、原作だと目の前では死なず、獠から知らせを聞いた香は驚いた顔はするもののそのときはまったく泣かず、それに対して獠が「ヒステリーを起こさなかったことはほめてやる」とか言っちゃう大人な展開。

 

他にも、敵側から仲間に誘う目的であてがわれた麻薬中毒の全裸の美女に対しては、自分のジャケットを脱いで着せ掛け、「今度会った時くどかせてもらうよ」と優しくキスをする(キスはするんだね)けどまったく「もっこり」しない。大人だ。

 

ちなみに、この獠の代名詞ともいえる「もっこり」に関して、初代担当編集者が語る誕生秘話というコラムに、連載当初から渋くてハードな展開が続いて人気が出なかったので「とにかく主人公の性格を、明るく変えていこう」として打ち合わせで出た言葉が「もっこり」で、そういう性格付けをしたおかげでその後人気がぐんぐん上昇した、という裏話が書かれていた。そうだったのか。ナイスもっこり。

 

 

 

6/4(火)

 

いつもの散歩コースがある理由で閉鎖中になっていた。

 

 

文字の背景に狂暴そうなカラスのイラストを入れているところに作成者の遊び心を感じる。が、冗談抜きで、カラスって近くで見ると結構大きいし、鳴き声も威嚇的でなかなかに怖い。そんな奴が狂暴化しているとなればさらに怖い。宅配便のおじさんにも飼い主の後ろに隠れてしか吠えられないわが愛犬ランボーなど、本気出せばいちころだろう。

 

人間だって本気で襲ってこられたら敵わないよな…などと考えたので、夜、連想により思い出した1冊を手に取る。

 

 

 

そう、ものすごく安易な連想だけど、鳥が襲ってくるっていったらこれでしょう、

ダフネ・デュ・モーリア『鳥』。ヒッチコックの映画(1963年)の原作としても有名である。

結構前に購入してあったのだが、積ん読状態になっていた(Kindle版がないのが残念)。

 

映画は子供の頃見たので細かい内容は全然覚えていないけど、まだホラー映画とかをそれほど見せてもらえてない年齢だったので、『ジョーズ』とともに怖い映画の代表として記憶に残っていた。映画史上的にも動物パニック映画の原点とされている。

 

さて、原作の『鳥』。短編なのですぐ読み終わる。

話は超シンプルで、ある日突然そこらじゅうの鳥たちが人間を襲ってきてさぁ大変、というもの。

 

私好みの、かっこいい小説だった。

 

まず主人公の傷痍軍人で農場で働くナットの言動や、文体がハードボイルドっぽくてかっこいい。

 

 

六羽、七羽、いや、十二羽ものオオセグロカモメやセグロカモメが入り乱れて、攻撃してくる。ナットは鍬を放り出した。こんなものは役に立たない。両腕で頭をかばい、彼はコテージをめざして走りだした。鳥たちは空からつぎつぎ襲いかかってくる。声もなく、ただ、バタバタと恐ろしいはばたきの音だけを響かせて。両手が、手首が、首が、血に濡れていく。急降下してくるくちばしが、彼の肉を切り裂く。だが大事なのは目だ。他のことはどうでもいい。目だけは守り抜かなくては。

 

 

また、なんで鳥が急に人間を襲うようになったのかという理由が書かれないところもかっこいい。理由がわからないということは対処方法もわからないわけで、それが不気味さ、怖さを増している。

 

さらに、結局ナットや家族は助かるのか、事態は収束するのか不明なまま終わるところもニクくてかっこいい。スティーブン・キングの短編『霧』と似たものを感じる。(『霧』は『ミスト』として映画化されているけどラストが全然異なる)

 

読者は不安なまま取り残されることになるけれど、人生ってそうだよな、理由や結末がはっきりわかるもんじゃないよな、不条理とも思える恐怖にさらされることだってあるわな、って思う。いや、実際にはさらされたくないけれど。

 

 

6/5(水)

 

『生きのびるための事務』(坂口恭平 、道草晴子)読了。

 

 

坂口恭平さんの新刊だったから買ったのだけれど、漫画だったの知らなかった。

文章で読む方がやっぱり好きだけど、楽しんで読めた。

 

ここでいう「事務」とは、「スケジュール管理」と「お金の管理」と定義づけられている。要するに、好きなことを続けて生きていくために必要な環境や習慣を作ることを言う。

 

内容的には坂口さんの『継続するコツ』の中で書かれていることと同じことが書いてあるのだけど、頭の中の事務員、その名もジムという擬人化されたキャラクターとの対話形式で思考のプロセスが可視化されていることで、より分かりやすくなっている。

 

ジムが言う次のセリフ。

 

 

「恭平もこれからは作家になりたいなんて口走るのではなく、毎朝5時に起きて、9時まで原稿を書き続けたい、と言えばいいんです。

作家になるって、そういうことです。

本を書いてお金を稼ぐことじゃありません。それは断じて違います。」

 

 

これ、学生のときの私だったらよくわからなかったと思う。

弁護士になって稼ぎたい!とか思っていたし。

でも、私にとって幸福に生きることはそういうことではないということが今はわかる。

 

もし余命1年と言われたとしても送るだろう1日、10年後も同じ生活を送っていたいかと言われてイエスと答えられるような1日、そういう1日を過ごすことが私にとっての幸福だと今は思っているし、今後もそういう思想で生きていきたいと思っている。

 

こういう思想に中学生とか高校生のとき触れていたら世界の見え方も変わってくるような気がするので、読書はあまり得意じゃないけど漫画なら…っていう若い人にもたくさん読んでもらいたいなと思った本だった。

 

 

6/7(金)

 

朝8時過ぎに母から「花岡さんが(泣)」というLINEくる。朝ドラ『虎に翼』のことだ。

 

前回の放送では、岩ちゃん(岩田剛典)演じる裁判官の花岡が、戦後の食糧不足の中、食糧管理法違反事件(闇市などで不法な取引をした人を裁く事件)を担当していることから、自身は闇市で食料を買わずほんの少しのお弁当しか食べていないシーンがあったので、「なになに、花岡さん栄養失調で死ぬの?」と冗談のつもりで母に返信していたのだが、実際見たらその通りだったので驚いたし、調べたらモデルとなった裁判官がいると知ってもっと驚いた。

 

山口良忠判事という方で、1947年に33歳で餓死したということだ。食糧管理法違反事件を担当し、日記には「食管法は悪法だ」としながらも「自分はどれほど苦しくともヤミの買い出しなんかは絶対にしない」と書いていたとのこと。

 

まず連想したのは「悪法も法なり」と毒杯をあおって刑死したソクラテスだけど、「人としての正しさと、司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」との花岡のセリフでは、『レ・ミゼラブル』(ユーゴー)のジャベール警部も思い出した。

 

法の番人として元囚人のジャン・バルジャンを見逃すわけにはいかない自分と、ジャン・バルジャンの人柄に触れ、命まで助けられたことに対して、人として見逃したい自分。その狭間でジャベールは苦悩し、ジャン・バルジャンを見逃した後自殺する。

 

いやいや、そこは法律よりも人でしょ、命でしょ、死ななくていいでしょ、ってツッコむのは簡単なのだけど、そこにアイデンティティの問題も加わるから人間って難しい。

 

法の番人としての警部という立場にアイデンティティを置いていたジャベールと、法を司る者としての裁判官という立場にアイデンティティを置いていた花岡。たとえそれが悪法だと思っていても、いや悪法だからこそ、それを破ることは裁判官として自分が裁いた人たちに対しても不実であると考えたのかもしれない。

 

アイデンティティは強さであると同時に、それを失ったら生きていけないと思ってしまう点において弱さでもある。まぁそういう複雑な面を持っている動物だからこそ、愛おしく思うのかもしれないけれど。でもやっぱり悲しいぞ、花岡さん。